魔王の友達である魔族の俺が、聖剣に選ばれて勇者と友達になる話。
俺は魔族だ。友達は魔王だけど、俺自身は一介の魔族である。
友達のようにアホみたいに強いわけじゃないけど、簡単に人間に狩られるほど弱くはない。でも、集団相手だとちょっと自信ない。
そのくらいの俺は、それなりに気楽にやっていた。
そう、今日この日、この瞬間までは。
俺はいま、大変困っている。俺の手の中でびよんびよんと妙なしなりを見せているのは、伝説の剣スデンイヨツウヨチ。
「いやぁ――! 聖剣――!」
そう、スデンイヨツウヨチは伝説の『聖』剣。その聖剣は、何故か俺の手に張り付いて離れない。ぶんぶん子どもみたいに腕ごと振り回して取ろうとしても、ぴったり張り付いている。
「聖剣だぁ! ぎゃあ――! いやぁ――! 滅ぼされるぅ――!」
散歩中、昨日までなかった洞窟がある事を発見した俺は、のこのことホイホイされた。朝と夜で地形が変わることなど日常茶飯事のこの魔界では、洞窟が現れることなんて別に驚くことじゃない。なのに俺は、最近暇だしみたいなノリで、何故か今日に限ってその洞窟に足を向けてしまった。
その奥で、俺を待ち受ける罠にも気づけずに。
「離れろ! 離れ……あ、いや、光らないで! ぎゃあ、目つぶし!」
剣が刺さっていたから抜いた。ただそれだけなのに、どうしてこうなった!
抜いた刀身に、スデンイヨツウヨチの名前が書かれていて慌てて放り出そうとしたのは、魔王の友人として、何より魔族として当たり前の反応である。
そんな俺に、聖剣は酷かった。流石聖剣、魔族に酷い。
放り出そうとした俺の手に張り付き、抗議するかのようにびかびか光ったのだ。聖なる光である。当然、俺の目は三分間も待てないほどの被害を受けた。
まるで魔界産玉ねぎを刻んだような衝撃に目から涙が止まらない。後、鼻水も止まらない。
目を開けられず、それでも必死に引き剥がそうとした俺に、剣の猛攻は留まることを知らない。びかびか光り続け、終いには俺の腰にぴったりと納まってしまったのだ。元々俺が持っていた剣が放り出され、剥き身の剣が剣帯にぶら下がる。
「ああ! 俺のバイヤルレキクゴスが! って、痛い! しなる振動が超痛い! 流石聖剣! あ、やめて! 眩しい! っていうか痛い!」
びかびか光りながら、びよんびよんしなって憑りついた聖剣に、俺は泣いた。それなりに強い魔族らしい厳かな泣き方で。
「びゃあああああああ!」
勿論、恥も外聞もなくぎゃん泣きしながら、友人に助けを求めるべく魔王城を目指したのである。
現在の俺は、魔王の近衛隊に武器を突きつけられながら泣きじゃくっている。
「…………それで、徹夜明けの余の寝室の窓ガラスをぶち破ったと」
「だって、だってこいつが!」
「大体、魔王の寝室に聖剣持って突っ込んでくる馬鹿がいるか!? いたわ、貴様だ!」
「俺だよ! 助けて!」
魔王はベッドの上で寝間着のまま顔を覆った。いつもは結んでいる長い黒髪が今は解けている。まあ、そりゃそうだ。さっきまで寝ていたんだから。
片手で近衛隊を下げてくれたのはありがたいけれど、近衛隊は不満げだ。俺、今夜は夜道に気を付ける所存である。でも、今はそれどころじゃない。
「余は眠い!」
「俺は痛い!」
「くだらん揉め事の後処理でもう七日も寝ていないのだぞ!? 貴様、余の助力要請蹴ったくせに、余に助力を求めるとは片腹痛いわ!」
魔王の頭に生えているいつもは一回転半している角が、一角獣のように勢いよく伸びた。二本あるから二角獣だが。
これは本気で怒っている。怒りすぎて魔王の寝間着の裾が燃えだした。魔族はこんなことじゃ火傷も負わないから特に心配はせず、俺は首を傾げる。
「助力?」
「知らぬとは言わせぬぞ! 余は五日前にイヤハを使って親書を!」
イヤハとは、魔王が飼っている悪魔鳥だ。とても賢くて強くて速いので、伝書鳥として大変重宝されている。
俺は、はいっと片手を上げて質問を請う体勢になった。
「何だ」
「そのイヤハは現在どこにいますか?」
「とっくに戻ってきて、そこの鳥かごで眠っておるわ」
ふんっと顎で示された鳥かごには、いつも通りイヤハがぷすぷす寝息で火を噴いている。可愛い。
俺は、はいっと上げたままの片手を揺らした。
「そのイヤハのベッドの中にちらほら見える破片は、もしかしなくても親書ではないでしょうか」
「……………………親書に見えないこともない」
「そもそも、イヤハは俺の所に来たんでしょうか。まさかのまさか、うっかりイヤハを飛ばすこと自体を忘れていたなんて。そんないつものうっかりが発動しただなんて、まさか、ソンナバカナー」
「ソンナバカナー…………さて、遠路はるばる訪ねてきた友人を無下にも出来ぬ。余に相談があると言ったな?」
「飛んで五分だけどそこは置いといて、そうなんですよ、相談があるんですよ助けて」
魔王の角は、きゅうっと二回転半くらい巻かれた。
大丈夫だよ、友よ。俺とお前は短くはないけど特に長くもない時間の付き合いだ。この程度のうっかりで怒ったりしないから、だからお願い。
早くこの聖剣の呪いを解いてください!
べそべそ泣く俺の腰に張り付いている聖剣をひょいっと覗き込んだ魔王は、はっと弾かれたように振り向いた。
「待て! 怒るな! 余は別に新たな武器を迎えようとしているわけではない!」
浮気した男のように魔王が必死に言い募っている相手は、壁にずらりと並ぶ剣や槍、大鎚に鉄棒、中には用途不明なものまで様々だが、とにかく魔具、それもとびっきりの強さを持つ武器だ。
魔武器達は、ごごごごと大地を揺るがさんばかりに黒い光を纏い、ベッドの上に浮いていた。凄く、怒っている。
普通の武具とは違い、魔具も聖具も意思があるのだ。だからこそ、主を選べるのである。誰でも使える物は魔具でも聖具でもない。
そして、意思があるが故に困ることもあった。
持ち主が他に意識を向けると、凄く怒るのだ。それが武具なら尚更だ。ちなみに、魔王が魔具を手にしてすぐの時は、大体俺が目の敵にされる。ボードゲームしていたら黒い雷で攻撃してくる、話していたら勝手に飛んで串刺しにしようとする、魔王と肩を組んで勝利を喜んでいたら俺の立っていた地面が消えたりもした。あの時は大変だった。まさか、超危険種ホワイトオオトカゲの巣に落とされるとは。
血相変えて飛んできた友人が助けてくれなければ、俺は今頃ホワイトオオトカゲの栄養になって尻から出ていた。ちなみに、そのホワイトオオトカゲの牙で作った剣がバイヤルレキクゴスである。
しかし、一つだけ例外があった。
友人が寝ている時でも手放さない剣、スデンイゴスウヨチ。魔王だけが持てる、魔王の為の魔剣である。
この魔剣、結構怠惰で、持ち主である友人が新しい武具を手に入れても特に興味がなさそうなのだ。ちなみに、戦闘の時は鞘から抜けないという体たらく。でも魔剣。魔王だけが手にできる、魔王の証。逆に友人の方が、魔剣から見放されないか心配で手放せなくなるという、ある意味魔王殺しの魔剣である。
なんとか魔具達を宥めた魔王は、魔剣を握ったまま聖剣を覗きこんだ。
「…………友よ」
「はい」
「貴様、勇者だったのか」
「俺に勇気があったなら、元カノに軟弱物とフラれたりしません」
「余が悪かった」
女鬼の張り手は痛かった。岩山貫いて反対側の毒沼にまで吹っ飛んだ。他に好きな人ができた。その人と勝負をして力を示してくれたら別れないと言われて、好きな人と幸せにねと言っただけなのに。俺の愛を試したかったのにあっさり別れるなんて、私のことはその程度だったのねと怒られた。四つ首蜘蛛の首をねじ切り、溶岩風呂に入る女鬼の繊細な女心は分かりませんでした。
会議帰りの魔王が偶然通りかからなければ、俺は毒で痺れたまま沼に沈んでいただろう。友人、本当にどうもありがとう。いつもごめんね!
「で、なんで勇者?」
「それは冗談だとしても、聖剣がお前を主に選んだらしい」
「いやん! ばかん! 返品お願いしまいってぇ――!」
腰を九十度に曲げて返品手続きをお願いしたら、聖剣が白い雷を放ってきた。魔具の黒い雷と似ているが、どっちの場合でも標的は俺ときた!
「いや、でも、だって! 俺、魔族だから! 更に魔王の友達だよ!? 聖剣なんて持てないってぇ――! 痛い痛い痛い痛い!」
ビシャーン! ビシャーン! と、耳を塞ぎたくなる大音量の雷が落ちる。俺に。
逃げようにも元凶は俺の腰に張り付いている聖剣。もう、こうなったら祈るしかない。
「助けて魔神様! 聖剣に呪われぎゃあ――!」
我らが偉大なる父、魔神様に祈りを捧げると雷の威力が増した。
あっちに飛んでもこっちに滑り込んでも、元が自分に憑いていたら意味がない。俺は、頭を抱えて、顔を覆って、腰を押さえて、両手を上げて、とにかくあっちにこっちに逃げ惑った。
「ま、待て、落ち着け! 余の部屋が壊れる! まずは聖剣を落ち着けろ! そして貴様も落ち着け!」
「これが落ち着いていられるか――!」
俺より部屋の心配ですか、魔王のいけず!
「魔具達も落ち着……落ち着いているな」
聖剣の雷で怒り狂うと思われた魔具達は、予想外にも静かに壁に納まっていた。さっきまでの怒りも消え失せ、大変良い子だ。良い子じゃないのは聖剣のみである。
それを見て首を傾げている魔王を見て、はっとなった。俺は甲斐性がないのでお高い魔具の類は持っていないのだが、彼はたくさん持っている。そして、新しい魔具を迎え入れる際に、毎度儀式の如く行っている姿を思い出す。
一本一本に、彼らをどれだけ大事に思っているかを言い聞かせて宥めるのだ。
俺はびかびか光って威嚇してくる聖剣を両手で掲げた。
「スデンイヨツウヨチ!」
目も開けられない光を発していた聖剣が、ぴたりと光を止めた。雷も止まった隙に慌てて捲し立てる。
「お前は凄い剣だ! お前ほど目に痛い剣は他にないだろう! お前がいてくれるから俺はいま、未だ嘗てないほど切実に黒眼鏡の購入を考えている! そして、お前ほどの素晴らしい剣が俺の手にあることに喜びが溢れだしは全くしないから、早くあるべき人間の手に渡ってくれないかなと魔神様に日々祈りを捧げると誓うよ!」
魔剣を手にした時の友人の言葉を所々拝借して、精一杯聖剣を宥めた俺のやりきった感溢れる笑顔に、本日最大級の雷が落ちた。
痛かった。
俺は、菓子折りを手に、とあるお宅の扉の前に立っていた。この菓子は人間の国で人気があるらしいと聞きつけて、一時間二分も並んで手に入れた逸品である。長時間並び、ここまでてくてく歩いてきても、愚かな人間どもは俺が魔族だと気づきもしない。キングオブ一介にもなると、帽子一つで人間の国に潜入するなど容易だ。
何回も息を吸って、吐く。さっきからノックをしようとして止めるの繰り返しだけど、どうか俺を責めないでほしい。意気地なしと呼ぶなら呼べ! ただの事実だ!
だって、ここは勇者の家なのだ。
魔族の頂点に立つ魔王と互角の力を持つと言われる、人間の力の頂点に立つ男が住む家だ。魔族と違って、力がある者が人間の頂点に立つわけじゃないらしい。魔王は魔剣が選ぶけれど、人間王は前回の王の子どもが継ぐらしいのだ。力が無かったらどうするんだろう。というか、ないんだろう。だから、人間の王は毎度聖剣に選ばれない。しかも今回は、何故か俺の腰に!
まあ、そんな事情はどうでもいいにしても、俺がここにいるのは勇者に聖剣を引き取ってもらおうと思っているからだ。魔王と互角の勇者の家に、一介の中の一介、キングオブ一介の俺。
死亡フラグしか立っていない。
でも、仕方がないのだ。聖剣がびしゃんびしゃんと雷撒き散らすから、俺は愛剣バイヤルレキクゴスを取りに行けないのだ。最初はただの剣だったのが、苦楽を共にして早十年。最近魔具っぽい兆候が表れ、バイヤルレキクゴスという名前を教えてくれたので、そうそう誰かに奪われたりはしないと思うけれど、それでも心配だ。一応魔王に回収を頼んでおいたけれど、それでも心配だ。
聖剣は勇者の手に、魔剣は魔王の手に、愛剣は俺の手に。それが正しい形だ。
そう、これは、世界をあるべき形に戻そうとする一介の魔族の奮闘物語である。
ああ、蘇る愛剣との思い出。剣帯に刺そうとして落としちゃう俺。転んだ俺の鳩尾に突き刺さる柄。それを見て腹を抱えて笑う魔王。いきなり重さを増し、剣帯引き千切って魔王の小指の上に落ちる魔剣。ただの阿鼻叫喚だったけれど、愛剣との大切な思い出だ。
あの時間を取り戻すのだと、俺はちっぽけな勇気を奮い立たせて目の前の扉を睨む。
俺は震える手で扉をノックする。
「誰だ」
「間違えました」
あ、怖い。ノックした瞬間でかい勇者が低い声で出てきて、俺は回れ右した。扉の前で待ってたんですか。せめて三呼吸くらい開けてくれたら心の準備ができたのに。
いや、駄目だ。俺は愛剣との生活を取り戻すんだ。大丈夫、もしもの時は伝説の聖剣がある。なんでかは全く以って分からないけれど、聖剣は俺を選んでくれたのだ。正直呪われたとしか思えないけれど、聖剣は俺を主に選んでいる。だから、何かあったら聖剣は勇者から俺を守ってくれるはず…………勇者と目と目が合った瞬間に正当な主を見つけたとそっちに行っちゃったらどうしよう。いや、待てよ、寧ろそっちのほうが都合がいいじゃないか。というか、それを目的にここまでやってきたんだ。大丈夫だ、魔王と一緒に立てた作戦は完璧だ! 頑張れ、俺!
「あ、あのぉー、うちにお宅の荷物が間違えて届いちゃったみたいでぇ、持ってきました」
「荷物?」
姑息だと笑わば笑え、事実だ!
勇者は怪訝な顔で俺を見た。そうとも、そうとも、不審だろう。
だが、俺は勢いのまま突き進むつもりだ。このまま勇者の手に聖剣を押しつけて走って帰るのである。正々堂々逃げ帰る所存だ!
俺は両手で持った聖剣をずいっと勇者の胸に押し付けて、ぴたりと動きを止めた。
勇者のむきむきの胸から下、剣帯に刺さっているその見覚えがある剣は。
「――……バイヤルレキクゴス!?」
「…………聖剣?」
ぶっとい勇者の手が俺の二の腕を掴む。俺も勇者の二の腕を掴もうとしたが指が回らず、掴める場所を探して位置を下げていき、結局手首を掴んだ。
「話がある」
「俺も凄くある」
俺達はしばし睨み合った。けど、背の高い勇者は、普通に俺を見下ろしていただけかもしれない。
勇者が押さえている扉から家の中に入る。余所様のお宅に入るのだからと、帽子を取った俺の尖った耳を見て、勇者はちょっと片眉を上げた。けれど、お邪魔しますとぺこりと下げた頭を上げた時には、大したお持て成しもできませんがと極々一般的な返答をくれた。
魔剣、聖剣というのは、何もずっと存在しているわけじゃない。大抵、持ち主に選んだ魔王と勇者が死ぬ時に一緒に消える。
どの聖剣も、この世に光臨したら神殿の奥深くで大事に大事に、それはもう大切に守られる。そして、自分が勇者に選んだ人間が現れたらその勇者の手に委ねられるのだ。
だが、今期の聖剣は一味違う。勇者は選んだ。確かに選んだのだけど、選んだ後も抜けなかったのである。勇者に何か問題でもあるのかと選定がやり直されたりもしたが、勇者が現れてからは勇者以外の人間は部屋にすら入れないほどの徹底っぷりを発揮したりもした。
更に、勇者が勇者として認められるや否や、消えたのである。
そうして聖剣が消えた後に現れたのが、俺の愛剣、バイヤルレキクゴスだという。
幾ら意思があるのが聖剣とはいえ、自立飛行しないでほしい。そして、勝手に人の愛剣送りつけないで頂きたい。
俺は、勇者が淹れてくれた茶を飲みながら、テーブルの上に乗せられている俺の愛剣を見つめた。その視線に気づいたのか、勇者がちょっと自分の元に引き寄せる。俺の愛剣が数センチ遠ざかった。
「それで、魔王の友人。これが貴方の剣だと申されるか」
「そう、それが俺の愛剣。バイヤルレキクゴスです。魔王以外はみんな、ださい名前とか酷いこと言うけど、超かっこいいと思う俺の愛剣です」
みんな酷い。俺は初めてその名前を聞いたとき、震えるほどかっこいいと感動したのに。
勇者はぐっと眉間に皺を寄せた。
「…………かっこいいではないか」
「だろ!? そうだろ!? 超かっこいいよな! 痺れるよな!?」
「ああ、かっこいい」
人と魔族は共存できる。だって、魔族と勇者が分かりあえるのだ。
俺と勇者は固い握手を交わして頷いた。
しかし、勇者と俺が分かりあえても、聖剣と勇者が分かりあえない。盛大な雷が降る。俺に。
後、俺の愛剣が勇者にべったりだ。俺が触ろうとすると地味に静電気発してくる。まるで自分の半身を見つけたとか、欠けていた部分を見つけたのだと言わんばかりにべったり張り付いていた。
背中に。
勇者は、聖剣と話し合いながら背中に張り付いたバイヤルレキクゴスを剥がすのに必死だ。俺は、雷を降らせてくる聖剣を宥めながら、勇者の背中に張り付いたバイヤルレキクゴスを剥がそうとして静電気をくらうのに必死だ。
気がつけば、外はとっぷりと暮れていた。時計を見れば良い子は眠る時間である。そして、俺は良い子である。眠たい。
うつらうつらしてきた俺に、勇者は何とも言えない顔をした。
「夜は魔族の時間ではないのか」
「俺は早寝早起き派です……」
「老体か」
「十四歳です」
勇者が凄い顔をして俺を見たので、俺は盛大に脅えて壁に張り付いた。座ったまま壁に張り付いていた俺は、視線を感じて恐る恐る真上にあった窓を見上げる。
とっぷりと暮れた窓の外で、二つの大きな目玉がぎょろりと動いたのを見て、俺は絹を引き裂く悲鳴を上げた。
もう自分の剣みたいにバイヤルレキクゴスを引き抜いた勇者が俺の前に立つ。それを見て、俺はめそめそした気持ちになった。
だが、今はいじいじしている場合ではない。俺はしょんぼりした気持ちを隠して窓を見た。闇を背後に、長くとがった爪が窓の外で振られている。
「余だ、余」
「余余詐欺は間に合ってます」
「誰が詐欺か」
「じゃあ、魔界新聞はもう取ってます。最初に貰った洗剤、汚れ全然落ちなかった。しょんぼりした」
「誰が販売か! 後、その洗剤商品名教えろ。効果についてもう一度調べさせようぞ」
俺は、未だ剣をしまわない勇者をちらりと横目で見て、窓を開けた。
家主の許可を待たず、よっこらしょと窓枠を乗り越えてくる相手を指さし、俺は家主を振り返る。
「俺の友達の魔王です」
「…………魔王? 何歳だ?」
魔族の頂点に立つ魔王は、威風堂々と胸を張り、天を食ったような笑顔を浮かべた。その姿堂々たるや、その背、勇者の腰より低い。
「余は、世界に誕生して十年である!」
「……………………子どもは寝ろ」
勇者は片手で顔を覆って呻いた。けれど魔王は、ふんっと胸を張って角も伸ばす。ぴこぴこ揺れる角が、魔王と一緒にぐるりと俺を向いた。その期待に満ちた魔王と角を見て、俺は居た堪れない思いをそっぽを向くことで表す。
「……ごめん、お菓子買えなかった」
「なに!?」
「売り切れてたんだもん……」
がっくりと肩を落とした魔王と、真ん中から半分の場所でがっくり折れ曲がった角に罪悪感が湧く。でも、売り切れだったものは仕方がない。街にきて一番に向かったけれど、午前中で売り切れたと言われたのだ。
「余が、余が……それだけを心の支えに今日この時まで激務を耐え抜いていたというのに、貴様はそれを奪うというのか!?」
「だって、一日三百個限定だっていうから大丈夫だと思ってたら……まさか開店から一時間で売り切れるなんて」
戦慄く魔王としょんぼりする俺を見て、勇者は無言で菓子の箱を差し出した。俺が買ってきた手土産だ。魔王に頼まれた物ではなかったけれど、魔王は初めて見るお菓子に目を輝かせた。
「ふん。今期の勇者は気が利くではないか。勇者よ、気に入ったぞ。余に茶を出す名誉を許す」
「私は来客はもてなしても、礼儀知らずの子どもに出す茶は知らん」
「余は魔王ぞ」
「私は勇者だ」
勇者と魔王の間で火花が散る。本当に散る。紙ごみが燃えた。
「ほお……つまりは」
「相容れぬ、というわけだ」
どうあっても、魔王と勇者は相いれない。これは長い歴史が証明している。どうもそりが合わないらしいのだ。魔王が世界に存在しているだけで吐き気がすると豪語した勇者もいた。勇者が世界に存在しているだけで抜け角がすると豪語した魔王もいたくらいだ。
ばちばちと火花を散らす二人の間で、俺は燃えた紙ごみを消火しながら欠伸をする。すっごい眠い。
後は自分達で何とかするだろうと思った俺は消火を諦め、剣に手をかけて間合いを測る二人に背を向け、ソファーのクッションを抱きかかえた。そのままころんと横になる。おやすみなさい。
翌朝、目を覚ました俺の前に聖剣が浮かんでいて凄くびっくりした。けれど、魔王と勇者が固く握手を交わしあったまま眠っているのを見てそれどころではなくなったのである。
魔王と勇者を分かり合わせた凄い物、それは、魔剣スデンイゴスウヨチ。
何故か、俺と魔王以外の誰もが、名前を聞くたびに「だっさ!」と叫ぶスデンイゴスウヨチ。何でだ。超かっこいいじゃん。だって、超凄いんだよ。かっこよすぎる。それを表に出すことなく、控えめに主張するかっこよさ。男の中の男、漢だ!
その痺れんばかりのかっこいい名前に感激した勇者と、貴様話が分かるなと喜んだ魔王。そして、今日もバイヤルレキクゴスが帰ってこない俺とで、なんだかんだと付き合いが始まった。
暇な俺はちょこちょこ勇者の家を訪ねては、バイヤルレキクゴスと聖剣を入れ替えようとして雷に打たれた。勇者は、見た目はむきむきで怖いけれど、嫌な顔一つしないで俺を迎えてくれたし、頼めば鍛錬にも付き合ってくれるいい奴だ。
魔王が暇を見つけて訪れた時なんかは、街を案内してくれたりもした。ただし、魔王の角は俺みたいに帽子程度でどうにかできる問題じゃなかったから、長い髪を編んで隠した。その髪型に合う服はドレスになったけれど、魔王は苦渋の思いでそれを受け入れたのだ。よっぽどお菓子買いに行きたかったらしい。
いつもお邪魔させてもらっていては悪いと、うちに招待したりもした。人間の街みたいにひょいひょいとこられる場所じゃないから、俺が迎えに行って連れてくる。勇者は美味しいお菓子を手土産に待ってきてくれるから嬉しい。そういう時は魔王も城を抜け出して、俺の家で勇者とドンパチしてきいきい怒る。
俺の家は三十回くらい壊れた。夜空を見ながら眠る生活に慣れた頃、勇者の手土産は花が多くなった。お菓子がいいとへにょりと角を下げる魔王に、勇者は花を愛でる気概もなく王など務まらんと言った。でも、その顔はそっぽ向いていた。後、耳が赤かった。
なので魔王と一緒に問い詰めたら、花屋の娘に恋をしたとぼそりと呟いたではないか。俺と魔王はにんまり笑って、いそいそ出かける用意をした。いつもはちゃんと家まで送っていく勇者を俺の家に置き去りにして、二人で勇者の家から近い花屋を探して歩いたのだ。
そして、道に迷った。
まあいいやと、買い食いしながら街を歩いていたら悪漢に裏路地に引っ張り込まれて人買いに売られた。騒ぎになったらまずいと、俺と魔王は街から連れ出されてから逃げようと大人しくしていたのだが、取引が行われていた倉庫の扉がいきなり吹っ飛んで俺達の心臓も吹き飛びかけた。
俺達が拐われるところを見て怒り狂った筋肉が乗り込んできたのである。
一瞬、勇者が助けに来てくれたのかと思うほど見事な筋肉だったけれど、怒りで逆立つ太い三つ編みが違うと反論していた。そう、この筋肉は女だった。そして、勇者が恋した花屋の女だったと知った時は腰を抜かすほど驚いたのである。
べ、別に、彼女の迫力が怖かったわけじゃないんだからね!
彼女は強かった。下手すると俺もコテンパンにやられるんじゃないかと震えるほどこわか……強かった。あっという間に悪漢を倒し、人買いをちぎっては投げ、引きちぎっては跳ね飛ばしていったのだ。スデンイゴスウヨチとスデンイヨツウヨチもぶるぶる震えるくらい、凄まじかった。
そして、どうやってか街まで自力で戻ってきた勇者がなんとか誤魔化してくれたおかげで、俺達は憲兵に会わずに逃がしてもらえた。後で聞いた話だけれど、彼女は昔、妹を人攫いに連れ去られたことがあり、無事に連れ戻せたのはよかったけれど、二度とそんなことが起こらないよう自分を鍛えたのだとはんなり笑った。
俺と魔王は彼女に惚れた。彼女の漢気に惚れぬいたのだ。
それからの俺達は、物見遊山をやめ、何が何でも彼女と夫婦になるべきだと、全力で勇者の背を押しまくった。顔が知られている勇者が買えないと言うので、俺と魔王で女性雑誌を買って、女性が喜びそうな物の研究も頑張った。俺は一応彼女がいたりもしたので助言を求められたけれど、俺が彼女にねだられた物は、紫蛇の鱗だの、千歳イモリの目玉だの、一夜木の樹液だのだったから、たぶん喜ばれないと思う。
魔王は彼女いないよ! 絶賛募集中だよ! 魔具の集中砲火くらっても平気な女性を募集中!
俺達のおかげで彼女と接点ができた勇者は、足繁く彼女の花屋に通っては花を購入した。少しでも長く彼女と話せる時間を確保する為、必ずラッピングも頼んでしまったが為に、毎日花を贈るほどラブラブな恋人がいると彼女に勘違いされたのは誤算だったけれど、なんとか二人は仲良くなったのである。
二人は翌年結婚して、子どもも生まれた。
俺達も赤ん坊を抱かせてもらったけど、魔王は、潰すと怖い、この子が魔王に抱かれた子どもだといじめられたら嫌だと絶対に触らなかった。
俺達と勇者の友情は、勇者のお嫁さん以外には内緒……ではなく、その頃には、なんか勇者の友達の王子様とか大臣の息子とか、神殿の祭司長のお爺ちゃんとか神子とか、菓子屋のおばちゃんとか、それ繋がりで王様とか騎士団長とか騎士団丸々とか、数えると結構な人数にばれていたりする。
けど、なんだかんだとそのまま仲良くなれて、魔族と人間の争いは鳴りを潜めて久しい。勇者は、このままだと廃業だと笑うくらい、毎日は穏やかだった。
何かにつけて、余は魔王ぞと、私は勇者だの応酬が現れて火花は散るけれど、なんか世界は今日も平和だ。
嬉しいなぁ。
やっぱり、魔族でも人間でも、幸せっていいことだと思うんだ。
俺は、最近ではすっかり愛剣となったスデンイヨツウヨチの手入れをしながら、魔王と勇者が腕相撲しているのを眺めた。スデンイゴスウヨチとバイヤルレキクゴスは、持ち主の闘争に我関せずで、バッテンに重なったままぽかぽか日差しを浴びている。
ああ、今日も平和だなぁ。
俺は、勇者の子どもに渡す手土産、底なし沼のほとりに咲く毒蜘蛛花の種を袋にしまいながら魔王城を訪れた。この種、月光に当てるとそれはもう美しい毒色に光るのだ。
「へい魔王! 勇者のとこ行こう!」
勝手知ったる魔王城。今日も俺は近衛隊に睨まれ、切っ先で突っつかれながら魔王の元へと向かう。
鼻歌を弾ませて歩いていると、長い廊下の向こうから何かがやってくる。上位魔族だと面倒なので、俺はさっと道を譲って頭を下げた。けれど、すぐに顔を上げる。
なんだ、あれ。
最初は人型だと思った。けれど、少しずつこっちに向かってくるその様は、とてもじゃないけど人型には見えない。下位魔族が成り損なった変異に似ていたけれど、人型も取れない下位魔族が入り込めるほど、魔王城の警備は甘くない。俺だって、魔王が許可してくれているから入れるのだ。
白くのっぺりとしたそれは、陶器のような肌をぬるぬると動かしながら歩を進め、やがて溶けるように消えた。
俺は、誰もいなくなった廊下に仁王立ちし、おもむろに腕組みして一つ頷いた。その様や威風堂々。そして、堂々たる速度で、ゆっくりと瞬きをした。
「…………いやぁああああ! おばけぇえええええええ!」
両手両足を盛大にばたつかせ、優美さの欠片もない動作で魔王の仕事部屋へと駆けこんだ。そしたら誰もいなかった。いや、正確には魔王の親衛隊が棚の整理をしていたけれど、それは置いておく。
「…………なんですか、その汚らしい顔は」
親衛隊の中でも失礼代表、氷の貴公子は今日も俺に冷たくクール。銀髪さらりの目鼻立ちすらり。
対する俺は、鼻水涙どぅるどぅるだった。確かに汚い。でも気にしない。
「おばげぇええ! おばげでだぁ!」
「…………おばけ? この魔王城で? 魔族ではなく?」
「いくら俺でも魔族相手に泣くほど怖がるわけないだろぉ!」
「いやぁ、それはどうでしょうねぇ……」
氷の貴公子は、長く整った爪を顎に当てて「おばけねぇ」と考えた。信じてない。いくら俺が揺れた葉っぱにもビビるからって、同じ魔族相手に泣くほどビビったりしない、はずだ。それともあれは新種の魔族だったのだろうか。人型でも精霊型でも竜型でも蟲型でもない、白くのっぺりとした、まるで蝋人形のような肌だった。あんな魔族が近所に引っ越して来たら、俺は勇者の家に居候させてもらう。そして、そのまま引っ越して住み着いてやる。
「おばけ?」
部屋の主人が帰還した途端、氷の貴公子は縋りつく俺を突き飛ばして臣下の礼を取った。正に氷。氷のように冷たい男。実際雪男なので、突き飛ばされた部分が凍った。
俺はべそをかきながら凍りついた部分の氷をぱりぱりと落とす。
「魔王、廊下におばけいたぞ! 魔王城大丈夫か!?」
「白いやつか?」
「そうそれ! 白いのぺのぺぇってしたやつ!」
大きな椅子にどっかりと座った小さな魔王は、これでもちょっと背が伸びた。
「他所の世界の魔族だ。まったく迷惑な……」
「え!? あんなのが標準魔族の世界があるの!? 俺、ここの魔族でよかったぁ」
「余が魔王で感謝するんだな」
確かに、魔族は魔王の意向で姿形さえ変わることがある。俺は、誠心誠意、心から、魔王ではなく魔神様に感謝を捧げた。
魔王の角が伸びて俺の背中を刺して痛い。せめて爪にして。
図体に比べれば異様に大きい椅子に座り、俺に仕事を手伝わせてサインしている魔王は、やれやれとため息をついた。
「あれの世界の魔族は少々幅を利かせすぎていたらしくてな」
「太ったのかぁ」
ひょろひょろだったような気もするけれど、よく考えれば縦には長かった。そうか、縦幅を利かせすぎたのか。
「魔族以外の種族が生きる場所が孤島ほどもない状態に人間が反撃して、魔王の代替わりを狙い、神の力を借りて魔王の魂を他界に弾き飛ばしたんだとさ」
「ふぅん」
「天候も魔王の気分次第というほど魔王が仕切っていた世界だからな、魔王がいなくなって大混乱。人間は世界の半分を取り戻しました。めでたしめでたし」
「よかったねぇ。あ、インク切れたー」
世界の天秤というものは、何かに傾くとうまくいかないから、よかったんじゃないかな。人間頑張れ。魔族はちょっと遠慮を覚えるといいと思う。同じ星に住まう仲間じゃないか、ある資源は分け合うといいよ!
俺は氷の貴公子が足してくれたインクに魔界烏の羽を突っ込んで、凍ったインクで羽ペンが折れたりしながら欠伸をした。眠い。
あれ? 流れるように魔王の仕事手伝ってるけど、俺別に仕事しに来たわけじゃなくて、遊びに誘いにきただけだったような。
「で、納得できないのが魔族でな」
「だろうねぇ」
今まで牛耳ってた世界を半分奪われた気分だろう。正確には奪い返されたんだけど、奪ったものは奪われたことしか覚えてないから仕方ない。
「で? なんでここにいんの?」
「探してるのさ」
「何を?」
「魔王の魂」
羽ペンをくるりと回した魔王は、その先を俺に向けて唇をひん曲げた。
「奴らの魔王は世界を牛耳っていただけあって、あれはもう魔神の域だ。あれが一人いるだけで天界を弾き飛ばし、再び魔族の世界を作り上げることが可能だろう。だから奴らは、あの魂を探して回っているのだ」
「へぇ、で、その魂は今どこに?」
「世界を巡っている。今はこの世界にある」
ぼきんと羽ペンが圧し折れる。氷の貴公子が動揺して俺の体半分を凍らせたからでもある。氷の貴公子がいる側が凍ったけど、聖剣のある場所から氷が溶けていく。
「どうすんの?」
「どうもしない。だから毎度追い返してる」
「ふぅん?」
魔王は小さな足を行儀悪くぱたつかせて椅子を回し、大きな窓から外を見た。そっちは人間の国がある。今ではそんな認識だったけど、ここ数年は友がいる国となった。
「あれが、自らを弾き出した人間と天界を恨み、魔王としての覚醒を望むのであれば災厄となる。それなら対処すべきだが、あいつらのちょっかいは受けながらも、どこかの世界で妙な存在と引っ付いて、ずっと一緒に巡ってる。獣だったり、虫だったり、人だったり、色々となっているみたいだが、魔王に戻るつもりはないんじゃないか? あいつらもその度に追いかけてその世界の魔王に協力要請しては蹴られているから、そろそろ諦めればいいのにな」
「ふぅん」
「あれがこの世界に生まれた瞬間からうるさいのなんの。今までは夢だけでうるさかったが、ついに実体でも現れて目にもうるさい」
「ふぅん」
「…………貴様、聞いていないな?」
「ふぅん」
魔王の角と聖剣のコンビネーションは最強でした。もう、お前らがコンビ組めよ……。
史上初、魔王と聖剣物語! 今春発売!
みんな宜しくね! 俺は買わない。
俺は、ふっと静かに笑って、インクの蓋を閉める。書類を横に寄せ、飲み物は別の台の上に避難させた。
「って、だから俺は、遊びに誘いにきたんだってば! 勇者のとこ行こうよ。子どもにも、今度は魔王も連れてきてって泣かれたから、一緒に行こうぜ」
ばんばん机を叩いて抗議した俺に、氷の貴公子の冷気は冷たかった。まあ、冷気だしね。冷気温かかったら俺は怖い。
「よし、行くか」
幸いにも、俺が手伝っていたから仕事も一段落ついたことだし、俺達は勇者の所に行くことにした。というか、当初の目的これだから! 別にお化けに会って、凍らされて、魔王と聖剣の共演観に来たわけじゃないから!
いそいそと出かける用意をする魔王を待っていたら、何だか向こうが騒がしい。眉をちょっと動かして部屋を出て行った氷の貴公子は、髪の毛を全部ぱきぱき凍らせて戻ってきた。この反応は、相性の悪い相手が来た時の反応だ。火の魔族か、それとも。
「魔王様」
「何だ」
「勇者が、謁見を申し込んでおります」
今から遊びに行こうとしていた相手の来訪に、俺と魔王は顔を見合わせ、ぱちりと瞬きをした。
昔は俺の家を拠点にしていたけど、今では勇者にとっても勝手知ったる魔王城。ひょいっと現れることも確かにある。それでも、どんなに急いでいても近くまで来たら先触れを出してくれるのに、今日はまた突然である。
しかも謁見。遊びに来たにしては、どうにも物々しい雰囲気だ。
広い謁見の間での俺は、魔王と勇者の間くらいで頬を掻いていた。他の奴らは魔王に叩き出された。勇者と相性が宜しくない魔族達は、いつでも臨戦態勢で世間話も出来やしない。
それにしても、勇者が変だ。魔王城だろうが魔界だろうが、物怖じなんてしたことのなかった勇者なのに、今は俯いていて顔が見えない。
「勇者? どうした?」
魔王も首を傾げて椅子から腰を浮かせる。
同時に、緩慢な動作で勇者が顔を上げた。
「どう、しような」
その声にぎょっとする。なんだ、その声、その、顔。なんでそんな、絶望に彩られた瞳と声をしてるんだ。
「ど、どうしたんだ? 嫁さんと娘に逃げられたか? お前何したんだよぉ」
「止まれっ!」
情けない声を出して走り寄ろうとした俺に、魔王の鋭い制止が飛ぶ。お前も、なんだよ。なんで、そんな声。
訳が分からず困惑した俺の足が、勝手に止まる。それを見て、氷の貴公子もいないのに凍りついたみたいに動けない。
「お前……なんで影…………影が、白いんだよ」
震える俺の指が示した勇者の影から、ぞろりぞろりとそれが溢れだす。真白くのっぺりとした陶磁器よりもぬめりとした、細長い、人型。
『王を……』
『我らが王を返せ』
『我らが王を、我らに返せ』
鈴のように響くのに、割れ鐘のように耳障りな声がわんわんと響く。床から大量の手が伸びてうごめく。
謁見の魔の外が騒がしい。けれど扉が開かない。向こうで氷の貴公子達が怒鳴っている。あれだけ上位の魔族がいたのに扉はびくともしない。
あっという間に謁見の間を埋め尽くさんばかりに広がった手は、魔王と俺の周りだけを丸く避けていた。魔王の周りはかなり広い円形だけど、俺の周りは三歩分もない。魔力の差とはこういうことである。
魔王は壮絶な怒りを乗せた息を吐いた。吐息だけで周り中の手が吹き飛んでいく。ぎちぎちと音を立てて軋む爪と牙を覗かせ、凄絶に笑う。
「……異界の魔族共が、余の魔界で好き勝手してくれたようだな。勇者、何を取られた」
たとえ人間であろうが、勇者程の力がある者がそう簡単にその身を明け渡すわけがない。現に意識が残っている。残っているのに、抵抗していない。それは、そういうことだ。
勇者は無表情だった。
「…………すまん」
「謝罪はいい。何を取られた」
勇者の胸からずるりと白い影が滑り出る。返答は蠢く人型から飛び出した。人型の中に、見知った顔が二つあった。魔王の顔が憤怒に染まる。
白い彫刻のように固まった二人の頬に残る涙の痕に、俺はどんな顔をしていたのだろう。
『さあ、勇者よ。妻子を返してほしくば、魔王を殺し、貴様がこの世の魔王となれ』
『そうして、我らが王を探し出せ!』
『我らが王の帰還を!』
『我らが王を、我が世界に返すのだ!』
糸繰り人形のような歪な動きで、勇者の手がバイヤルレキクゴスを抜く。かくかくと動くそれは、勇者の最後の躊躇いだ。しかし、抵抗する度に彼の家族に罅が入る。ぱらぱらと家族の破片が落ちていく度に、勇者の色が死んでいく。目の色が失せ、真っ白に塗り潰される。
『世界最強の剣が主と選んだ者を殺せば、その力は貴様の物だ!』
『魔王となれ!』
『魔王を殺して、魔王となれ!』
『そして、魔王の器を、我らに寄越せぇ!』
俯いた勇者が顔を上げたとき、すでにそこに勇者はいなかった。白くのっぺりとした人型が、勇者から色を奪って立っている。
「勇者……」
俺の声に、勇者の頬がぴしりと罅割れる。聞こえているのに、抵抗しない、できない。
卑怯じゃないか。俺は拳を握りしめる。抵抗したら家族を砕くだなんて、酷いじゃないか。
勇者に魔王を殺させるなんて、酷いじゃないか。
友達を殺させるなんて、友達に殺させるなんて、あんまりじゃないか。
魔王は何も言わない。だけど、俺は背が冷えた。
だって、剣を抜いていない。だって、爪をしまっている。
だって、俺に、ごめん、って。
「魔王、お前っ!」
勇者が走り出す。白くのっぺりとして締まった体でやけにしなやかに、白い破片を大量に落としながら。罅割れながら咆哮を上げる。
「勇者! 俺の力でそいつらを追い出せ! 流れ込む魔王の力に飲まれるな! 何が何でも追い出せ! そして、俺ごとそいつらを殺せ!」
何なんだ、何なんだよ、これ。
俺は、勇者が剣を握ったまま走り出す様を、魔王が両手を広げる様を呆然と見ていた。
だって、さっきまで俺と魔王はいつもみたいに笑ってたんだ。ついこの間、勇者の家で一緒にお茶飲んでたんだ。勇者の奥さんが果実を握り潰して作ってくれたジュースを飲んで、勇者の娘が魔王は魔王はと駄々をこねるのを必死にあやして。
魔族と人間は諍いなんかしなくって、お互いはお互いだと引いた線引きの間で反復横飛びして、それなりに仲良くやってたんだ。
それなのに、何なんだ、これ。
俺の友達が、何で俺の友達を殺すんだ。
大きな扉が砕け散る。近衛達の目が見開かれ、絶叫を上げた。
彼らは見た。自分達が王と掲げるその人が、両手を広げて勇者の剣を受け入れる様を。
冷たい。でも、熱い。あ、でもやっぱり冷たい。
ばらばらと白い破片が顔面に降り注ぐ。ああ、やっぱり、白い顔よりいつもの日に焼けた勇者の顔がいい。見開かれた目元から、勇者が現れていく。
震える口元から何か言葉が滑り落ちる前に、魔王の小さな手が背後から俺を羽交い絞めにした。
「貴様っ、何を、馬鹿っ、馬鹿がっ!」
バイヤルレキクゴスが俺の心臓を貫いている。下から上に突き上げるように刺してくれたから、背中からしがみついている魔王に怪我はないようだ。よかったよかった。世界は今日も平和である。
喉奥、いや、心臓から溢れ出した血がごぼりと溢れ出し、口から溢れた。だが、まだ生きている。だって俺は魔族だし、今は勇者の愛剣のバイヤルレキクゴスは、俺の愛剣だった時代もあるのだから。
世界最強の剣が主と選んだ者を殺せば、その力は貴様の物だと、白い魔族は言った。そうだ。魔剣は最強だ。でも、聖剣だって最強だ。そして、俺はいま、聖剣の主である。けれど元々、聖剣とは勇者の物だから。俺を倒してその力を勇者が取り入れたとしても、勇者に変化は現れない。
変化があるとするなら、俺だけだ。白い魔族が、刺した相手を乗っ取ろうとした力をそのまま利用した俺だけに変化があり、俺だけが得をするのである。
俺は最後の命を燃やした。
バイヤルレキクゴスを両手で掴み、全力で白い魔族を吸い込んでいく。命を燃料にするから出来ることだ。本来俺程度の魔力では、こんな怖い魔族に太刀打ち出来ない。でも、命を燃やすなら。俺の過去も未来も全部燃やすなら、多少はどうにかなるのだ。
魔王が叫びながら俺の手をバイヤルレキクゴスから引き剥がそうとしている。俺が白を吸収する度に色を取り戻していく勇者も同様だ。勇者の身体から、大小の身体が溢れ出し、床に落ちる。意識はないようだが、その胸が両方上下していて、心の底からほっとした。
『おのれおのれおのれおのれおのれ!』
俺の身の内から声がして、暴れる振動で体内の臓器が潰される。
『下級魔族の分際で!』
でも問題ない。どうせ保たないのだから全く平気だ。
『低級魔族の分際で!』
俺一応、人型の悪魔だから、低級よりはちょっと上なんだぞ。だけど、魔王の友人になるにはどう考えても低級で、勇者の友人になるにはどう考えても下級で。世界の命運を懸けた何かが起こる時、どうしても中心になってしまう友人達の中で、いてもいなくても何ら関係ない、それが俺。
でも。
『我々の邪魔をするなぁ!』
そんな俺にしてやられて。
「ざまぁみろ」
俺はたぶん、いまこの瞬間の為に二人の友人でいられたんだろうなと、思った。
命を燃やし、過去と未来を生け贄に、俺の全てで白い魔族を身の内に抱え込む。こいつらが塞いでいた扉から近衛達が部屋に走り込んでくる姿が視界の端に見えたから、ほぼ完全に抱え込めたはずだ。
身体の中で、魂の中で、白い魔族が暴れ狂う。暴れてもがいて、砕いて潰して燃やして刻んで。けれどそうすればそうするほど、奴らに俺が付着する。俺がそうしているからだ。俺が細かくなればなるほど、潰れれば潰れるほど、奴らに存在が付着してどうしようもなくなる。俺は俺を擦り付け、奴らも俺だと強制的に関連付けていく。魔力で出来ない分は、肉体を使うしかない。俺は俺で奴らを囲い込む。こいつらが言うとおり、下級で低級で脆弱な魔族には、姑息な手段がぴったりである。
そして俺は、こんな自分を結構気に入っていた。
魔王が叫んでる。勇者が叫んでる。魔王は殺気立つ近衛達をなんとかする職務があるし、勇者は早く家族を抱き上げろ。何やってんだよ。
そう笑った俺は、血しか吐き出せない息で、音に出来なかった「じゃあなー」を形作った。そうして全てに満足したので、俺は俺で覆った白い魔族ごと、俺という命を終わらせた。
はずだった。
「お前馬鹿じゃないのかお前馬鹿じゃないのかお前馬鹿じゃないのかお前馬鹿じゃないのかお前馬鹿だろ知ってたぞお前馬鹿」
「お前は馬鹿だ申し訳ないお前は馬鹿だ申し訳ないお前は馬鹿だ申し訳ないお前は馬鹿だ申し訳ないお前は馬鹿だ申し訳ない」
結構格好良く姑息に死んだはずの俺は何故、魔王と勇者に挟まれてぎゅうぎゅうに潰されているのでしょうか。前門の魔王、後門の勇者。一介の中の一介、キングオブ一介の魔族には荷が勝ちすぎる。後、魔王の角が刺さって地味に痛い。そして勇者の髭が無駄に痛い。ついでに見た目も状況も大変痛い。
何ここ地獄? 俺が住んでいる地域は魔界だったはずなのに、いつの間に地獄に鞍替えしたの?
状況が全く飲み込めず、瞬きした俺の視界に何かが映った。何だと視線を上げた先で異様なものを目にした俺は、思わず魔族らしく堂々とした悲鳴を上げた。
「いやぁあああああ!? 何あれぇえええ!?」
一体の身体から、夥しい数の顔を生やした白い魔族に、スデンイヨツウヨチとバイヤルレキクゴスが突き刺さっている。しかも、そのまま空中に浮いていた。
夥しい顔は、まるで沸騰した湯のようにぼこぼこと生えては萎み、萎んでは生える。その度に断末魔が世界に響き渡って、一層地獄感が増していた。
「な、なんでスデンイヨツウヨチとバイヤルレキクゴスがあいつらに刺さって……。バイヤルレキクゴスは俺に刺さってたはずなのに、って、俺の中にいたあいつらどうやって引っ張り出したの!?」
俺は絶対にあいつらを逃がさないよう、俺の全てを使って囲い込んだはずだ。いくら魔王と勇者といえど、俺が自分の意思で身の内、魂の内にまで抱え込んだ存在を引き剥がせるはずもない。長い時間をかければあるいは可能性があったかもしれないが、そんな時間はなかった。
しかも、よく見れば突き刺さっているのはその二本だけではない。魔王の部屋にあったはずの魔具達が、柄がめり込むほど深く刺さっている。
「え、え? 何……これ何!?」
助けを求めて視線を巡らせれば、ベストオブ側近雪男と目が合った。彼は、勇者の妻子に自分のマントを掛けてあげ、医務室に運ぶ指示を出しているところだった。優しい。だが、俺と目が合った瞬間、心底嫌そうな顔をして舌打ちした。氷が舞う。いつも通り優しくない。いや、俺を直接凍らせてないからいつもより優しい。
だが、助けは来ないし事情はさっぱり分からない。
ぐるぐるしている俺の頭上では、白い魔族がぼこぼこしている。地獄が過ぎる。
『お前馬鹿』
地獄に突如降ってきた凄く聞き覚えのある声に、何だか物凄く聞き覚えがあるような今一知らない声のような不思議な気分になる声が答えた。
『そう、俺は馬鹿!』
「いやん! ばかん! もうやだん!」
今更気付いたが、何故か俺から生えているスデンイゴスウヨチを見て、思わずべそをかいた俺は悪くないと思うのだ。
俺に刺さったはずのバイヤルレキクゴスは白い魔族を貫いていて、何故か俺はスデンイゴスウヨチに貫かれている。本当にどうして? 痛くはないし、何故か血も出ていないけど、不思議すぎて怖くなってきた。
俺の心からの泣きべそに、俺を押し潰していた二人はようやく顔を上げた。前面からはずびっと湿った音がして、何か嫌な橋が俺と魔王の間に架かっていた気がするが、見なかったことにする所存である。流石に部下達の前で突っ込んで、魔王の面目を潰すわけにはいかないのだ。
『説明したいのはやまやまだが、先にこれを片付けてからだ』
白い魔族に突き刺さっているスデンイヨツウヨチが光り、その横に人型が現れた。長身でありながら痩身の、立派な角を保つ成体の男だ。突如現れたその男は、どこか見覚えがある。俺は視線を下ろし、目の前の魔王を見た。ずびっと橋の撤収作業をしている魔王から視線を上げ、どこか誇らしげに角を揺らす男を見上げる。
「魔王!?」
『久しいな、我が友。実に五万年ぶりである』
「それもう久しいの次元超えてない?」
『超えているのだ、馬鹿者』
俺が知っているよりもっとずっと大人になった魔王は、ふんっと鼻を鳴らし、まだぼこぼこしている白い魔物に対峙した。
『よくも、余の治世時にふざけた真似をしてくれたものだ。いくら寛大な余であってもこの侮辱、よもや見過ごすとは思うておらぬな』
お前誰? 思わず疑問に思うほどには、知らない魔王がそこにいた。雪男よりも鋭利で冷たい視線が、声音が、大気を震わす。
魔王は片手を持ち上げると、徐々にそれを握り潰していく。魔王の動きに合わせ、白い魔物達が耳障りな悲鳴を上げて潰れていく。ぼこぼこと溢れ出ていた顔が膨れ、弾けようとしている。しかし、弾けきる前にスデンイヨツウヨチとバイヤルレキクゴスがその部分を切り裂いていく。
酷い声だ。醜くて、醜悪で、汚らしくて。生きとし生きるもの全てを穢しても止まらない、世界の害意となった塊の声。それを魔王が押し潰し、スデンイヨツウヨチとバイヤルレキクゴスが切り裂いていく。魔具達が、それに呼応するように蠢き、内から外から白い魔族を貫き、切り刻む。
刻んだ端から、燃やし、凍らせ、塵と化す。塵となったひとかけらすら逃さず、風が纏めて更なる攻撃を叩き込んでいた。
『やれやれー。いいぞー、そこだー』
それを、俺から生えたスデンイゴスウヨチが応援している。何だこれ。
みんな黙ってこの奇妙な地獄を眺めているから俺も空気を読んで黙っているが、もう一度言う。何だこれ。
何でスデンイヨツウヨチと魔王が同じ気配をさせていて、バイヤルレキクゴスを俺の後ろにいるのに前にもいる勇者が振るっているのだろう。何でスデンイゴスウヨチから俺の声がするのだろう。
『異界の魔族、魔族の面汚しよ。貴様らは同族ですらないわ』
あれだけ顔があろうと、意味のある言葉を何一つ発することが出来ていない白い魔族に、世界を凍らさんばかりの冷たい声音が突き刺さる。魔王お前、そんな顔できたのかと、驚く。ああ、お前はまさしく魔王だと、魔王に相応しいのだと、魔族としての本能がひれ伏すほどに。
『余の魔界に手を出し、余の友に手をかけ、余の友を奪い去った罪は重い。貴様らの死では終わらさぬ。貴様らの絶望では終わらさぬぞ』
息が、できない。恐ろしいほど張り詰めた空間の中、気付いた。白い魔族達は言葉を発することができないのではない。許されていないのだ。
『世界を違えるとはいえ、否、違えるからこそ、余へ向けた刃は宣戦布告と見なす。これは最早、貴様らの王探しの問題ではない。世界を超えた戦争だ』
ここは魔王の城。魔王が治める、魔王の土地。彼はまさしく魔王なのだ。我らの王は、結構凄い。
『余の怒りは、貴様らの滅亡を以て終結とする。貴様らの欠片を送り返す。貴様らの同胞へ伝えるがよい。貴様らが望む魔王は永劫帰還せぬ。代わりに、余が貴様らの死となろう。我が怒り、その身で受ける栄誉を与える』
光栄に思え。
耳を劈く断末魔がぶつりと途切れた。
後には何もない。突然の静寂は、先程まで悍ましい悲鳴を聞いていた耳には痛みを齎す。静寂が静寂として認識されず、断末魔がこびりついて離れない。妄執は音となってまで残っていくのか。
耳を掌で押し潰し、ぱかぱかと空気を送り込んで妄執を押し出す。これで駄目なら鼻を摘まんで息を吐き出そう。妄執の影響って、気圧の変化みたいなものだろ。いけるいける。
「でさ、これ、何?」
誰も聞かないから俺が聞くしかない。耳が落ちついてから、思い切って声を上げる。だって誰も何も言わないのだ。近衛達は勿論、勇者も、魔王すらも。近衛達など、床に額がつきそうなほど頭を垂れている。
その光景を興味もなさげに一瞥した魔王は、スデンイヨツウヨチと一緒に地上へ降りてきた。スデンイヨツウヨチを持っているわけではない。何故か隣に浮いているそれを伴っているだけだ。その背後には、大量の魔具達が静かに浮いている。怖い。
勇者はバイヤルレキクゴスを持って、魔王の隣へ下りた。そして。
『合わせる顔がない』
そう短く言うと、ふっと掻き消える。後には、バイヤルレキクゴスだけが残った。バイヤルレキクゴスは持ち手が誰もいないにもかかわらず、静かに浮いている。大きな魔王はそれを見て軽く肩を竦めた。
『やれやれ、仕様がない。永の別れを経てようやくここへ辿り着いたというのに、これだから勇者は』
「あ?」
俺の背後から勇者が唸った。すると、大きな魔王は破顔した。大きく両手を広げる。
『そうだ! 勇者とはそう在るべきだ! 魔王と勇者は相容れない! 聞いたか勇者! どうせ長いこの先も共に在るのだ。それまでに、在るべき形を思い出しておけ。魔王に先を歩かれるようでは勇者の名折れぞ』
『名折れ名折れー』
俺から生えているスデンイゴスウヨチがうるさい。同じ事を思ったのか、大きな魔王がぎろりと俺を、正確には俺から生えているスデンイゴスウヨチを睨んだ。
『そして貴様は余の説教恨み辛みを聞く覚悟はあるんだろうな』
『ない! って、わぁ!?』
「わぁ!?」
俺の声をしているスデンイゴスウヨチが、近寄ってきた大きな魔王によって無造作に引きずり出された。思わず身構えたが痛みはなく、臓腑が引きずり出される感触もない。スデンイゴスウヨチの刀身にも血はついていなかった。
大きな魔王は俺から引きずり出したスデンイゴスウヨチを、自分の眼前まで持ち上げた。しかし、それがするりと抜け出す。そして、剣の向こうに薄く透けた何かが現れた。
俺だ。
何で? 地獄?
薄く透けた俺はへらへら笑う。その度に、スデンイゴスウヨチも揺れている。やめろ。スデンイゴスウヨチが安っぽく見えるだろ! 超かっこいい名前の剣なのに!
『そう怒るなよー。だって仕方ないじゃん。俺が死ぬのが一番被害少なくて、今日も平和!』
『今日も平和なら、余は五万年も漂わず、勇者とはいえ人間がそれに付き合って巡りはせん』
『そう、それ。お前ら馬鹿じゃね?』
『馬鹿はお前だ、馬鹿!』
『馬鹿って言ったほうがばーか!』
何やら、幼子でも、もう少しマシだぞと思える喧嘩を始めた馬鹿と馬鹿、間違えた、大きな魔王と透けた俺を呆然と見つめる。
「余は、説明を要求する」
そこでようやく、魔王が稼働した。馬鹿と馬鹿は、魔王の言葉にくるりとこちらを向く。
『何、簡単な話だ。この馬鹿が』
『お前がばーか、あ、ごめんなさい痛い痛い痛い凍る!』
親指で指されながら馬鹿呼ばわりされた透けた俺が、大きな魔王に言い返した途端、背後に浮いていた魔具達が一斉に騒ぎ出し、透けた俺をチクチク刺し始めた。中には触れた瞬間凍り付く魔具もあったらしく、俺が半分凍った。よく見たら、チクチク刺しているわけではなく、思い切りよくざくざくいっていた。見なかったことにした。
『此度のように勝手に余と勇者の間に挟まり、魂ごと砕け散った上に破片まであちらの世界へ堕ちて散り散りになった。勇者は呵責で病み、自害した。違える世界の魔族とはいえ、魔族による謀略で勇者の家族が害され勇者が死したことにより、両者の関係は悪化。かろうじて戦争は回避したが、一触即発の状態は長らく続いた。余は切れた』
「切れた」
俺と魔王と勇者の声が重なった。
『この世界のいざこざならばともかく、何故余所の世界のいざこざに巻き込まれ、余が友人を失い、治世を荒らされ、友好を築いていた魔族と人間の関係を冷え込ませねばならんのだ。憤懣やるかたないとはこの事だ。よって、やり直しを要求した』
「お前、馬鹿じゃないの」
俺と透けた俺の声が重なった。
『時間をかけて力を溜めた。散り散りになったお前も集めた。その際、呵責の念が強すぎて巡れなくなっていた勇者も拾った。力だけでは送れず、されど同一体を同じ時に送るわけにもいかず。しかも魔王である余はともかく勇者は人で、貴様は弱すぎて自我を持った剣となるまで時間がかかった。そもそも貴様、人型を取るどころか、声を出せたの自体今が初めてであろうが』
「なんか、ごめんね……?」
俺と透けた俺の声がしょんぼりした。しょんぼりしながら、俺は大きな魔王の言葉を俺なりに整理して、恐ろしい結論に至った。
「え……ちょっと待ってくれ。じゃあまさか、スデンイゴスウヨチって俺なの!?」
『当たり前だ』
「バイヤルレキクゴスが勇者で、スデンイヨツウヨチがお前!?」
『他に誰がいる』
何を当たり前なと言い切る大きな魔王に、俺は本日最大の疑問をぶつけた。
「なんでお前が聖剣なの!?」
魔王なのに!?
あと、まさかと思ってたけどその背後にいる魔具達、いま俺達の後ろで頭を垂れてる側近達とか言う!?
ずらりと並ぶ魔具達、確かによく見れば側近達と特徴が似通っている。俺が魔王と話してたらめちゃくちゃ怒った辺り、そっくりだ。
『人間は魂の構造上聖剣にも魔剣にもなれず、貴様は聖剣の構造自体に負けるほど弱かった。よって、余しかいなかった。何度でも言おう。魔王である余しか、いなかったのだ。聖剣になれるのが、魔王である余しか、魔王である余しか!』
「なんか、ほんとごめんね……?」
友として、魔族として、心の底から申し訳なく思う。でも、どうしようもないものはどうしようもないのだ。聖剣になれと言われたら、確かに聖剣という事実だけで、俺、死にそう。
『更に理由を重ねるならば、貴様へ生を送り込むのは同一体である貴様が最適だったが、貴様、たとえそれが己自身であれど、聖剣をその身に取り入れればその事実だけで死にかねん』
「ご尤もです」
しみじみ自分の脆弱さを納得していると、呆れた目をしていた大きな魔王が重く深い息を吐いた。
『……長かった。長かったぞ』
小さく呟き、顔を上げる。
『機は熟した。我らはこれより彼奴らの世へと攻め入る。これは、魔戦である。彼奴らには二度とこの地を踏ませることはない。よって、貴様らは安心して務め、この地を治めよ』
大きな魔王の言葉に、側近達は額を床に擦りつけて平伏した。
魔王と勇者は、呆然と大きな魔王と剣の群れを見上げている。
俺は、魔王を選べる素晴らしい魔剣になっても俺は俺なんだなとしょんぼりした。夢がない。
そんな俺に気付いた大きな魔王は、ふんっと鼻を鳴らした。お前ちょっと生意気になったんじゃないか? 魔王だもんな。そりゃそうか。
『息災であれ』
「おう。お前もな。帰ってきたらまた遊ぼうぜ。勇者も空いてる日教えてくれなー」
大きな魔王は何して遊ぶのか知らないけど、まあ、俺と魔王だし、勇者もいれば適当に茶をしばいてるだけで楽しいだろう。
大きな魔王は、一瞬目を丸くした。そうすれば、今の魔王とよく似ている。
『ああ』
大きな魔王は見慣れた顔で笑い、ふっと掻き消えた。後を追うようにずらりと並んだ魔具達も姿を消す。ついでバイヤルレキクゴスが消え、後にはスデンイゴスウヨチと透けた俺が残った。
『……え? ちょ、おい! 俺忘れられたんだけど!?』
透けた俺があたふたしていたら、大きな魔王の腕がにゅっと現れ、透けた俺の首根っこを引っ掴んだ。
『だって俺次元飛ぶなんてできなっ、乱暴! おい、待てって! 千切れっ、いやんばかんうそぉーん!』
ぐきっと嫌な音がして、俺の姿が次元からすっぽぬかれていった。
……え? 俺、魔剣になってもああなの? 俺連れていく意味なくない? あるの? あ、そう……。
そして、後には何とも言えない顔をした俺達が残されたのである。
何だったんだ、これ。
地獄は去り、非常に気まずい空気が残された。これ、新たな地獄と命名していいんじゃないだろうか。
だが、まあ、剣は全ていなくなってしまったが俺は生きてるし、勇者も勇者だし、勇者の家族も無事だし、魔王は俺の胸元に作った橋を誰にもばれなかったし。つまり。
万々歳である。
その後は、事情の摺り合わせをしに行った人間の城で、話を聞いた面々から怒られたり泣かれたり殴られたり馬鹿にされたり色々あった。色々あって、色々過ぎて。
魔族である俺達に取ったら十数年なんてあっという間で。勇者はちょっと老けて、勇者の妻はちょっと筋肉が増えて。
そして勇者の娘は今日、魔王の嫁になる。
ほんと、世界って何があるか分かんない。
魔界に花が咲き乱れ、人間の国で魔族が踊る。皆が笑い、人と魔族が手を取り合って踊り、一つの皿をつつき合っている様子を眺めながら、俺は大欠伸をした。式典も一通り終わったし、ちょっと抜けてきたのだ。今日は友の闇の日で、友の娘の晴れの日だ。盛大に祝わねば友情が廃る、わけでも特にないが、祝いたいから盛大に祝った。けれど俺が独り占めするのも違うし、何より正装が窮屈でちょっと休憩したかったのである。
そうしてふらりと町を訪れてみた。城内とはまた違い、統一感はなく思い思いの祝いが溢れた町は騒がしく、けれど豊かで穏やかだ。みんな楽しそうで何よりだ。俺も楽しい。
鼻歌を歌いながら、壁に背を預けてその光景を見つめていた俺の前を、少年二人が駆け抜けていく。
「おい待てって!」
「新しく現れた勇者の剣、誰でも挑戦できるんだってさ! 行こうぜ!」
「お前、一人だとすぐに迷子になるだろ! 手繋げって!」
「それがさ、最近少しましなんだ」
「まし? 迷子が? そういやそう、か? 昨日一人で隣の部屋行けたな?」
首を傾げてはいるものの、納得しかけた少年はがばりと顔を上げた。
「って、いねぇええええええええええええええええええええ!」
忽然と姿を消したもう一人を探す為だろう。少年は腕を捲り、全力で駆け出していった。
今日も世界は変わりなく、それなりに平和である。