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「ねぇ、サラ。お願いがあるんだけど」
カップを磨いていると、言いにくそうに切り出してきたのはリンだった。カウンター越しにわたしの顔をじっと覗き込んでくる。
言葉を獲得してからのリンはますます活発になり、青空学校の後に遊ぶ友だちも増えた。
いい変化だと思っている。
なので、友人の誰かの家にでも行きたいのだろうと考えて気軽に返事をする。
「どうしたの? わたしにできることなら何でもするけれど」
例えば友人宅への手土産を用意するとか、泊まりに行きたいとか、そんな類の要求だと思っていた。
ところが話は全然違うものだったのである。
控えめな態度を一変させると、ぱぁっと表情を明るくさせてリンはカウンターから身を乗り出した。
「王都へ連れて行ってほしいんだ!」
「えっ、ちょっと」
安易に返事をするべきではないと悟ったときには既に遅かった。
客のいない店内を軽快に飛び跳ねるリン。一周してカウンターまで戻ってくるとさらに予想外の発言が飛び出た。
「あのね、青空学校の自由研究で、歴史を学んで発表することになったんだ。先の戦争について班ごとに分かれて色々やるんだけど、僕は王都担当になったんだよ。すごいでしょ」
えっへん、と偉そうに胸を張る。
しかしわたしが無言なのを察して、慌てて姿勢を正した。
「……だめ?」
誰に教えられたのだろうか、上目遣いで尋ねられて軽く目眩がした。
わたしはこめかみを押さえて、諦めの溜息をつく。
「わかった。でも、王都へ上がるにはいろいろと準備が必要だから、すぐには行けないよ」
平静を装って答えるのが精一杯だった。否、とは言わない。できるだけリンを悲しませるようなことはしないと決めているから。
「ありがとう! 楽しみだなぁ。村と王都、どんな風に違うんだろう」
にこにことしている。王都を楽しみにするなんて、幼さからの憧れだろうか。
それとも時計樹の化身だからなのか。
二度と王都へ行くことはないと思っていたのに、皮肉なものだ。
喜びを隠せないリンを眺めながらもう一度溜息をついた。
*
王都へ上がるということを聞きつけて、意気揚々とする人間がもうひとりいた。
「……今日は眼鏡と髭ですか」
この国の若き王は正体を明かしてからも、多いときでは週に2日以上来店するようになっていた。
今日は瞳を隠す色つき眼鏡と、いかにもとってつけたような髭。学者がよく着ているようなだぼっとした筒状の衣服を着ている。毎回何かしらおかしい変装で現れるので、正直なところセンスが疑われた。
残念なことに他に客がいないので追い払う口実がない。
とは言ってもこの国の王を追い払うことなどわたしにとっては到底不可能なのだけれども。
陛下はにやり、と形容したくなるような笑みを浮かべた。
「王都へ来るなら最大のもてなしでお出迎えしようかと思います」
「結構です」
せめてもの抵抗で素早く拒否をする。
真意が計り知れない。
王というのはこうも掴めない人物なのか。それとも掴めないようにしないと務まらないものなのだろうか。
「リンはとても嬉しそうにしていましたよ」
「そうですか。今日はブレンドでよいですか」
食い下がる陛下に敢えて視線を合わせないようにしながら、ドリッパーに布フィルターをセットする。
リンと陛下はあの日以来友好関係を築いているらしい。
らしい、というのは、どうやらわたしの知らないところで交流をしているからだ。
もやもやとした感情はあるけれど、リンが時計樹の化身である以上、それは避けられないことでもあると自分に言い聞かせている。
沸騰したお湯を細く注ぎ入れると、コーヒーの香りが湯気として立ち昇った。
つれないですねと陛下が小さく呟く。
「僕はここに来ることが最大の息抜きになっているんです。城に戻れば、山のように仕事がありますから。この国の為にももう少し優しくしてくださってもいいのではないでしょうか」