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「サラー! 余ったんだけど要らない?」

 青空学校へリンを送った帰り。市場に寄るとウイカが声をかけてきた。

 体格のいい彼女のエプロンのポケットには、美味しそうな焼き菓子が幾つも入っていた。

 彼女の家は半年前に畑仕事を再開させたばかりで、まだ今は何も収穫できない。だから今は市場で焼き菓子を売りながら生計を立てているのだ。

「ちょっとだけ崩れちゃったけれど味は保証するから」

 大きな声で笑いながら手渡してくれる。

 ウイカはわたしの母親くらいの年齢で、いつも茶色く長い髪を頭上で束ねて紅い簪で留めていた。麻で編まれたゆったりとしたワンピースを着ている彼女は、色んな意味で堂々たる存在感がある。

「ありがとうございます、おばさん」

「それとね、これはリンにあげてちょうだい!」

 紙袋のなかには色とりどりの小ぶりな果物がたくさん入っていた。見たことのないようなものも混じっていて、香りが混ざって鼻に届く。

「たしか前に美味しそうに食べてたからと思って。娘のとこから送られてきたんだけどいっぱいありすぎるから、お裾分け、お裾分け」

「すみません。ありがとうございます」

「でも珍しいね、あんたが学校まで送って行くなんて。滅多に出かけることをしないくせに」

「……たまには家と市場以外の空気も吸いたくって」

 口角を無理やり上げながら答えた。

 恐れているのは学校への行き帰りでの誘拐。

 事実を打ち明ければ、心配される以上に話がおもしろおかしく村中に広まってしまうのは目に見えている。

 そうなれば厄介だし村の人たちに危害が及ぶ恐れがあった。

 そんなわたしの心中を察することなくウイカは一気にまくし立てた。

「あら、そうなの? だけどあのサラが孤児を育てるなんて最初はびっくりしたけれど、上手くやってて安心したわ。

 だってほら、リンったら全然喋らないじゃない? 反対にあんたなんてこーんな小さい頃から気が短くって、やんちゃで男の子と喧嘩しても負け知らずでさ。

 ウインだって毎日あんたに泣かされて帰ってきてたのよ。なのに、ねぇ? 子どもを育てられるようになるなんて思いもしなかったわ。あとは、せっかく整った顔立ちしてるんだから、素敵な旦那さまが見つかればあたしたちは心から安心するのに!」

 ばんっ、と背中を叩かれる。

 遠慮がなさすぎて痛い。

 背中をさすっているとウイカは構わず続けた。


「軍にはいいヒトがいなかったの?」


 いつも思うのだけど、周りが遠慮して口にしない話題を往来でできるのは、村中を探してもウイカしかいない。……絶対に。

 それから、何度でも同じ話を持ち出してくるのも、ウイカしかいないだろう。

「まぁサラが強すぎるから、旦那は多少弱っちい方がいいかもね!」

 村中に響き渡るんじゃないかというくらいの大声で笑う。

 通行人たちは驚き、その主がウイカだと分かると、わたしに向かってある種同情の視線を向けてきた。彼女はこの市場、いやこの村の名物女性でもあるのだった。

「そう言えば国王様は今日から外遊らしいよ。まだまだお若いんだしたまには息抜きもさせてやらないとね、ははは!」

 ……聞く人が聞いたら肝を冷やしそうな発言だ。

「は、はぁ」

 返事に困っていると、

「じゃあまたね、今度ミルクを飲みに行くから!」

 言うだけ言ってウイカは去って行った。

 日はまだ高い。これから畑仕事に精を出すのだろう。

 あのお喋りさえなければ本当にいいおばさんなのに。

 少し気疲れしたまま、わたしは市場の通りへと入って行く。流石に時間が遅いので、品物は余り残っていなかった。

 野菜を幾つか買ってふと顔を上げると、空には雲ひとつない青色が広がっていた。眩しさに目を細める。

 そして、遠くには時計樹。何処にいても見ることのできる象徴だ。


 わたしが産まれた頃から徐々に戦争は始まっていた、らしい。直接的に戦争の戦禍がこの村まで及ぶことはなかったけれど、多くの若者は国王軍に参加した。

 それを支援する為に、残された人々は国の中央へ物資を送り続けた。

 以前と同じように、畑を耕し、動物を育てられるようになったのは一年前くらいから。

 先の国王が若い王子に冠を引き継いだ辺りからだ。

 青空学校という制度も今の国王が始められた。リンを送りに行ったとき、子どもたちはとても楽しそうに絵本を読んでいた。わたしが子どもの頃にはなかった光景で、なんだか不思議だった。

 それは若き国王陛下の業績だと、思う。


 市場の奥にある屋根つきの小屋には、港町から仕入れてきた魚が並べられている。捌きやすそうな種類のものを選んで買う。

 今日の晩ご飯は根菜と一緒に魚を煮込もう。気分が落ち込みそうなときは美味しいものを食べるに限る。

 こんな気持ちでは美味しいコーヒーを淹れることができない。

 包帯男からのメッセージがわたしを動揺させることを目的としていたら、その作戦は成功している。でもいつまでも相手の掌で動かされている訳にはいかないのだ。


 わたしは、リンとの生活を守らなければならない。


 支払いを済ませて歩いてきた道を戻る。

 殆どが店じまいの支度に取りかかっていた。皆これから家に戻って昼食を取るのだろう。

 皆、穏やかに暮らしている。誰にもそれを壊す権利なんてない筈だ。





 リンを青空学校へ迎えに行き、一緒に帰ってきた。

 昼食後に貰った果物の皮を剥いて出してあげたら、果汁で顔と手をべたべたにしながら嬉しそうに頬張った。リンが言葉を発さないのは、戦争の衝撃によるものだろうと最初に診てもらった医者には言われている。

 喜怒哀楽の表情は割としっかりしているので意思疎通が図れるからそんなに気にしていなかったけれど、ウイカの言うように周りから見れば心配されているのだろうか。

「美味しい?」

 リンが満面の笑みで頷く。

 そしてべたべたになった手でわたしにひとかけらを差し出してきた。そのまま口に入れると優しい甘さが広がった。

 こんなに喜んでくれたのだ。ウイカに感謝しないと。

「ごちそうさま。顔と手はちゃんと洗ってね」

 キッチンに回り込むとリンは蛇口をひねった。ばしゃばしゃと顔を洗った後にぷるぷると首を振る仕草が小動物のようだ。乾いたタオルを渡すとしっかりと顔を拭く。

 それから自分の部屋を目がけてリンは軽やかに階段を駆け上がって行った。

「2階に上がるときは学校の荷物も持って行ってよー」

 聞いているのかいないのか。

 いつもと同じ様子に安堵する。リンが目の届く範囲にいれば何かが起きても対応できるし、送迎したのは正解だった。

 ……出来ることなら今日はこのまま、包帯男が現れないといいのだけれども。

 練習で淹れたコーヒーは粉っぽく苦かった。失敗だ。


 わたしが喫茶店を営むことにしたのは、生まれ育った村で暮らしていきたいという想いがあったから。そしてコーヒーを淹れ続けたかったから。


 命の恩人が、わたしにコーヒーを教えてくれた。

 そのひとはもうこの世界の何処にもいない。


 だからわたしのコーヒーを飲んでもらえることはないけれど、いつか本当に美味しく淹れられるようになったら、堂々と胸を張って生きていけるような気がしていた。


 戦争が終わってから暫くの間、わたしは望んで独房に閉じこもっていた。何も見たくない。何も聞きたくない。そう思っていた。

 やがて、このままではいけないと、なんとか自分を奮い立たせて村に戻り、必死に再建を手伝った。ようやく心が落ち着きかけて店を開くことに決めた。資金は、国からの報奨金がたくさんあったので困らなかった。


 リンと出会ったのはその頃だ。


 彼がいなかったら、というか、一緒に暮らすことを選んでいなかったら、わたしはまともに生きていくことすら難しかった。

 ようやく取り戻した日常が奪われるようなことがあってはならない。

村の中心地から少し離れたところに建てた小さな一軒家は、壁の色を淡い黄色、屋根が水色。時計樹を眺めることができるように大きな窓をつけた。1階が喫茶店で2階が居住空間になっている。

 村の人たちにも手伝ってもらって出来上がった大事な住まいだ。

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