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3-3


***


「いよいよ明日は作戦の決行日だな」

 唐突に副隊長室に入ってきたのはタスクだった。

「ちょ、ちょっと隊長!?」

 こんなところに来ている時間があるんですかと咎めようとすると、わたしの部屋の鍵を内側から閉めて、おもむろに仮面を外した。

「隊長!?」

「うるさい黙れ。あぁ、仮面は息が詰まる」

 今さらのように思える勝手な発言だ。

 ずかずかと大股でタスクはキッチンへ向かう。

「いいだろ、誰も入って来ないんだし。作戦の最終確認をしに来たんだよ」

「最終確認はしたと思うのですが」

「ちょっと待て、美味いコーヒーを淹れてやるから。座ってろ」


 副隊長室には小さなキッチンがある。勝手知ったる何とやら、タスクが道具を引っ張り出す。

 動揺を悟られないようにわたしは距離を開けて座った。

「ほら」

 コーヒーの濃厚な香りが鼻孔をくすぐる。わたしでは何十年かかっても決して出せない深みだ。

 自分自身もコーヒーを口にしながら、タスクは言い聞かせるように呟いた。

「いよいよ明日で全てが終わる」

「……そうですね」

 タスクが提示するのは、肯定したくない未来、だった。

「俺の役目も明日で終わりだ」

「そう、ですね」

「どうしたんだよ、浮かない顔して。そんなんで明日俺のお供を上手くできるのか?」

「わたしは『藍色の闇』作戦に心から賛同しているのではありません」


 王子や隊の皆の前では決して口にできない本音だった。


 タスクの前だからこそ言えるけれど、言ってはいけないというのも理解していた。

「隊長が王子を装って交渉の場に行く。そして奇襲をかけて戦況を転覆させる。そこに王子は軍の責任者として、仮面をつけて隊長のふりをする。そこにはわたしも同行する。

 言葉にすれば簡単なものではありますが、隊長の死は避けられないということが、非常に不服です」

 その作戦は、タスクの死をもって成功を前提としていたから。

 初めて聞いたときは憤慨した。王子も隊長も、頭がおかしくなってしまったのではないか。自分の持つ語彙のなかでもとびきり丁寧で、鮮烈な否定をした。

「まぁそう怒るな。確かに初めて耳にしたときのお前はなかなか面白かったけれど」

「笑い事ではありません。隊長が死んでしまうだなんて」

「阿呆。ひとつだけ訂正がある。

 俺には『死』の概念がないんだ、語弊があるぞ」

「承知しています。ですが」

 タスクがキッチンから出てきてわたしの隣に座る。

 コーヒーに混じって、柔らかく甘い香りがした。

 わたしは体温が上昇するのをごまかすように熱いコーヒーを飲み干す。

「サラ」

 そんな努力も虚しく、名前を呼ばれて緊張はピークに達する。

 左に顔を向けると、タスクはにやにやと笑っていた。


 ――まるで明日、世界から消えてしまうとは思えなかった。


「たまには昔みたいに、名前で呼んでくれよ」

「できません」

「どうしてだよ。あーあ。下手に敬語なんか教えるもんじゃないな」

 タスクがコーヒーを飲む仕草を横目で盗み見る。王子と同じ姿をしているのに、優雅さはない。

 だけど、見ていると、心臓の鼓動が速くなっていく。

「あいつを頼む」

 突然、真面目な横顔。

「俺がいなくなることで、最も不安に陥るのはあいつだろうから。産まれたときからずっと一緒だったんだ。プライドだけは一人前に高いけれど弱い奴なんだ。

 お前が、道を外さないように見守ってやってくれ」


 道を外さないように。現国王のように善王の道から外れてしまわないようにと言いたいのかもしれなかった。


 急に気持ちが沈んで、わたしはコーヒーに視線を落とす。

 いつだってタスクの最優先は王子なのだ。


「わたしはただの一兵士ですよ」

「時計樹の秘密を共有できる相手は、特別なんだよ」

 タスクがわたしの肩をぽんぽんと叩いた。

「その証拠に肖像画を嫌うあいつが、俺とお前と一緒ならって描かせただろう? 進んであんなことするから心底驚いた。あれを売ったらすっごく高く値がつくぞ」

「不謹慎なことを言わないでください。

 ……わたしには、王子はよく分かりません」

「ちょっとずつ知っていけばいいんだよ。俺と、お前のように」

 どうやらタスクが現れたのは、それが本題のようだった。

 少しだけ胸が軋んだ。

 わたしのことも、少しは心配してくれたっていいのに。叶わないことだと知っているからこそ、溜息が出る。

 そんなわたしの様子には気づいていないようだった。

「親友に。家族になってやってくれ。王妃になれって言ってるんじゃないぞ。第一お前はそんなガラじゃないし。

 つまりだな、気持ちを通い合わせることのできる相手に、お互いなってほしいんだ」

 よしっと頷いてタスクは立ち上がった。


 行ってしまう。

 これで、永遠に遠い存在になってしまう。

 頭のなかが混乱してぐちゃぐちゃになりそうだ。


「最後に言っておきたいことはあるか?」

 タスクが扉の前で仮面をつけながら振り向いた。




「好き、です」




 しまった。

 不意に口から出た言葉は、しまっておかなければならないものだった。


「ずっと好きでした。隊長のことを誰よりも近くで見てこられて、強さや、喜怒哀楽や、王子を大切に想う気持ちを全部見てきて、隊長を好きになりました。

 これまで頑張ってこられたのも隊長がいてくれたからです。

 だから死なないでほしい――」


 だけど一度堰を切ってしまった想いはとめどなく溢れて、涙と一緒にぽろぽろと零れてしまう。

 止められない。どうしよう。

 だけど。行かないでほしい。

 本当はこんな作戦を決行しないでほしい。






 長い長い沈黙――






 タスクがもう一度仮面を外した。

 初めて見る、困惑した表情だった。

 座っているわたしに近づいてくると、真正面で膝をついて、目線を合わせてくれる。

「泣くな」

「でっ、でも……」

「まさかお前がそんなことを言い出すなんて、考えもしなかった」

 溜息をつくと、タスクの指がわたしの頬の涙を拭う。

 だけど全然泣き止まないことに業を煮やしたのか、ゆっくりと両腕で抱きしめてきた。

 コーヒーとは違う、優しくて甘い香りが漂う。

 強くはないのに酔ってしまいそうだった。

 いけない。涙でタスクの服が濡れてしまう。離れようとしたけれど力は段々と強くなる。


「ごめんな」


 掠れた声でタスクが小さく呟いた。




「――俺には、『死』と動揺に『愛』の概念がないんだ」




 わかりきっていた結論なのに、丁寧に、諭すように。

「だからどうすればいいのか、分からない。俺はそう育ったから。すまない。泣き止むまでいてやるから、もう泣くな」

「ず、ずっと泣いていたら、どうするつもりですか」

「阿呆。ガキか、お前は」

「好きです」

「……阿呆」

 もう一度、抱きしめる力が強くなる。

 鼓動がどんどん速くなる。それがわたしだけなのが、とても、辛い。

「名前で呼んでみな」

「……タスク」

「おう」

「タスク。好きです」

 自棄になって続ける。好きです。この想いが叶わないのは知っている。

 そもそも叶う方法がないのだ。

 困らせてごめんなさい。だけど、この瞬間だけは。

「好きです」

「ああ」

 すっとタスクが身を離した。

 瞳は恐ろしいくらいに透き通っていて深く、底が見えない。何の感情も読み取ることができなかった。これが時計樹の本来の姿なのかもしれなかった。

 だけど今はそれすらも愛おしく感じた。

 タスクはそっとわたしから目を逸らして、気まずそうに息を吐いた。


「ごめんな」


 そして震えながら、わたしの額に口づけを。涙の流れた後の頬にも。黙って、静かに。

 わたしは目を閉じてじっとしていた。

 別れの儀式だと悟っていたから。

「……お前が寝るまで傍にいてやるから。明日、がんばれるな?」

 錆びた声でタスクが囁いた。鳥肌の立つような、ぞくりとするような囁きだった。

 わたしは頷いて、この瞬間のことをずっと覚えておこうと思った。

 衝動はゆっくりと収まってきていた。それと同時に、告白してしまったことの後悔が徐々に膨らみ始めていた。

「もう一杯、淹れてやるから。その間に寝る準備をしてな。んで、飲んだら寝るんだぞ」

 たったひとりのものでしかない時計樹の化身の、懸命の優しさだった。

 タスクが無理をしてわたしの想いに応えようとしていることに、胸が痛む。本当ならわたしの望みに寄り添うことなんてできない筈なのに。


「あいつならそうするかなと思うんだ」

 2杯目のコーヒーを手渡してきながら、タスクが言う。わたしの髪を優しく撫でながら、もう一度隣に腰かけてくれる。

「俺の行動パターンは、全然あいつのコピーだから。そもそも最初にお前を助けようと言い出したのだって、あいつなんだぞ」

「ひどい。わたしはタスクに話をしてるのに」

「なおさらだ」


 違う。

 同じ顔をしていても王子とタスクは全くの別人格だ。

 ……それをいくら訴えようとも、認めてはくれないだろうけれど。


「これだけが、あいつと俺の違いだよ。美味いだろ?」

「……うん」

「コーヒーだけはお前に託すから。それでいいな」

「……うん。うん」

「やっと落ち着いたな」

 もう一度ぎゅっとわたしのことを抱きしめてから、子どもをあやすようにわたしを寝かせた。

「ほら、手、繋いでてやるから。あいつも小さい頃は夜寝られなくて、ずっとこうしてやってたんだ」

「王子と同レベルかぁ」

「当たり前だ。なんなら童話のひとつでも読み聞かせてやる」

「……おやすみなさい。あのね、タスク」

「ん?」

「大好き。ごめんなさい、それから、ありがとう」

「阿呆」

 いつもの口癖ではなく、聞いたことのない、甘い音色だった。

 コーヒーには睡眠導入剤が入っていたようで、深い眠気に襲われる。瞼が閉じる最後の瞬間に、そっと。わたしを優しく呼ぶ声。

 それから。

 タスクの唇がわたしの唇に触れたような気がした。

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