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数日ぶりに帰ってきた我が家で、まずは隅から隅まで掃除をした。コーヒーを淹れる道具も丁寧に拭く。
店内にはほろ苦い香りが残っていた。
こんなに家を空けることがなかったから気づかなかったけれど、染みついているようだった。とても落ち着く香りだ。
まずは自分の為に1杯を。こんなに穏やかな気持ちでいるのは珍しいことだった。
「行ってきまーす!」
自分の部屋から降りてきたリンが、元気良く店から飛び出して行く。
しばらくはひとりの時間だ。
コーヒーの淹れ方を教えてくれたのは、タスク。
戦場に出る前、戻ってきた後、まずは1杯を自分で淹れて飲むというのが習慣になっていた。心を落ち着かせる儀式だと言っていた。
そもそもコーヒーの材料、豆はこの国では栽培が難しい。前国王が貿易を始めたことにより、南の方の国から輸入できるようになったのだという。
この国からは製紙の技術や芸術的なものなどを広めて、他国と積極的に交流していたと、最初の頃に教えられていた。
タスクはコーヒーが好きだったけれど、他にも他国の珍しいものを蒐集するのが趣味のようだった。変な置物を隊舎に飾っていた辺り、センスの不思議さは奇妙な変装を好む現国王と似通っている。
『わたしにも教えてください』
少しでも、仮面の隊長と過ごせる口実がほしかった。
……淡い恋心を抱いているのは隠しながら。
自然と笑みが零れた。
多分、周りに誰かがいれば、それはひどく自嘲気味に映っただろう。
からん、不意に扉が開いた。
陛下以外に客が訪れるなんて久しぶりだ。
「サラ! 聞いたわよ」
現れたのはウイカだった。
「こんにちは。流石、噂が広まるのは早いですね」
「なんでそんなに落ち着いていられるの!?」
鼻息を荒くしてウイカがカウンターに座る。
身を乗り出して、ぬるめのミルクね! と注文しながら一気にまくしたててきた。
「まさか国王陛下に招かれて、晩餐会に出席するなんて! びっくりしたわよ。陛下の招待ってことは、お妃さま候補っていうことでしょう?
うちの村から陛下のお妃さまが出るなんてすごいことだわ! どうして言ってくれなかったの」
「急な話、だったので」
「急な話も何も。軍にいた訳だから交流はあったんでしょう?」
予想通り、根掘り葉掘り聞きたいという態度だ。
わたしは大げさに苦笑いを浮かべてみせた。
「そうですね、なかったとは、言わないですけど。まさか国王陛下がわたしのことをそういう対象にしていたとは、まさか思いませんでした」
ウイカがミルクをがぶがぶと飲む。そして乱暴にどん、と空になったコップをテーブルに置いた。
「あんた、あんまり嬉しそうじゃないね」
珍しく真面目な瞳で、ウイカがわたしを刺した。
「落ち込んでるときのあんたは、困ったように苦笑いをしながら口元を右手の拳で隠すんだ。昔からそうだった。
心配なのは、リンのことかい? それなら村の皆で世話するから心配は要らない。そうでないなら」
ウイカが立ち上がってわたしの両肩に両手を置いた。
「ちゃんと話しなさい。あんたはいつでも抱え込むから、よくない。それが周りにもだだ漏れだって気づいていないからたちが悪いんだ」
「そんなことは」
ウイカがわたしを遮る。
「あの子のお葬式で里帰りしてくれたときがあったでしょう。そこでは涙の一滴も流さなかったくせに、周りにひとがいなくなった途端に号泣していたのをあたしは知ってるんだよ。
戦争に勝ってこの村に戻ってきたときもそうだった。
抜け殻のようなあんたを、皆、心配していたんだ。そう、戦争の最中だって。あの子から、いつも話を聞いていたよ。根が優しいから戦いには向かない子だって。
あんたは優しい子で、辛いことを辛いって言えないたちだってね」
びっくりした、のは。
わたしの前で初めてウインの話を口にしたこと、だった。
決して話題にのぼらせたことはなかったのに。お互い、なんとなく避けていたのに。
「ここだけの話、あの子はあんたを気に入ってたんだ」
ウイカが髪の毛をほどいて、簪を手に取る。いつも髪の毛に飾っている、透けた石でできた、きれいな簪。
「これは、あの子があんたにあげようとしてたんだよ。誕生日のプレゼントにってね。だけどその前にあの子は逝っちまった。
だからあたしが形見として貰ったんだ。
あの子、いっつも帰ってくる度に、あんたの話ばっかしてさ……」
さーっと、血の気が引いていくようだった。
指先が冷たくなって、少しだけ震えていた。手を握ろうとしても力が入らない。
「すみ、ません」
声を震わせながら謝るのがやっとだった、けれど。
「馬鹿だねぇ! そこは謝るところじゃないよ。だから、あたしはこの村の誰よりもあんたに幸せになってもらいたいって言いたいのさ。
国王陛下なら、国中の誰よりもあんたを幸せにしてくれると思うよ、サラ」
いつでも話を聞くから、と言い残してウイカは帰っていった。
かたかたと震える手でコップを手に取ろうとして割ってしまう。
「痛い……」
血が滲む指先を押さえる。痛むのは、指先か、心なのか。
*
***
亡くなった人間の魂は、やがて時計樹の葉となる。そして生きている人々を見守っている。らしい。
だから死は悲しまなくてもいいものだ。子どもの頃にそう教えられた。
「……そんなの、嘘だ」
村を飛び出してから初めて帰郷するのが、幼なじみの葬儀だなんて想像もしなかった。
戦争で命を落とした者は可能な限りその場で焼かれて、小さな小さな骨だけが残る。運が悪ければそれすら叶わないけれど、ウインの骨は村まで持って帰ることができた。
時計樹の傍にある共同墓地へ納めて、そっと祈りを捧げる。
「ありがとう」
真っ赤に泣き腫らした瞳をウイカがこする。
親のいないわたしによくお節介を焼いてくれていた彼女。いつの間にこんなにも小さくなってしまったんだろう。
「ありがとう。ウインを連れてきてくれて」
「いえ……」
「本当に無鉄砲な子だったから、迷惑をかけたでしょう。これから我が家で偲ぶ会を開くけれど、あんたも来るかい」
「すみません。このまま、王都へ戻ります」
「そうか」
普段なら強く引き止める性格をしている筈なのに。
その弱々しさに胸が締めつけられる。
「戦争ってのは嫌なもんだね。今になって解ったよ。うちも農業をいったん辞めて、お国の為に色々奉仕活動をさせてもらってたんだけど。それがいいことだと思ってたけれど、いざ身内がこうやって犠牲になると、ねぇ。
あの子の知らせを聞いたとき、村全体が本当に気落ちしちゃったよ」
確かに、活気のある村だった筈なのに。
全体的に灰色に感じられた。
「あんたに言うのもお門違いかもしれないけれどさ」
「いえ。わたしも、そう思います。この戦いは早く終わらせなければいけません」
「……なんか、成長したね。あんた。昔は本当にやんちゃ坊主みたいな子だったのに」
ウイカが空を見上げる。時計樹に視線を遣って、ぽつりと呟いた。
「あの子は、時計樹の一部になったのかね」
青々と生い茂る常緑樹。
人々の営みを見守り続けてきた、神のような、世界の中心。
その一部に。
「だとしたらあたしらの傍にずっといてくれてるよね。そう思いたい。胸が張り裂けそうにしんどくて苦しいけれど、悲しいのはあたしだけじゃないんだ。そう、思いたいね。
それでもあの子が見守ってくれてるから、あの子の分まで生きなきゃいけないって、さ」
「……はい」
「ちょっとくらいは寄って行きなよ。皆、あんたの顔を見たがってるよ」




