天鵞絨とビターチョコレート
「こんな翼なくなっちゃえばいいのに」
なんとか口からはこぼれ落ちずに飲み込んだ言葉を恥じるように、冷たい机に塞ぎ込む。自覚してしまったこと全部が高鳴る鼓動を打ち付ける心臓をぎゅっとする。想いも、恋も、現実も。何もかも痛かった。何もかも嘘みたいだった。
気付かなければよかったと、日曜日の夕暮れを苦々しく思い出す。きみが紡いだ言葉一つ一つ、くしゃっと笑った目の形や、差し出してくれた私とは違うヒトの温もりを。頭の中から追い出そうとしてより深く刻み付けられてしまった記憶を、思い出す。
「きみだって普通の女の子だ」
だなんて、あんな澄んだ瞳で言われたくなかった。
私達のようなヒトとは違う種族に、説明できる歴史は存在しなかった。物語の中の存在。降って湧いた幻想。昔の話だと誰かが言っていた。今や共存できる存在だとニュースが告げていた。世界は正しく順応し始めていた。
血液が滲んだような赤い瞳から見る景色も、病的なほど白い肌に感じる風も、天鵞絨のように暗く輝く黒い翼で駆け抜ける世界も、私にはとても美しいものに見えた。それなのに、元来その星に住まうヒト達にとってこの姿は不吉なモチーフでしか無かった。その事実を、その瞳らに映る畏怖の色を、私は恐れていた。誰にどう言われた訳でもないというのに。世界は既にいろんな色で溢れかえっているというのに。ちっぽけな私は、自分で自分を否定してしまっている心に気付けないままでいた。
浮ついた甘い記憶と勘違いの苦い現実を引き剥がそうと、ほんの少しだけ顔を上げて斜め前のきみの机の中を片目で睨みつける。今すぐにでも回収してしまってなかった事にしたい。でもそんな勇気もまた持っていない。机に忍ばせたそれのせいでもう後戻りは出来なかった。手紙も何も添えなかった事がたった一つの反抗だったけれど、ただ勇気が出なかっただけじゃないかと言われたら反論の言葉もない。
何が悪魔だ。何がヒトを不幸にする存在だ。震えながら私が私でしかない事に縋ろうとしているのを、親友と感じている桃色のあの子が知ったら笑うだろうか。憎らしくも、きっと文字通り天使のように微笑むのだろう。
賑やかな朝の教室で私の刻だけがスローモーションで過ぎていく。早く来て。やっぱり来ないで。でも早く。来なくていい。もう、誰かどうにかして。
祈る気持ちに顔を上げた時、後ろの扉がガラガラと開く音がやけに鮮明に聞こえた。クラスメイトの挨拶の声と、あの少し眠そうな柔らかいテノールと、正確なリズムを刻む足音。突っ伏したままの私のカーディガンの袖と、キーホールダーひとつ付いていないきみの鞄が擦れ合う。
「ああごめん、おはようビーズさん」
目が合った。ぱちぱちと。こちらを見つめる瞳はあの日の夕暮れと変わらず澄んでいて。
おはようとたった一言だけ絞り出した私は、その日の全てを自分と関係ないものにすると誓った。
気付かれなくてもいい。叶わなくてもいい。だからせめて、こんな私をただの一人の存在と認めてくれたきみに、甘い幸せが届きますように。
ビターチョコレートが溶けだした。
悪魔に生まれた少女の憂鬱は、今日も消えない。
ビーズちゃんとぼぅさんに捧ぐ




