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第九話 ヤクザと園児と猫のいる風景

 チャイムが鳴る。

「開いてるぜ」

 声をかけながら玄関に出る。俺の目の前でドアが開き、奈波が顔を出した。

「おはよう、銀二さん」

 奈波はいつもの黒いワンピースにウサギのリュックを背負った格好だ。

「どうした、幼稚園はまだ休みか?」

「ええ。今日もお邪魔していいかしら?」

 なんだか奈波が言うと、違う意味に聞こえる。

 今日も職探しに出ようと思っていたのだが、まぁいいだろう。今日は求人情報誌を読むことにする。ダダで配ってる奴だ。電話代も惜しい状況だからな、よく吟味していいとこだけを選んどく方が良い。

 まあ、奈波を預かった日の夕食は豪華になるってせいもあるのだが。

「菜摘は今日も仕事か? 三が日から働いてたってのに、大変だな」

 少し脇にどいて奈波を通してやる。奈波の身長と握力では、ドアの開け閉めは大変なのだ。奈波が靴を脱いで部屋に上がってからドアを閉めてやる。

「あら、猫がいるのね」

 見知らぬ相手に警戒しているのだろう、小姫は寝床のダンボールから奈波の様子を窺っている様子だ。

「ちょっと待ってね」

 奈波は背中のウサギを下ろすと、いつものように開腹手術を始めた。

「ほら、小姫おいで。猫缶食べるでしょう?」

 取り出した猫缶を俺に渡しながら小姫に声をかける。簡単に開くプルタブ缶だが、奈波にはまだ無理らしい。黙って開けて返してやった。小姫は変わらず警戒していたが、猫缶に興味津々なのは見ただけでわかる。

「大丈夫よ。何もしないから」

 しゃがみこんだ奈波はその足元に猫缶を置いた。警戒しながらも小姫は猫缶への興味を抑えられないようで、ゆっくりと近づいてくる。その間じっと待っていた奈波の足元まで寄ってくると、奈波の様子を窺いながら猫缶に首を突っ込んだ。

 一度口にしてしまえば後は早い。いつも上品な小姫にしてはがつがつと猫缶を食べ始める。

 まぁ、うちに来てから牛乳と猫まんましか喰ってねぇからな。

「あんまり贅沢覚えさせねぇでくれねぇか。いいモンは喰わせてやれねぇからな」

「大丈夫よ。今日は特別。何事も第一印象が大切だから」

 缶まで舐めかねない勢いで、というか実際に舐めてるんだが、とにかく夢中で猫缶を食べる小姫を撫でながら奈波が言う。

「ところで、いつも猫缶を持ち歩いてるのか?」

「まさか」

 じゃあなんで今日は持ってるんだとか、なんで小姫の名前を知ってるんだ、とかは聞いても無駄だろう。

「にぁ」

 味がしなくなるまで猫缶を嘗め回していた小姫が、お代わりはないのかという風に鳴いた。奈波の手に頭を擦り付けて媚まで売っている。

 悪かったな、ろくなモン喰わしてやれなくて。

「ごめんなさいね、お代わりはないの。これも銀二さんに甲斐性がないから・・・」

 手で口元を隠しながら、いたずら気に笑う。からかわれているのはわかっているが、事実なので言い返せない。

 俺は黙って求人情報誌を開いた。奈波は放っておいても勝手に小姫と遊んでるだろう。小姫も奈波に懐いたようだし。

 猫缶に釣られてだけどな。

「大丈夫。今日は冬休みの宿題をするから」

「最近の幼稚園ってのは、宿題があんのか?」

「そうみたいね。面倒だけど、やらないで怒られる方が余程面倒だから」

 まぁ、奈波からしてみれば、幼稚園児がやるような宿題は意味がないのかもしれないが。

「・・・ま、頑張ってくれや」

「ありがとう、銀二さん」

 いつも通り口元を隠して笑う奈波ををよそに、俺は求人情報誌を読み始めた。

「工作とかあるから、色々借りるかもしれないけど」

「ああ、ほしいモンがあったら言ってくれ」

「大丈夫よ、小姫にお願いするから」

 いろいろ無理だろうとは思うが、まぁいいか。取れないとわかれば俺に声をかけるだろう。

「小姫、新聞紙を取ってもらえるかしら」

 新聞なら小姫を拾った時に持ってきたのが部屋の隅に積んである。小姫が取らなくても自分で取れるだろう。

「ありがとう、小姫」

「にぁ」

 どうやら小姫が取ってきたらしい。俺が頼んでも多分取って来やしないだろうにな。

「小姫、テープを取ってもらえるかしら」

 テープはちょっと高いところにあるが、奈波が立ち上がれば取れるはずだ。小姫がジャンプしたんではちょっと大変かもしれないが。

「ありがとう、小姫」

「にぁ」

 随分サービスが良いな。俺が頼んだんじゃあ食事の仕度すら手伝わないくせに。

 いや、それは当然か。

「小姫、ちょっと押さえていてくれないかしら。こことこことこことここ」

「にぁ」

「ありがとう、小姫」

 全部の足総動員か。小姫も大変だな。

「小姫、はさみを取ってもらえるかしら」

 何気に奈波は人使いが荒いらしい。

 はさみは高い戸棚の上にある。奈波では手が届かないし、小姫がジャンプしても無理だろう。取ってやろうと立ち上がりかけて、

「ありがとう、小姫」

「にぁ」

 驚いて振り返る。確かに奈波ははさみを使っていて、小姫はその手元を興味深げに覗きこんでいる。

 ・・・まぁ、取れたならいいか。

 俺はまた求人情報誌に目を落とした。

「小姫、糊を取ってもらえるかしら」

 糊は戸棚の一番上の引き出しに入っている。当然奈波に手は届かないし、小姫は壁のダンボールは開けられても引き出しは無理だろう。今度こそ取ってやろうと立ち上がりかけて、

「ありがとう、小姫」

「にぁ」

 再び驚いて振り返る。確かに奈波は糊を使っていて、小姫はまたその手元を興味深げに覗きこんでいる。

 ・・・まぁ、取れたならいいか。

 考えても仕方ないこともあるってのはもう十分知っている。そう言うもんだと納得しておくことにする。

「・・・ありがとう、小姫。おかげではかどったわ」

「にぁ」

 どうやらできたらしい。視線を上げる。

「何作ったんだ?」

 奈波の手元を覗きこむ。そこにあったのは・・・なんだ、こりゃ。

「・・・秘密、よ」

 と奈波は言うが、その口調と表情からすると多分失敗作なのだろう。手先は器用じゃないみたいだしな。

「そうか」

 あまり詮索してもかわいそうだ。俺は再び求人情報誌に目を落とした。

 そういや、奈波にはさみ使わせちまったな。あんまり器用じゃねぇんだから、怪我をしてたかもしれねぇ。今回は怪我が無かったから良いが、次は気をつけた方がいいかもな。

 宿題の終わった奈波は、タオルを手に小姫をじゃれつかせてる。当然だが、うちには猫じゃらしだのボールだのといった気の利いたものはない。今度なんか用意しとくか。

「よし」

 二、三目星をつけて、俺は求人情報誌を閉じた。時計を見ると結構いい時間になっている。奈波がいるので今から来いと言われるのは困るが、この時間なら大丈夫だろう。

「おい、奈波」

「しー」

 声をかけた途端、奈波に制される。なんだと思って視線をやると、そこには寝ている小姫を眺めながら、奈波が優しげに微笑んでいた。遊びつかれたんだろう、俺はこんなにかまってやったりはしないからな。

「可愛いわね。でも、今はまだ私の方が年上だけど、小姫はすぐに大人の女になってしまうのね」

 奈波が意味ありげに言う。なんか、ただ猫は成長が早いとか以外の意味があるような気がする。

「俺はちと電話かけてくるけどよ、一人で留守番しててもらって大丈夫か?」

「ええ。大丈夫よ」

 小姫を起こさないように優しく撫でながら、奈波が答える。多分、自分よりも弱い存在なんて背中のウサギくらいしかいなかったのだろう。お姉さんといった風貌で、そしてそうできるのが嬉しくて仕方ないという様に小姫を撫で続ける。

「じゃ、頼むぜ」

 奈波がいるからな、一応鍵をかけて部屋を出る。うちの電話は料金未納で止まってる。電話をかけたい時は外に出るしかない。

 用件はすぐに済んだ。ま、何時行けばいいのか聞いたり、「もう募集は終わりました」とか言われたりするだけだからな。

 小姫を起こさないように静かに鍵を開けて部屋に入る。

「ただいま」

 見ると、小姫の隣で奈波も眠ってしまっていた。まだ真冬だ。そのままじゃ風邪を引くだろう。俺は毛布を取り出すと、二人にかけてやった。

「こうしてっと、二人とも年相応なんだがなぁ」

 ひどく大人びてる奈波と、なんか猫らしくない小姫。相手するのは楽なんだが、なんか心配になる。

 チャイムが鳴る。その音で、奈波が目を覚ました。

「寝過ごしてしまうなんて・・・不覚」

 口調はアレだが、毛布を片手に握り締めて目元をこしこしと擦る仕草は年相応に見える。そんな奈波に苦笑しながら、俺はドアを開けてやった。

 顔をのぞかせた菜摘と二、三言葉を交わし、恒例になったおすそ分けを受け取る。

「小姫によろしくね」

 そう言って去っていく奈波を見送った。

 部屋に戻ると、小姫はまだ寝ているらしい。奈波よりも先に寝てた癖に、寝子とはよく言ったもんだ。

 扉を閉めるばたんという音に反応したのだろう、小姫がびくん、と震えた。かかっていた毛布を伸びをしながら蹴飛ばし、

「にぁ」

 目を開いた。

「よう、おはよう」

 小姫は少し何かを探すように辺りを見回していたが、

「にぁ」

 俺の足元まで来て一声鳴くと、俺を見上げながら床をたしたしと前足で叩いた。

「奈波なら帰ったぜ。小姫によろしくってよ」

 小姫はなにやら不機嫌そうな表情をしていたが、ふいに

「にぁ」

 ばりっ

「痛てぇ!」

 八つ当たりかよ。ひっかれた足を撫でながら、俺は一人ごちた。どうやらすっかり仲良くなったらしい。ま、友達が出来るのは、お互いにとって良い事だがな。

 小姫はそのまま壁の穴に向かい、ダンボールの端を器用に捲った。

「晩飯までには帰って来いよ?」

「にぁ」

 一声鳴くと、小姫は穴の外へと出て行く。この不良娘は夜遊びに出かけるらしい。困ったもんだ。そういや、最近部屋のトイレが汚れた形跡がない。お姫様は見られるのはいやらしいからな。多分、外で済ましてんだろ。

 今日は菜摘のおかげでいいモンが喰えるな。米を研ぎながら考える。

 なんだかんだ言っても、こうしてやっていけてる。ヤクザだった頃には考えた事もなかったが、こういう生き方ってのもそんな悪いもんじゃねぇな。

 世は並べてこともなし。

 明日もこんな何もない一日だといいがな。

 無理かなぁ。無理だろなぁ。俺は一人、ため息をついた。

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