第七話 ヤクザと猫とダンボール
今日も職を求めて町を歩く。だが、今までとは違って、俺には随分と余裕があった。
喰うに困らねぇってのはいいもんだなぁ。
あの後、菜摘のことを頼んできた男……浪人生だったんだが、そいつのところに行って、適当に『菜摘の理想は頼りになって生活を支えてくれる男だ』とか言ってやった訳だ。
それを聞いた途端、浪人は『これで受験の励みになる』とかなんとか興奮しだして、約束の米を有体に言えばちょろまかしてきたって訳だ。
その米もそれほどもつ訳ではないが、少なくとも今日明日困るってこたぁない。腹もいっぱいで、俺はすこぶる機嫌が良いってぇ訳だ。
「にぁ・・・」
なにやら声が聞こえた気がした。そっちに目をやる。
薄汚れた仔猫が一匹、道に脇に倒れていた。右の後ろ足に血が滲んでいる。どうやら怪我をしているらしい。
腹が一杯だと人間ってのはやさしくなれるんだな。見ちまった以上は放っておけねぇって気分になる。俺は猫に近づいた。
「ん、怪我してんのか? ちと見せてみな」
仕事柄、怪我人には慣れてる。出血はたいしたこたねぇ。見た目どおり血がにじんでる程度。軽く曲げ伸ばししてみる。
「にぁ・・・」
猫が弱々しく鳴いた。傷が痛むらしいが、調べるためだ、我慢してもらうしかねぇ。
「どうやら骨まではイってないみてぇだな。軽い捻挫ってとこだろ」
怪我は軽いらしいが、ちと悩む。こいつは多分、生まれて二、三ヶ月かそこらくらい。秋仔の遅い奴だろう。ただでさえこんな小さいのが生きていくのは大変だろうに、足を怪我してやがるんだ。下手したら、今夜一晩もつかも怪しい。
・・・これで見捨てるってのも、目覚めが悪ぃよなぁ。
「仕方ねぇな。一晩くらいなら置いてやっても良いけどな。とりあえず、うち来るか?」
話しかける俺に向かって、仔猫は「にぁ」と鳴いた。
帰りがけにミルクを買って、ついでにゴミ置き場から古新聞を拾ってくる。猫を飼う時にゃいろいろ役に立ってくれるからな。
傷の手当てもしなきゃならないが、それよりも先に洗っとくべきだろう。部屋を蚤だらけにされても困るし、手当てしてからじゃ二度手間だ。
ヤカンに湯を沸かしている間、壁を塞ぐダンボールの予備を取り出して組み立てる。雨や露に直接さらされてるからな、結構こまめに取り替える必要があるんだ。そん中に細かくちぎった新聞を敷き詰め、寝床を作ってやる。
大方出来たところで湯が沸いた。洗い物用のタライに入れて、熱すぎない程度に水で温くする。
「よっしゃ。来い」
玄関に新聞を敷いて寝かせて置いた仔猫を拾い上げ、ゆっくりと湯に浸した。
「にぁ」
小さく鳴いたが、嫌がるそぶりは見せない。あまり水を怖がらない性質みたいだな。体が冷え切ってたから、温かい湯が気持ち良かったってせいもあるかも知れねぇが。
猫用のシャンプーなどは当然ないので、石鹸で洗う。まぁ、人間用のモノすらないので我慢してもらうしかない。泡を流した後、タオルで徹底的に擦りあげる。ドライヤーを使った方がいいのだろうが、うちにはそんな気の利いたものはねぇ。
「にぁ」
仔猫は嫌がるが、ここで手を抜いて風邪でも引かれたら命に関わる。容赦は出来ねぇ。
十分に乾かした後、作っといたダンボールに放り込む。仔猫はきょとんとした顔でこっちを眺めていた。
洗ってみるまでわからなかったが、結構いい毛並みをしてやがる。もしかしたらそれなりに名のある種類なのかも知れねぇな。まぁ、どうでも良いんだが。
しかしなんだな、こないだまでヤクザやってた俺が猫の世話なんぞしてるってのも、なんの因果なんだか。
とりあえず、救急箱を取り出す。子供の頃からやさぐれてた俺は怪我が絶えなかったし、今までの商売が商売だ。中身は充実してる。使用期限とかは気になるが。傷を手当てし、シップを貼って包帯で巻く。毛があるから効果はわからないが、まぁ良いだろう。
「にぁ」
仔猫は痛がる素振りは見せたが、抵抗はしない。手当てしてやってるのがわかるのか? 結構頭のいい奴なのかも知れねぇ。
手当てが終わったところで、買ってきた牛乳を鍋に入れ、火にかける。鍋なんて使ったのは何時以来だろう。この部屋では始めてかも知れねぇ。
・・・ほとほと、人間らしい暮らしにゃ縁がねぇんだなぁ。
人肌にしたのを皿に移し、ダンボールから出してやった仔猫の前に置く。
「まぁ飲めや。腹減ってんだろ?」
「にぁ」
礼を言うように一言鳴くと、仔猫は牛乳を舐め始めた。そういや、最後に動物を飼ったのは小学生の頃だったか。動物は嫌いじゃねぇんだが、何分やさぐれてたからなぁ。
「にぁ」
腹いっぱいになって落ち着いたんだろう。仔猫は後ろ足を引きずりながら部屋の中を探り始めた。
「おい、あんまり歩くな。怪我が治んねぇだろうが」
「にぁ」
声をかける俺の方に顔を向けて大丈夫だと言うように鳴く。ほんとにわかってんのかも知れねぇ。
やがて満足したのか危険はないと判断したのか、仔猫は畳の上に横になった。その仔猫に声をかけようとして、一瞬迷った。
「おい、お前のことはなんて呼べば良いよ?」
一晩だけとはいえ、いつまでも猫って訳にもいかねぇだろう。
「にぁ」
答えるように仔猫が鳴くが、あいにく俺にゃ猫語はわからねぇ。
「そういや、お前男か女か?」
後ろ足をつかんでひょいと覗き込む。
「ふにぁ!」
ばりっ
「痛てぇ!」
思いっきり引っかかれた。一歩飛びのいて、仔猫は毛を逆立ててフーッと威嚇の声を上げている。
「悪かった、悪かったってよ。女の子にすることじゃなかったな」
仔猫はしばらく機嫌悪げに鳴いていたが、ふてくされたように向こうを向いて横になった。前足で積み上げてあった古新聞を崩しているのは八つ当たりだろうか。
「さて、猫の名前ってーと、ミケとか。三毛猫じゃねぇか。タマとか。いや、男じゃねぇのにタマってのは変か」
「にぁ」
悩んでいるところに、仔猫が鳴いた。
「なんだ?」
なにやら新聞を前足でたしたしと叩いている。何とは無しに覗き込む。
「なになに・・・リトルプリンセス来日・・・?」
どうやら、どっかの国の姫様が日本を表敬訪問するって内容の記事らしい。
「リトルプリンセス・・・姫か」
ちと悩んだが、なんとなくしっくり来る気がする。
「お前の名前、小姫ってどうだ?」
「にぁ」
気に入ったのか、仔猫は満足そうに鳴いた。
「よし。気に入ったか。よかったな」
頭を撫でてやる。小姫は気持ちよさそうに目を細めていたが、不意に立ち上がると落ち着きなくうろうろし始めた。
「ん? どうした?」
「にぁ」
前足で砂を掘る仕草を始める。
「ああ、トイレか」
「にぁ」
いそいで小ぶりなダンボールを組み立て、ちぎった新聞紙を放り込む。
「ほら、ここがトイレだ」
小姫を拾い上げて入れてやる。小姫はしばらく匂いを嗅いだりうろうろしたりしていたが、俺の視線を感じたのだろう。
「フーッ!」
「わかったわかった、向こう向いてるよ」
お姫様はプライドが高いらしい。しばらくして、
「にぁ」
終わったのだろう、小姫は一声鳴いて自分で丈の低いダンボールから出てきた。
「んじゃま、すっきりしたところで、今日は寝るか」
そうこうしてるうちに結構いい時間だ。何時までも起きてても電気代が勿体無いしな。小姫を寝床のダンボールに入れてやって、俺は布団を敷いた。
「にぁ」
小姫が鳴く。見ると、ダンボールのふちに前足をかけて、こちらを見ていた。
「ん? どうした?」
「にぁ」
ダンボールの外側を、前足でたしたしと叩く。
「出たいのか?」
「にぁ」
どうやらそうらしい。小姫を抱え上げる。外に下ろしてやると、小姫はまっすぐに俺の布団に潜り込んだ。
「なんだ、一緒に寝たいのか?」
「にぁ」
明かりを消して、俺も布団に潜り込む。
「俺は寝相が悪いからな。潰されないように気をつけろよ?」
「にぁ」
小姫が擦り寄ってくる。暖房もない部屋だからな。小姫だけがたった一つの温もりだ。
誰かと一緒に寝るなんて、あの夜以来か。
ふと切なくなって、俺は小姫をぎゅっと抱きしめた。
「にぁ」
小姫が苦しそうに鳴いた。それでも抵抗はしない。小姫の前足が俺の二の腕あたりを叩く感触を快く思いながら、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。
何か、やわらかいものが頬を叩く。俺はゆっくりと目を開けた。
「にぁ」
先に目覚めていたのだろう、小姫が前足で俺の顔をたしたしと叩いている。
「ん、どうした?」
「にぁ」
「ああ、腹減ったのか」
「にぁ」
とは言っても牛乳はもうない。まぁ、このくらいならもう乳離れはしてるだろうから、米をちと軟らかめに炊けば十分だろう。
「ちっと待ってくれ」
起き上がり、米を研いで拾ってきた炊飯器で炊く。その間、小姫はまだ敷いたままの布団の上でごろごろと転げまわっていた。誰かのために食事を作るなんて、もしかしたら小学生の頃以来かもしれねぇ。
そういや、あの頃飼ってた猫、何歳まで生きてたっけかな。俺が家に寄り付かなくなった頃までは生きてた気がする。
「ほらよ」
出来た食事を小姫に差し出す。
「・・・にぁ」
目の前に置かれた鰹節の猫まんまを前に、小姫が何か言いたそうに鳴いた。
「不満なら喰うな」
なんてったって、目の前で俺も同じモン喰ってんだ。文句は言わせねぇ。
小姫は仕方なさそうに一口二口、口にしたが、
「にぁ」
「なんだ、いらねぇのか?」
「にぁ」
前足で畳をたしたしと叩く。
「醤油がほしいのか?」
「にぁ」
「動物は塩分控えめなほうが良いんだぞ?」
「・・・にぁ」
「仕方ねぇなぁ」
小姫の猫まんまに醤油をたらしてやる。
「にぁ」
それで満足したのだろう、小姫は軽く鳴いてから食事を始めた。
「やれやれ」
本当に手のかかるお姫様だ。
食事を終わったところで傷の様子を見る。擦り傷もかさぶたになっているし、どうやら痛みもほとんどなくなっているようだ。
「ま、大丈夫だろう。あんまり無理はしちゃいけねぇけどな」
「にぁ」
小姫が感謝するように鳴いた。もう立ち上がってもそれほど違和感はないらしい。元気そうに部屋をうろついている。
「気ぃつけろよ。まだ完全に治ったって訳じゃねぇんだからな」
「にぁ」
とは言え、もう心配はいらないだろう。小姫を置いて出かけても問題なさそうだな。
「じゃ、俺はでかけてくるぜ」
立ち上がると、俺は玄関のドアを開けた。
「にぁ」
するり、と俺の足元をすり抜けるようにして小姫がドアをくぐる。
「あっと、おい!」
小姫は驚く俺の方を振り返り、
「にぁ」
ありがとうというように一声鳴くと、元気そうにかけだした。
「・・・まぁ、一晩って約束だったしな」
とは言え、もう一晩くらいは怪我の回復を待った方が良かったのだが。
「ま、たくましくやってくだろうさ」
小姫なら大丈夫だろう。少しだけ寂しさを感じながら、俺は歩き出した。
「帰ったぜ」
つぶやくように良いながら部屋に入る。一晩だけとは言え、他の誰かがいた部屋にひとりで帰ってくるってのは寂しいもんだ。
とは言え、ただ単に今まで通りに戻っただけだ。どうせ、すぐに慣れるだろう。
「にぁ」
その俺の足元に、寝床に作っておいたダンボールから飛び出して小姫が寄ってきた。
「・・・小姫?」
「にぁ」
何事もなかったように、小姫は鳴いた。
「どうしたんだ、お前。ドア閉まってただろ?」
「にぁ」
鳴きながら、小姫は壁の方見る。穴を塞いでいたダンボールの端が捲れて、外が見えていた。
なるほど、あれは「さよなら」じゃなくて「いってきます」だった訳か。
「・・・やれやれ」
呆れながら、それでも俺は自分が何故だか喜んでいるのがわかっていた。
「にぁ」
そんなことはお構いなく、「お腹空いた」というように小姫が鳴いた。