第六話 ヤクザと幼女と未亡人
俺はアパートのドアの前で悩んでいた。
と言っても俺の部屋の前じゃねぇ。
ここは俺の隣の部屋。菜摘って名前の女が住んでいる部屋だ。
菜摘とは隣の部屋だけあって良くカチ会うんだが、いかにもヤクザって風貌の俺を怖がりもせずに挨拶してくれる。年は多分俺より幾つか上くらいで、確か幼稚園くらいの娘を連れてたはずだ。
旦那の姿は見えないから、どうやら未亡人らしい。
で、俺がなんで女の部屋の前なんかで悩んでいるのかというと……生きるためだ。
簡単に言うと、菜摘にホレた男から米と交換で菜摘の好みを調べてくれって頼まれたわけなんだが。
そんなこと自分で聞けよとも思うが、それじゃ米を貰えねぇ。
ま、持ちつ持たれつってヤツだ。
は、いいんだが。
用も無く女の部屋に入るのは流石に躊躇する。
それに隣の部屋の住人とはいえ、知らない男をいきなり部屋に上げるとは思えねぇ。
とか考えていると、いきなりドアが開きやがった。一瞬驚くが、よく考えてみりゃ俺はお隣さんだ。出かけにたまたまかち合うなんてことは珍しくねぇだろう。実際、今までだってそうだったしな。それで世間話から自然にそう言う話に持っていけば、別に不自然なことはねぇ。
そう心を決めて、できるだけ怪しくならないように気をつけながら、菜摘が出てくるのを待つ。が、なかなか出て来ねぇ。
「いらっしゃい。待っていたわ」
驚いて声のほうを見る。なるほど、見えねぇはずだ。ドアを開けたのは身長が俺の腰くらいまでしかない幼女。娘の奈波の方だ。黒を基調にしたワンピースを着て、背中にウサギのぬいぐるみの形のリュックを背負っている。その外見は年相応なのに、しゃべり方はどこか大人びている。
「どうぞ、上がって。銀二さん」
いや、いきなり上がれって言われてもな。躊躇する訳だが。
「大丈夫よ。別に取って喰ったりはしないから」
戸惑ってる俺の様子に気がついたのだろう、幼女が口元を隠しながら笑った。
本当に幼稚園児か、こいつ。
「奈波、お客様なの?」
戸惑っている間に部屋の中から女の声。菜摘だろう。ヤバい、今の俺は怪しすぎる。
「ええ、お隣の銀二さん」
別に奈波の客になった覚えはねぇが、そういう話にしなくてはいぶかしまれるだけだ。
「まぁ、いらっしゃい。何もないところですが、上がってくださいな」
出てきた菜摘がほわーんとした口調で言う。
状況が飲み込めずに戸惑う俺。特に怪しむでもなくにこにこ笑っている菜摘。口元を隠してなんだか怪しげに笑う奈波。
ここで出て行ったら怪しい奴で終わってしまう。
「・・・じゃ、まぁ、邪魔させてもらうかな」
とりあえず促されるままに上がりこみ、差し出されるままに座布団に座る。
「・・・粗茶ですが」
手つきは危なっかしいが、幼稚園児とは思えない調子で奈波がお茶を運んで来た。
「あー、まぁお構いなく」
状況に流されるまま、なんとなくお茶を飲む。美味かった。ま、今まで出がらしばっかり飲んでたってせいもあるんだろうが。
なぜか三人ちゃぶ台を囲んで、菜摘はにこにこ笑い、奈波は無言で、俺は茶を啜る。
ずず。
・・・あ、なんか落ち着く。
いや、隣同士だってだけの他人の家で落ち着いていちゃいけねぇのはわかってるんだが。
なんか情報を聞き出すとかいう状況じゃなくなっちまってる。どうしたもんかと思っていると、
「・・・時間」
奈波が急に口を開いた。
「時間?」
「仕事の時間」
「あ、」
菜摘が時計を見て声を上げた。
「そうね、もう仕事に行く時間だわ」
マジか。何をしに来たのかわからねぇ。もっとも、このどうしようもねぇ状況をなんとか出来るってならかえって助かったのかも知れねぇが。
「すみません、銀二さん。私これから出かけなければいけないんです。せっかく来ていただいたのに申し訳ないですが・・・」
「あ、いや俺も急に来ちまったからな。申し訳ねぇ」
これ幸いとばかりに立ち上がる。ここは仕切り直したほうがいいだろう。
先に部屋を出て、このまま行っちまうのも失礼な気がしてとりあえず見送ることにする。
「すみません、なんのおかまいもできませんで」
「いや、こっちこそすまなかったな」
菜摘が部屋に鍵をかけ、振り返る。
「それじゃ、奈波もいい子でお留守番しててね?」
いや、順番逆だろ。留守番の娘外に出して鍵かけてどうする。と突っ込もうとする俺より早く。
「大丈夫よ、今日は行くところがあるから」
「あら、どこに行くの?」
「お隣」
そう言う視線の先を追えば、紛う事なき俺の部屋。
「・・・はい?」
「まぁ。今日は幼稚園もお休みで、一人でお留守番させるのは不安だったんです。銀二さんが預かってくださるなら安心ですね」
いや、ほとんど初対面の相手をそこまで信用するのはどうかと思うが。
「・・・時間」
「あ、そうね。それでは銀二さん、すみませんがお願いします」
ぺこりと頭を下げると、菜摘は急ぎ足で駆けて行った。ぼんやりしてるようで有無を言わせねぇ押しの強さ。やっぱり母は強しって奴か。
「それじゃ、私たちも行きましょう」
・・・まぁ、どうしようもねぇよな、この場合。奈波に腕を引かれ、俺は自分の部屋へと向かった。
「・・・斬新ね」
部屋に入るなり奈波がつぶやいた。そりゃそうだろう。普通の部屋は壁の穴をダンボールで塞いだりはしていないはずだ。
「でも、嫌いじゃないわ、こういうの」
「・・・そりゃ良かった」
本当に幼稚園児か、こいつは。奈波は珍しげにダンボールをながめている。
しかし世間の風は冷てぇぜ。
いや、世間の風と言うよりは隙間風なんだが。さすがに拾ってきたダンボールだけでは、この壁の大穴は塞ぎきれない訳で。うるさい大家は睨んで黙らせたが、流石に修理まではさせられなかった。
「あんまり近づくなよ。頑丈じゃねぇからな。落ちでもしたら大変だ」
「イッカンの終わり、というやつね」
なにがおかしいのか、奈波は口元を隠して笑みを浮かべた。なんというか、読めない奴だ。
「んで、どうするか?」
自慢じゃねぇが、ここには子供が喜ぶようなものは何もない。というか、大人が喜ぶようなものもない。
「大丈夫、ちゃんとわかっているから。遊ぶものなら持ってきたわ」
・・・そりゃ気の利くことで。
奈波は背中からウサギのぬいぐるみの形のリュックを下ろした。腹のところにチャックがついていて、物を入れられるようになっている奴だ。
「はい、痛くありませんからね」
何やら物騒なことを言いながら、奈波はウサギの腹のチャックを下ろした。
「暴れちゃ駄目ですよ」
言いながら腹に手を突っ込み、ぐりぐりと掻き回す。奈波の手の動きが何気にリアルで、なんか物凄くヤバい。これで血でも出てりゃ立派なホラーだ。俺は慌てて視線を逸らした。
「はい、トランプ」
奈波の言葉に振り向く。どうやら開腹手術は終わったらしい。ウサギは奈波の背中で頭と耳をダランとたらしてぐったりしている。いや、部屋の中でリュックを背負う必要はないと思うんだが。
「ハンデに、銀二さんが得意なゲームを選んでいいわ」
危なげな手つきで奈波がトランプを切る。子供向けの小さい奴ではないので、奈波の手の大きさとの違いを考えれば無理もないのだが。
「よーし、言ったな。大人のすごさを見せてやるぜ」
とは言え、二人でできるトランプのゲームなどそう多くはねぇ。とりあえず無難なところで神経衰弱をはじめることにする。記憶力に自信はねぇが、いくらなんでも幼稚園児に負ける訳はねぇ。
「先に始めていいぜ」
しかも、先を譲ると見せかけて、不利な先手を取らせる。これで万全。汚ねぇようだが、これも勝負の駆け引きって奴よ。
「後悔するかもね?」
口元を隠して笑みを浮かべる。なんか嫌な予感がしたが、いまさら言ったことは変えられねぇ。
奈波がカードを二枚続けてめくる。スペードとクラブのA。
「な・・・」
菜摘は当然と言うように、いつもの笑みを浮かべていた。
「また私の番ね」
またもや悩む様子もなく二枚続けてめくる。今度はハートとダイヤのA。
「・・・マジ?」
「・・・大マジ」
こちらに一瞥くれると、奈波は続けてカードをめくった。スペードとクラブの2。
「・・・」
もう、なんとも言えねぇ。
「あの浪人に頼まれてきたんでしょ?」
「・・・あ?」
一瞬、マジで意味がわからなかった。そういやそうだったっけか。
「なんでそう思うよ」
とぼけてみる。無駄だと言う気が痛いくらいしたが。
「それはヒミツ」
「そうか。じゃあこっちも秘密だ」
などと言っている間に、奈波は4までのカードを全てめくり終わっていた。
「そうね、このまま終わりではつまらないものね」
そう言いながら奈波は次のカードをめくった。スペードの5と6。
いかにもわざとだった。
「おう、その余裕、後悔することになるぜ」
「楽しみにしてるわ」
奈波は口元を隠して笑みを浮かべた。
「うあー、駄目だぁー」
俺はお手上げとばかりに両手を挙げて、そのまま後ろに倒れこんだ。
「あら、もうおしまいかしら」
「・・・もう鼻血もでねぇ」
あれから手を換え品を換え、ゲームを換えして奈波に挑んだが、全て惨敗。ガンつけだろうとアタリをつけてよく観察したが、全くタネがわからねぇ。
どちらかといえば、遊んで貰ったのはこっちの方だった。こいつは一流の売人に違いねぇ。いっそ心地良い位だ。
「いやぁ、まいったまいった。こりゃかなわねぇや」
なんとなく楽しくなって、奈波の方を見ながら笑った。奈波もいつも通りの笑みを浮かべていた。が、なんとなく本当に楽しそうに見えたのは俺の気のせいだったのかもしれねぇ。
「お礼に、教えてあげる。ママの理想の男性」
・・・あー、そういやそんな話もあったっけか。冗談抜きにマジで忘れてた
「とりあえず、頼りがいのある人ね。生活に余裕がある訳じゃないから」
そりゃそうだ。まずは経済力だよな。子供もいるんだからよ。
「でも、一番大事なのは、私が気に入った人ね」
奈波はふっと笑みを浮かべた。
「何よりも娘を優先する人だから。私が嫌と言えば、自分がどんなに好きでもあきらめるわ」
その笑みは、なんだか喜んでいるような心配しているような、子供にはふさわしくない複雑なものに見えた。
「良い母親なんだな」
お世辞でもなんでもなくそう思った。
「そうね。でも誰だって母親である前に女なのよ?」
なにか微妙な言い回し。しかもそれが様になっている。まいった。
「さ、そろそろ帰らないと」
そう言って、奈波は立ち上がった。
「帰るったって、部屋の鍵は持ってるのか?」
それに不本意とは言え預かった以上、一人の家に帰す訳にも行かない。
「大丈夫よ」
その言葉を待っていたかのように、チャイムが鳴る。
「お迎えが来たから」
あまりのそのタイミングのよさに驚く。奈波が玄関へと向かうのについて歩く。
「おかえりなさい」
ドアを開け、口調はともかく年齢にふさわしい表情で奈波は母親を迎えていた。
そういえば最初に会った時、俺の名前知ってたのはともかくとして、待ってたって言ってたよな。
・・・偶然、だよな。たまたまドアを開けたところに俺がいて、調子を合わせただけだろう。
「本当にそう思うのかしら?」
びくっとしてそちらに視線をやる。奈波がいつもの様子で口元を隠して笑みをうかべていた。
「まぁ、私はお邪魔になるでしょうから、先に行くわ。今日は楽しかったわ。またね、銀二さん」
意味ありげに言い置いて、奈波は部屋を出て行く。
「銀二さん、今日はどうもありがとうございました。・・・あの、どうかしました?」
入れ違いに入ってきた菜摘が不思議そうな声で聞いてきた。
「いや、奈波なんだが・・・」
「奈波がどうかしました?」
「・・・いや、何でもない」
どう言っていいものか困って、そうごまかした。いや、実際自分でも何が何だかわからねぇってのが本心なんだが。
「あの、これつまらないものですが。今日のお礼の代わりです」
そう言いながら、菜摘は料理の入った鉢を差し出した。
里芋の煮っ転がし。
「・・・ああ、ありがとうよ」
「あ、今誰か女の人のこと、考えてましたね?」
菜摘がほわんとした笑みを浮かべる。
「恋人さんですか? なんだか、遠い目をしてましたよ?」
鈍そうに見えて、急に鋭くなりやがる。やっぱり女ってのはそう言うモンなんだな。
「ああ、そうだな。恋人だったって言っても良いかも知れねぇな」
口には出さない、いや出せなかったが、多分二人ともそう思っていたはずだ。
「・・・あの、もしかして、その人って・・・」
俺の言葉からおおよその事情を察したのだろう、菜摘が言いよどむ。
「ん? ああ、気にしねぇでくれ。思い出したくねぇ事だって訳でもねぇしな」
ろくでもねぇ俺の人生の中で、唯一と言っていい安らいだ時間だ。思い出と言うには近すぎるが、時々は思い出してやらねぇと可哀想だしな。
「お気持ち、わかります。・・・私も、主人を亡くしていますから」
まっすぐこちらを・・・と言うよりも前を見据えて、菜摘が言う。
そうか。当たり前過ぎて忘れていたが、未亡人ってのはそういう事だ。
「ああ、そうか」
「はい?」
「いや、朝、茶ぁ飲んでた時になんか落ち着くなと思ってたんだ。あいつ、あんたに雰囲気がよく似てたよ」
のんびりとした、美人と言うよりは可愛いという感じ。鈍そうに見えて、急に鋭くなるところ。里芋の煮っ転がしが得意だと言う素朴なところ。
俺はポケットから煙草を取り出した。
あの日から、なんとなく一度も吸っていない。
それに火をつけ、深く吸い込んでから夕日に向かって煙を吐く。
その間、菜摘は何も言わずに、隣でただ夕日を眺めていた。