第五話 ヤクザと夢と日本酒
疲れ果てた体を引きずって家路を急ぐ。
あたりはすでに黄昏時。早いところ部屋に帰って眠りたい。肌に冷たいせんべい布団がいまはただ懐かしい。
通り抜ける商店街は閑散としている。元日から開いている店はほとんどない。
その少ない一軒の店先に、なにやらポスターが貼ってある。いかにも目出度い七福神の絵柄に、不運で一杯の俺はふらふらと引き寄せられて行った。
「一月二日は初夢・・・?」
そういえば、一日に眠って、二日に目覚めた時の夢が初夢らしい。貼ってあるポスターは、良い夢が見られるように枕の下に入れる縁起のいい絵の宣伝のようだ。こんなもん売ってる店がまだあったのか。
くだらねぇ、とも思ったが、正直藁にもすがりたい気分は今も同じ、まして元旦からあの騒ぎだったのだ。さらに初夢までひどかったりしたら、マジで丸一年落ち込み続けることになりかねねぇ。
とはいえ、わざわざ夢のためだけに絵を一枚、それも不確実だってのに金払ってまで買えねぇ。どうしようか、と悩んだところではたと思い出した。
そういえば、去年使ってたカレンダーの一月の絵柄が七福神だった気がする。あれならまだ部屋に貼ってあるし、めくるタイプのカレンダーだったから一月の絵柄もまだ残ってるはずだ。あれを枕の下に入れとけば、いくらかゲンかつぎにくらいはなるだろう。
現金なもので、そう思うだけでもう良い夢が見られる気がする。そうそう、そろそろ運気が上向いても良い時分だよな。信頼はできかねるが、キチンと神社でお払いまでして貰ったんだしよ。
それなら善は急げだ。さっさと帰ってもう寝よう。なんてったって疲れてるしな。
幾分軽くなった足取りで部屋へと向かう。
俺の部屋は台所だけついた小汚い六畳間だ。頼子の住んでいた部屋と大差ない、というか俺の部屋のほうが貧乏くさいだろう。
すっかり錆だらけの階段を登り、部屋のある二階へ。今はもう眠りたくて仕方がねぇ。
ドアを開ける。
「お願いです! なんでもしますから助けてください!」
俺は不意に部屋の中から飛び出てきた『何か』に吹き飛ばされ、支えきれずにその場に転がった。
なんだ、何が起こった?
見れば中学生くらいのちびっ子、しかもなんかレザーのボンテージってのか? 微妙にきわどい格好、しかもつるんぺたんなので全く似合っていないのがかえってヤバイ感じ。更にはご丁寧に頭に角、背中にちっこいコウモリみたいな羽までつけてやがる。
なんでこんなのが俺の部屋の中に?
「今日は朝まで頑張って貰わないといけないんです!」
しかも、なんかヤバ気な台詞を大声で。
あわてて周りを見回す。隣の部屋の扉が開いていて、そこの住人がなんか見ちゃいけないモンでも見ちまったって目でこっちを見てやがる。
たしかに、見た目中学生か下手したらそれ以下くらいのガキにこんなコスプレさせて、あまつさえ
「今日は寝かせませーん!」
とか言わせてれば、俺だってああいう目で見るだろう。
とりあえず、こちらをのぞく視線にガンを飛ばす。途端にドアが閉まった。足を洗ったとはいってこれが本業だ。素人ならこれで十分。
とは言え、別に事態が好転した訳でもない。ちびっ子はまだ俺にすがりついたまま、
「お願いです、助けてください!」
「黙れ」
がん、と右手のへしゃげた洗面器で頭を殴る。
「きゅう」
音ばかりで痛くはないはずだが、それでもちびっ子はずるずると倒れこんだ。
とりあえず落ち着いた、と思ったところで視線を感じて隣の部屋にガンを飛ばす。慌ててドアが閉まる。
しかたがない、このまま放置も出来ねぇ。俺はちびっ子の襟首をつかんでずるずると部屋の中に引きずっていった。
「で、なんなんだお前は」
とりあえず電気のついていないコタツに座らせて、出がらしの茶を出してやる。一度使った茶葉を、天日で乾燥させたのを使った奴だ。
「あの、・・・笑わないで聞いてくださいね? 実は私、夢魔なんです」
「あー、夢魔ね、なるほど」
確かに見た目からして『魔』の字がつかなきゃ嘘だろって感じの格好ではある。
「本当なんですー、信じてくださいよう」
その返事を馬鹿にした態度だと思ったんだろう、夢魔だと名乗ったちびっ子は明らかに拗ねた様子だった。
「別に信じてねぇ訳じゃねぇよ。最近そういうの慣れちまったしな」
慣れたくて慣れたわけではないんだが。
「んで、その夢魔がなんで俺の部屋にいた訳なんだ?」
「はい、実は私、まだ見習いでして、今日卒業試験なんです」
確かに見た目からして見習いオーラびしばしだ。というか、むしろ卒業試験受けられるということの方が驚きだ。
「その試験の内容が『銀二さんに幸せな夢を見せる』というものなんです」
「なるほど、それで俺の部屋にいた訳だ」
変なモノに縁のある今の状況ならそういうのもありなのかもしれない。というか、良い夢を見させてくれるっていうのなら大歓迎だ。
「でもそんなの無理ですよぅ! だって銀二さんの不幸メーター振り切れちゃってるんですよ? 今日お払い受けて多少運気も上昇したみたいですけど、まだ針が動かない状況なんです。幸せな夢を見る程度の幸運もありませんし、そもそも夢っていうのは自分の願望とか、体験したこととか、そういう精神的なものに影響されるんです。銀二さん、今ご自分が幸せになってるところ、想像出来ますか?」
う、と言葉に詰まる。幸せな自分。想像出来ねぇ。って言うか今まで幸せだった事なんてねぇから何が幸せかよくわからねぇし、もし幸せになったとしても次の瞬間にはもっとすげぇ不幸が押し寄せてくるような気がしてならねぇ。
「だからお願いです、今日は寝ないでください。人助けだと思って、ね、ね?」
身長差のせいもあるが、上目遣いに懇願してくる。
「でもお前『人』じゃねぇし」
「ああぅ、そんな揚げ足を取るような事を・・・じゃあ夢魔助けだと思ってください。徳をつめば運気も上昇しますし、情けは他人のためならずって言うじゃないですか」
「そもそも俺が夢を見なきゃ、合格できねぇんじゃねぇか?」
「いえ、試験の対象人物が寝ない場合は再試が受けられるんです。それでも合格出来るとは限りませんけど、相手が銀二さんよりはずっとましです」
あ、ちょっとだけ傷ついたかもしれねぇ。
「・・・俺って、そんなに不幸なのか?」
「はい。今まで二十年生きてきましたが、その中でダントツです。他の追随を許しません。あと百年は記録を破られないだろうと予想します」
「そうかそこまで・・・って、お前二十歳なのか?」
「なっ、だ、駄目ですよ、乙女の年齢なんか聞いちゃ! っていうかいつの間に私の年齢を? あなたエスパー○藤ですか!?」
「いや、エ○パー伊藤は年齢当てねぇし、そもそもお前自分で言ってるし」
「でも夢魔仲間のうちではまだ若いんですよ? 夢魔の中には六百歳の人だって平気でいるんですよ? それに比べればまだぴちぴちですよ? お肌だってつるつるなんですよ?」
肌がつるつるというか、むしろ子供の肌なんだろう。まぁ本人を前にそんなことを言ったりはしないが。
「でも、まぁ初夢から夢見が悪いのは嫌だとは思ってたしな。人・・・夢魔助けはついでだと思えば、まぁ別に損する訳でもねぇし」
「では、助けて下さるのですね? ああ、ありがとうございます! 人は見かけによらないって本当なんですね! 鬼の目にも涙って言いますしね!」
「人のことを血も涙もねぇみたいに言うな」
がん。洗面器で殴る。
「きゅう」
「さて、職業柄夜のほうが強いし徹夜も慣れてるが、どうやって暇つぶすか・・・」
貧乏ゆえに、この部屋には娯楽になるようなものは全く無い。唯一拾って来たテレビがあるが、正直電気代も惜しい状況だ。
「あの、でしたら私、お話相手になります。私からお願いした訳ですし、銀二さんが眠りそうになったら起こして差し上げられますし」
少し考える。面白い話が聞けるとも思えないし、本人は二十歳過ぎていると言っているとはいえ、見た目がこんなちびっ子と差し向かいで一晩と言うのも色気がないが、他に何かある訳でもない。
「そうだな。じゃぁよろしく頼むかな」
「はい、任せてください」
そう言って無い胸を張った。
「じゃ、まぁ話だけってのもなんだからな」
正直話だけで場が持つとも思えなかったので、台所の隅から取って置きのものを出すことにした。
「なんですか、それ?」
「大吟醸『姫初』。日本酒だ」
取り出した一升瓶を高らかに掲げる。当然俺が大吟醸酒なんて買える訳が無い。昔、組の事務所からくすねといた奴だ。
テレビの電気代をケチっといて大吟醸酒なんて本末転倒かもしれねぇが、どうせ酒は飲むもんだ。だったら、一人で寂しくやるよりは、こんなちびっ子でも話し相手がいるときに飲んだほうが美味いだろう。
「わぁ、私お酒って飲んだこと無いんですよ。私もいただいていいですか?」
一瞬こんなちびっ子に酒なんか飲ませていいのか? とも思ったが、よく考えて見たらこいつは二十歳越えているんだ。問題ない。
「よし、一人でやるのもナンだしな。お前もやれや」
台所に戻り、コップをもうひとつ持って来て手渡してやり、そこに酒を並々とついでやった。
酒はちびちびはいけねぇ。雰囲気も呑むもんだからな。贅沢についで、豪快に呑む。これに限る。
俺が注ぎ終わると、自然な仕草で俺のコップにも注いでくれる。気が利くのか、以前から酒に興味があったのか。
今の表情を見るに、後者だろうって気がする。
「んじゃ、乾杯」
「乾杯です」
お互い、コップの中身はこぼれるほどに一杯だったので、軽く掲げるだけにする。
そのまますぐに口をつける。
「うわぁ・・・これ、おいしーですねぇ」
感心した顔でため息を漏らした。
「なんか、すごく深みがあって、かすかに甘みがあって、それを引き立てるくらいの苦味と渋みがあって、すごく複雑で、艶っぽい味?っていうんですか・・・あ、でも後味はすうっとさわやかな感じです」
「おお、初めてでそこまでわかるのはたいしたもんだ」
これだけ喜んで貰えれば、とっときを飲ませてやった甲斐があるってもんだ。あっという間に空になったコップに酒をついでやる。やっぱり酒だって、味のわかる奴に飲んで貰いたいだろう。
「わぁ、ありがとうございます」
上機嫌でそれにも口をつけた。こんなうまそうに飲む奴と差し向かいってのは、悪い気分じゃねぇな。
今日は良い酒になりそうだ。
「ですからねぇ、わたし言ってあげたんですよぉ。『あなたの血は何色ですかぁ』ってぇ」
そろそろ呂律が回らなくなっていたが、意外にもこいつの話は面白かった。酒が入って饒舌になっていたってのももちろんあるだろうが、夢魔の世界のことなんて始めて聞くし、大げさな身振り手振りも見てて楽しい。
「そしたらぁ、『紫ですが、何か?』とか言うんですよぉ。あー、なるほどぉって思っちゃいました」
そうか、紫なのか。人間じゃないんだから不思議じゃないが。
そろそろ俺も酒が回り始めていたので、ペースを落として今はなめる程度に飲んでいた。 もうこいつにもやめさせたほうが良いかもしれない。っつーか、もう一升瓶は空になっているんだが。
「しかし、お前ほんとに人間くさいのな」
むしろ人間にしか見えない。夢魔ってのもみんなこうなのか。
「なーに言ってるんれすかぁ、わらしは人間じゃらいれすよぉ」
「いや、んなこた言ってないし」
ちと飲ませすぎたかも知れねぇ。そろそろ止めとくべきだろうな。
「いいえぇ、わかってません。そこまで言うなら見せて差し上げますぅ」
ふらふらと立ち上がる夢魔の周りに、何か異様な力が集まりだす。なにかヤバい、と直感して俺も立ち上がる、が。
「せーのぉ」
振りかざした両手から何か光のようなものが飛び出し、俺の脇の壁にぶち当たった瞬間爆発。飛んで来た破片が俺の後頭部を直撃。
ああ、神様、俺が何かしましたか?
問いかけながら、俺は静かに意識を失っていった。
ふと、目を覚ます。
どうやら俺はしっかりと布団に入って寝ていたらしい。部屋は真っ暗で、まだ夜明けまでは間がありそうだ。
昨日、どうやって布団に入ったんだっけ・・・と考えたところであの惨状を思い出した。慌てて壁を確認する。
なんともなっていなかった。開いていたはずの大穴はなくなり、そこはちゃんと壁がたっていた。
「・・・なんだ、夢かよ」
ため息をつく。最悪の夢だ。
しかし、夢でよかった。実際にあんなことになってみろ、修理代だってねぇし、たまったもんじゃねぇ。
あれが初夢ってのもいたたまれねぇが、逆に考えれば先に夢であんなひでぇ体験をしたんだ、むしろ厄払いになっていいのかもしれねぇ。
「そうそう、何事もないのが一番だよな」
ほっと胸をなでおろす。
安心したら眠くなってきた。当然かもしれねぇ。時計が無いから正確な時間はわからねぇが、この暗さじゃ何時間も寝てた訳じゃねぇだろう。
「もう一眠りするか。初夢の見直しも出来るかもしれねぇしな」
そもそも、こんな時間に起きてもする事はない。
「んじゃま、おやすみ」
ずれていた布団を被り直し、俺はもう一度眠りについた。
今度こそ良い夢をみられますように・・・
「・・・さん、・・二さん」
なにやら声が聞こえる。起こしてくれる相手なんかいねぇはずだが。
「銀二さん、起きて下さい」
寝ぼけたまま、目だけ開く。なにやら変な格好のちびっ子がいるような気がする。
「あ、銀二さん、聞いてくださいよ!」
俺の事は無視で、なにやら上機嫌で話している。が、俺は眠くて仕方がねぇ。
「私もさっき目が覚めたばかりなんですけど、起きたら銀二さんも寝ちゃってるじゃないですか。私もう駄目だぁって思って、教官のところに連絡取ってみたんです」
なんか妙に寒い。しかし、それ以上に眠い。
「そうしたら、なんと私合格だったんです!」
そーか、それはよかったなぁ・・・。何が良いのか良くわからんが。
「何がなんだかぜんぜんわからないんですけど、これもみんな銀二さんのおかげです! 本当にありがとうございました」
ぺこり、と下げた頭がモロに鳩尾を直撃する。
「げふぅ」
「ああっ、ごめんなさい!」
あまりの痛みに目が覚めた。そのまま悶える。
「それで、私早速手続きしなくちゃなんで、もう行かなくちゃいけないんです。絶対に受からないって思ってましたから、私本当に嬉しくて・・・本当にありがとうございました」
もう一度、今度はぶつからないように気をつけて頭を下げる。
「それじゃ、お元気で」
ようやく悶絶から回復した俺は、起き上がってそちらの方を向いた。青い空に向かって飛んでいく後姿。それをさえぎるものは何も無く、昨日まであったはずの部屋の壁さえなく。
「合格・・・?」
合格するには、確か俺が良い夢を見る必要があって。
「良い、夢・・・?」
確かに、何もないのが一番だと思ったさ。でもよ。
「そうかぁ、今年の初夢は良い夢だったのかぁ・・・」
壁に開いた大穴をながめながら、俺はひたすら祈っていた。
ああ、神様。もしもあなたが本当にいるのでしたら、
「・・・くたばっちまえ、こんチクショウ」