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第三話 ヤクザと煙草と除夜の鐘

 腹が、減った・・・

 金がねぇってのは情けないもんだ。比喩でも何でもねぇ、喰うにも困る生活。正確に言えば金はある。が、たいした蓄えはねぇし、それだけでこれからどれくらいやってかなきゃいけねぇのかわからねぇ。何と言っても折角見つけた警備員のバイトを、たった一日で首になっちまったのが痛すぎる。そもそもバイト代貰ってねぇぞ。まぁ、修理代を請求されなかっただけましってもんだが。

 それにしても腹が減った。一日一食、それも大概カップ麺ひとつってのはいくらなんでも正気の沙汰とは思えねぇ。誰が決めやがったんだ、こんなこと。いや俺なんだが。

 せめて一日二食にしよう、と考えながら歩いている時。ふと、辺りの景色に見覚えがあることに気付いた。うちの組のシマだったあたりだ。どうやら無意識のうちに、歩き慣れた道を来ていたらしい。

 いけねぇいけねぇ、俺はきっぱりと足を洗ったんだ。こんなとこうろついてるのは決心を鈍らせることになる。その場から離れようと、俺は逆の方に向かって歩き出そうとした。

「あ、銀ちゃんだー」

 俺を呼ぶ声が聞こえる。聞き慣れた声に振り返る。

「よお、頼子じゃねぇか。随分久しぶりな気がするな」

 頼子はうちの組が経営する風俗で働くソープ嬢だ。のんびりとした、美人と言うよりは可愛いという感じ。だが生き馬の目を抜くこの業界、のんびりした頼子ではまともにはやっていけない。そのせいと、頼子の勤める店が俺が巡回するルートに入っていることもあって、昔からよく面倒を見てやっていたのだが。

「銀ちゃんが来てくれないからじゃない。お仕事いそがしいの?」

「別にいそがしかねぇけどよ、金がねぇんだよ」

 無職だから、とは流石に恥ずかしくて言えねぇ。

「顔色も悪いみたいだけど、もしかして、また何も食べてないの?」

「そんなこたぁねぇ。昨日カップうどんを喰ったばっかりだ」

「昨日って・・・もう夜なのに」

「ああ、だからそろそろ夕食だ。せめて今日は大盛りにしようと思ってな」

 我ながら情けねぇが、事実だからしょうがねぇ。悪いのはみんなあの女の像だ。

「もう、しょうがないんだから。じゃ、うちで食べて行く?」

 それはもう願ったり敵ったりだが。

「でも、いいのか? お前だって借金があって大変なんだろうが」

 頼子は今時めずらしい『借金の形に取られた』風俗嬢だ。とはいっても当然監禁されたりはしていないが、基本的に監視されているし、給料の殆どを借金の返済で天引きされるから生活はぎりぎりのはずだ。

「なに言ってるのー、いつもの事じゃない。それに、銀ちゃん一番のお得意さまなんだから、サービスしとかないと」

 まぁ、そう言うことだ。俺みたいな安月給でソープ通いなどすれば、蓄えなど出来るはずがない。それでその当のソープ嬢に飯喰わせて貰ってるってのも変な話だが。

「でも、いいのか?」

「うん。それに、銀ちゃんが来てくれると嬉しいし」

「ん、じゃあゴチになるかな」

 頼子について歩く。頼子の部屋は勤めている店の近くにある。組からあてがわれた部屋で、当然監視しやすくするためだ。ボロくて狭い部屋だが、一応台所は付いてる。風呂はない。仕事で一日中入ってるからな。後に続いて遠慮なく上がり込む。

「じゃ、適当にくつろいでてねー」

「おう」

 勝手知ったる他人の家。頼子もわかっているので特に構ったりはしない。その方がこっちもくつろげるしな。テレビの上から灰皿を取り出し火を付ける。頼子は吸わないので、多分俺専用。頼子が他の男を部屋に入れたりしていなければだが。煙を一杯に吸い込んで、それからおもむろにテレビをつける。適当な番組にして、見るとはなしに見てると、台所の方から歌声が聞こえて来た。声質はいいのだが、何とも調子外れの歌。音痴なんだからやめろと常々言っているのだが、止める気配もない。ま、俺以外迷惑する奴もいないんだろうから良いんだが。

「はーい、出来たよー」

 頼子が料理を乗せた盆を持ってくる。

「えっと、今日はねー、じゃがいもだけのコロッケと里芋の煮っ転がし、ほうれん草のおひたしに、アサリのおみそ汁」

「お、俺の好物ばっかりじゃねぇか」

「うん、そろそろ来る頃だろうと思って、準備してたんだー」

 見抜かれているらしい。しばらく、もくもくと食べる。頼子は意外と料理が上手い。里芋の煮っ転がしなんて、作れる奴の方が少ないはずなのに、味付けも完璧だ。

「でも銀ちゃん、ヤクザ屋さんなのにこういう物が好きってなんか変だよね」

「そうか? まぁ、俺は出が田舎だからな」

 決して裕福な方でもなかったしな。本物のサンタに頼らなければ、子供にプレゼントも出来なかったくらいだ。頼子は飯をかっこむ俺を眺めながら、何故か嬉しそうにしている。

「そんななのに、なんでヤクザ屋さんなんかになっちゃったんだろうねぇ」

「・・・色々、あってな。それに、もう足洗ったしな」

「ええっ、なんで? 大変だったんじゃないの? ほら、前に抜けようとした人がドラム缶で東京湾だって。苦労したでしょ? 怪我とか、してないの?」

 頼子が驚く。そりゃそうだ。簡単に抜けたり出来ないのは良く知ってるはずだし、あの騒ぎだって知らないはずだ。

「大変だったよ、そりゃあな。でも、苦労・・・はしてないな」

 俺は巻き込まれただけだったからな。でも、その分くらいは大変な思いをした訳だが。元はと言えば、クリスが俺を助けようとしたことから始まったわけだから、あまり他人事とも言えない。

 ・・・あれ?

 そう言えば、何故あんな騒ぎになったんだ?

「ま、そんなことどうでもいいか。銀ちゃん無事だったんだし」

 そう言って笑う。そんなだからソープ嬢としても苦労してんだろうが。だが、そんなことは言わない。こいつのこういうところ、実はかなり気に入っているのだ。

「あ、でもそうすると、これから銀ちゃん見回りに来てくれなくなっちゃうよね。それは残念だな」

「あのな、そもそもそんな心配いらねぇだろうが。だいたい・・・」

 ・・・あれ?

 俺、今何を言おうとしたんだっけか?

「あ、でも大丈夫か。銀ちゃん無職だったら、こうしてご飯食べに来てくれる事、増えるもんね」

「あのな、俺が客で行かなかったら、お前やってけんのかよ」

 俺の知っている限り、頼子を指名する客は多くない。間違いなく、頼子の身体を一番良く知っているのは俺だという自負がある。

「大丈夫だよ。私、もっと頑張るから。銀ちゃんひとりくらい、食べさせてけるよ」

 ・・・まぁ、嬉しいっちゃあ嬉しいんだが。女にこんな事言わせるってのも情けなくっていけねぇ。とはいえ、今ここで飯喰ってる事は間違いない。俺は黙って味噌汁を啜った。

「ところで、ねぇ銀ちゃん」

 口に味噌汁が入っているので、俺は目線だけ上げて頼子を見た。

「今日、ヤってく?」


 夜。ごそごそという気配で目が覚める。が、眠くて仕方ない。此処しばらくの気苦労と二度に渡る生命の危機、やっとありつけた人間らしい・・・と言うよりもこの上なく美味い食事で、身体が完全に休むモードに入っているのだろう。まどろむ意識の中で、隣に寝ていた頼子が起き出したんだな、などと考えるのが精一杯だった。

 衣擦れの音。起き出した頼子は服を着ているらしい。寒くなったか。そりゃそうだ。ふたり寄り添って寝てるとはいえ、真冬に暖房もない部屋で裸で寝ていれば寒いに決まってる。俺は別に気にしないが。

 寝ている俺に、頼子が近付いてくる気配。ベッドの脇に膝を落とし、俺の顔に顔を近づけてくる。なんか用があるなら起こすだろう。俺はそのまま寝る。

「短い間だったけど、楽しかったよ」

 何だか、変なことを言う。その言葉の響きに目を開こうとした時。

「さよなら、銀ちゃん」

 頼子が立ち上がる気配。

 いけない、と言う切実な感覚。このまま放って置いては、何故かすごくいけない。が、目が開かない。身体が動かない。それを、無理に動かす。

「頼子」

 背中を向けていた頼子が、びくっと肩をすくめる。

「銀ちゃん・・・起きれたんだ」

「頼子・・・さよならって、なんだ」

 誤魔化すように笑う頼子を無視して、そう問いかける。まともに動かない体を無理に起こす。

「ほんとは、わかってるよね。わからないように、して貰ってるだけで」

「何を、言ってる・・・?」

いや、頼子の言うとおり、多分、本当は自分でもわかっているのだ。それでいて、まるで道で知っている人にあったのに名前が出てこないでいるのと同じ状態。

「もう、時間なの。約束したから。行かなくちゃ。銀ちゃんと、お別れしなくちゃいけないの」

 頼子が、寂しそうに笑う。それにますます厭な予感。

「だって、私、もう死んじゃってるから」

 頼子の顔を、見つめる。確かに、頼子は笑っていた。そんな、大事なことを言うのに。そんな、大変なことを言うのに。

「私、あの時嬉しかったの。銀ちゃん、私を見つけたのに、みんなに嘘付いてくれたでしょ?」

 あの時は、探しているのが頼子だとは知らなかった。見つけた時、どれだけ驚いたことか。

「私が、『売られる』の嫌がって、逃げだしたから」

 うちの組と取引のある相手が何故か頼子を気に入って、欲しいと言いだしたのだ。組としても、借金の返せる目処の立たない頼子をいつまでも抱えているよりは、良い値で買い取ってくれる上に、取引上も有利な相手に渡してしまう方が儲かると判断して。

「結局、見つかって、私殺されちゃったけど」

 相手の指示だったのか、組としてのメンツを守るためだったのか、今はわからない。しかし、逃げ出した頼子に出されたのは捕獲ではなくバラシだった。

「銀ちゃん巻き込んじゃって、ごめんね。銀ちゃんにだけは迷惑かけたくなかったんだけど・・・」

 頼子が殺された翌日、俺が頼子を逃がそうとしたことがばれたらしい。それで、俺は逃げ回っていた。その時に、あの騒ぎが起きたんだ。

「私が成仏できないで迷ってたらね、お迎えの天使様が来てくれたの。本当は直ぐに天国に行かなくちゃいけなかったらしいんだけど、その天使様が時間をくれて。『本心から成仏したホトケさんじゃねぇとカセギにならねぇんだよな』ってね」

 ・・・どこもそんな奴ばっかりか。

「だから、最後に銀ちゃんに会いたかったの。そうすれば、成仏できるから・・・」

 頼子が笑う。寂しげな、でも本当に満足したという笑顔で。

「頼子!」

 叫ぶ。今にも消えそうな頼子を、引き留めたい一心で。頼子がこちらを向いて、次の言葉を待つ。何を言いたかったのか自分でもわからずに、暫く黙り込む。

「なんで・・・逃げたんだ? 話を受ければ生活に困るような今の暮らしも終わりになるし、誰とも知れない相手に身体を売るような生活よりはひとり相手にするだけの方が良いだろ」

 本当は、そんな事を聞きたいんじゃないと思う。だが、とにかく何か言わなければ、本当に頼子は今にも消えてしまいそうだったから。

「確かに、銀ちゃんの言う通りかも知れない。でも、そうしたら・・・」

 頼子は、俯いて少し悩むような表情をする。が、ゆっくりと顔を上げた。

「だって、そうしたら、もう銀ちゃんとは会えなくなっちゃうもの」

 じっと、俺を見つめる視線。

 そんな事は、わかっていた。頼子が、俺をどう思っているのかなんて。

「だったら・・・」

 そんな頼子の顔が見られなくなって下を向く。それでも、言うまいと思っていた言葉が口をついて出てくる。多分、さっきの言葉を言った頼子と同じ気持ち。

「だったら、何で一緒に逃げてくれって言わなかったんだよ。助けてって、一緒にって、・・・いや、事前に一言でも言っていてくれれば、俺だって・・・!」

「駄目だよ」

 頼子が言う。はっと、顔を上げる。頼子の涙が見えていた。

「駄目。銀ちゃんを危険な目に合わせられなかったの。それに、・・・こんな汚れた女なんて、銀ちゃんに相応しくないから」

「頼子は汚れてなんてない。もし汚れてるってんだったら、俺のがずっと汚れてる。俺は人を殺したことだってあるんだ。お前なんかよりもずっと汚れてる。だから、俺はお前に何も言えないでいたんだ」

 拳を握りしめる。

「ううん。銀ちゃんは汚れてなんていないよ。こうなって見るとね、いろんな事、よく見えるの。銀ちゃんはとっても綺麗だよ」

 頼子の後ろの窓の外が、ゆっくりと明るくなっていく。それを受けるように、頼子の身体がだんだん、透き通っていく。

「もう、時間だね。私、もう行かなくっちゃ」

 決意を込めた顔。今までの頼子の表情の中で、一番良い表情だった。

「ね、銀ちゃん。天国も、天使様も、本当にいるんだよ。良いこといっぱいすれば、天国にいけるんだよ。だから、心配しないで。何とかのマリアって人も、売春婦だったけどキリストの弟子になって天国に行ったから、私でもちゃんと天国に行けるんだって。だから、心配しないで」

 頼子の姿はすっかりと霞み、もう殆ど見えない。でもその笑顔だけはしっかりと瞳に焼き付いていた。

「銀ちゃん。銀ちゃんは、銀ちゃんの人生を生きて。私は、これから天国で自分の人生を送るから。あれ? 死んでも人生って言うのかな? ね、どうなんだろ?」

 頼子の姿はすっかりと消え、もう、其処には何の形跡も残ってはいなかった。あたりは間取りは覚えがあっても、生活用品の全く無い、がらんとした部屋。昨日頼子の手料理を食べたこたつも、たばこを吸った灰皿も、何も無くなっていた。頼子がいなくなって、全てが処分された部屋。ここに、住んでいる者が誰もいないという証拠。

「あの馬鹿、最後の言葉が『どうなんだろ?』かよ・・・」

 苦笑する。全く、頼子らしい。床に転がっていた煙草を拾い上げ、火を付ける。深く吸い込み、ため息を吐くように深く吐き出す。白い煙が辺りを漂う。

 それをぼんやりと眺めながら、昔頼子が言った言葉を思い出していた。

『私、煙草の匂いって好きだな。銀ちゃんの匂いって感じがするもの』

 流れる涙をそのままに、俺はいつまでも煙草をふかし続けていた。

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