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第二話 ヤクザとラフと美術館

「と、まぁこんな順路で見回って貰って、最後にこの像の前まで来たら、巡回は終了だ。見回りの要点とかは憶えたかい?」

 この美術館の警備員になって、今年で二十年になると言うおっさんが言った。おっといけねぇ、これからは俺の上司だ。おっさん呼ばわりはねぇわな。

「ああ、大丈夫だ。まかせとけ」

 ここの警備のバイトは今日が初めてだ。堅気になると決めはしても、ヤクザほど潰しのきかねぇ職業はそうはねぇ。仕方なく、荒事つながりで警備員のバイトについたって訳だが。

「頼みにしているからね。この業界もリストラされた中高年ばかりになってしまって、高齢化が進む一方だ。君のような格闘技経験者は貴重なんだよ」

 格闘技経験者と言っても、学生時代にハクをつけようとちっとだけ空手を囓った程度なんだが。履歴書に三級と書こうとして間違えて三段と書いちまったてのは内緒だ。

「しかし、この美術館は、やたらでかい展示物がありやがるもんだな」

 目の前の像を見上げる。全裸の男の像で、大きさは人間大。だが1メートル以上ある台の上に立っているせいで、見上げるくらいでかい。のは良いのだが、そのせいで目の高さにナニが来ちまっている。それも芸術作品にありがちな皮かむり。女連れで来た日には二人して失笑間違いなし。制作者は笑いを取るために造ったに違いない。

「まぁそうだねぇ。同じ値段なら、大きい物の方が見栄えが良いし、少ない数で沢山あるように見せられるからねぇ」

 にこにこ笑いながら身も蓋もねぇことを言いやがる。

「しかし、この像・・・」

「ん、どうかしたか?」

 不審気な俺の様子に気付いたのか、おっさんが声をかけてきた。

「いやな、なんかこいつ、見たことあるような気がしてよ」

「そうか? まぁこの美術館のメインだからね。ポスターとかにもなってるから、そのせいだろう。ま、取り敢えず今晩からよろしく頼むよ」

「まあ、まかせとけや」

 こちとらチャカを目の前でぶっ放されたこともあるんだ。夜の美術館くらいなんてこたぁねぇさ。


 宿直室でテレビを見ているときに、ベルが鳴った。見回り時間の合図だ。

「ったりーな」

 さぼろうかとも思ったが、初日からそういう訳にもいかねぇし、それに心を入れ替えるって誓ったんだ。それをいきなり破る訳にもいかねぇ。帽子をかぶり、懐中電灯を手に取る。

 守衛室を出ると、辺りは全くの闇に閉ざされていた。外なら星明かりなんかでもう少しは明るいんだろうが、屋内では全く光はない。懐中電灯の明かりは如何にも心細かったが、伊達に幾つも修羅場を潜ってきた訳じゃねぇ。この程度でビビってられるかってんだ。

 見回りのコースに従って、まず玄関へ向かう。かつん、かつんと自分の足音だけが辺りに響く。まるで、世界中に自分しか居なくなってしまったような感覚。錯覚だと言い聞かせ、先へ進む。

 不意に、何処かでがしゃん、と音のした気がした。錯覚、だと思いたかったが、自分の足音以外聞こえないような状態で、聞き間違いがある訳がない。拙いことになった、と思いつつ、音のしたと思われる玄関へ向かう。懐にチャカもヤッパも無い状況ってのは、なんとも心許ない。

 物陰に隠れ、玄関の様子を窺う。と言っても懐中電灯を向けない訳にはいかないのだから、モロバレなのだが。

 そこにいたのは、女。懐中電灯の明かりに切り取られたような闇の中、しっとりとした黒髪が身体に巻き付くようにして、一糸纏わぬ裸体を隠している。かなりの美人。体つきだって申し分ない。普段なら、一発で心奪われちまっていただろう。

 普段なら。

 余りに、異常すぎる。

 この場所、この時間、この状況で、しかも裸の女。何もない訳がない。  

 意を決して、女の前に飛び出る。

 いや、もっとよく見たいという気がなかったかと言われりゃ困るんだが。

「おい、あんた。一体・・・」

 それだけ言ったところで、女が動いた。前屈みに頭を下げていたのが、身体を起こし、頭を上げただけ。なのに、とんでもない違和感。

 女の動きは、余りにおかしすぎた。がくがくとした動き。間接以外が動いていない、ロボットダンスってのか? ああいう動き。

 その首が、ぎぎぎ、と擬音を付けたくなるような感じで、こちらを向く。

 視線が合う。声が出ない。出るのは冷や汗ばかり。

 しばし見つめ合う。やがて、女は不意にがく、と体勢を崩した。咄嗟に転ぶ、と思ったが、そうではない。その前に反対の足が前に出、がくがく、また転びそうになる前に反対の足が、がくがくがく、こちらに向かってがくがくがくがくがくがく

「っっがーーーーっ!!!」

 こわい、こわすぎる、夢中で後ろに振り向き、一目散に走る。がんがんがん、と人間にはあり得ない音を立て、そんなでも俺とほとんど同じ速度で足音と言っていいのかどうかわからない音は続き、夢中で走る走る走る、階段を二段とばしで駆け上がり、こんな恐怖はクリスマス以来だと思ったらますます恐怖、がんがんがんという音は階段を駆け登るせいでますます大きく、よく考えたら上に逃げてどうするよ俺、と妙に冷静な自分が居、どっか逃げ道逃げ道、と考えている間に三階最上階、三階建ての美術館ってのも珍しいが、この場合は助かったのか追いつめられたのか判断に迷うので感謝は保留、展示室に駆け込みそういやフロアの反対側に非常階段があったじゃねぇかと思いついたのと同時、後ろからの音ががんがんの他にどん、とか、ずん、とかし出していて、そう言えば俺は順路通りに走ってるが後ろの足音は怖いので考えないでいる内にずしんとかばりんとかしだしてしかもがんがんがんがんがんがん

 慌てて非常階段のドアに縋り付き、内側からは捻るだけで開く鍵をぶるぶる震える手で開き、慌てて駆け込む。というか出る。非常階段は、外付け式の鉄筋の螺旋階段。普段は本当に安全なのかこれ、としか思わないのに、今は何故かひたすら心強い。その階段を駆け下りながら、外に出たという気分的な余裕だろう、初めて女が居るはずの上の階の方に目をやった。

 びく、と背筋が凍る。女は非常階段の手すりから、いつ身体がずり落ちても不思議無いくらい身を乗り出して、此方を見ていた。

 その視線の冷たさに、ぞっとする。

 そして女は、がくがくした動きでためらうことなく虚空へダイブ。そのまま頭から真っ逆様に地上へ、と思いきや欄干をつかんだままの右手を支点にぐるんと一回転、がくん、と衝撃を受けた非常階段は女の体重と重力加算とを支えかね、あろう事か三階部分の接続ボルトがぼきん、と断末魔を上げ、手抜き工事かと思う間も有らばこそ同時に鉄筋がめきめきめきとひしゃげ、俺はどうにも出来ずにただ立ち尽くし、それでも運のいいことに二階部分のボルトは悲鳴を上げたもののその職務を放棄はせず、その二階部分を支点に非常階段は二つ折りになり、目の前を欄干を握ったままの女の凍り付くような視線が過ぎていき、慌てて見下ろすと非常階段の三階部分ごと女は一階の壁にとんでもない勢いで叩き付けられたところだった。

 これで終わったか? などと自分が一番信じていない希望を持って、その場を見守る。砂煙の中、立ち上がる女の姿。全身が埃まみれ。だが、傷を負った様子は全くない。

 慌てて腰にぶら下げた鍵をまさぐり、何度も手からこぼれる鍵束に落ちつけ落ち着けと呪いじみた念を送り続け、ようやく鍵を開いて非常口から中に飛び込む。

 中からは捻るだけで鍵がかかる。鍵をかけ、ようやく一息つく。

 あれは、一体何だったんだろう。人間、でないのは確かだ。ちくしょう、洒落にならねぇ。あんなのの相手は警備員の仕事じゃねぇだろう。警察か自衛隊でも連れてきてくれよ、誰か。

 ごん。

 びく、と身体が震える。背にした扉から伝わる衝撃。大丈夫、と自分に言い聞かせる。これは隔壁にもなる鉄製の扉。素手でどうにかなるなんて、ねぇ。

 ごん、という音が、がん、になり、がん、と言う音が、がん、がん、になり、がんがんがん、から、がんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがん

 べこ、と扉が凹み出す頃にはすでに走り出していた。ばきん、と扉自体よりも先に蝶番が逝って、鉄製の重い扉ががらん、と転がる音がしたがそんなものは当然聞いちゃいないで階段に飛び込み、足を取られてなんだ、と足下を見ると足跡がある、というかこれを足跡というのだろうか、足の形にくぼみが出来ている。足形。見回す。さっき登ってきた階段。当然、こんな足形はさっきまではなくて。 その足形から出来るだけ遠くを歩くようにして一階へ向かう。そのまま、玄関へ走る。 助かった、と思ったところで、入り口には、シャッターの障壁。

 不法侵入者が居ると、逃げられないように自動で降りるのだと、そう言えば今日説明された。

 でも、非常口は普通に開いたよな、と妙に冷静に考える。

 意味無いじゃん。

 などと、考えている暇など当然ない。玄関が駄目だとすれば、取り敢えず非常口。さっきの騒ぎでどうなってるかなど、考えたら負けだ。

 展示室を横切り、非常口の様子を確かめようとして、その手間が省けた。

 非常口は見事に非常階段だった物に吹き飛ばされていた。後には瓦礫と、鉄筋をぐちゃぐちゃに無理矢理詰め込んだ、少し前までは出口だった物。

 一瞬、惚ける。

 が、二階からがんがんがんがんがん慌てて俺はエジプトの有名なファラオの棺おけだかなんだかにそれでもいくらか余裕があったのか三つ並んだ一番奥の奴に飛び込み、閉めるとほぼ同時に女が展示室へと入ってくる気配。

 思わず息を止める。

 蓋が閉まって真っ暗なはずの棺おけの中に微かな明かり。この棺おけは忠実なレプリカだとかでご丁寧に開いた穴まで再現されているらしい。あるいは手抜きなのか。非常階段の最期の様子からすると手抜きの確率高し。勘弁してくれ、これ以上俺を怖がらせる要素を増やすな。などとは思いながらも、その穴から外の様子をのぞき見たいという誘惑は耐え難く、と言うか少しでも情報を手に入れて生き残る確率を増やそうとしてるのだとかなんだとか。どちらかと言うと、怖いもの見たさだろうという気がしてならない。

 女は、展示室に入ってきたままの姿勢で、ぎ、と動きを止める。俺を見失って、どうしようか悩んでいるのだろう。気付くな気付くなと念を送る。

 がく、がく、と女が展示室の中を回り始める。展示品ひとつひとつを確かめるように。その姿が見えない位置に来る。

 思わず祈る。大丈夫見つからない大丈夫。

 ぎ、と女の足音がそれほど遠くない場所で止まった。まずい。天にも祈る気持ち。だが、今日はクリスマスではない。奇跡の期待は出来ない。

 べきべき、とまるで木をへし折るような音。近い。距離にして、棺おけひとつ分。疑うまでも無い、女が一番向こうの棺おけの蓋をぶち壊しているのだ。べきべき、がらん。音が止まる。ぎぎ、と女の関節の音。ぶち開けた棺おけの中身をのぞき込んでいるんだろう、となんとなくわかる。少し置いて、べきん! と今までに無い音。今度は空だったことにぶちキレて、棺おけ自体をぶち壊した音。がらんがらん、と棺おけだった木片の転がる音にまぎれてがん、がんと女の足音。少しだけ近づき、間が開き、何をやってるんだろうなどとわかりきった事をまるでわからないかのように疑問に思っているところにべきべきべきべきべきべき。

 ちくしょう、クリスマスの時にこれ以上ない俺にふさわしい死に方だと思ったが、あれ訂正。棺おけの中で順番待ちしてる今の方がよっぽど俺らしい。くそぅ、いっそのこと一思いにやってくれとも思うがじらされてるのは俺が隠れたせいだし飛び出していくような勇気もねぇ。畜生ここまでか。世の中ってのはよく出来てやがる。あの騒ぎで生き残って改心して真面目にやってこうと思った瞬間にこうして全部持ってかれちまう。サンタと同じように神がいるとしたら本当に嫌な奴に決まってる。

 べきん! と、隣の棺おけがお亡くなりになり、女の足音が近づき、がん、とその手が蓋にふれ、先ずべき、と鈍い音、続いてべきべきべきと蓋がひしゃげ、隙間から展示室の常夜灯の明かりが差し込み、ズレ始める蓋をつかむ女の腕、上にずれていき女の腹からだんだん胸の辺りまで見えるようになって行き・・・

「おい、どうした! しっかりしろ!」

 目を開く。辺りは既に明るくなっていた。何があったのか一瞬わからなくなる。

 が、次の瞬間

「うわぁ」

 ごん。

 思い切りぶつけた頭を抑えてうずくまる。

「何があったんだ、一体」

 呼びかける声に振り向く。おっさんだ。昨日会ったばかり。

 思わず、辺りを見回す。無惨に砕けた棺おけ、非常階段にぶち破られた非常口、あたり一面ぶちまけられた展示品、と言うかその欠片。俺がいるのは最後の棺おけの中。蓋はひしゃげてはいるが、足側の方に乗っかっている。どうやらなんとか健在だったらしい。

「まるでテロリストがパーティでもしてたみたいじゃないか。一晩でこんなになるなんて、一体何があったってんだ」

 おっさんが頭を抱える。そりゃそうだ。こんな惨状、そうそう見られるモンでもない。

「なんたって一番おかしいのはこいつだよ」

 ため息つくようにおっさんが言う。その視線を追って、俺は今度こそ腰が抜けた。

 そこには昨日見た男の像。辺りの惨劇にもかかわらず、こいつだけは昨日と変わらない様子でそこにいた。

 変わっていたのはその隣。その男の像に寄り添うように、女の像。

 間違いない。昨日俺を追い回してくれやがったあの女だ。昨日のことなどまるでなかったかのように、清楚とも見える様子で男の像にしなだれかかってやがる。

「こいつはもう何年も前に盗まれて行方不明になっていたんだ。それがどうしてここにあるんだ」

 自分で歩いて来たんだ、とは流石に言えねぇ。信じる訳ねぇし、俺だって信じやしねぇだろう。しかし、ってぇ事はこの女の像は、男の像に会いたくてこんな騒ぎを起こしてまでここに来たってのかよ?

「・・・あ」

 そう思いながら二体の像を見比べていた時。ふと、気付いた。

「ん、どうした新入り?」

「そうか、昨日からなんか気になってたんだ。この男の方、どっかで見たことあると思ったら・・・俺そっくりじゃねぇか」

 台座のせいで位置が高くてよくわからなかったが、この男の方の像はオールバックの前髪を下ろした俺にそっくりじゃねぇか。

 そうか、それで愛しい男と間違えて俺を追い掛け回しやがったって事か。なんだよ、俺巻き込まれ損じゃねーか。

 それにしても、と思う。前の時といい、今回といい、女ってのはこええよ、ほんとに。こんな女に見込まれちまった、この男の像も気の毒だね、しかし。

 そう思いながら見ていると、女の像に隠れるようにして男の像がなんだかとてつもなく嫌そうな顔をしたような気がした。

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