第十話 ヤクザとメイドと(めずらしく)平和な一日
今日の面接の場所はちと遠い。遅れる訳にもいかねぇんで、少し早めに家を出た。
まぁ、遠いと言っても歩いていける距離なんだが。
途中で駅前を通る。早いとは言っても通勤時間はとっくに終わっているんだが、それでもそれなりに人通りはある。最近自分でもわかるくらい人が丸くなってきたせいか、前みてぇに露骨に避けられる事はなくなっていた。
こういうところを通る時はむしろ損をしてる気になるが。
ふと見ると、少し離れたところに人影がある。なにか所在なさそう、というかぼーっと突っ立っている。
珍しい服装をしていた。メイド服というのだろうか、奈波に付き合って見たなんとか名作劇場とかに出てた気がする。
こういう事が、なんかちょっと前にあった気がする。
俺の視線を感じたのだろう、そのメイドはこちらに向かってつ・・・と近寄って来た。
逃げなかったのは、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた俺の勘が、こいつは害のあるモンじゃないと告げていたからだ。
それでも壁に穴が開いたりもするが。
「すみません、お聞きしたいのですが」
商売柄、反射的に相手の目を見据える。いわゆるガンを飛ばすって奴だ。堅気から敬遠される一番の理由なんだろうが、長年染み付いた癖だ。そう簡単には抜けねぇ。同業者でも大概はたじろぐ俺の視線に、それでもこいつは動揺した様子もなかった。普通なら目を逸らすなり睨み返してくるなりするモンだが、まるで何事もないかのように自然な視線。でもなんてんだろう、その瞳にはまるで力がなく、なにか意思とか生気の薄い感じがした。
「こちらの住所へはどのようにして行けばいいのでしょう」
そう言いながら、なにやら書かれたメモを差し出してくる。その場所を頭の中に思い浮かべて見た。ちと遠い。
「口で説明するのは難しいな。良ければ案内してやろうか?」
道を尋ねるだけならともかく、一緒に行くなどと言えば大概は怖がられる。そう思って聞いて見たのだが。
「よろしいのですか?」
あっさりそう言った。もう少し警戒されると思っていた俺も、ちとあっけに取られる。
「ああ、俺もそっちの方に用事があるしな」
少し遠回りになるが、少しだけだ。時間にも余裕があるし、別に構わないだろう。
「すみませんが、よろしくお願いします。・・・あの、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか。私は霞澄と申します」
「ああ、俺は銀二だ」
「銀二様、ですね。よろしくお願いします」
様付けとか、よろしくとか言われるのはなんだかくすぐってぇ。商売柄、だけでもねぇんだろうが、大抵は厄介者扱いだからな。
「ところで、地図とかは持ってねぇのか? 住所だけわかっても仕方ねぇだろうに」
黙ってるのも何なので、歩きながら聞いて見る。
「いえ、GPSがあるのですが、雲のために使用できなくなってしまいました」
GPSってのは、携帯とかについてるあれだよな。あれってのは、雲くらいで使えなくなるモンなのか? だとしたら使えねぇ。
「携帯は持ってねぇからよくわからねぇんだけどよ、GPSってのは地図だけ見られねぇモンなのか?」
「はい、地図だけでしたらメモリにインプットされたものがありますが、現在位置がわかりませんので役には立たないのです」
現在位置がわからねぇって事はねぇだろ。さっきまで駅にいたんだからよ。
「その地図ってのを見せて貰えるか?」
「申し訳ありません。私にはアウトプット機能がありませんので、お見せすることは出来ません」
「すまん、専門用語とか全くわからねぇ。とりあえず見せられねぇってんなら、そうだな」
振り向いて、まだ見えていた駅を指差す。
「あそこに駅があるだろ? まずはあそこを探してみな」
「わかりました。検索しますので少々お待ちください」
霞澄は立ち止まると、しばらく黙り込んだ。
「駅で検索した結果、検索限界数を突破しました。検索を続行する場合、他機能を一部制限しなければなりませんが、続行なさいますか?」
「あのな、そんな広範囲に調べるこたねぇだろうが。この周辺だけ調べれば十分だろ」
「はい。条件を変更し、検索を開始します・・・該当数一件です」
今度は止まる間もなく返事が返ってきた。
「で、その前に大通りが通ってるだろ。今はそこにいる訳だ」
「周辺確認・・・駅に接する道のうち、大通りと呼べる条件のもの一件・・・現在位置確認しました」
「わかったろ。この要領で探しゃ、他のところでもすぐわかるだろ」
「はい、ありがとうございました。以降は道に迷いましても自分での確認が出来ると思います」
「そうか、そりゃよかった。でもここまで来ちまえば、戻るのも面倒だな。今日のところは一緒に行くか」
「はい、申し訳ありません」
「ついでだ、ついで」
軽く言っておいてから歩き出す。霞澄も俺の隣について歩き出した。
「しかしな、地図も見られねぇで今までどうやって外出してたんだ? 休みの日とか困るんじゃねぇか?」
「いえ、外出しましたのは今日が初めてです」
「・・・マジか」
「はい。今までは外出の必要性を感じませんでしたので。届け物がなければ今日も外出していなかったはずです」
すごい箱入りだな。しかし、箱入りメイドってのはどうなんだろう。いや、格好を見てそうだと思い込んでいたが、別に霞澄がメイドだって決まった訳じゃねぇ。
「そういや、そんな格好をしてるが、霞澄はなんの仕事をしてるんだ?」
「はい、博士のところでメイドをしております」
その博士ってのは知らねぇが、博士ってくらいなんだ、どっかの大学の教授か何かなんだろう。やっぱりメイドを雇うにはそれくらいでないといけねぇんだろうな。
「で、メイドってのはどんなことをするもんなんだ?」
メイドなんてそうそう会えるもんでもねぇし、こんな箱入りが仕事とかちゃんと出来てるのか、少し興味がねぇでもねぇ。
「はい、普段は家事を中心に、博士の身の回りのお世話をしています。それ以外では、実験の助手を務めることが多いです」
「そうか。実験ってのは何をしてるんだ?」
「申し訳ありません。実験の内容については守秘義務がありますので、お話することはできません」
そうか。まぁ、そうだろうな。研究ってんだから、多分理系の博士なんだろう。特許とかとれば相当儲かるらしいし、産業スパイとかいるのかも知れねぇ。
ちょっと面白そうだが。
「そうか。でも、なんの博士かくらいは教えてくれても大丈夫だろう?」
「はい。博士によると、まっどさいえんてぃすとだそうです」
これはまた懐かしい響きだ。まだ純真なガキだった頃、俺もあこがれた事がある。
「マッドサイエンティストってーと、雷がゴロゴロ言ってる中で『ふはははは』とか笑ってるっぽいな」
「まだ雷は経験した事はありませんが、『ふはははは』とはよく笑っていらっしゃいます」
マジか。ってことはほんもんか。
想像してみる。ヤバイ、少し楽しそうだ。あれか、やっぱり大仰な装置のレバーをがっちゃんと下ろして電気がびびびび、とかか。
くだらない妄想に、ふたりとも言葉が途切れる。霞澄は俺が声をかけないとしゃべらないようだ。メイドってのはやっぱり控えめであるべき、とかなんだろうか。
「ところでよ、他の奴に声をかけようとは思わなかったのか?」
自慢じゃないが、俺は人から声をかけようとか思われる外見じゃねぇ。普通に考えりゃ、道を聞くなら俺よりも他の奴に声をかけるはずだ。
「はい、銀二様の前に他の方に何度か道を尋ねようとしたのですが、ほとんどの方は私の話を聞いてくださいませんでした」
まぁ、普通の奴にとってはメイドってのは敷居の高いモンなんだろうな。俺にとっても違う訳じゃないが。
「ときおり『メイドさんハァハァ』と言いながら近づいて来る方がいたのですが、博士からその場合はとりあえず逃げろと言われていましたので、そのようにしました」
「それは賢明な判断だな」
そういうのは危ない奴だって決まっている。この世間知らずそうな奴がそんなのについていったら、どんな目に合わされるかわかったモンじゃねぇ、というかわかる。
「ですので、こうしてまともに会話をしたのは、博士を別にすれば銀二様が初めてです」
霞澄がこちらを見つめながら言う。そういうのもなんか照れるな。
そうか、さっきからなんか調子が狂うと思ったが、霞澄は人を見るときに相手の目から視線をそらさねぇんだ。普通、それも俺みたいなのを相手にする時は微妙に視線を逸らしたり外したりするモンだが。
「っと、ここだな」
ぼけっとして通り過ぎそうになるのを慌てて止まる。霞澄が持っていたメモの住所はここだったはずだ。
「はい、地図上でもここで間違いないようです」
「そうか。ま、無事についてよかったな」
「はい。ありがとうございました。銀二様」
「ああ。俺も急ぐから、またな」
まだ時間はあるが、そう思っているうちに遅れたりしたら元も子もねぇ。俺は霞澄と別れて歩き出した。
他人の役に立つってのも、結構いい気分かもしれねぇな。
面接の結果は後で連絡が来るそうだ。内容は、まぁ良くも悪くもねぇ。逆に言えば、大丈夫だと確信も持てない訳だが。というか、その場で返事が貰えなかったってことは、期待しねぇ方が良さそうだが。
これからどうしようか、とふらふら歩く目の前に、さっき見た姿があった。
霞澄だ。あの格好でこんなところをうろうろしてる奴は他にはいないだろう。
「よう。用事は終わったのか」
さっきの今だからな。忘れられてるってこともないだろう。声をかける。
「声紋照合・・・網膜パターン照合・・・検索終了、銀二様ですね。先ほどはありがとうございました」
少しの間の後、べこりと頭を下げる。忘れかけてたか。まぁ、通りすがり以上じゃないからな、仕方ないが。
「銀二様とお会いするのは二度目ですので、検索優先順位を上げます」
なんのことかはわからないが、優先とか言われるのは悪い気分じゃねぇ。
「順位変更の結果、銀二様の優先順位は二位になりました」
道で会っただけの奴が二位ってのは、なんか問題あるんじゃないか? 友達が少ないとか。そういや、博士以外で話したのは初めてだとか言ってたな。
「上げて二位って事は、上がいたってことだな」
ということは、友達とかいるのかも知れねぇな。ま、二度会っただけの奴に負ける友達ってのもアレだが。
「はい、先ほどまで届け物をしていたご家族の方が、銀二様よりも優先順位が上位でした」
いずれにしても今日の話か。
「で、どうしたよ。真っ直ぐ帰ってれば、さっきの道にいるはずだろ?」
面接場所から直接駅の方に向かっているので先ほどとは道が違う。また道にでも迷ったか。
「はい、先ほどまた『メイドさんハァハァ』と言う方にお会いしましたので、逃走命令を優先した結果、現在位置をロストしました。これより銀二様に教えていただいた手順で現在位置を確認しようとしていましたところです」
よくわからねぇが、とりあえず逃げるのに一生懸命だったってことかな。
「そうか。ま、こっちの用事も終わったしな。駅まででよきゃ案内してやるよ」
「ありがとうございます。申し訳ありませんが、お願いできますでしょうか」
「ああ。ついでだついで」
霞澄を促して歩き出す。もう二度目だしな、会話がなくても別に困ることもねぇ。黙って歩いていたが、不意に霞澄が口を開いた。
「銀二様、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「ん、なんだ?」
「銀二様は、何故私に親切にしてくださるのでしょうか」
言われてちと戸惑う。別に気にするようなことでもないと思うが。それとも、今頃になって俺みたいなのに親切にされる事に不安になったか。ありそうだが。
「何故って言われてもな」
そう言う風に思われるのは構わないが、おびえさせるのはかわいそうだ。言葉を選んでいると、
「どなたが相手でも、同じように優しくなさるのですか?」
そういう訳でもないらしい。本気で不思議に思っている口調だった。
「いや、ムカつく相手にまで優しくしてやるほど人間できちゃいねぇがな。そうだな、多分、霞澄が優しくしてやりたくなるタイプだったんだろ」
「ですが、銀二様以外の方は、私の話を聞いてすらくださいませんでした」
ま、霞澄の格好はあまり普通じゃないからな。避けたくなる気持ちもわからないじゃないが。俺が普通じゃないモンになれ過ぎたって事だろうか。
「そうだな、・・・人間にゃな、モノの好みや性格の違いってもんがあるんだ。多分、俺の優しくしてやりたくなるタイプが、他の奴らとは違ってたんだろ」
「そうですか」
霞澄は考え込むように少し黙り込んだ。会話もなく、しばらく歩く。
「・・・着きました」
ぼうっとして歩いていた俺に、不意に霞澄が声をかける。
見ると、確かに霞澄と初めて会った駅前に着いていた。
「ありがとうございました」
霞澄が頭を下げる。
「いや、ついでだついで」
「だとしても、ありがとうございました」
「ま、気をつけて帰ってくれ」
霞澄の言う研究所がどこにあるかは知らないが、少なくとも朝ここまで来られたのだ。多分大丈夫だろう。
もう一度頭を下げて振り向く霞澄をなんとなく見守る。
「でしたら、」
そのまま歩き出すと思っていた霞澄が、不意にこちらを見上げて立ち止まった。つられて俺も振り返ろうとした足を止める。
「私は他のどなたに嫌われても、銀二様に優しくしたいと思っていただけるタイプでよかったです」
見上げるその瞳には今まで通りなんの表情も浮かんではいなかったが、ほんの少しだけ、その光が力強くなっている気がした。