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神仏非習合  作者: 富士見永人
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「あんのくそ尼が」

 多々里(たたり)村にある診療所のベッドの上で、弥咲(みさき)は叫んだ。

「弥咲や。もういいんじゃ。こんなになって、よく戦ってくれた。後はわしらが何とかする。今はゆっくり休んで、傷を癒してくれ」

 街の診療所のベッドに横たわり療養する弥咲に、サンタクロースを彷彿(ほうふつ)とさせる立派な白ひげを生やした齢八十は過ぎているであろう老齢の男性が、優しく言った。

「冗談じゃないわ。ダムの建設なんて絶対にさせない。多々里村がダムの底に沈むのよ。黙って見てろっていうの」

 土気色の顔をしかめながら、弥咲は喚いた。

 弥咲たちが暮らしている多々里村は、日本アルプスの山間にある人口二千五百人程度の小さな村だ。数年前ここにダムを建設する計画が急遽決定され、住民たちの猛反発を押し切って建設業者が次々と乱入し、強引に工事を押し進めた。無論最初は村人の激しい妨害によってなかなか進まなかったものの、国家権力すなわち警察が暴動の鎮圧に乗り出し、首謀者を何人か刑務所送りにしてからは表立って邪魔することもできず、ただ〈平和的〉にダム建設反対デモを行ったり、署名を集めるといったささやかな活動しかできなかった(無論ダム建設強行派である県知事と国によって握りつぶされた)。そこで村の守護神として崇められ、古来より村を守り続けてきた凶火神(マガツホノカミ)(まつ)られた多々里神社の巫女、その末裔である弥咲が立ちあがり、神の力で建設業者や国家権力相手に武力行使に踏み切ったというわけである。彼女の能力、つまり凶火神の炎の力は自然災害と看做(みな)され、罪に問われることはない。しかし山ひとつ向こう側にある建設業者・小林組擁する大仏(おさらぎ)町の住職・妙典法子(みょうでんのりこ)が調査に乗り出し、異変の原因が弥咲であることを突き止め、制止とは名ばかりの討伐に踏み切った。なお大仏町はダムで水没することはなく、むしろ八重葉(やえば)ダムを観光資源として利用してひと儲けしようと企んでいた。

「何が決まったこと、よ。私たちの話なんか聞かずに勝手に決めたくせに。ふざけるな。自分の町は水没しないからって」

 弥咲は悔しそうに歯噛みして、ベッドの上に備えつけられたテーブルを拳槌(けんつい)でがつんと一撃した。同時に脇腹に激痛が走り、ベッド上をのたうち回る。

「あのくそ尼さえいなけりゃ」

 そう呟いた弥咲の眼には、すべての光を囚えて逃さぬブラックホールの如くどす黒い怨嗟(えんさ)が渦巻いていた。

「弥咲おねえちゃん。多々里村、なくなっちゃうの?」

 四、五歳くらいの子供三人が、弥咲にそう訊ねた。彼らは眼に大粒の涙を浮かべ、果実やパン、お酒などが入った大きな笊籠(ざるかご)を、弥咲に差し出した。

「いやだよ。いやだ。いやだ。いつもあそんでる公園も、学校も、森も、川も、ぜんぶ、なくなっちゃうの。みんな、はなればなれになっちゃうの。もう会えなくなっちゃうの。ねえ。何でこんなことになっちゃったの。ねえ。おねがいだよ。神さま。いい子にしてるから。おそなえものだって、いっぱいもってくるから。この村を、みんなのいばしょを、守ってよ。ねえ。おねがいだから。おねがい」

 この子たちは、決して裕福な家の生まれではない。なけなしの小遣いをはたいて、あるいは決して豊かとは言えない家の冷蔵庫から食べ物をかっぱらって、お供え物を持ってきたのだ。無論弥咲の能力の源泉である神霊・凶火神(マガツホノカミ)は人間の食べ物は食えないので、これらはお供え物とは名ばかりの弥咲の食糧となるわけだが、それを抜きにしても、自分たちの居場所を守りたいという子供たちの純粋でひたむきな願いを、弥咲はどうしても叶えてやりたかった。

「私に全部任せなさい。ガキンチョども。私がいる以上、この村で好き勝手なんかさせやしないわ。ダムの工事に来た余所者なんて追っ払ってやるんだから。うちの神様が許しやしないわ、そんなこと」

 自信満々の笑みを浮かべた弥咲がそう言うと、子供たちの顔に笑顔が戻った。


 その後、村では毎日のようにダム建設反対のデモが行われた。が、非武装の村人たちが日増しに強化される武装警官隊の厚い壁を突破するのは(かた)く、さらに災厄の元凶である弥咲が倒れたことを知ったのか業者もその数を増やし、ダム工事は加速度的に進められた。

 二カ月もすると辺りの景色はすっかり一変し、破壊された家屋、緑が禿()げて土が()き出しとなった野山、代わりに建設されてゆくコンクリートの巨大な壁が、多々里村の住人に絶望を突きつけていた。中には建設業者に食ってかかる者もいたが、言うまでもなく周囲を警備していた警官たちによってたちまち袋だたきにされ、拘置所送りにされてしまった。

 だが、そんな一方的な展開にもとうとう終止符が打たれる時がきた。

 ある日、建築業者や警官たちに、無数の火の玉が降り注いだのだ。

「うわあ。熱い」

「祟りだ。祟り神の仕業だ」

 ダム建設現場は一瞬で紅蓮の炎に包まれ、てんやわんやの騒ぎとなった。建設業者や警官たちは燃え移った火を消すため、あるいは火だるまになった仲間を助けるために奔走していた。

「多々里村を侵略する野蛮人どもは必ず火で罰する」

 背中に巨大な炎の翼を生やし、空を舞う弥咲を見た業者や警察はパニックに陥り、四方八方に逃げ出した。

「オン・ガルダヤ・ソワカ」

 だが、すぐさま黄金に輝く鳥の怪物が、弥咲に襲いかかった。

「またお前か、くそ尼。こないだの借り、五千兆倍にして返してやるわ」

 弥咲はありったけの憎悪をこめて、火の雨降り注ぐ地上を闊歩(かっぽ)する法子を見下ろした。

「罪もない一般人を襲う祟り神の使いを、野放しにしておくわけにはいかないんでね。この村のことは気の毒だが」

 法子は飛翔する弥咲を見上げると、口角を吊りあげて(いびつ)な笑みを浮かべた。

「こちらも商売でね。恨むなら、ダム計画を決めた行政を恨んでくれよ。くひひひ」

 弥咲は胸の内で唾を吐いた。そうだ。この尼は、破戒僧。どこまでも強欲で、宗教を金儲けの道具としか考えていない。今回もおそらく、建設会社か国から法外な金を受け取っているのだろう。高級車(レクサス)を乗り回し、動物の肉を平気で喰らい(殺生は仏教において御法度のはずである)、死者の遺族からは高いお布施と戒名代と墓の永代使用料を巻きあげ、それだけでは飽き足らず、自身の霊能力を悪用して判断力の弱った年寄り連中の不安を煽り、高額の商品を買わせて私腹を肥やすようなやつだ。

「結局金目当てってわけね。この破戒僧が」

 弥咲とは対照的に、法子は(あざけ)るような笑みを浮かべ、肩をすくめた。

「おやおや。金儲けを否定するのかね。誰もが多かれ少なかれ、金を稼ぐために人生の時間をすり減らして働いている。私は少し知恵を働かせて、効率よく稼いでいるにすぎないよ」

「そんなことはどうでもいい。お前のブランド品や男妾(おとこめかけ)のために、私らの村が潰されてたまるか。お前は多々里村の敵だ。村の名の由来、凶火神(マガツホノカミ)の祟りを思い知れ」

「よく稼ぎよく遊ぶ、が信条でね。お前たちこそ国家の決定に楯突く反逆者だ。罪もない業者や警官たちを傷つけた罪、仏罰をもって思い知るがいい」

「なーにが国家の反逆者じゃ。いつからお前は公僕になったんだよ。偉そうに。言っておくけど、今度は前みたいにはいかないわよ」

 弥咲が自信満々の顔で法子にそう告げると、唐突にぶおーと野太い角笛の音が、大地に(こだま)した。

 角材、金属バット、(くわ)(すき)、鎌、火炎瓶といった様々な武器で武装した多々里村の住人たちが、大地を埋め尽くしていた。老若男女、果ては子供までもが戦列に加わっている。中央の大人たちが『八重葉(やえば)ダム建設反対!』と大きく書かれた黄色い横断幕を掲げ、叫んだ。

「私たちの故郷をー、奪うなー」

「奪うなー」

 延べ千数百人が同時に叫んだため、そのあまりの声量に大地が震え、地響きとなって警官隊を威圧した。

 警官隊の中央にいた部隊長と(おぼ)しき丸眼鏡をかけた小柄な男性が、叫んだ。

「怯むな。相手は国家権力に楯突く非国民だ。正義は我らにあり。多少手荒に扱っても構わん。工事の妨害はすなわち威力業務妨害および公務執行妨害罪。全員逮捕せよ」

 齢八十をとうに過ぎた細身の村長が、大地を(とどろ)かせる雷鳴のごとき声量で「突撃い」と咆哮(ほうこう)した。

「うらアー」

 直後、武装した多々里村の住民千数百名が、一斉に(とき)の声をあげ、業者と警官隊に襲いかかった。そのあまりの迫力に、総勢百名にも満たぬ警官隊は、明らかに気圧(けお)されていた。

「せ、先生。どうか、お願いします」

 多勢に無勢と見たのか、警官隊の部隊長である〈丸眼鏡〉は、脇にいた法子に(すが)りついた。

「ふむ。是非もない。だが、その前にひとつ確認しておきたい。……これから起こることはただの天災あって、誰の仕業でもない。よろしいかな」

 法子は錫杖(しゃくじょう)を地面に突き立て、意味深な笑みを浮かべて〈丸眼鏡〉に確認した。民衆の突撃にすっかり怯えてしまった彼は、自分たちが助かるためなら、と、何度も首肯した。

 ルイ・ヴィトンの鞄の中から数珠(じゅず)を取り出し、左手にかけた法子は合掌して眼を閉じた。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・オン・ボダロシャニ・ソワカ」

 直後、法子の背後に巨大な大仏が降臨した。と言っても、突撃してくる村人たちや警官隊、建設業者といった霊感のない一般人に、その姿は見えない。

「何をする気」

 弥咲の顔から、血の気が引いた。

「偉大なる仏陀(ブッダ)よ。彼奴(きゃつ)らは私利私欲のために、罪なき建設業者と法の守護者たる警官たちに暴力を振るう無法者たちである。この不浄なる者たちに、天の裁きを」

 山のようにそびえ立つ大仏は、多々里村の住民たちを一瞥(いちべつ)すると、口角を吊りあげ、不気味な笑みを浮かべた。

 そして、(わに)のように大きく、口を上下に開いた。

 その咽頭(いんとう)が徐々に白く、(まばゆ)く輝きだした。

「天罰・仏陀の微笑み(メガフレア)

 法子がそう叫ぶと、大仏の口から巨大な白い熱線が、無慈悲にも多々里村の住人たちに向けて、放たれた。

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