EXIT /回顧禄
1988年5月3日だったと思う。
もうわたしの記憶も薄れつつある。
消え去る前に書き記しておかなければならない。
奇妙な話だが
途中で横道に逸れるかもわからないが
とにかく書くことにする。
あのころのわたしはまだ25才だった。
週6日稼動の丘の上にある鍛造工場で働いていた。
休みは日曜日のみ。
わたしはあの仕事がとても好きだった。
ずっと定年まであの工場にいるものだと思っていた。
その丘のふもとにある1DKのバス・トイレ付のアパートに一人住まいだった。
そのアパートは俺が働いていたその丸茂工業【豊田工場】の独身寮だったんだ。
あの会社は俺の親父の紹介で入れてもらった。
親父は模範社員みたいな人でまわりの信頼も厚かったから丸茂の社長も二つ返事ですぐに俺を雇ってくれた。
清太郎の息子ということでね。
でも最後は親父を裏切るようなかんじで丸茂を首になってしまったけど。
俺の本意ではない。
おやじには申し訳ないとは思ったが
もう一度いう。
会社を首になったのは俺も心外だった。
先にも書いたように
ずっとそこで働くつもりでいたのだし
会社の同僚の浅井さんもそんなようなことを言っていた。
やっぱり会社で働くんだったらそこに骨をうずめるぐらいの気持ちでやらにゃあかんよ。
って言ってた。
俺もそう思ってた。
その会社に入るまえ3ヶ月だけ愛知県東海市の尾張横須賀というところにある畳屋で働いた。
なぜ3ヶ月でやめたのか?
と思うだろう
その畳屋に入る前まで俺は横浜の寿町という寄せ場で働いていたからだ。
その前が山谷だ
山谷にいたころは南千住に四畳半のアパート借りて住んでいた。
南千住五丁目三十九の二【くるみ荘】だ。
あそこにどのくらいだったっけ?
17才の5月から翌年18才の春ごろまで住んで山谷から立ちんぼで仕事に行っていた。
こんなジンクスがある。
ヤマ【山谷】以後ヤマと書く
一度山谷【ヤマ】に足を踏み入れると一生ここから生きては出られない。
つまり山谷から抜けられなくなる。
そういうジンクスがあった。
だから一度山谷を知ってしまったものはこの町からふけることはできない。{ふける=ずらかる・あるいは逃げる}
ヤマにいたころは
そうやつらに会ってからはもう働かなくなってしまった。
あぶれをもらって生きていた。
中沢幸男
中ちゃん。
そう俺は呼んでいた。
山谷で出会った
いちばん仲のよかった俺の友人。
友とは言っても
俺より年上だった。
いくつ?
俺がやつに会ったのが確か18才。
山谷の大利根という南千住の駅から程近い山谷で一番大きな大衆酒場があった。
今はもうないらしいけど。
その大利根という店は一応ヤマではいちばん大きい大衆酒場。
朝の9時からやっている。
いま山谷の泪橋の交差点にセブンイレブンがあるみたいだけど
あそこはねぇ
むかし
それはガラの悪い場所だったんだよ。
新世界という酒屋があって
立ち飲み屋でもあった。
もがきとアル中のたまり場だった。
ちなみに
もがきとは「ノックアウト強盗」のことだよ。
言っておくが
こいつは創作
とか
作り話とか
虚構ではない。
みんな今まで俺が生きてきて見てきたことを書いているだけだ。
(中略)
1988年 5月3日(火曜日)
その日は休日ではあったが休日出勤で会社に行った。
あの日はハンマーは稼動していなくて
工場の中の設備の変更だとか修理みたいなそんな仕事で限られた人数のみ会社に来ていた。
全部で俺を含めて8人ぐらいだったと思う。
食堂のおばちゃんも休んでいたから昼飯は出前のカツ丼だったと思う。
仕事が終わったのが5時頃。
それから会社の風呂に入ってからふもとのアパートまで歩いて帰った。
その日の夕方俺はそのアパートを出るのだが
ショルダーストラップの付いたギターケースに入れたギターを肩にかけ
前の日会社で前借した3万円だけもって
アパートのドアをしめたのだが
はっと気付いてポケットを探ると
鍵がない。
そう
部屋のなかに鍵をおきわすれたままドアを閉めてしまった。
なぜだかしらないけど
もうここには戻ってはこれない。
そんな気がした。
その旅に出る前まで約1ヶ月ほど周りで奇妙なことが起こり始めてた。
原因はいくつか思い当たるのだが
あのころ会社で朝の7時半から午後4時半まで働いて会社の風呂に入りそのあと会社の食堂で晩飯食べてアパートまで帰り壊れかけの座椅子にもたれテレビをつけっぱなしにしながら新聞に目を通す。
そのあとニッカ・エクストラの1920ml入りの大瓶からワンカップのコップになみなみウイスキーを注ぎテレビを見ながらそいつを3杯空ける。
かなり早いペースで飲むものだからすぐに酩酊して寝てしまう。
翌朝タイマーで朝の5時半にテレビのスイッチが入る。
中京テレビの朝一番は真っ白い画面に音楽が流れる。
エリック・サティのグノシエンヌ
あの物悲しい音楽で俺は目を覚まし身支度して会社に歩いて通っていた。
アパートの鍵のことは忘れ
名鉄平戸橋駅まで歩く。
この時点ですでに右の下駄が割れかかっていた。
厳密にいうとかなり深いひびがはいっていた。
あのころ俺はいつも素足に下駄履きだった。
真冬のひどく寒い日も下駄履きで会社まで歩いて通っていた。
扶桑町から矢作川沿いを北上し、距離にして600mほどいくと左側に橋が見えてくる。
この橋が平戸橋。
その橋を渡ってまた700mほど歩いたところにある無人駅。
そいつが名鉄平戸橋駅。
その駅で最初の奇妙に出くわした。
二人の小学生?に俺には見えたが
顔は子供ではなかった。
その二人の男がけんかしていた。
口げんかだったけど
声がどすのきいたおとな声だった。
そしてどうやらその二人は酔っ払っていた。
最初は酔っ払った小学生が二人けんかしていると思ったが
小学生の酔っ払いというのもありえない話だろ?
だから、ひょっとしてやつらは小人?だったかもしれない。
小人など俺が小学校ぐらいのころテレビでみた小人プロレスぐらいでしか見たことなかったからかなりびっくりした。
またある日の夕方、会社帰りに上空かなり低いところを米軍の大型輸送機みたいなやつが飛んでいったことがある。
迷彩色の飛行機の腹の模様がはっきりとわかるぐらいの低さで
尋常な低さではなかった。
高さを測ったわけではないが
地上から50メートルもなかったのじゃないか。
とにかく超低空で音もなく後ろの空からやってきてぶぅ~んと向うへと飛び去った。
かなりゆっくりとだ。
おれはその下を一人であるいていたのだが
ぎょっとした。
なんでこんなところをあんなものが飛んでいるのか。
しかも超低空で。
その年の初め頃だったと思うが
部屋で一度感電したことがある。
コンセントの交流百ボルトに。
まぁ事故みたいなものだが。
その時は気絶してしまったのだが。
具体的に言うと初めてCDプレイヤーを買ったときのことなのだが
ソニーのポータブル型で、まだあのころはCDプレイヤー自体があまり普及してなく
そのポータブル型でさえ確か38,000円ぐらいしたと思う。
その時にディランのCDもいっしょに買った。
そいつがブリンギング・イット・オール・バック・ホーム。
部屋でワンカップのコップで日本酒のみながら聞いていた。
翌日は日曜日で会社は休みだったのだが
次の日、意識がもうろうとして目が開かない。
いくら二日酔いでもこんなにはならない。
体がうごかない。
といった状態が昼ごろまで続き
ようやく意識がはっきりしてきて
上体を起こしたら下半身左の足のつけねあたりからひざまで真っ赤にやけどしたみたいになっていて夜中に誰かに熱湯でもかけられたのか?
とおもうぐらいに熱かった。
右足もすこしそんな感じで
しびれたようで感覚がなかった。
完全に意識がもどったころ昨日のことを思い出し
あぁそうだ。
たしかCDプレイヤー買ってきたから酒飲みながら楽しく聞いていたと思い
ゆうべ座っていたテレビの前に目をやるとカーペットが濡れている。
俺が座っていたあたりに直径30センチぐらいに酒のこぼれたあとがあった。
その真ん中あたりにコンセントからひっぱたタップがあった。
もしやと思い近づいてコードをもってタップを吊り上げたら
ポタッポタッとタップから酒がこぼれてきた。
やっと状況がのみこめた。
こぼれた酒がタップにかかって感電したのだと。
そしてそのまま気を失って寝てしまったのだと。
よく見るとその左足のつけねあたりがすこし茶色くこげたみたいになっていた。
その年のみ4月ごろ夜、岡崎から豊田にかけて雹が降ったことがある。
雹自体そのぐらいの季節に降るのはべつにめずらしくはないらしいが
そのときはニュースにもなった。
めったに降る物じゃないからめずらしかったのだ。
その寮の部屋で
ラップ現象に悩まされていた。
もうはんぱじゃないやつ。
壁にひびが入るんじゃないかっていうぐらいはげしいやつが
一分間に約4~5回のペースでずっと鳴りつづける。
規則的ではなくランダムに来る。
1分で2O回ぐらい鳴るときもあれば1回だけのときもある。
そんな状態がその旅にでる前2ヶ月ぐらいずっと続いていた。
しまいにゃ気が変になりそうだった。
夕暮れ時に3~4回やってきたあの、あやしげなラーメンの屋台。
アパートから会社に向かう最初の辻の手前にいつもその屋台はとまっていたのだが。
あんな気持ちの悪いラーメンの屋台には、あれ以前にも以後にも出会っていない。
顔つきのはっきりしないおやじが畑にお湯をまいていて
ラーメンを作って売っているようには見えなかった。
なにがきもち悪いのかというと
そのチャルメラの音だ!
マイナーだったのだ。
つまり短調なのだ。
音がひとつだけ半音下がってる。
聞いてみなければわからないと思うが
とにかくものすごく暗いのだ。
夕暮れ時にそいつを鳴らしやがるものだから
たまったもんじゃなかった。
もう死にたくなるような悲しい響きのチャルメラの音だったのだ。
そのころやたらと宗教団体のやつらが不自然なぐらいに
もう鼻につくぐらいに俺に接触してきやがった。
前置きはこのぐらいにして
本題に入る。
その日おれが向かった先は岡崎。
名鉄の東岡崎駅。
八曜舎という愛知県で最古のライブハウスがある。
そこにいくために平戸橋駅から電車に乗ったのだ。
こいつは前にも書いたと思うが、あのサイトにのせたら全部消された。
途中の三河知立の駅で電車が止まったときに
俺は進行方向、向かって左側の席に座っていた。
なぜかは知らないけど
なかなか電車が発車しない。
前を見たら
前の座席に座っているひとたちが
みんな左側の窓から顔出して下を覗き込んでる。
なにをやっているのか?
と思って俺も窓から下をのぞいたら
デコトラのランプみたいなやつが電車の下側にずらっと、ほぼ一メートルぐらいの間隔で取り付けてあって
そいつが全部緑色に点灯していた。
何これ?
なんで?
どういうこと?
名鉄に聞きたいぐらいだ。
あのランプはいったいなんなのだ。
もうひとつあった。
その旅に出る前の奇妙なことが。
こいつだけはかいておかねばらならい。
信じる信じないは勝手だが
俺は見たままをかいているだけ。
(モノクロ・サザエさん事件)
こいつは気色わるいよ。
そしてちょっと怖い。
俺も今思い出すと少し怖いわ。
その日水曜日だったか知れないが
サザエさんは確か日曜日と水曜日週に2回放映されていたと思う。
会社から帰ってきていつものようにテレビをつけっぱなしにして新聞を読んでいた。
その日はテレビのまん前で読んでいた。
サザエさんがはじまったのはわかっていた。
しばらく夢中で新聞の記事を読んでいて
あれ?
と思った。
テレビから音が出てなかったから。
ご存知のようにサザエさんというのは番組中ずっと音が流れている。
せりふがないときはBGMみたいなものが流れている。
だから音がでてないもんだから
ふっと顔をおこしてテレビをみて凍りついた。
画面がモノクロになっていて
ちゃぶ台のまわりに
カツオとワカメがすわっている。
最初画面が止まっているのかと思ったが
よくみるとちがう。
カツオもワカメも目のまわりを黒く隈がふちどり
口元からよだれをたらして笑っている。
気持ちが悪くなりおれはあわててテレビのスイッチを切った。
こいつは本当のことだ。
俺の部屋のテレビだけがああなったのかどうかは知らんが
なにかこの世には人智をこえた人間の理解のおよばないものが確実に存在しているような気がした一瞬だった。
あれ以来サザエさんを見なくなってしまった。
嫌いになった
東岡崎駅についた時のことはもうあんまり覚えていない。
何時ごろ着いたとかそういったこまかいことは。
もう23年まえのことだし。
覚えているところだけ書き出していく。
時間にずれが生じてくるかもしれないが
岡崎に着いたころはまだ確か明るかった。
午後3時ぐらいじゃなかったかと思う。
だからひょっとしたら豊田のアパートを出たのはあの休日出勤の翌日だったかもしれん。
もうその辺の記憶は忘れてしまった。
申し訳ない。
八曜舎はまだ開いていなかった。
午後3時ぐらいだったし。
しかたがないからそのへんで時間つぶすか。
そんな感じで岡崎のまちなかを歩き回った。
重たいギターケースだけかついで。
ストラップが肩にくいこむ。
岡崎城のある岡崎公園のほうまで川をわたっていってみた。
また東岡崎のほうにもどって
こんどはJR岡崎駅のほうへとあるく。
やたら安産祈願と書かれた紙があちこちに貼ってある。
あれは岡崎名物だろう。
いまでもあると思う。
どこかの寺で一休みし
中上酒店まえの自動販売機で缶ビールを買って飲みながら歩いた。
JR岡崎駅まえでギター弾いて歌ったのを覚えている。
即効で作ったどうしようもないほどひどい歌ともよべぬようなやつを演った。
たちどまって聞くものなど一人もいなかった。
あのころ日曜日といえばかならず
毎週といっていいほど
名鉄豊田市駅の構内で一人で路上ライブやっていた。
あのころ路上で一人で歌っているやつなどほとんどいなかった。
1988年当時
ほかの街とか都市とかはしらないが
ちょっとわきにそれるが
今思い出した。
18歳のとき
俺がはじめて路上ライブなるものを経験したのは
あの中沢幸男にけしかけられてのことなのだ。
中沢幸男【中ちゃん】とおれは呼んでいた。
あのころ確か24歳だったから
俺より6つ年上だった。
彼は26歳で死んでしまったが
場所は東京の池袋。
この場所が俺が生まれてはじめて路上ライブをやった地ということになる。
厳密に言うと
池袋の駅の構内
あの広い中央コンコースみたいなところ。
コンクリートの柱を背に3曲ほどやった。
今でもあるかどうか知らないが
池袋にふくろという朝からやっていた居酒屋があった。
入り口がせまく奥にずっと長いみせだったと思うが。
そこで中ちゃんがこういった。
「歌え」
俺が一杯おごってやるから。
と
そういってそこの「ふくろ」につれていかれた。
菊正宗かなんだったか知らんが
ガラスの徳利に入ったあの日本酒一本飲ませてくれて
俺が看板かいてやるとか言って
看板?と思った。
看板って何?
そうしたら紙になんか書いていた。
そうたしかこんな様なことが書いてあったと思う。
ぼくはヤマ(山谷)からきたのです。
歩いてみると実に様々な人たちが….みたいなことが書いてあった。
空き缶がなかったから、フルーツか何かかが入っていたような透明なビニールパックみたいなやつをどっかから探してきて準備万端整った。
いまはギターケースを銭受けの空き缶がわりに使っているようだが
あのころ1980年は、まだ東京は竹の子族全盛で、路上で弾き語っているやつなどほとんどいなかったのだ。
そいつを前におき、
やつはおれのとなりに座り込んでいた。
まだ若いのに
うすよごれた七分を履いていた。
俺は歌った。
一番最初にうたったのが岡林の「流れ者」だった。
駅の構内という建屋の中だからけっこう音が反響していい感じにリバーブがかかる。
そのあとトム・パクストンのランブリングボーイ
もうひとつ何か演ったがもう忘れた。
信じられないかもしれないが
あの日そのビニールパックに1,600円ぐらい金が入った。
生まれてはじめてやった路上ライブでいきなり金が入ったものだから二人で大喜びしたのを覚えてる。
ちなみにその中ちゃんとはたっぱ身長が186cmぐらいある背の高い男で
ヤマでは怪物君とよばれていたらしい。
ずっとむこうの柱のかげで聞いていたサラリーマン風の人が百円玉と十円玉でいくらかいれてくれておれたちにこう言った。
「がんばってください」
うれしかった。
どっかで聞いていてくれたと思われるまだ若い女の子が早足にやってきて千円札一枚いれて逃げるように立ち去った。
岡崎市 福岡町
夜の7時までまだ時間があったので
JR岡崎駅の近くのバス停から市営バスに乗った。
とりあえず行き先はどこでもよかった。
たまたま乗ったそのバスが福岡町行きだった。
あのバスもちょっと変わっていて
大通りからしばらく走って細い道へと入って行く。
そこから先は、回りは田んぼだとか民家が立ち並ぶ場所を
バス一台がぎりぎり通れるぐらいの、細い道をゴトゴト音立てて走っていく。
その道は一方通行で
いまでもあのバスは岡崎駅から出ているらしい。
終点の福岡町に着くと
あのころはまだひなびた小さなバス停だった。
バスを降りると
なんだか町全体が、他の街とは隔絶された陸の孤島。
そんな感じがした。
町全体が古ぼけて
ほこりをかぶっているような
そんなイメージを受けた。
そのバス停の突き当たりに「長崎」という名前のお好み焼き屋があった。
十字路の右がわにあるその店は入り口が二つあり
手前に一つ
そして
左むこうにもう一つ別の入り口があった。
俺は左側の入り口からその店に入った。
中は座敷になっていて客は俺一人だけ。
時間は5時頃だったと思う。
まだ外は明るかったから。
入り口から入って一番手前の鉄板が仕込んである座卓の前に入り口に背を向けて座った。
向こう側の入り口はカウンター席になっていて
向こうの入り口側と
こちらの座敷側をカウンターが仕切っていた。
40半ばと思われる奥さんが出てきたので
ビールとやきそばを頼んだ。
しばらくするとビールとやきそば持って来た。
ビールを飲みながら左側に目をやると左側は大きな窓になっていて
10メートルぐらい先が竹林になっていた。
とても静かなところだった。
ちょうどビールが空になりかけたころ、そこの娘と思われるセーラー服を着た中学生ぐらいの
女の子が帰ってきた。
俺はその娘にビールをたのんだ。
その娘はカバンをおいてすぐにビールを持ってきてくれた。
どのくらいだろう?
15分ぐらいするとそこの奥さんがすごいけんまくでやってきて俺にこう言ったのだ。
「勝手にビール出さないでください!」と俺に怒った。
俺はなにも言い返せなかった。
その、けんまくに押されてだまっていた。
しばらくするとまたその奥さんがやってきて俺に今度は謝った。
「すみません。娘がビールを出したそうですね。しらなかったもので…」と
俺はだまっていた。
そしてまたもう一度その奥さんがやってきて俺に言った。
「あのお店7時に閉めますので」と
俺は金を払ってその店を出た。
あたりはもうすっかり暗くなっていた。
バス停で待っているとすぐに折り返しの東岡崎駅行きのバスが来た。
市営バスにしては豪華な内装のバスだった。
天井からはシャンデリアがぶら下がり、シートも福岡町行きの時とはまったく違っていた。
八曜舎の前にはバス停はないのだが、その店の前にバスが差し掛かったときに
「ここで降ろしてくれないか。」とおれが運転手にしゃべった。
運転手は了解してすんなりバスを止めてくれた。
俺は八曜舎の前でバスを降りた。
店に入っていくとその日はライブの予定はなく
マスターが一人で店にいた。
ちょうど一ヶ月ぐらい前に、ここで南正人のライブがあった。
その時ここで自作の詩の朗読をマイクのまえでやらせてもらっていた。
当然南正人も了解済みで。
俺が「あの、すみません。俺の詩の朗読させてもらえませんか?」と言ったら
「うん。いいよ」と彼が言った。
ぼくそういうの大好き。
「どんどんやって」と
そういうことがあった。
八曜舎のマスターとしゃべるのはその時がはじめてて
「炉」の仕事やってる?
と俺に聞いた。
「炉」?
鍛造のことか?
なぜ知っている?
と思ったが。
「うん」
と答えた。
そのとき歌を聴いてもらいにいったのだが
即効で作ったそのわけのわからん俺の歌をきいて一言
「だめ」としゃべった。
そのあと色々しゃべって
あの時南正人のライブのときもらったビラの話になって
マスターが、「あれすごいこと書いてあっただろ?」
と俺に言った。
すごいこと?
たしか「裏町に逃げ込めば生き延びられる町さ。」
みたいなことが書いてあったけど
あれがすごいことなのか?と思った。
そんな感じで、全然話がかみ合わないもんだから
しょうがないから俺が「この近くにどこか安くで泊まれるところはあるか?」と聞いたら
「岡崎健康ランドでも泊まれば」とそっけなく言った。
俺は八曜舎を出た。
タクシー止めて「岡崎健康ランドまで行ってくれ」と運転手に言った。
そのころから大気の匂いが変わりはじめていたのに気付いていた。
いままで感じたことのない匂いで
それはその後一週間のあいだずっと続くのだが
なんて形容すればいいか
近未来の都市の匂い。
でなきゃオゾンの匂いとでも言えばいいのか
そんな感じの匂いで
あの旅の前にも後にもまったく感じたことがない匂いだった。
岡崎健康ランドの前でタクシーはとまった。
俺は降りた。
入り口に向かって歩いて行くと
入り口の両脇に巨大な狛犬。
まるで神社みたいだった。
その狛犬は普通の神社にあるそれの5倍くらいはあったろうか。
とにかく大きかった。
いやな予感がした。
中に入っていくと一面ガスがたちこめたようにやけに白っぽく
ロビーまでずっと。
受付のカウンターに女が4人ぐらいいて
みんな赤い制服を着て赤い帽子を被っていた。
近づくとなんだか様子がおかしい。
その女たち4人とも目がラリっていたのだ。
薄気味悪くなりすぐそこを出た。
少し外の風に吹かれ
またタクシーに乗り
どこか安いビジネスホテルみたいなとこまで連れてってくれ。
と運転手に言った。
タクシーは岡崎公園の近くのビジネス旅館まで連れてってくれた。
その日はそこに泊まったのだが
朝まで眠ることはできなかった。
なぜなら
その部屋にうごめく煙のようなものが、朝まで部屋の中をまるで水中を泳ぐ魚のごとく
部屋の中を泳ぎ回るものだから気になってとてもじゃないが眠ることなど出来なかったのだ。
このあたりでもうちょっとやそっと変なものが現れてもさして驚かなくなっていた。
翌日
天気は晴れ
東岡崎駅方面へ向かって歩いていくと、川のむこうがわのホテルから煙が吹き上げている。
しばらく歩いて駅を通り過ぎ丘のうえまで上っていく。
丘の頂上でギターを取り出しチューニングするのだが
どうしても一本だけ弦の音が合わない。
どうしても合わないからジャラーンと一発かき鳴らし
ケースにギターをしまい丘を下っていった。
野良犬が一匹俺の前を歩いていく。
JR岡崎駅から電車に乗る。
構内アナウンスが流れた。
いつものそれと違い1オクターブ高い宇宙人みたいな声で
「まもなく電車がまいります。この電車は浜松・神戸行きです。白腺の内側に入ってお待ちください。」
と流れた。
ちなみに岡崎は浜松と神戸の中ほどにある。
俺は聞き流した。
もうおどろかねぇ
まったくもって妙なことになった。
それでも電車はやってきた。
どうやら関西方面への電車らしかった。
名古屋駅を過ぎどんどん電車は走っていく。
雲行きがおかしくなってきていた。
どんよりと
雨雲がたちこめ
やがて山間を走っていく
いくつかトンネルをくぐり
途中で何度か駅で停車し
その電車の座席は両端長いすタイプで窓を背にしてすわるタイプの電車。
その時おれの前に
らしからぬ年寄りが座っていた。
年は86ぐらいのばあさんで
でっかい袋からせんべいをとりだしボリボリ音たてて食っている。
なんだかやたらとせわしなく、きょろきょろまわりを見渡し、そして前に座っているおれをじっと見る。
そしてまたきょろきょろしたかと思うとまたおれをじっと見る。
そのくりかえしで
そのあいだずっとせんべいを食い続けているのだが
その食いのスピードが尋常じゃなく
こいつ本当に年寄りかよ?
と思った。
少し腹が立った。
それからどのくらいその電車に乗っていたのかはもう忘れた。
途中でその電車を降りてホームの長いすにこしかけタバコを吸ったのを覚えている。
ホームから見渡すその街は
街全体が濡れていた。
空は桃色だったが
たぶんつい今しがたまで雨が降っていたのだろう。
時刻はたぶん夕暮れ時で
次にやってきた電車にまた俺は乗り込んだ。
そのころからどのあたりを走っているのかまったくわからなくなっていた。
わかっていたのは
その電車が関西方面に向かっていることだけで
その二度目に乗り継いだ電車はけっこう混んでいて
俺は入り口のそばにギターケースをかついだまま立っていた。
とある街中を電車が高架の上を走っているときに
また雨が降り出していたのだが
電車から見下ろすその街中のビルから煙が上っていて
炎も見えた。
どうやら火事みたいだった。
それを指差し、なにやら深刻な表情でとなりの人になにかしゃべってる男がいるかと思えば
そのとなりには夢見る瞳の女の子が夢見る瞳で目を潤ませて反対の方向の中空をみて夢見ていた。
なんだかずっと電車のなかをみわたすと
どいつもこいつも自分勝手なかんじでバラバラだった。
その火事に気付いている人はその人と俺をのぞいてほとんどいないみたいな感じだった。
やがてとっぷりと日が暮れて
あたりは闇
電車の窓には車内が写り始める。
もう窓の外の風景は見えなくなっていた。
二度目の夜がやってきたのだ。
そのあとまた電車を降りた。
すっかり暗くなったその名も知らぬ駅のホームを歩いた。
けっこう大きな駅で
ホームが6つぐらいあり
その駅のホームの柱の下にゴミ箱があり
そのゴミ箱の上のちょうど目の高さあたりにその貼紙が貼ってあった。
A4サイズの紙に写植文字で印字されたその紙は、にわかに作られたものではなく
こう書かれてあった。
「古いたばこはここで処分して下さい。」
俺はしばらく釘付けになったようにその張り紙を見ていた。
こいつはどういうことか?と
しばらく考えた。
古いたばことはいったい何を指して言っているのか。
妙だと思わないか?
この世界でそんな貼紙みたやついる?
ただそのころから気付いていた。
ここはもうあの住み慣れた
ついおとといまで暮らしていたあの世界ではない。
この日本でありながら
もう一つの日本
そちら側に俺は迷い込んでしまっていたのだと。
うまく言えないが多元宇宙論とか平行宇宙論なるものがあるらしい。
俺は詳しいことは知らないが
たぶんこの世界には次元というものがある。
そいつは1つではない。
最低でも2つある。
今俺がこれを書いてるこの世界をこちら側とするなら
あの一週間に渡る旅はたぶんあちら側ということになる。
とうぜんあちら側にも人はいた。
いっぱいいた。
ただあちら側で暮らしている人たちは
こちら側をたぶん知らない
その存在さえも。
それはこちら側からもまったく同じにいえること。
もうここらであんなくそ女のために書いているという目的すら消えうせた今
これを書き続ける意義があるのか?
とも思ったが。
俺は書くよ
最初に言ったように最後まで書ききるよ。
もうこうなりゃ
じぶんのために書くのさ。
そのあとまた電車に俺は乗り込んだ。
その三番目に乗り継いだ電車はそんなに混んではいなかった。
人もまばら。
そんな感じだった。
その電車にはそんなに長くは乗ってはいなかった。
なぜなら俺はまたとある駅でホームにおりたからだ。
その駅はホームはたしか2つだけで
ホームから上に階段があった。
その階段を昇ったところにその駅の改札とか切符売り場とかがあったのだが
どういうわけかその駅には人が一人もいなかった。
駅員さえもいなかったのだ。
俺はその上の駅のベンチに腰掛けてタバコを吸った。
目の前は駅の内部に作られた喫茶店。
明かりが点いていて営業中だったみたいだが
俺はその店には入らなかった。
そのとき俺の左側からまだ小さな女の子が
たぶん小学校の2年生ぐらいの女の子が左から右へと俺の目の前を横切った。
正確にいうと駆け抜けた。
そのとき俺は前ばかりその喫茶店みたいな店ばかり凝視していたので気付かなかったのだが
その女の子が走っていった先がちょうどテラスみたいになっていて
おかしな話だが
駅のそのテラスのまえが四つの窓の開き扉になっていた。
そしてその扉の向こう側に四つのベンチがしつらえてあった。
おれは横目でそいつを見ていたのだが
その女の子がそこに出て行くまでどういうわけかそのテラスにさえも気付いていなかった。
よほど考え事をしていたのだろう。
考えてみれば変なことばかりが立て続けに続き
意味などない混乱とも呼べるべきその不条理の旅の中で
かなりネガティブになっていたことは確かだ。
だけどもその女の子が去ったあとに
おれもそのテラスに出てみたのさ。
すごかった。
びっくりだ。
あそこはたぶん琵琶湖だと思うのだが
Googleで検索かけたらホームから琵琶湖が見える駅はないらしい。
こんな感じだった。
月はでていないから空は暗かったけど
その変な駅の突き出しのテラスには手すりがついていた。
下をのぞくと砂地だった。
電柱が一本立っていて裸電球が下を照らしていた。
その下で野良猫が2匹ごみを漁っていた。
そいつを見たときに俺は底知れない寂しさに包まれた。
なんでおれはこんなところに来てしまったのか。
もう帰ることは出来ない。
泣きそうになった。
まえを見たら
下からちょうど釣り人が二人竿をもって琵琶湖の波打ち際にあるいていった。
まっすぐにそのやみを見据えると
遊覧船が旋回していた。
どういうわけか窓にひとつも明かりが灯ってなく
真っ暗で
まるで幽霊船みたいだった。
かすかに旋回するときにその船底のきわの波しぶきがかすかに白く光ったのをおれは見た。
そしてその砂地の上に飲み屋があった。
白い看板にたしか幸とかかいてあった。
キリンビールのロゴも見えた。
そのテラスから見下ろして高さ約4メートルぐらい。
柱をつたって下まで降りて
あの砂地の上に立っているあの変なスナックで飲みたかったのだが
結局俺はまた下のホームまで下って次の電車にのったのだ。
また電車にのりつぎ
とある駅で俺は電車を降り、始めて駅の外に出ることになる。
もう財布には1万円ぐらいしかなかったと思う。
その駅を降りると改札口まで通路が弧をえがいていて
やたらと喪服を着た人の群れに出会った。
またもあいかわらずそれまで見たこともないような奇妙なポスターがいっぱい貼られてあったのだが
全部無視した。
こいつの目的は俺を混乱させることだと知っていたから。
だから無視したのだ。
JRの駅員の制服というものは共通ではなかったのか?
どういうわけか
あの俺が降りた駅の駅員2人は立派な制服を着ていた。
薄い茶色のむかしの軍隊のような制服で
頭に立派な帽子を載せていた。
精算所で岡崎からたしか隣町までの切符しか買ってなかったので
そこで精算したらたしか6,800円ぐらい取られたと思う。
だからその旅2日目にしてすでに俺の財布には3千円ぐらいしかなかったのだ。
駅の外に出るとその町は、町と呼ぶのも憚られるほどの小さな町だった。
駅前にパチンコ屋が一軒あって
線路沿いの右側の道を線路に沿って歩いていくと、右手にビリヤード場が一軒あり
さらに歩いていったら闇の中にひっそりと立つ、飲み屋が3軒ほど入った平屋の建物があった。
俺はそこに入っていった。
その建物の中はやっぱり細い通路がゆるやかに右側に弧をえがくようにカーブしていて
通路の天井には古びた蛍光灯が等間隔で灯っていた。
ずっと奥まで。
けっこう明るかったのだが
そこに入っているスナックと思われる看板が3つほどその通路の右側に見えた。
店の名前は一つはたしかトミ子。
もうひとつが三島とあった。
そのトミ子という店に俺は入っていった。
小さな店だった。
ママと女の子が一人いるその店の中は客が一人いた。
俺はその客の左側に椅子2つほど開けて座った。
その客はかなり年配の男で最初は実に静かに飲んでいた。
店のママは中肉中背のどこにでもいそうな中年女。
女の子のほうは黒地に大きな白いドット模様の入ったワンピースを着ていた。
よくしゃべる明るくていい子だった。
関西なまり?
すこし京都弁みたいな感じで俺に何度か話しかけてくれた。
うしろの壁にはホログラムみたいに、背景の空の色が絶えず変わり続けるニューヨークの写真が飾られてあり
しばらく俺はその写真を面白そうに見ていた。
最初の異常に気付いたのはそのあと。
俺はビールを一本たのんで飲んでいたのだが
まだグラスに一回注いだだけでほとんど口をつけていなかった。
ビール瓶はおれの左斜め前においてあったのだが
まだほとんど飲んでいないのに、どういうわけかビールが半分ぐらいに減っている。
そしてまた店内を見渡して、またそのビール瓶を見ると今度はもうほとんど空になりかけていた。
俺はあせった。
なんで飲んでもいないのに俺のビールが減っていく?
そのときそれまで静かに飲んでいたそのおれの右隣の年配の男が急に酔っ払い始め大声で何かわめいていた。
まえのカウンターを見ると、小さな紙切れが俺の目の前に置いてあった。
まるでおれに読めといわんばかりになにか書かれてあった。
おれはその紙をのぞきこんだ。
そしたらこう書いてあった。
「あなたってだめね。いつまでたっても子供ね。」
これはママが書いたのか?
カウンターの向こうのママを見ると
下をうつむきものすごい形相でアイスピックで氷を砕いていた。
砕くというより氷を突き刺す。
そんな感じだった。
飲んでもいないのにビールが減っていくものだから俺はママに聞いた。
「ねぇ。
今いくらになっている?」
とママに聞いた。
そしたらママがこう言った。
「なんで?
どうしてそんなこと聞くの?」
って。
だから俺がこう言った。
「今日あまりお金持っていないから。」
そのあとそのママがなんていったと思う?
こう言ったのだ。
「財布見てごらん。」
妙なことを言うなと思って
俺の?
って聞いたらママはだまってうなずいた。
俺は上着の内ポケットの財布を取り出し確認した。
たしか財布の中身は3千円ちょっとだったはず。
だがどういうわけか金が増えていた。
つまり千円札が二枚増えていたのだ。
だから5千円になっていたのだ。
あんなことはあの時以来一度もないが
この女魔法使いか?
と思った。
びっくりしたけどだまっていた。
それからしばらくその店にいた
おれの上着の右のポケットに
FREE DIARYと濃紺の地に白抜きで書かれた
その厚さ約2㎝ほどある分厚い手帳、
そいつに
おれの
その当時の
たわごとが
書かれてあった
その店で
その手帳をその黒地に白いドット模様のワンピースを着たその女の子だまって渡した。
彼女はしばらく真剣な顔で俺が渡したその手帳を見ていた。
3分ぐらいして顔をあげて京都弁で言った最初の言葉はこうだった・
「ねぇ。尾崎豊なんか好きぃ~」
そんな風に俺に言った。
はっきり言って
おれは尾崎とかほとんど関心はなかったのだが
彼女の気分を損ねないように
「うんまぁ嫌いじゃないよ」
みたいなうそをついたのを覚えている。
そのあと小便がしたくなったものだからママに「ねぇトイレどこ?」って聞いたら
店出て右側いったらあるよ。
と教えられた。
俺は勘定を払ってその店を出た。
小便がしたかったものだから。
ずっとママが言ったように歩いていくと
確かに便所があった
ずいぶん古めかしいと思ったが
男子トイレのほうはまるで中国の便所みたいにコンクリートの溝があるだけ。
そのうしろに
板木でできた扉の女用の便所が4つ
おれがそこで小便を放尿していると
後ろからさっきのトミ子のみせの女の子が駆けてきて
その女便所に入った、
「バターン」とでっかい音立てて扉を閉めたかと思ったら彼女の放尿の音が勢いよく聞こえてきた。
女と連れションかよ。
と思ったが
俺はそこを出て行った。
その店を出て
またその線路沿いの道をまっすぐいって
20メートルぐらいいくと
右側に道があった。
右に折れてその道に入ったとたんまた屋台に出くわした。
そう
ラーメンの屋台だ。
あの
平戸橋の時とは正反対に
子供の顔をしたおとなの体のやつが二匹いた。
ラーメン食ってた。
つるんとした顔で
坊主頭。
身長は170㎝ぐらいあるその変なやつ。
顔は
どう見ても小学生ぐらいにしかみえない
そのバカっぽいやつともう一人その仲間がいて
ラーメン食っていたのだが
俺もここでラーメン食っていこうかな。
と思ったが
さっきのトミ子で2,000円ぐらい払ったものだからあんまり金はなかったし
その変な屋台のラーメン食ったらますます頭が混乱しそうだったから
ラーメン食うのはあきらめて
だまってそのわきを通り過ぎた。
そのラーメンの屋台を通り過ぎ真っ直ぐ歩いていった。
300mほどいくとT字路になっていて
俺は右に曲がる。
その右側の道を真っぐ歩き続けた。
俺は時計すら見てなかったのだが
今何時なのか?
時間を確認するのももう忘れていたのだ。
でも左の手首にちゃんと時計ははめてあった。
ちょうどその旅に出る半年前ぐらいに手に入れた腕時計。
おれは気に入っていた。
その時計が。
黒い文字盤に金色のリングが刻印されて
ローマ数字で時間番号が打ってある。
好きだった時計で
俺はそいつを悪魔の時計と呼んでいた。
その道はひたすらまっすぐ。
上を高速道路が走っていたのだが
下は何もない田舎道
田んぼだとか
畑だとか
街灯すらろくに点ってなく
真っ暗なその
高速道路の下の道を歩き続けた。
そう
歩いているうちに
夜が明けてきた。
もうおれは
重たいギターケースかついでるし
はっきりいって
くたくただった。
その夜明けとともに
たどりついた場所に
駅があった。
時間は朝の5時くらい?
おれはその場所で駅を前にして
しばらくその駅の前の植え込みに埋もれるようにして座り込んでいた。
空を見ると
曇り空。
灰色の空がぬっぺりといつもの青を隠してた。
それからしばらくあっちこっち見ていた。
その駅の名前は知らんが
俺はその駅に入っていった。
どうやらその駅は
中途ではなく
発車地点?
東京で言ったら相鉄線の横浜駅みたいな感じ。
あと新宿の小田急線のホーム?
とにかくそんなかんじで
線路の終点がぶち切れていたのさ。
でも変だよな。
あの日
その駅入っていったら
静かな音楽が流れてる。
クラッシックみたいなやつ
そして
その線路の終点はとうぜん切れていて
その先に大きな花瓶が二つあり
そいつに菊の花が生けてあったのさ
厳か。
そんな空気が支配していたその駅は朝早く人もまばら。
もういちど厳密に言うと
おおきな花瓶。
花を含めて縦1mぐらいあるやつが2つ。
その駅の壁際に置いてあり
菊の花がこれでもかっていうぐらいびっしり生けてあった。
そんな感じ。
ただずっと気になっていたのがあの音楽。
普通駅に音楽なんぞ流れるか?
でもあの駅。
早朝であるにもかかわらず
その静かなるクラッシックが流れていた。
あくまで聞こえる限度のうるささの最下位で鳴っていた。
だからその音楽のせいで
なおいっそう厳かな雰囲気がその駅を支配していた。
電車はあずき色
だから初めて見たあの電車は阪急線だ。
おれは電車に乗り込んだ。
人もまばらなその電車は一両あたり4~5人ぐらいしかまだ人は乗っていなかった。
たぶんその電車が始発だったのだろう。
なかなか発車しなかったから。
15分ぐらいすると
ゴトンと音立てて動き始めた。
その駅の建屋の中をぬけて外へ電車が走り出した。
その電車のなかで考えていた。
なぜこんな旅に出ねばならなかったのかと。
漠然とあったのは「ギターを持って都市を目指せ」だった。
たぶん東京。
最初は東京へ向かうつもりだったのだが
その前にあの岡崎の八曜舎のマスターに一度会っておきたかった。
その走る電車の外のことはもうほとんど覚えていないのだが
とある駅で止まった時に俺はそこでホームへと降りた。
その駅名だけ
どういうわけか覚えている。
その駅の名前は「正雀」(しょうじゃく)だ。
ちょっと変わった名前の駅名だったので
たまたま電車の中からその名前が見えたものだから
おれはその駅で降りた。
精算所で金を払い外に出る。
とにかくもう金もないし
こちら側の世界でこれから生きていかにゃならん。
そのためにはやっぱり金がいる。
ということで
その正雀の駅からほど近い新聞屋に入っていって
「すいません。俺をここで住み込みで働かせてはもらえませんか?」と言ったら
そこのオヤジが
保証人とかいる?
と聞いてきた。
そんなものはいない。
とおれが言うと
じゃぁダメ。
とことわられた。
まぁ当たり前だよな。
それから駅の近場をぐるりと一回り歩いてまわり
また駅に戻ってきた。
その正雀駅に。
ポスターが貼ってある。
同じやつが何枚も。
たしか「ファイブスター」とかいうミュージカルっぽいポスターで
そいつをまじまじ見ていると
「えっ」と思った。
主人公の写真が真ん中にある。
ステージ衣装で写っているそいつの顔。
たしかに見覚えがあった。
こいつはあの山谷の栄三じゃないか。
似てるとかそんな次元じゃなく
もうあいつそのものだったのだ。
ところであの1988年当時その「ファイブスター」とかいうミュージカルがあった?
そこも不思議だよね。
またその駅に入っていくのだが
かなり例のその大気の匂いが激しく鼻につく。
最初オゾンの匂いと書いたけど
本当はこう書きたかったのだ。
オゾンホールを突き抜けて降り注ぐ
宇宙からの放射能のにおいと。
感覚的に捕らまえていうならそいつがもっとも的確な言い回しだと思うのだが
この回顧録を書き始める前
Googleで調べたら放射能というものは
基本的に無臭らしい
しばらくその正雀駅のホームで座っていた。
となりに女がこしかけたのを覚えている
ズボンをはいていたが
足を組み
たばこに火を点け
斜め上45°に
フーっと煙を吐き出した。
なぜだかしらないけど
顔はみていないが
その女に
かつてどこかで会っている
そんな気がした。
空気感でわかった。
電車を何本かやりすごしながら
電車が停まる
中に乗っている人間の顔を見る
見覚えのあるやつはいないか?
運転席から車掌らしきやつが顔をつきだす
なぜか顔がやけにどす黒く
目だけギラギラ光って
まるで獣みたいだった
その電車は「動物園」行きだった
そいつに乗ったら最後
動物園に放り込まれ
ライオンのえさにでもされそうな気がしたので
乗る気になれなかった
そんなばかげたことを真剣に考えねばならないほど奇妙だったのだ
まともな世界ではなかったのだ
雰囲気が
そんな感じだった
そのあとやってきた電車に乗った
地上から高架の上に向かって走っていった
しばらくすると
電車の中の人たちの様子がおかしい
ざわめきはじめた
みんな外を見てなにかしゃべってるが
俺には聞こえない
なにかが起きてるみたいだったが
なにを見てさわいでいるのかさっぱりわからない
皆目検討がつかない
そのざわめきかたはまるで
窓の外に飛行機でも墜落したかのような
おおげさなざわめきかたで
だが窓の外はいたって平穏で
何にも起こってはいなかったのだが
俺にだけそう見えてたのか?
それとも
あの乗客たちみんなはまぼろしか?
あるいはあの人たちは別のものを見ていたのだろうか?
いずれにしろ
その乗客のざわめきうろたえるのを見ているとこっちまで
不安になってくる感じで
あれは今思えばたぶん惑わしだ。
そのあとなんどもそんな場面に出くわす羽目になるのだから
ロダンの考える人の銅像
丘の上
バス
ボーリング場
ガード下
ざるそばは2人前
空港っぽい駅
惑わしの乗客
アーケード通り
改札の駅員には俺が見えない?
地蔵
印鑑屋
小人の店員
背中の砂
狂った信号機
動かない自動車
自転車
ラジオ
超高速道路
置き去りにされたような駅
丘の上の公園
丘の上の銭湯
過激な丘の上のたまご売り
奇妙なバイク遊び
その下の公園
夕暮れ時が朝のよう
夜の高速道路
その上を跨ぐ陸橋
つきあたりは真っ暗
丸太のバリケード
森
公園
白い石像
月明かり
幽霊のようなアベック
再び
くりかえす東京砂漠
豊中警察署
留置場は地下
壁も天井も床も一面ペンキの青
毛布は2枚
夜明けとともに釈放
案内の刑事
切符
その男は消える
四天王寺
無言の満員電車
その先は不確か
大阪でのことは
弁当屋
曇り空
やがて雨
土砂降りの雨
ずぶ濡れる
日の沈みかけた
雨上がりの
道路の
むこうの電線に
からす一匹
足が死んだようになる
豊中病院は平屋建てだった
あの夜だというのに
目がチカチカするほどの
あの空気のにおい
外に出るが
また看護婦に連れ戻される
「引き抜くか?」
とその若い看護婦のこえが頭の中で響き渡り
そのまえに
あの
背の低い2人の制服の警察官
おれに赤い子供用の傘を逃げ腰でわたしながら
こう言った
「これさしてどっかいけ!」
あきらかに俺を怖がっていた
大阪では2晩過ごした
一日目が
豊中警察署の留置場
2日目が豊中病院?のベッドの上
記憶を頼りに大阪でのその3日間
そしてあったものを端的に書き出してみたら
上に書き出した言葉になった。
そんな感じなことがあって
電車はやがてとある大きな駅に着いた
つきあたりの駅だったような気もするが
あまりよく覚えていない
だからその駅の名前も知らない
ただ大きな駅だった
まるで空港のような感じで
そこに着いた時には
その
空港みたいな駅は
人がごったがえし
またもやパニックみたいなかんじで
人々がうろたえまくっていた
あっちみて騒ぐやつ
こっち見て騒ぐやつ
蜂の巣をつついたようなというが
まさにあんな感じで
なにをあんなに騒いでいたのか知らないが
すぐ近くで大事故でも起こったような騒ぎぶりで
「またかよ?」
と思ったが
実際何にも起きてはいなかったのだから
その人ごみにまぎれてまっすぐ改札口へと歩いていった
大きなギターケースかついでいたから
けっこう目立ちそうなものだが
改札を抜けるとき
その駅の改札員は俺を見ようともしなかった
だから俺はやつに切符をわたした覚えがないのだ
その駅員にはそう
まるで俺が見えていないみたいな感じだった
外に出ると食堂街だった
考えてみると
2日まえに岡崎のあの福岡町のお好み焼き屋で
やきそば食っただけで
そのあと何も食べてなかった
とある食堂に入っていった
金はもうほとんどなかったと思う
2,000円あるかないかぐらいじゃなかったかと思う
たぶん
客がけっこう入っていて
スーツを着たサラリーマンとか
色んな人たちがいた
おばさんが注文を取りにやってきた
メニューを見て
ざるそばを頼んだ
するとそのおばさんが俺に
「2人前?」と聞いた
俺は「え!」っと思って
何で2人前と聞くのかと思ったが
それでもしつこく何度も「2人前?」と聞いてくるので
めんどくさいから「うん」と返事した。
しばらくすると
おばさんがざるそば持ってきた
2段重ねで。
ざるそば食い終わって
レジで金払って
外に出る
電車の高架の下のガードをくぐるとき
上を電車が走っていった
その音が
今まできいたことがないほど大きな音で
そしてリアルに生々しく感じられ
胸がドキドキしたのを覚えている
聴覚を通して
やけに魂に響きわたったから
何か
音に対してすごく敏感になっていた
その25歳のときに
もうすでに右の耳は聴こえなくなっていたのだが
あの旅の間
やけに音がよく聞こえていたのを覚えている
そのあとボーリング場に入っていった
そこでまた
ピンの倒れる音がやけに生々しく
残響も効いていて
また胸がドキドキしたのを覚えている
こう書くとまるで変態みたいだが
あの時はそんな感じだった
表に出て行くと
その街はけっこう大きな街で
カーブ気味な通りの交差点で
信号機が4つとも全部青になっていた
ずっとそのまんまで
だから車が動けなくなり
大渋滞になっていた
あんなことも初めて見たが
いったいこの街はどういう街なのか?
やっぱり何かが変だ。
歩きまわれば歩き回るほど
どんどんその度合いが増してゆく
その大通りで
昼間だというのに
呼び込みのおっさんが一人いた
そのおっさんに
「俺をここで働かしてはくれないか?」と聞いたら
「あんたみたいな人は西成いうとこに行ったほうがええわ」
と俺に言った。
西成とは釜ヶ崎のことだが
知っていればとっくに行った
JRの新今宮の駅で降りればすぐだし
ただその街がなんと言う街で
どこらへんに位置しているのかさっぱりで
誰に聞いても
まともに教えてくれなかったのだ。
歩きまわっているうちに
かなりギターケースが重荷になってきていた
どこかで預かっておいてくれるところでもないか?
などと考えるぐらい
かついで歩くのがつらくなっていた。
ホンダのバイク屋の前でしばらく座り込んでいた。
また立ち上がって歩き出す
その名も知らぬ街は
かなり大きな街で
近未来的な印象を受けた
今まで見たどんな街とも感じが違っていた
裏通りを歩いているとき
人が7 ,8人歩いていたのだが
なにかの拍子で俺が
立ったまま腕を組み
考え込みはじめたとたんに
その7,8人いた人たちは
蜘蛛の子散らすように走りだし
その裏通りには
俺をのぞいて誰一人いなくなってしまった
そして
ぽつぽつと雨が降り始めた
でもその雨はにわか雨みたいで
歩いているうちに
すぐにやんでしまった
高架の線路をこえて高速道路が走っていた
ずっとかまぼこみたいに
アーチ型に高架の上をまたいでいる
ずいぶんと幅もある大きな道路だった
おれはその右端の歩道みたいなところをあるいて上っていった
線路を越えるために
競輪用の自転車に乗った若い男が
右の耳にイヤフォンつっこんで
ラジオか何か聞きながらその歩道を走っていた
俺はその坂を
ずっと上って
線路をこえて
向こう側に下っていった
線路の向こう側の通りはまた
趣が違っていて
あまりビルとか密集している感じではなく
すこし開けていた
線路の高架にそって歩いていくと
まるで穴蔵みたいな入り口があった
そしてそいつはどうやら
その高架を走っている
さっき乗ってきた阪急京都線?
の駅みたいだった
さっき向こう側で降りた駅と比べると
比べようもないくらい粗末で小さな駅で
もうずいぶんむかしに見た
昭和30年代ぐらいの
古びた木造の電車乗り場みたいな感じだった
俺はそこに入って行き
また電車に乗ったのを覚えているのだが
その先どこの
何という駅で降りたかとか
そのへんは
もう忘れてしまっている
もう思い出せない
たぶんどこかで降りたのだと思う
そしてバスに乗ったのだが
そのバスに乗る前
とある通りを歩いていたら
何の建物かはしらないが
かなり大きなロダンの「考える人」の像があった
前に一度
東京の上野の国立西洋美術館で見たことはあったが
なんでこんなところに?
と思ったが
かなり大きかったと記憶している
台座を含めて
4メートルぐらい
いやもっと大きかったかもしれない
とにかく立派なやつが建てられていた
そしてバスに乗った
丘の上の団地みたいなところを通っていく
たぶんどこかで降りたのだと思う
気がつくと
丘の上にいた
そしてそのときすでに
おれはギターを持っていなかったのだ
そのバスに乗る前
その前の電車に乗る前だと思う
あの街の
アーケードみたいな通りを歩いているとき
気がつくと
ズボンのうしろに砂が入れられている
ちょうど腰のうしろあたり
上着を着ているから入りそうもないのに
どういうわけか
腰の内側がざらつく
そのアーケード通りには色んな店が入っていたのだが
とある印鑑屋で
知っているやつに会った
いや知っているというより
似ているというべきか
そう
顔だけ
そっくりだった
そして
その印鑑屋の店員はまたしても小人だったのだ
俺と目があった
なぜか知らないが
悲しげに
恨みのこもったような目で
まじまじと俺を見たのを覚えている
そのあとやりきれなくなり
そのアーケード通りの道の隅っこに
小さなお地蔵さんが一体あった
俺はその地蔵の前にギターケースを置くと
手をあわせて置いてきてしまったのだ
あぁそうさ
だまされたようなもんだ
だってあいつの目はまさに
おまえのせいで俺は小人にさせられちまった
まさしく
そんな感じありありで
俺を恨めしそうに見たのだ
あのギターは
東海キャッツアイCE800というギターで
俺が高校2年の夏休み
名古屋の笹島の寄せ場に
毎日のように通いつめ
土方のバイトして買ったギター
当時の定価80,000円を
名古屋の駅前の近鉄ビルの7階か8階だったと思うが
そこの愛曲楽器で72,000円で現金で買ったものだった
あの25歳まで
約10年間大事に使ってきたギターなのに
そんなことがあり
もうその丘の上の住宅地の中ほどにある公園にいたとき
すでにおれは手ぶらだったのだ
1日目は岡崎のビジネス旅館で泊まり
2日目は夜通し歩き続け
そしてその3日目にして
ギターを手放してしまった
もう二度と戻ってはこない
あの世に置いてきたようなもんだ
気になっていることがある
それはあの旅の中で見たもので
未だにその理由がわからない
その大阪の丘の上の町だったか記憶は定かではないが
確かに言えることは
その翌日運び込まれた診療所みたいな病院の
リノリウムの廊下にもあったものなのだが
それは
「ライン」だ。
つまり
「線」なのだが
引かれてあった
たぶん6本か7本ぐらい
みんな色がちがう
幅5mmぐらいのそのラインは
線と線の間隔は3cmぐらいで
まっすぐに引かれている。
色は
覚えているのは
[赤] [青] [茶色] [緑] [オレンジ] [黒]
そして [白]
廊下のちょうど中央あたりに
鮮やかな色で引いてあったのだが
それは
その丘の上の住宅街のアスファルトの路面にも
引かれていた
鮮やかに目立つ色で
そして
十字路だとか
曲がり角になっているところは
そのラインも直角にまがり
そしてそのコーナーだとか
線が交差する場所に
ライン1本につきそれぞれ一つの鋲がうちこんであったのだ
あの線
やっぱりあの旅の中でしか見ていない
あれ以後
あんなものは見ていない
あれはいったい何だったのだろうか?
未だにわからない
その丘の上の公園で
もう重たいギターからも開放され
おれは当初の目的すら忘れていた
なんのために重たいギターかついでここまできたのか
その丘のうえの公園は
5月だというのにけっこう暑く
おれは上着を脱いで
木陰で涼んでいた
人が何人かいた
親子連れ
子供を連れた母親
ブランコがあり
子供が乗っていた
ブランコをこいでいた
その丘は
まるで
世界の一番高い場所にある公園みたいに
空しか見えない公園で
そのブランコこぐ子供を見ていると
天に届きそうだと思った
夕暮れ時までしばらくその丘の上の町をほっつき歩いた
ちょうど丘のてっぺんあたりに
道路沿いに銭湯があった
およそ銭湯らしからぬ銭湯で
金太郎か何かの大きな絵が
正面の屋根のあたりに道路に面して取り付けられていて
「金太郎風呂?」
名前はおぼえてないが
かなりシュールな感じだった
あんな変な銭湯にはぜったいに入りたくはない
そう思った
岡崎で
岡崎健康ランドのこともあったし
ずっと坂を下っていった
右手にまた別の公園があり
その公園に入っていった
その公園は
人がけっこうたくさんいて
犬を連れた人もいた
にもかかわらず
とても静かで
時刻はまさに夕暮れ時で
これから日が上ってくる朝のように
そんな錯覚すら起こさせるほど
静かだった
あんなに人がいっぱいいたにもかかわらず
やけに静かだった
それからどこを歩き回ったのかもう忘れた
ただ日が暮れるまで
歩き続けた
日が暮れて真っ暗になっても
まだ歩き続けた
さっきの公園の脇の道かどうかわからないが
まっすぐ下っていくと
突き当たりが陸橋になっていて
下が高速道路になっていた
走る自動車のヘッドライトが
まるで銀河の流れのようで
とてもきれいだった
おれはその陸橋の前に立ち
向こう側を見た
橋を渡った向こう側は
どうやら行き止まりみたいで
真っ暗闇で
明かりひとつない
森のような
林のような
山の中みたいな
うっそうと樹木が茂っているのが
うっすらとシルエットでわかった
あまり向こう側に行きたくなかったのだが
「行かねばならん」
そう思い
その橋をわたっていった
その橋は
横幅2メートルぐらいの
ちいさな陸橋だった
橋を渡りきると
丸太でバリケードが作ってあった
そのバリケードは
膝上ぐらいの高さで
横幅4メートルぐらい
俺はそのバリケードをまたいで向こう側へ入る
明かりなどないが
月が出ていたので
うっすらと周りが見て取れる
右側へ細い獣道みたいな道があったので
そこを歩いていくと
左に曲がっている
そこをまっすぐいったら
突然開けた場所に出た
その場所はどうやら公園みたいで
見上げるほど大きな動物の石像が
3体ほどあった
その石像は白くて
月光を浴びて
やけに神秘的っぽく見えた
そしてなんとなく左側に目をむけると
ドキッとした
森の中に人がいる
2人
アベックだと思うが
抱擁していた
動かないので
まるで幽霊みたいだった
ひょっとしたら幽霊だったかもしれない
おれはだまって
今来た道を引き返した
また陸橋を渡り
坂を上ってゆく
坂のてっぺんまであと少しぐらいの道路の右側にスナックがあった
俺はその店に入っていった
店の名前はあとでわかったのだが
たぶん「再び」だと思う
客が2,3人いたが
なぜかカラオケのモニターに
しつこいほど何度も何度も前川清の「東京砂漠」の歌詞との歌が流れていた
もう金などほとんどなく
「もうどうにでもなれ」ってな感じで
その店でビール3本ばかり飲んだ
3本にしてはけっこう酔った
あいかわらず「東京砂漠」は繰り返し流れ続け
支払の段階で当然トラぶった
まだ若いマスターが俺に言う
「お名前は?」
おれは「俺だ。」と答える
そんな感じの繰り返しで
埒があかないもんだから
警察がやってきた
俺はパトカーに乗せられ豊中警察署に向かった
あとで取り調べの警察が俺に渡した紙切れに
「再びの竹島」とだけ書かれてあった
その豊中警察?
の取調室で
3人の刑事が入れ替わりながらおれに聞く
「名前は?」
「どこから来た?」
「このゴミめ!」
等々
おれは黙っていた
何もしゃべらなかった
「ポケットに入っているもの全部だせ」
といったので
全部出した
出てきたのは
FREE DIARYと書かれた手帳
内側から両面テープで
度の入ったレンズがはりつけてあるレイバンのサングラス
ブルースハープ1本
金のほとんど入っていない二つ折りの財布
それと腕にはめていた悪魔の時計
それだけだった
それらを全部取られて
別の場所へと移動させられた
そう
留置場だった
地下にあると思われるその留置場は
窓がなかった
床から壁から天井まで
もう何度も塗り替えたと思われる
分厚いペンキの青で塗られていた
部屋の中ほどにむきだしの便器がひとつあり
毛布が2枚
おれがそこに入ると
その警察官がガチャガチャ音たてて鍵を閉めた
俺は毛布をかぶって寝た
3日目の夜が終わった。
窓がないから朝が来たのもわからない
たぶん早朝だったと思う
夕べの警察官が来て
ガチャガチャ鍵開けて
「出ろ」と言った
ゆうべの取調室で全部持ち物返してくれて
「この人に付いていけ」と一人のおっさんを紹介した
俺はその男と警察署の外に出る
だまって付いて行くと
駅に入っていった
切符を買って俺に渡した
いっしょに電車に乗った
つぎの瞬間
周りをみわたすと
もうその男はどこにもいなかった
その旅4日目
その日乗った電車はたぶん地下鉄。
もちろん初めて乗る電車だった。
乗っているうちに混んできて
ほぼ立ったまま満員状態になった
電車のなかにある路線図みたいなやつを眺めていて
四天王寺前という駅名がやたら気になった
さっきの豊中署の男が俺にわたしたのは一番安い切符で
目の前に前に立っていた女に
「この電車は四天王寺まで行くのか?」のような旨のことをたずねると
完璧に無視された。
たずねたおれの顔を見ようともしない。
そんなことは東京に住んでいるころもなかったことで
東京の人間は尋ねればちゃんと教えてくれる。
大阪の人間はこんなにも薄情なのか?
とも思ったが
実際は
あの駅の改札を抜けたときの駅の改札係りと同じで
その女には
まるでおれが見えていない様な感じだった
目の下を赤くして
泣いたような目をして
何か深刻な顔をして一生懸命悩んでいるみたいな顔して
今声をかけてたずねた俺に
まったく気付いていないみたいな感じだった
おれはそれ以来その旅で
人に尋ねるのを
その時をかぎりにやめてしまった。
そのあとどこで降りたかもう覚えていない
ただ新大阪かどこか
かなり大きな駅前のタクシー乗り場からタクシーに乗った。
運転手が聞いた。
「どちらまで行かれます?」
おれはこう答えた。
「どこでもいい」
そしたら運転手は首を横に振り
「だめです。降りてください。」と言った。
その時は
なんで降ろされたのか理解できなかったのだ。
どこでもいいから連れて行ってほしかったのだ。
だから「どこでもいい」と言ったのに。
運転手は受け入れなかったというわけだ。
まぁあたりまえなのだが
あの旅中ずっと俺は考え続けていた。
今も考えているが
死ぬまで考えることをやめはしないだろう。
今思えばその運転手が断ったのもよく分かるが
あの時はわからなかったのだ。
それほどキツイ世界だった。
あいかわらず例の大気の匂いもますますその度を増し
目がチカチカするほどにまでなってきていた。
ポケットの中にはむき出しで小銭がいくらかジャラジャラいっていた。
財布の中にはもう金は入っていなかった。
一円も。
しょうがないからバスに乗った。
街路樹の美しい丘の上の通りをバスは抜けていく。
始めて見るその町並みに胸がときめいた。
その日午前中天気は良く
のどかな5月の青空がひろがっていた。
その日だったか
前の日だったかは忘れたが
丘の上の別の場所
とある小さな酒屋で
缶ビール1本とスナックスティック買った。
その酒屋の近くにある公園のすみっこに草の上に埋もれるように座って
ビール飲みながらパンを食っていると
2人だったか3人だったかもう忘れたが
まだ若い兄やんが
小さなバイク
たぶんモンキーか何かだったと思う。
そのバイクを囲んでなにやら立ったままやっている。
「何をしているんだろう?」と
しばらくパンを食いながら興味深く眺めていると
一人の兄やんが
空を見上げて一回スロットルを吹かした。
すると面白いことに
空の上からそのバイクの音が響きわたってきた。
もうすごい臨場感で
空全体が鳴っていた。
代わる代わる交代しながら
空を見上げてはスロットルを吹かし
空を喚かせて遊ぶ。
そんな奇妙な遊びを
夢中になってやっていた。
面白い遊びだな。
始めて見た。
と
俺は変に感心しながらそれを見ていた。
また
とあるあまり人気のない通りで
左側に神社らしきものがあり
夕暮れ時だったと思うが
その鳥居の前を通り過ぎる時に
どこからともなく子供の女の子の声で
「おとうさんの嘘つき!」という大きな声がはっきりと聞こえた。
周りを見渡すと誰もいなかった。
まぼろしか?
幻聴だったのかわからないが
はっきりと聞き取れた。
頭の中で響き渡るような感じだった。
その日の午後
昼を過ぎたあたりから
空が曇り始め
しばらくすると地上はすっかりと黒雲におおわれてしまった。
やがてぽつぽつと降ってきた。
やがてその雨はどしゃ降りになり
夕方まで降り続く
なぜだか知らないが
俺にはあの時その雨が
例の大気の匂いも相まって
放射能の雨だとしか思えず
何とかせねばと
弁当屋の前にずぶ濡れで立っていたのだが
両方の手を組み
両方の人差し指だけ立てて
漫画みたいに
空に向けビームを発した
つもりだった。
そうすりゃあの分厚い黒雲に穴が開くんじゃないかって。
本気で思っていた。
そう
完璧に頭がいかれていたのだ。
そいつをやるとかなりエネルギーが消耗する。
だから後ろの弁当屋のカウンターに
何かのパックが並べてあったのだが
そいつのひとつに手を伸ばし
左手をつっこんで中身をわし掴みにして口の中に放り込んだ。
散らし寿司か何かだったように思う。
弁当屋の女の子は完全にびびってしまっていたと思う。
そんな感じで約1時間以上も空に向かって必死で穴を開けようとしていた。
やがて2人の制服の警察官がやってきたのだが
髪の毛はずぶ濡れで顔に張り付き
着ている服はずぶ濡れに雨を吸い鎧のようになっている。
下駄の鼻緒も雨を吸ってふやけてる。
そんな俺を見て
俺に2mぐらい距離をおき
腰を引きながら右手をのばし
その手に子供用の赤い傘。
そいつを俺の前にぽんと投げて
「お前これ持ってどっか行け!」と言うと
逃げるようにその場を去っていった
その2人の警察官は
2人とも
身長が150cmもないんじゃないかっていうぐらい
背の低い警察官だった。
夕方には雨は上がったものの
空は黒雲におおわれたまま
時折冷たい風が吹いてきた
性根尽き果てて
その弁当屋の前にしゃがみこんでいた。
前を
道路を隔てた向こう側を
放心したようにじっと見ていた。
もうほとんどまわりは薄暗くなっていたのだが
風にゆれる濡れた電線に
カラスか鳩かわからないが
空の逆光で黒っぽく見える鳥が一羽
いつまでもその電線にとまっていた。
立ち上がると
なぜか足が棒のようになっていた。
下半身の感覚が死んでしまったような感じだった
あたりはすっかり暗くなり
夜だった。
気がつくと道路に仰向けで寝ていた。
どういうわけか救急車がやってきて俺を積み込んだ。
たどりついたのが平屋建ての診療所みたいなところで
豊中病院とあったが
あとで調べたら豊中病院は平屋建てなどじゃなく
もっと大きな立派な病院だった。
どこも悪くないのに救急車に乗せられ病院に運び込まれ
ちょっと困った感じで面食らってしまった。
病院だから
一応診察する。
胸に聴診器当ててみたり
心拍数計ったり
でも
どこも異常はなかった。
体は健康そのものだった。
そのあと
廊下の長椅子に腰掛けている時
例のそのリノリウムの廊下のラインを見つけた。
あれはいったい何のために引かれてあったのだろうか?と
どこも体は異常がないのだから
ここにいてもしょうがない。
泊まるあてもなかったが
しかたないから出て行くことにした。
下駄を引きずって外に出て行くと
背の低い
まだ若い看護婦さんが追いかけてきて
おれの手をにぎって中に連れ戻した。
その手が小さく華奢だったのを覚えている。
また診察室に呼ばれた。
そしてしばらくすると
昼間の傘を下れた警察官がやって来た。
あいかわらず背が小さかった。
そして俺に聞いた。
「名前は?」
「何という」?
おれはしばらく考え
中沢弘章だとしゃべった。
その警察官は
すべてを見透かすように俺をにらみつけ
「本当に中沢か?」と聞いた。
俺はだまっていた。
そのあとその警察官が
「おまえ何で俺が渡した傘捨てた?」
と聞いてきた。
捨ててはいない。
あの傘は使ってはいないのだ。
そう
触れてもいなかった。
あの場所に置いてきただけだ。
そのあとその警察官は帰っていき
おれはベッドに寝かされた。
右の腕に点滴用の針を看護婦2人で刺しながら
「ひきぬくか?」という女の声が頭の中で鳴り響いた。
それがその看護婦の声かどうかは知らないが
針の先は3個の透明な知らない薬が入ったビンにつなげられ
夜明け近くまでその得たいの知れない点滴を受けながら眠った。
眠りに入る前に幻聴が聞こえていた。
それは父親と
生まれてきてやっと言葉をおぼえたばかりな感じの
3歳ぐらいの男の子とのやりとりで
父親のほうはただうんうんと相槌をうつだけ。
子供のほうが大人でも理解し難い様な難解な言葉で話しかける。
子供の声で。
そんな幻聴を
放心したように聞いていた。
そして4日目の夜が終わったのだ。
5日目の朝早くに目が覚めた。
病院の中はまだ誰もいないような感じで
人の気配がまったくなく
静まり返っていた。
点滴用のビンを見上げると
3本とも空っぽになっていた。
左手でその点滴用の針を右腕から引き抜くと
隣の部屋へ通じるドアがあったので
隣の部屋へ移動して
隣の部屋から廊下に出た。
隣の部屋は標本室みたいな感じで
ホルマリン漬けの標本のビンやらなにやらいくつか棚に置いてあった。
廊下にはまだ誰もいなかったので
俺は病院の外に出た。
廊下の線はあいかわらずそこに引かれてあった。
外に出ると天気は晴れ。
昨日の午後とはうってかわって
抜けるような青空が広がっていた。
その旅に出て5日目のその朝
その日の夕方
俺は新幹線で東京へむかうことになる。
なりゆきでそうなるのだが
知らない世界で
武士の魂であるところの
ギターも手放してしまい
迷子になったように
目的地も忘れ
ただたださまようその旅で
東京も大阪も名古屋も
ちゃんとそこには存在したが
先にも書いたように
俺がそれまで見てきて
知っているそれらとは
まったく違ってた。
だから知らない世界同然だったのだ。
知り合い一人すらいない
見知らぬ世界を歩くとは
底なしの寂漠感に包まれるもので
どんなに空が青くても
ネガティブになるのは避けられない。
ましてやほとんど
一文無しに近い状態であれば
なおさらそうなる。
その大阪での4日間にずいぶんあちこち歩き回ったのだが
もう23年前のことだし
半分近くは忘れてしまい
もう思い出せそうにない
そこはたぶん駅ビルみたいなところだったと思う。
俺は無銭飲食で捕まるのだが
こんな感じだった。
地上7階建てぐらいのその駅ビル。
たぶん新大阪ではなかったかと思う。
そこに
どういうわけか
俺はその5日目の昼過ぎにいた。
いろんな階をぶらつきながら
エスカレーターで最上階までいった。
食堂街があり
その中のひとつの寿司屋に入っていった。
カウンターに座りビール1本と並の寿司たのんだ。
ビールを空にし寿司を食い終わり
そのままレジの脇を通り外にでようとしたら
店員に止められ
「ちょっとここで待ってて」
と言った。
すぐに警察が2人やってきて
下まで降りて
外にある
小さな派出所みたいな所に連れて行かれた。
そしてまた例の尋問が始まった。
3人ぐらいの警官が
ある一定の間隔で
俺に質問する。
一人が俺に聞く。
おれが黙っていると
その警官は奥に消え
また別の警官が現れるといった具合に
そして俺の左隣に
一人の警官がずっと立っていた。
聞いてくるのは
名前
住所
どこからやってきたか?とか
勤め先は
といったことだった。
なぜだまっていたのか?
なぜ答えなかったのか?
よくわからないが
そんな状況にありながらもなお
会社や親父に迷惑がかかると考えていたからかもしれない。
何人か質問する警官が変わり
一人の警官が
とある質問を俺に投げた時
何を思ったか知らないが
俺は右のポケットに入っていたハーモニカを取り出し
それに口をつけたその瞬間
左の顔面を思いっきりその左に立っていた警察官に靴の底で蹴られた。
首が右側にガクンとなり
首の骨が折れたんじゃないかと思うぐらいきつい一撃だった。
そのあとはじめて口を開くのだが
いまでもはっきりと覚えている。
あのとき最初に名前
そう
本名を口にしたのだが
俺はゆっくりとしゃべった
自分の名前を
そしたら
その派出所の外に
拡声器でも取り付けてあったのか?
ワンテンポ遅れて俺の声が
拡声器を通して拡大されたような感じで
外に向かって響き渡ったのだ。
外には人がいっぱい歩いていたのだが
そのあと豊田の住所
勤め先の丸茂工業
それだけ話すと
「よし。わかった」
といってなにやらせわしなく動き出した。
おれは黙ってみていた。
そのあとしばらくすると別の人間がやってきて
俺はその派出所の警察官にその男に付いていくように言われた。
おれは黙って付いていった。
別の建物に移り
古びたまっすぐな長い廊下を案内される。
ずいぶん古い昔の木造の学校の教室みたいな部屋に通されると
「ちょっとここに座って待ってて」
と言われた。
古びた黒い革張りの
背もたれのついた3人掛けのソファだった。
そこに俺は前かがみ気味に腰をおろした。
左に一人誰かすでに座っていた。
背もたれにもたれかかり
黙って座っているその人のほうに目をやると
あきらかにホームレスっぽいおじさんだった。
無精ひげがのびていたが
俺と目があったその時
すぐにわかった。
この人も同じだ。
たぶんあちら側から迷い込んだのだろう。
そして帰れなくなってしまった口だろうと。
この奇妙な世界で
なにも言わなかったが
そのひとはただ一回うなずいて
無言で「わかった」と言った。
涙が出そうになった。
そこで待っている間
そこの人間。
2,3人いたと思うが
しばらく俺の持ち物を預かり
色々調べたり
どこかに電話かけたりしていた。
そして制服姿の鉄道公安官2人連れて俺のところにやってくると
何も言わずに俺に一枚の小さな紙切れを渡した。
そしてその2人の鉄道公安官に両脇をかためられ
両方の腕をホールドされたまま
そのまっすぐな長い廊下を歩いていった。
階段を下りると
そこは新大阪の新幹線のホームに直結していた。
そのときホームに新幹線が停まっていたのだが
修学旅行の生徒の集団に出くわした。
そしてなぜだか知らないが
みんながいっせいに俺を見て色めきたった
まるで俺のことを事前に知っているような感じで
こっちがちょっとびっくりしたぐらいだ。
そしてだまってその修学旅行生のとは別の新幹線に乗せられた。
公安官は俺を新幹線に乗せるともういなくなっていた。
俺が乗ったのはひかり
いちばんすみにあるホームのそれだった。
まどから顔のぞかせて下を見たら
ひしめきあう長屋の屋根みたいなのが見え
その屋根の上には
ゴミ捨て場みたいに
古びた新聞紙だとか
空き缶だとかが散乱していて
退廃的で
ちょっと悲惨な感じだった。
新大阪の駅から初めて新幹線に乗ったが
あの光景もちょっとにわかに信じがたいものがある。
非現実的だったのだ。
さっきの鉄道公安室でわたされた小さな紙切れに
名古屋駅 酒井さん 電話
とだけ書かれてあった。
たぶん名古屋駅で降りて
会社の酒井さんに電話をかけろということだったのだろうが
その時はもうわからなくなっていた。
その紙に書かれた意味が。
だからあの時
ちゃんとその公安に説明してほしかったのだが
なにも言わずにその紙を手渡されただけだった。
新幹線は発車した。
自由席の一番前の右側
三人掛けの通路側に座った。
窓際には一人の女が座っていた。
車内はあまり込んではなく
乗車率40%ぐらいだったと思う。
発車したのは午後4時すぎぐらい?
ひょっとしたら5時をまわっていたかもしれない。
名古屋を過ぎたあたりで隣の女が弁当食い始めた。
おれは前の壁を見ていた。
浜松を過ぎたあたりで
車内に夕日が差し込んできた。
新幹線がゆるやかに蛇行しながら走ってゆくのだが
前の壁に自分の影が映る。
サングラスをはめていたのだが
蛇行するたびに
その影が
右に移動したり
左に移動たりする。
そいつを呆けたようにずっと見ていた。
やがて外は真っ暗になった。
完全に日が沈んだみたいだった。
どのあたりかわからないが
とある山の中みたいなところで一度
新幹線が停まった。
信号待ち?
と思ったが
新幹線で信号待ちっていうのも変だし
信号待ちなら
それなりに車内アナウンスが流れるはず。
だがその時は一切アナウンスなどなく
新幹線は停まったのだ。
その山の中に。
外は真っ暗闇で
窓には車内が写っているのだが
やがてモーターも停止した。
そしてそのあと
「プシュー」と音がして
新幹線の扉が開いたのだ。
音で分かった。
どのくらいだろう?
たぶん5分ぐらいだと思うのだが
俺には10分ぐらいに感じた。
かなり長い間
扉をあけたまま
モーターまで切って
そのホームも何もない
山の中みたいなところに
ずっと停車していた。
車内を見わたすと
乗客は俺を除いて
一人残らず
みんな眠っていた。
「さあ降りろよ。」
「そうだよ」
「ここがお前の降りる場所だよ。」
と言われているような気分になったのだが
あんな山の中で降りるばかもいないだろう。
あぁまたか。
また試されているのか。
と思い
ずっと待っていた。
しばらくすると「プシュー」というエアーの音とともにまた扉が閉まり
モーターが起動した。
そして走り出した
終点の東京に向かって。
やがて新幹線は東京駅に着いた
着いたときのことはあまり覚えていない
ただ改札口あたりで切符をもっていないから
止められた
駅員に
そして例の
大阪で公安にわたされた紙切れをわたした
するとそれをまじまじと見て
「ちょっと来て」と言ってとある場所に連れていかれた。
そして
「ここでちょっと待ってて」
と言うと
いなくなった。
しばらくその細長い部屋で
立ったまま待っていた。
そして前を見ると
そこはどうやら
切符の自販機の裏側みたいだった。
切符の自販機の裏と見られるやつが
むうこうにむかってずらっといっぱい並んでいて
五百円玉だとか百円玉が下からあふれかえり
床にこぼれて落ちているものまであった。
それを受けるための青いバケツが下に置いてあったような気もする。
やがてさっきの男がやってきて
だまって改札の外に出してくれた。
でもあの夜
東京駅の外には出られなかった。
時間は夜の8時か9時ごろだと思うのだが
それはブレーカーの音だった。
そう
道路工事などで使うあの重たい削岩機なのだが
削岩機には二通りあって
わりと軽めで手で持って使える物は普通「ピック」と呼ばれる
そして持ち上げられないほど重たいやつのほうは通称「ブレーカー」と呼ばれる。
その音が間近で鳴り響いていて
耳をつんざくほどだった。
すぐ近く
5メートルも離れていないのじゃないか
それぐらい近場で鳴っているのだが
どこかで工事やっているのか?
だったら
駅中の工事だったら
ブルーシートなりでそれなりに隠してありそうなのものなのに
そんなものはどこにも見当たらず
どこで工事をやっているのか
まったくわからない
音はすぐ間近で鳴り響いているというのに。
そう
東京駅で一番最初に俺を迎え入れたのは
そのブレーカーの音だったのだ。
まわりの音もきこえないくらいうるさい
そのブレーカーの音は
断続的に鳴り続け
いつまでたってもやむ気配すらなかった。
俺は
四角いコンクリートの柱の下に座り込んでいた。
そしてそれを聞いていた。
人がけっこう歩いている。
どういうわけか
みんな俺を避けていく。
その俺が座っている柱からかなり距離をとって
まるであぶないものを避けるような感じでわきを通り過ぎる。
外人らしきやつが向こうから歩いてきて
俺を見ると
走って逃げ出した。
自分が怪物にでもなった気分だった。
どのくらいそこに座り込んでいただろう?
気がつくとけっこうな時間になっていたと思う。
もう終電が出るくらいの
そんな時間だったと思う。
ブレーカーの音はもうやんでいた。
後ろを見ると
昇り階段があった。
そしてその一番下が改札になっていた。
自動改札ではない普通の改札口だったと思うが
その夜遅い時間帯に
次から次へとその改札を抜けていく人たちがいる。
どういうわけかみんな申し合わせたように
男女二人一組でその改札を抜けていく。
例外はなかった。
一人でその改札を通る者は一人もいなかったのだ。
俺はそれをずっと見ていた。
暗黙のルールでもあるかのように
申し合わせたようにカップルで改札を抜けていく
独り者は通れないのか?
そう思うと何か腹が立ってきて
俺もその改札を抜けて
一人で上のホームへ出たのだ。
ホームに出ると
電車が一台停まっていた。
見たこともない電車で
たぶん特急だと思う。
東海道線なのだろうが
初めて見る車両だった。
その東京も
やはり俺がほんの3年前までいたころのあの東京駅とは
ずいぶん感じが違っていた。
東京に着いて
さして歩き回ることなく
駅の外にでることもなく
その電車に乗ったのだが
やがて電車が発車した。
東海道を下っていく。
品川を過ぎ
横浜
かつて俺が住んでいた戸塚駅でも停まったのだが
車窓から見るそのホームは
ほんの3年もたっていないのに
ずいぶん寂れた感じだった。
駅のホームの
「戸塚」と駅名の書かれたあの案内板の白い部分が
やけに黄ばんで見えた。
そして夜だというのに
なんだか白くうすいもやみたいなものが
駅のホーム全体を包んでいるような感じがしたが
あれは気のせいだろうか。
風はそよとも吹いてはいなかった。
次の駅は「大船」
俺は電車を降りるつもりはなかったのだが
大船駅に電車が止まるとわかったときに
もう立ち上がっていた。
夜も遅かったし
その駅では
俺をのぞいて降りる者は一人もいなかった。
俺がホームに降り立つと
その電車から車掌らしきやつが顔をだし
予定外のことが起こった。
といった感じでなにかあわてていたが
電車はいってしまった。
俺を大船駅のホームに残して。
なぜ?大船で降りたのか。
その理由は
大船はあの「中沢幸男」が
死ぬ1年半ぐらい前まで住んでいた町だからだ。
あの頃俺は
一駅前の
さっきの戸塚にアパート借りていた。
さっきの戸塚では降りる気も起こらなかったが
なぜか大船に着いたとたんに
その駅名の書かれた案内板を見たと同時に
もう席を立っていた。
そして
ホームに降り立った。
駅はあのころと変わっていなかったが
もう夜も遅かったし
誰もいなかったのだが
切符の自販機のむこうがわ
改札口がならんでいた場所は
全部シャッターが下りていて
一箇所だけシャッターが開いていた。
いちばん右端のシャッターだ。
そのときたしかにあいつの声が響いた。
そう。
中沢の。
その直後
その開いているシャッターの向こう側を
人影が一瞬横切った。
中ちゃんは背の高い男だったが
あいつらしきその声が響いた直後に
その開いてる出口を横切った人影のそれは
俺と同じぐらいか
ひょっとしたら
俺より背の低い小男だった。
俺はその出口に向かって駆け出した。
外に出るとその人影はなく
かわりに警察官2人がやってきて
俺は駅前の交番に連れて行かれた。
その交番で約1時間ぐらい
わけのわからない説教めいたことを言われたのだが。
その警察官が言うことは
はっきり言って支離滅裂。
もうめちゃくちゃだった。
たとえばこうだ。
初対面の俺に向かって
「おまえみたいなやつはアメリカのニューヨークかフィリピンのマニラあたりに強制送還されるべきだ。」
とか
こんどは
「高校生なんか殴りやがって。」
と言った。
それを聞いた時ハッと思った。
なぜなら
俺が19歳
あいつが24歳の時
一度こういうことがあったからだ。
それは
大船駅から湘南モノレールが出ているのだが
あいつはその湘南モノレールの
大船駅から二番目の「富士見町」の真近にある6畳一間のアパートに住んでいた。
その大船駅のモノレール乗り場の切符売り場の横にある
駅員とやり取りするための透明なプラスチックの仕切り板。
そのちょうど話をするあたりに
直径20センチぐらいの丸い円板が取り付けてあった。
よくテレビのドラマなどで
刑務所の面会室にもある
あの小さな穴がたくさん開いている透明な丸い円盤みたいなやつ。
あれを酔っ払ってあいつが壊したのだ。
右の拳でぶんなぐったら取れて壊れたらしい。
そのあとあいつはいなくなってしまった。
どこに行ったのかと階段を下りていくと奴に出会い
ひょんなことから殴りあいの喧嘩になったのだが
その時すでにあいつは
下のレコード屋だったと思うが
そこで高校生をぶん殴ったあとだったらしく
下の交番まで連れて行かれ
そのあとあいつは鎌倉警察署まで持っていかれた。
俺もその時鎌倉警察署までついていったのだが
夕方ちかくなって鎌倉署の刑事が
「もう今日あいつ出られないと思う。」
「だから待っていてもしょうがないからもう帰りなよ。」
と言った。
その3日後にあいつは釈放されたのだが
さっきの警察官の言葉でその時のことを思い出したのだ。
この警察官は俺のことを中沢だと思っているのか?と
でもあれからすでに6年たってるし
あいつはとっくに死んじまってる。
そんな感じで
その警官が言うことはめちゃくちゃだったのだ。
小一時間ぐらいそんな感じでその駅前の交番に引き止められていた。
そのあとその警官が「もういいよ。」
と言って俺は解放された。
もう真夜中だった。
それでも駅前には人が数人いた。
やっぱりなんだか薄いガスが立ち込めた感じで
妙な雰囲気と違和感はやはり否めなかった。
このあと決定的な証拠をつかむことになる。
それは
もう金などほとんど無かったが
駅前にタクシーが停まっていた。
そいつに乗り込んで
「富士見町まで言ってくれ」と運転手に言った。
横須賀線の線路を越えるとすぐ着いた。
おれは降りた。
金がないから払わなかったのだが
運転手はしばらく俺を見送りながらこう言った。
「おとうさんはもう知らんぞ!」
そう言うとタクシーもろともに闇の中に消えていった。
富士見町の駅は変わらずあった。
真っ先にあいつのアパートに行ってみたのだが
その場所にはもうあいつのアパートはなく
代わりに3階建てのコーポみたいなやつが建てられていた。
さっきなぜ証拠をつかんだと書いたか。
それは
この4年後に俺はまたこの富士見町をたずねたのだ。
そしてその4年後にはまだちゃんとあいつのアパートがあったからだ。
俺が関東に住んでいたのは22歳まで。
22のころはまだあいつのアパートはあった。
そしてその7年後の
29歳の時たずねた時は
駅前は工事中だったが
やっぱりアパートはまだあった
大船駅前はルミネか何かの工事で。
駅前に交番はもうなかったけど。
でもその中間の25歳の時は
道理から考えれば当然そのアパートはあるはずなのに
なかったのだ。
その奇妙な旅でたずねた富士見町には
そんなアパートなどなく
べつの建物があるだけだった。
そう
もう一度書いておく。
あれは
もう一つの日本でありもう一つの大船だ。
次元ひとつ隔てた
まったく別の世界を
俺はあの8日間歩きまわっていたことになる。
アパートがないことを知った時
少しがっかりすると同時に
やっぱり何かが変だと感じた。
そのあと
また湘南モノレールの富士見町の駅に戻り
昇降階段を上ってホームに出て見た。
真夜中だったし
とっくに終電は終わっていたが
しばらくその乗り場のベンチに腰掛けて
空を見ていた。
左目が乱視なので
眼鏡をはめていなかったからかも知れないが
月が出ていたのだが
そいつが2つに分離して見える。
乱視のせいだと思うが
「あぁ月が2つ出ている。」
などとつぶやいていた。
湘南モノレールは
吊り下げ式で走っているタイプのモノレール。
だから下には何も無い。
当然
駅も上をレールが走っていて
下は金網が張ってあるのだが
もう終電も終わっていたし
俺はこちら側のホームからその金網の上に降りてみた。
そしてあちら側のホームに歩いて渡ってみた。
そしてまたこっちに戻ってきたりと
しばらく一人で遊んでいた。
ホームから下を見ると
金物屋だか石材店だか忘れたが
そんな店があり
その店の外に何か積み上げあったのだが
そこから猫が一匹出てきた。
野良猫だと思う。
そしてまたいなくなったのだが
あの旅のあいだに出会った猫は
みんな
物静かで
どこか寂しげで
そしてあんな世界でも
したたかに生きていた。
俺は下に降りた。
これからどうしよう?
と考えていたのだが
戸塚駅も
大船も
東京駅でさえ
あるにはあるが
先に書いたように
やっぱりなにかが違う
おれは
知っているものに出会いたくて
そいつを確かめたくて
その湘南モノレールのレール沿いに歩いていくことにした。
真夜中だったが。
まっすぐレール沿いに歩いて行く。
途中でビーボの缶コーヒー買って
コンビニで
ジャックナイフ型のコームを持った若い店員に
卵サンドもらった。
そいつをポケットに入れ
レール沿いを歩いていくのだが
車はもうほとんど走っていなくて
ずっとしばらく歩くと
次第に上り坂になっていく。
しだいに山の中みたいになってきて
俺はモノレールのレールの
丸い柱を確認しながら
そいつを見失わないようにしながら歩いていったのだが
ついにあるところで
レールは道の無い山の中へと逸れていき
おれはそこで
モノレールのレールを見失った。
それから地獄の行脚が始まるのだが
俺はそこからまったく知らない道を歩き続けた。
ぐねぐね曲がった山道だとか
畑の中だとか
五叉路になっている辻だとか
そうして歩いているうちに
また夜が明け始めた。
そいつが6日目の朝だった。
朝もやがかかっていて
新聞配達のバイクに出会った。
その
夜が明けてくるころは
もう山を登りきって
下り坂に入っていたのだが
周りはなにもない
たまに民家らしきものが点在するぐらいで
そんな山道を下っていったのだが
ずっといくと下に街が見えた。
けっこう大きな街で
大きな鉄塔も建っている。
そのふもとまで下りる坂の中途に
木工の製材所みたいなところがあった。
もう時間は朝の8時を過ぎていたと思うが
そこに入っていったら
おばさんがいた。
そこの工場のおばさんだと思うが
その人に
俺をここで働かせてほしい旨を告げたのだが
「あなたみたいな人はあそこに行ったらいい」
とそのふもとの街を指差した。
俺はふもとの街を目指して歩いていった。
もう一度確認しておく。
こいつは創作とか虚構とか作り話とか私小説などではない。
23年前実際におれに起こった事実を
記憶している限り出来るだけ忠実に書き記しているだけのことだ。
読み手はどう取ってもかまわないが
けっしてフィクションなどではないとだけ
もう一度声を大にして書いておく。
やがてふもとの街についた。
そのふもとの街中に
大きな川が流れていたのだが
俺なりに
あの夜あるいた、あの富士見町からの足取りを
Googleマップでたどってみたのだが
あんな大きな川が通っている街はどこにもない。
あの街から最後に乗った電車は
次の日の7日目の朝乗った横須賀線の車両だったのだが
東海道線と横須賀線はそれぞれ大船駅から別の方角へと分かれていく。
だから翌朝、夜通し歩いて
たどりついたあの街を走っていたのは
横須賀線だけだ。
その比較的大きめな川沿いの右側の真っ直ぐな道路を歩いていった。
天気は曇りだったと思う。
途中のコンビニでトイレを借りた。
そしてまたその道を歩いていった。
やがて通学途中の中学生か高校生の群れとすれ違った。
この6日ばかりの間に
忘れてしまっていることも含め
かなりの高密度で
見てきたものが頭の中をうずまき
混乱し
のたうちまわり
いまにも破裂しそうだった
曲がりくねった細い路地に入り
ぐねぐねと坂を上っていった。
気がつくと小高い丘の上の神社みたいな所にいた。
あの街でのことは
もう断片的にしか思い出せないのだが。
なぜならかなりその6日めで
もう疲れも頂点に達しつつあったからだと思う。
疲れていたのは否めない。
そして
右の下駄なのだが
それだけ歩き回ったにもかかわらず
初日にアパートの寮を出た時すでに
ひびがはいっていて
割れてしまいそうだったにもかかわらず
その6日目の時点でも
かろうじてなんとかもっていた。
まだ割れてはいなかった。
その場所は
小高い丘の上にあって
ちいさな祠ある
小さな神社だった
名前は知らない。
いろんな場所を転々としながら
徐々にその街の中心部へと攻めていく。
藤棚のたくさんある公園だとか
まるで西部劇に出てくる映画のセットみたいな場所にもいた。
職安みたいな場所にも行ったような気もする。
また俺が豊田の丸茂に入ってまもなく
タクシーにはねられたとき
しばらく通った吉田整形外科の建物とまったく同じ病院があった。
でも良く見ると違う。
まず病院の名前が違う
そしてその病院の看板の色が違った。
まったく同じ看板で
同じ位置に取り付けてあったのだが
吉田整形のそれは濃い青。
そしてその病院は黄緑色だった。
とある街中で
妙な言い回しかもしれないが
今思えばそんな感じだ。
それは
昼間であったにもかかわらず
曇りではあったが
太陽の気配というものをまったく感じなかった。
まるで
一つの部屋の中にある
小さなジオラマの街中に
迷い込んでしまったような感じ。
なぜなら
太陽の気配がないことに加え
風が全くと言ってもいいほど
そよとも吹いてはいなかったからだ。
その6日目の昼を過ぎたころから
あちこち歩いているうちに
また雨が降り出した。
朝から曇っていたので
そのふもとの街から始まった行脚は
まったく方角すらわからなくなってしまっていた。
西も東もわからない街で
ただひたすら歩き続けた。
傘がないものだから
やがて雨脚もはげしくなり
すっかり濡れてしまい
手のつけられないほどずぶ濡れになった。
髪の毛は頭からバケツで水を被ったように顔に張り付き
パンツまでずぶ濡れだった。
着ていた薄手の焦げ茶色のジャケットも
その旅に出る3週間ぐらい前に買ったばかりの
お気に入りの一張羅だったのだが
雨水を吸えるだけ吸い込んで
まるで鉄の鎧のようにずっしりと重たくなっていた。
下駄の黒い鼻緒も
たっぷりと雨水を吸い込んで
ジュクジュクにふやけていた。
そんなどしゃ降りに近い雨の中
夕方近くまで歩き続けた。
4時間近くそんな感じで歩き続け
どこかの工場みたいな場所の
裏手に捨てられていた
透明なビニールピンクの雨傘を拾い
遅すぎたその傘をさして歩いた。
ビニール傘でピンク色なので
雨が降ってはいたが
その傘をさすと
ピンクのビニールを透過した光のせいで
一瞬視界がパッと明るくなったような気がした。
そうしているうちに
もう前が見えなくなってきていた
疲れと
雨と
混乱で
「もういやだ
こんな奇妙な世界には
1秒だっていたくはない。」
そう思うと
気がつくとその雨の中
踏み切りの中に入っていった。
さっき横須賀線が通過した
まだ生きていると思われる線路の上に
線路と平行に横たわった。
電車が来れば一瞬で終わる。
そう思い。
おれはピリオドを打つために
横たわって待った。
そんな状況にありながら
しらふで線路の上に横たわり
やがて自分を一瞬で轢き殺す電車を待つとは
わかっていても
かなり怖いものがある。
そう何度も出来ることではない。
一瞬で終わるはず。
そう思い
目を閉じ
腹をくくって待っていると
声をかけられた。
「あの。すいません」
「ここどこだかわかります。」
男の声だった。
「ここ線路の上ですよ」
おれは黙っていた。
すると次の瞬間
ふわっと体が上に持ち上げられた。
薄目をあけて見てみたら
4人の雨合羽を着た男たちが
おれのそれぞれ両手両足を持って
別の場所へと俺を運び
そしてまた別の線路の上にゆっくりと降ろした。
俺はそこで目を閉じ待った。
やがて電車がやってきて
轟音と振動を上げて通り過ぎた。
まさに俺がさっきまで横たわっていたレールの上を
突っ走っていった。
結果俺はその人たちに助けられたのだが
そんなこともあり
もう
死ぬ気もすっかり失せてしまい
また立ち上がり
遮断機をくぐり
線路の外に出て
よたよたと歩き始めた。
工事中のビルか何かの
道路沿いにあるボックス型の
守衛が入って中で休むための
椅子の置いてある
あの箱の中に入り
椅子に座って休もうとしたら
そこの守衛に
「だめだ!」と言って引きずり出された。
そのあとちょっと歩いて
後ろ側にふら~っと上体が傾いた時
「あぶない!」と言ってまたその守衛に突き飛ばされた。
どうやらパーキングビルか
あるいは工事現場の昇降エレベーターみたいなやつが
俺の真後ろで動いていたらしく
もう少しでそいつに飲み込まれる所だったらしい。
もう目がほとんど見えていなかったのだ。
あっちにふらふら
こっちにふらふら
その雨の中を
線路沿いの道路を
夢遊病者見たいに歩いて行った。
どこを目指すわけでもなく
傘も
もう持っていなかった。
とにかく
どこかに座って休みたかった
うすぼんやりと
前に駅が見えてきた
かなり大きな駅だった。
その駅に向かって歩いて行き
なんとか中までたどりついた。
気がつくと
駅の中。
左側に
見えてはいなかったが
その左側の曲がった奥に
電車乗り場への改札口だとか
切符売り場があるみたいだったが
もうそっちは見ていなかった。
ひとつの長椅子に座っていた。
前に饅頭屋があった。
駅中の店だが
その真ん前のベンチに座っていた。
雨に濡れたせいだと思うが
歯がガチガチと鳴るほど寒く
骨まで凍った感じだった。
着ている服は
床に水がたまるほど
ずぶ濡れだったのだが
それほど寒いのにかかわらず
不思議と
左の胸。
そう
心臓のあたりだけ
ぼーっと暖かかったのを覚えている。
どのくらいだろうか?
3時間ぐらいずっと
そうして動かずに
そのベンチに座っていたら
自分の体温で
びしょ濡れだった
着ていた服も
すっかりと乾いてしまっていた。
それから前の饅頭屋をずっと見ていた。
饅頭の赤い箱がいっぱい並んでいた。
ずっとそいつを見ていた。
やがてその駅の守衛らしき人間がやってきて
もう駅を閉めるから外に出るように言われた。
俺は立ち上がって右側に歩いて行った。
足取りも元に戻り
視力も回復していた。
右側に行くと
下に下りる階段があり
そこを下りると
外ではなく
何かの地階みたいになっていて
人がけっこういっぱいいた。
やけに化粧の濃い若い女だとか
そのアイシャドウのピンクが
蛍光色で
やけに網膜に残ったことだとか。
右手にタバコの自販機が一台あったことだとか
手前にベンチがひとつあり
そこにしばらく座っていたのだが
やがて別の場所へと移動した。
そこは地下道だった。
地上からすこし下がった
5段ほどの階段が
踊り場を経て
くの字に曲がった階段で
その地下道の両端に
タイルで動物の絵が描かれてあった。
一つは大きなライオンの顔だったと思う。
左側の一番端に
コインロッカーがあり
そのうちの一つの扉を開くと
地下鉄の音が聞こえてきた。
また別の扉を開くと
今度は犬の吠える声。
扉を閉じると聞こえなくなった。
また別の扉を開くと
今度は赤ん坊の泣き声が聞こえる。
扉を閉じると消える。
そんな感じで
不気味なコインロッカーだった。
ちょうどその地下道の通路の真ん中辺りに
壁にもたれて
両膝を立てて
座り込んでいた。
度の入ったレンズを
裏側から貼り付けてある
レイバンの
真っ黒なサングラスはめて
座っていた。
もう真夜中を過ぎた頃
7人ぐらい
若い兄やんと
ねーちゃん2人ぐらい
縦一列になって
やってきた。
一番前のやつが空き缶か何か蹴りながら
やってきた。
ゆっくりと左側からやってきて
俺の目の前を通り過ぎたのだが
決してこちらを見ようとしなかった。
そしてそのまままっすぐ行って
右端の階段を上り
外に消えていった。
明け方近くまでその地下道にずっと座っていた。
夜が明けてくる前
地上に出ていくと
やはりなんだかガスが立ち込めたように
あたり一面白っぽかった。
そしてそこで
一人の青年らしき男が
立ったままタバコを吸っていた。
俺はその人の方に歩いていき
「すいません。たばこ1本めぐんでくれませんか?」
と言うと
その人は箱から2本タバコを引き抜いて
だまって俺に渡した。
マイルドセブンだったと思う。
俺は礼を言って
また下の地下道に戻った。
そして前の夜
あの饅頭屋の並びにあるキオスクだったと思うが
シケモク吸うためにマッチだけ買ってあった。
10円だったと思う。
久しぶりに吸う新モクは
形容しがたいほどうまかった。
そのあとしばらくして地上に出て行くと
まさに夜明けだった。
さっきまでのガスのようなもやは晴れて
街明かりも
ほんの少しを残して
ほとんど消えていた。
前日の
俺が線路に横たわって
電車を待っていたあの場所。
あそこは線路が2本だけではなく
複数本敷かれていた。
たしか5本か6本。
走っているのは横須賀線のみ。
あの駅の名前がわからず
見た記憶すらない。
だから当然覚えていない。
あんな状況だったせいもあり
ろくに駅名も見ていなかったのだ。
Googleマップで調べてみると
湘南モノレールの富士見町から
ずっと俺が歩いて行った方向にあたりをつけて見てみても
横須賀線は
基本的に線路は2本だけ。
駅の近場でそのように
線路が6本ぐらい走っている所は
人間の足で
あの夜中から歩いてたどりつける場所から考えると
たぶん「逗子」しかない。
23年前のこととはいえ
今の逗子駅を見てみたのだが
やはりぜんぜん違う。
どのように違うのかというと
23年前というのもあるが
あの23年前のほうが
今のそれよりずっと近未来的で
そしてはるかに大きかったのだ。
だからあの駅が「逗子」とははっきり言えない。
ただあの旅の中で
確かに存在した
知らない駅とだけ書いておくことにする。
しばらくその早朝の街を歩いて回ったのだが
2日前に大阪の豊中らしき場所のあの平屋建ての病院で
点滴されながら眠って以来
寝ていなかったせいもあると思うが
かなり意識がぼんやりしていた。
右手に線路らしきものがあり
その左側の道。
そんなに広い道ではなかったと思う。
そこを行くと
ブランケットのポンチョを着た
頭が5分刈りの
金髪の若いイギリス人らしき男が一人いた。
俺を見てニコニコ笑っていた。
おれはその横を通り過ぎ
小さな駅の乗り場らしき場所へと入っていったのだが
あの大阪の正雀駅から一度電車に乗り
一つの大きな空港みたいな駅で降りて
そばを食った後
大きな陸橋を歩いて
線路を越えたとはいえ
その大きな駅からさほどはなれていない場所に
ずいぶんと時代遅れな
小さな乗り場があったと前に書いたが
その日もやはり同じで
前日ずぶ濡れでたどり着いた
その大きな駅からさほど離れていない場所に
その小さな乗り場らしきものがあった。
切符売り場もあったような気がするが
切符を買った記憶は無い。
なぜならその乗り場には
駅員らしきものが一人もいなくて
改札抜けたら
上りだったか
下りだったかもう忘れてしまったが
階段があり
そこをいくと
そこがホームだった。
すでに横須賀線の電車が停まっていた。
電車に乗った。
そんなに混んではいなかったはずだが
もうどのくらい人がいたとか
そんなことは忘れてしまった。
もう人など見ていなかった。
天気は快晴。
外は明るすぎるぐらいで
やけにまぶしかった。
露光の多すぎる写真みたいに
窓の外の景色がやけに白っぽく
白くとんでしまった写真のようだった。
電車はどうやら上り。
終点の東京駅に着くまで
ずっとまっすぐ
前の窓の外を流れ過ぎる景色を
ぼんやり見ていた。
それからのことは
今どこを走っているとか
今どこの駅に停まったとか
そういったことはほとんど覚えていない
ただ
意外と早く終点の東京駅に着いた
それだけ覚えている
東京に着いたが
なぜか
在来線の乗り場が見当たらない
山手線だとか
京浜東北線の
乗り場がわからず
覚えている東京駅のそれとまったく違っていた
やっぱり何かが
どこかが
似てはいても
微妙に
あるいは
大きく違っていた。
そんな具合に
どんなに探してもわからなかった
在来線乗り場。
わかっていれば日暮里まで行き
そこで常磐線に乗り換え
まっすぐに南千住に向かったはずだ。
見て取れたのは
今乗ってきた横須賀線と東海道線
そしてなぜか新幹線の改札のみだった。
駅の構内に
例の大気の匂いがもう最高レベルまで充満し
駅の構内を歩いている人たちを見て
よくこいつら平気だな
と思ったのだが
たぶんあの匂いを感じていたのは俺だけで
あの奇妙な世界にいた人たちには
なんら違和感のない
ごくありふれた当たり前の
日常の空気でしかなかったのだと思う
たぶん
別の次元から迷い込んだと思われる
よそ者の俺にだけ感じられたその異臭は
その7日目の朝の東京駅で
最高度に達しつつあった。
それでも
そんな風に
俺が知っている東京じゃなく
別の次元のそれと分かっていながらもなお
山谷に行こうと思っていた。
山谷に行けばなんとかなるかもしれない。
ひょっとしたら
知ってる奴に会えるかもしれない
そう思い
在来線の乗り場を探したが
どんなに探しても見つからず
しょうがないから
タクシーで行こうと決めた
タクシー乗り場に向かうと
駅構内から外にタクシー乗り場が見えた
人が何人か並んでいたのだが
外に出る前のその乗り場の8メートルぐらい手前まで行ったとき
「あぁ。もうだめだ。」
と思った。
なぜなら
あの新大阪で俺を新幹線のホームまで両脇をかためて連行した
あの制服姿の鉄道公安官2人が
なぜかそのタクシー乗り場の
停まっているそのタクシーの
ドアの両脇に立っていたからだ。
顔はしっかりと覚えていたから間違いはないのだが
不敵な顔で中空を見て笑っていた。
奇妙な話だろう?
なぜやつらがここにいる?
ある意味あれは
おれにだけ見えていたまぼろしとも取れるが
じゃぁあいつらはいったい何者なのか?
この俺にだけ見て取れたにしても
普通の鉄道公安官でないことだけは確かだ。
そう思った。
そういうわけで
タクシーに乗るのはあきらめた。
気がつくと新幹線の改札の向こうにいた。
自動改札口だったと思うが
前を行く人の背中に
ぴったりとくっついて歩いていったら
簡単にその自動改札口を通過できてしまった。
漫画みたいだけど
本当の話だ。
今こちら側の世界でそれをやっても
たぶんうまくはいかないとも思う。
あんな奇妙な世界だったからこそ
そんな漫画みたいなことも
いとも簡単に出来てしまったのじゃないかとも思う
だからもちろん切符など持ってはいなかった。
階段を上って行った。
そしてその後
東京駅新幹線プラットホームまわりの探検が始まった。
俺はホームの上にいた。
そしてなんとなく
ホームから下の線路側に降りてみたのだが
ちょっとびっくりした。
新幹線の線路が敷いてあるその脇が
ちょっとした通路みたいになっていて
その通路に立って
新幹線のレールのその位置を見ると
ずいぶんと高い位置にある。
目の高さよりずっと上
見上げるほどの位置にある。
東京駅新幹線乗り場のあのレールの基礎というのは
ずいぶん高く盛り上げてあるんだなと思ったのだが
そんな感じに線路脇の通路から2m以上あるような感じで
とにかく高かった。
というか
その脇の通路が低かったのか
ずっとその脇の通路らしきところを歩いていくと
ホームの真下が
掃除のおばさんの休憩所か詰め所みたいになっている場所だとか
色々あった。
ずっと歩いていくと
ホームの真下の空間ではなく
壁になっているところもあり
そこに小さな開き扉があった。
横幅70センチぐらい。
縦が60センチあるかないか。
人が一人やっと抜けられるぐらいの
そんな小さな観音開きの扉があった。
そいつを開いてみたら
当然かもしれないけど
また東京駅の新幹線乗り場内部に出て
左を見ると7段ほどの階段になっていて
そこを上りきったところがホームになっている。
そんな感じだった。
そのあと新幹線に乗った。
一部が二階建ての車両だった。
あの日は日曜日だったのか
結構その車両は混んでいて
行楽客がほとんどみたいな感じだった。
ずっと連結器の所に立っていた。
窓の外を見ていた。
5月だというのに
積乱雲みたいな雲がたくさん浮かんでいた。
ずっとそんな感じで立っていたのだが
名古屋を過ぎ
たしか米原あたりだったと思うが
ホームに停まった時に
反対側の上りのホームにも新幹線が停車していた。
何を思ったか知らないが
俺はその新幹線を降りて向こう側のその上りのこだまに乗り
またそいつを降りて
今まで乗ってきた新幹線に戻り
またホームに出た時
車掌らしきやつが大声で怒った。
「いったいあんたどこに行きたいんだ!」
そんなふうに怒鳴った。
結果
反対側の上りの新幹線に乗った。
それからしばらくして
つぎの岐阜羽島で停まった時
ただなんとなく
そんな感じで
何も考えずにホームに降りた。
俺以外に
その岐阜羽島で降りた者は
どうやら一人もいないみたいだった。
階段を下に降りていくと
改札口があった。
自動改札ではなく
普通の改札口。
そしてまたどういうわけか知らないが
駅員が一人もいなくて
それ以外の普通の人影すらなかった。
誰一人いなかったその岐阜羽島の駅。
俺は歩いて外に出た。
駅前はほとんど何も無かった。
あの23年前の岐阜羽島の駅は
そんな感じだった。
そこからまた歩き始めた。
田んぼだとか
離れた場所にぽつんとあるパチンコ屋だとか
コールタールを塗りたくったような黒い壁の
得たいの知れないアンテナが
10本ぐらい立てられた小さな小屋みたいな家だとか
そんな感じの
のどかな風景の中を歩いて行った。
しばらく歩くと
田んぼの脇の道路に
見慣れないものを見つけた。
そいつは亀だった
甲羅の大きさが30センチちょっとある
少し大きめの亀
4本の足をふんばって
頭を
今俺が歩いてきた方角にぐっともちあげていた
道路の左の隅っこにいたその亀は
その姿勢のまま動かないものだから
近くに寄って
身をかがめてそいつをのぞきこんだ時
俺は背筋が凍った。
目が
両方の目玉が
真っ白だったのだ。
そう。
もうすでに死んでいたのだ。
その姿勢のまま
最初剥製かと思ったが
あんな場所に亀の剥製を置く者もいないだろう。
あれは正真正銘
本物の亀だった。
それを見たとき
なにか凄い物を見た気がして
戦慄すら覚えた。
それからまたずっと歩いていくと
前に新幹線の高架が通っていて
それは
俺がその日東京から乗ってきた新幹線のそれだが
俺が歩いていた道はその下を通っていて
その少し手前の左側に
寺院らしき建物があった。
その新幹線の高架の下を通り抜け
向こう側に出る。
そしてまた歩いて行った。
その先あちこち歩いたが
細かいことはもう忘れてしまった。
覚えている所だけ書いていくことにする。
歩き回っているうちに
ある町中にたどりついた。
そこは
まっすぐなレンガ色っぽいタイルの敷き詰めた道だったと思うのだが
まっすぐで
ずっとむこうまで
まっすぐな一本道。
距離にしてけっこうある
まっすぐな
商店街だったのだが
ちょうど俺がたどり着いたあの日は
祭りみたいで
道の右端にずっと出店が並んでいた。
焼きとうもろこしだとか
たこ焼き屋とか
巨大なパチンコゲームだとか
そんな感じのものが
ずっと右端に並んでいて
俺はその一本道を歩いて行った。
季節は5月。
ある程度その通りを歩いて
左側にふと目をやった時
また妙なものを見た。
それは「雪」だった。
建物と建物の間
70センチぐらいのその狭い抜け道のような所に
青いブルーシートか何かそんな感じのシートで
なにかが覆ってあった。
よく見ると
シートの端がめくれていて
その下に雪が見えたのだ。
そのブルーシートのような覆いは
よく見ると
その建物の間の抜け道みたいなところを
ずっと向こう側まで覆ってあり
たしかに雪だった。
まだ溶けてもいない。
季節は5月だというのに。
それは
何かに使うためにそこに置いてあるような感じじゃなく
その建物の隙間にだけ降り積もってしまった。
そんな感じで
それにシートがかぶせてあった。
そんなぐあいだった。
大通りを歩いている時
夕方の5時を過ぎたぐらいだと思う
その道路は2車線で
左側の歩道を歩いていた時のこと
その歩道から左に6メートルほど入った場所に
その新装開店したばかりらしき店があった。
居酒屋だと思うのだが
鮮やかな朱色の真新しい暖簾に
白抜きで店の名前があった。
店の名前は覚えていない。
その店に入っていったのだが
出入り口の扉は
真新しい白木の格子戸だったと思う
そいつを開けて入っていくと
向こう側に抜けるカウンターがあり
客が7人ぐらい座っていて
俺がその店に入って行くと
みんないっせいにこっちを見て
一瞬にして固まってしまった。
そこにいる人全員の目に
明らかに恐怖の色が見て取れたのだが
ただ俺を見て固まってしまっているだけで
なにも言わない。
こっちがびっくりした。
よく見るとその店は
新装開店の真新しい店どころか
壁は油のしみだらけで
カウンターもかなり使い込まれた
およそ今入ってきた入り口とは程遠い感じで
どう見ても30年以上はそのまま営業を続けてきたであろうと思われる
かなり年季の入った場末の赤提灯
そんな感じだった。
どう見ても今
俺が入ってきたその入り口にそぐわないその店内に驚いたのだが
客が固まってしまっているし
そのあとまっすぐに向こう側を見て
さらに驚いてしまった。
俺が目を向けたその先に
もう一つ入り口があり
それもやはり木製の格子戸なのだが
その入り口こそが
たぶんその店のそれであろうと思われる
その店にふさわしい年季の入った古びた格子戸だった。
そしてそのすりガラスの向こうに暖簾が掛かっていた。
その暖簾は藍色で
やはり白抜きで店の文字らしきものが書かれてあったのだが
外の風にはたはたとはためいていた。
客は全員が
ただ目をまるくして俺を見ているだけで
何もしゃべらない。
その感じに気おされて
あとずさりしながら
今入ってきた真新しい入り口から外に出たのだが
そこを出て行くとき
そこの近くにいたと思われる
その店のおかみさんらしき人が
小さな声でこう言ったのを覚えている。
「もう来ちゃだめだよ。」
確かにそう言ったのだ。
なぜあの人たちはあんなに驚いていたのか。
あとになって色々考えた。
最近になって何となくわかってきたのだが
それはこういうことではないのかと思う。
俺が入って行った入り口のまっすぐ向こう側にあった入り口こそが
たぶんあの店の一つしかない入り口で
そして俺が入っていったあの出来たばかりな感じの
朱色の暖簾のかかった入り口は
あの店にはもともとなかったのじゃないのか?
そして俺が入っていったあの入り口は
あの店側からみれば存在しない入り口で
俺が迷い込んでしまった
あちら側の世界からのみ見えていた入り口だとすれば。
あの店から見て
俺が出てきた場所は
ただの壁だったのかもしれない。
だからあの人たちから見れば
俺がその壁かトイレのドアかわからないが
そこから突然現れたので
てっきり俺を幽霊か何かだと思い、あんなに驚いていたのじゃないのかと?
そして
その店のなかにあったあの向こう側の出入り口こそが
あの藍色の暖簾の掛かっていた出入り口の向こう側こそが
俺がその奇妙な旅に出る前まで暮らしていた世界であり
あそこを抜ければ元の世界に戻れたかもしれないのに
と思った。
やがて夕暮れ時になり。
やたらとジェット機(自衛隊の戦闘機だと思う)が飛んでいた。
あちら側の空から現れ反対側の地平線の向こうに消えてゆくまで
1分もかからず
オレンジ色の火を噴きながら飛んでいく
飛行機雲の帯を残して
まるでツバメが飛び交うように
何度も飛んで来ては反対側の空消えていく。
そして最期の夜がやってきた。
そいつがその奇妙な旅の7日目の夜だった。
歩きながら
しばらくその日の昼間のことを
色々考えていた
名鉄竹鼻線が通っていて
名も知らぬ駅を見た
あの祭りをやっていたレンガ通りは
結局端から端まで歩いた。
さいごその通りの終点に
ホームレスのおっさんが一人寝ていた。
黒っぽい服をきて
動かなかった。
その近くで何か必死にメモを取っているおばさんもいた
それをのぞきこんだら
そのおばさんは一瞬そのメモを隠そうとしたのだが
そこに書かれた見たことのない文字を俺は確かに見て取った。
それはそれまで見たことの無い文字だったのだが
漢字のような
記号のような
そんな感じのものがいっぱい書かれてあった。
最近になってわかったのだが
あれは文字化けした文字だ。
その
俺には絶対に読むことの出来ないであろう文字で
そのおばさんは必死に何かを手帳にメモっていたのだ。
またとある低い山とも呼べぬ丘のふもとの畑で
もう夕暮れ時だったが
一人のおっさんが畑を耕していた。
よく見ると
昼間にあのレンガ道の終点に寝ていたホームレスのおっさんだった。
すっかりあたりは暗くなり
夜がやってきた。
その店はその大通り沿いにあった店で
そこそこ大きな店だった。
なにかのチェーン店ぽい感じもしたが
名前は覚えていない。
細かい部分はもう忘れてしまった。
もう夜遅かったと思うのだが
俺はそこで
一番端の道路の見える窓際の席で
窓を背にして座りビールを飲んだ。
2本ぐらいだったと思う。
そのあとしばらくそこに座っていた。
しばらくすると
その店の女の子がやってきて
俺にそんなような旨の事を言ったのを覚えている。
「すいませんが向かいのあの店に移動していただけませんか?」
と言ってその店を指差した。
そしてなぜかその店で頼んだビール2本の金は請求してこなかった。
俺は言われた通りにその店を出て
道路を横切ってあちら側にわたり
その一軒の小さなバーのような店へと入っていった。
その店は
若い男2人ぐらいでやっていた。
もちろん飲み屋だ。
そこでビール3本か5本か忘れたが
それぐらいビールを飲んで
けっこう酔っ払ってしまった。
意識はぼんやりしていたのだが
やがて店を終わるから支払の段回になり
俺は一文無し同然だったので
当然そいつらともめた
俺は確かこんなことを言っていた
ここで飲んだ飲み代は
この店で皿洗いでも何でもやって支払う
だから俺をここで雇ってくれ
今は一文も金がないのだと
そんなことを言っていたと思うのだが
受け入れてはもらえず
結局また
パトカーがやってくる。
そしてそいつに乗せられ
とある警察署へ向かった。
古びた警察署だった。
警察官が2人いて
ひとりは年配の顔の色の黒い
やけに太くて低い声で話す男。
もう一人が若いとは言っても
あの当時の俺よりは年上と思われる男
どちらも制服を着ていた。
所持品全部カウンターらしき場所に出し
名前とか住所を聞いてくる。
あまり長くは話さなかったのだが
最終的に俺は
名前を名乗り
住所
そして勤め先も話したのだが
それ以外のことはしゃべらなかった
そのときその
若いほうの警察官は
カウンターらしき囲いの外
俺が座っている左がわに立ち
俺の上着の左の肩の下
ちょうど袖のあたりをひっ掴み
そこを何度も強くひっぱりながら
だまっている俺に
「お前怒れ!」
と挑発してきた。
俺はぜったいにその挑発には乗らなかった。
あのときあいつをブチ切れてぶん殴りでもすれば
確実に俺の両手はうしろに回った。
だからだまってがまんしていた。
そのあとなおも
その若いほうの警官は俺の肩をひっぱり
やがて左の足の甲に蹴りを入れてきた
しつこいほど何度も
やがて左の足の甲から
血が流れ出していたのだが
それでもなお
その若い警官は
なぜか
「おまえ怒れ!」
それしか言わず
肩をひっぱっては
足を蹴り続ける
その繰り返しだった
おれはだまっていた。
結局本名を名乗ったので
そのあとしばらく待たされて
「おまえそこで少し眠れ。」
と言ってうしろの長いすを指差した。
俺はその長いすに腰掛け
両足を床におろしたまま
上体だけその長いすに横たえた。
妙なポーズだったが
そうして眠ったのだが
眠る前になぜかその警官がおれに覆いをかぶせた、
白いシーツのような布を
横たわる俺の頭からすっぽりと
かぶせた。
警察署の中は
明かりが灯っていたから
その白い布越しに
明かりはわかるのだが
そういうわけで
俺の目には
何も見えなくなった。
どのくらい眠っただろう?
朝がきていたのだが
俺の足を
誰かが俺の足の甲を
冷たいおしぼりで拭いてくれていた。
そのひんやりとした感触で目が覚めた。
まだ覆いは掛けられたままで
何も見えなかったので
誰が足を拭いてくれているのかわからなかったが
しばらくすると
俺にかぶせられていたその覆いのシーツがばっと取り除かれ
周りが見て取れた。
人がいっぱいいた。
昨夜の警察官は2人とも
もういなかった。
そこは昨夜の警察署なのだが
昨夜とまったくと言っていいほど感じが違っていた。
あの大阪の豊中の点滴された病院のときも
夜から朝までいたのだが
そういった雰囲気の変化は感じられなかった。
そして
昨日までずっと続いていた
あの鼻につく奇妙な匂いも
もうまったく感じられなかった。
外を見るとそこには
たしかにあの
その奇妙な旅にでる前までの
なつかしい空があり
微かに風が吹いていた
なぜかあの旅では
風が吹いていた記憶がほとんど無い
空気の流れのない世界。
今思うと
そんな気がする。
結局その8日目の朝をもって
その奇妙な旅は終わりを告げるのだが
そのあとしばらくは
まだ奇妙なことは何度か続くのだった
終わりにあたって
その最後の日の朝
俺にかぶせられていた覆いの白い布を取り除いたのは
一人の制服姿の警察官で
年配のおじさんだったのだが
俺をにらみつけ
グラスに入ったウーロン茶を一杯俺に差し出した。
俺がそれを飲んでいると
またやってきて
銘菓「ひよこ」だったと思う。
それを
だまって俺をにらみつけたあと
たしか2個くれた。
右斜め前の机で
一人の若い女の人が仕事をしていた。
制服らしい服を着ていたのだが
その服は
たしかグレーだったか濃紺だったか忘れたが、そんな色のベストを着て
その下に白いブラウスだったと思うが
それを着て仕事らしきをしていたのだが
なにかのカードみたいなものを
みんな同じ銀色の銀行のキャッシュカードのようなものを
いっぱい手に持って
何かやっていたのだが
下をうつむきながら仕事をしているその横顔が
まるで泣いているように悲しげだった。
そして「おや?」っと思ったのは
彼女の着ている
その白いブラウスの左の肩が
袖との縫い合わせの部分から破れていたのだ。
なぜあんな破れたままの服を着て仕事をしているんだろう?
あれはいつ破れたのか?
と思ったが
そういえば夕べあの若い方の警察官に
しつこいほど何度も
上着の左の袖をわしづかみにされ
引っ張られたのを思い出した。
あれだけはげしく引っ張られれば
薄手の夏向けのジャケットだったので
破れてしまったとしても何ら不思議はないのだが
おれのその上着はなんともなかった。
代わりと言っては変な話だが
その右斜め前で
泣きそうな顔で仕事している彼女の左の肩が
破れているのを見たとき
破れているその部分も
俺が引っ張られた場所と同じだし
それを見ていて
また何だか考え込んでしまったのだ。
警察署のその一階には
全部で人が10人以上はいたと思う。
おれは座っていた長いすを立ち
入り口の脇にある階段から上に歩いて行った。
窓からしばらく外を眺めていて
また下にもどってきたのだが
入り口の両側だったと思うが
何か分厚い裏地が黒の大きな布が
山のようにうずたかく積まれてあった。
そのあとさっきのお菓子くれた警察官がやってきて
ゆうべ預けた所持品を俺に返してくれたのだが
いちばん最後にあの
FREE DIARYと書かれた手帳を持って
これはどうする?
と何もしゃべらずに
目で俺に聞いた。
俺はしばらく考えたあと
「それはもういらない。」
としゃべり
その手帳のみ受け取らなかった。
しばらくすると
丸茂のトラックの運転手をしている河合さんが迎えに来た。
そして迎えに来た白いライトバンに乗って
その警察署を出た。
夕べの飲み屋の支払も済ませてくれて
「どっかで焼肉でも食うか?」
と俺に景気よく言ったのだが
その後東名高速かどこか知らないが
とある高速道路に入って行き
そこのサービスエリアみたいなところで
きしめんと巻き寿司といなり寿司食わせてくれた。
何日ぶりかに食べたそれは
もう味などわからなかった。
胃の中はほとんど空っぽだったから
のどを通っていく
きしめんがただ熱いせいで
味などわからなかった。
そのあと猿投グリーンロードだと思うが
そこを車は走っていった。
河合さんが運転しながら一度こっちを見て
「なんならシート倒して横になっとってもええぞ。」
と言ったので。
俺はシートをたおして横になった。
その時カーラジオから
渡辺真知子の「迷い道」が流れてきた。
あの歌はたしか俺が中学3年ぐらいに流行った歌で
それから10年後のその奇妙な旅を終えたあとに聞いたその曲は
なんだかまた違った風に聞こえてきて
またちょっと考えてしまった。
やがて会社に着いたら
工場長の酒井さんはいなかった。
会社に着いたときは
扶桑町は曇りで
工場の感じが
旅に出る前の五分の一ぐらいに暗くなっていた気がした。
かわりに鍛造課長の重田さんが俺に話をしたのだが
会社に連絡でもって通知されていたのは
あの新大阪でビール1本と寿司食って無銭飲食で捕まり
下の派出所で初めて話したときのことだけだった。
俺の声がその交番の外に拡声器で放たれたと書いたあの時の情報しか知らされていなかったみたいで
重田さんはそのことを俺に
「なぁ。小さい子供のころ親に買ってほしくても買ってもらえんもんがあっただろう。」と
どうやら俺が無銭飲食したことを
たとえ話でおれに諭すように一生懸命話してくれた。
結局俺が奇妙な世界を一人で旅していたことは
あたりまえなのだが
会社は何も知らなかったのだ。
俺は少しむなしかった。
そのあと食堂でめし食っていけと重田さんが言ったので
食堂に入っていった。
食堂のおばちゃんの山本糸乃(通称いとちゃん)はいなかった。
午後2時ぐらいだったと思うが
明かりはついていなかったが
曇っていたのでやけに食堂は暗かった
ガラスの戸棚におかずが入っていたので
自分でプラスチックのどんぶりにご飯をよそって
食べていた。
たしかどんぶりに七分目ほどご飯を入れて食べ始めたのだが
半分ぐらいになったとき
それからしばら食い続け
おや?っと思った
なぜかご飯が減っていかないのだ。
さっきから一生懸命食っているのに
そして半分ぐらいだったはずのそのどんぶりのご飯が
良く見ると六分目ぐらいに増えてきてる。
これはあの2日目のたしかあのトミ子で
飲んでもいないのにビールが減っていった
あの時とまったく反対だが
理屈は同じじゃないか。
食っても食ってもご飯が減らない。
減るどころか増えてきた。
もうどんぶり2杯ぐらい食っただろう。
どんなに食べても減らないから
しょうがないから最後は
残飯バケツに捨てたのだ。
旅は終わったが
そんな感じで
まだ奇妙なことは終わっていなかった。
この数日後の5月の13日の金曜日
会社に親父が迎えに来た。
3tハンマーの前で出口さんの手元をやっているとき
服部さんがやってきて交代し
その時俺に「おとうさんが来てるよ」と言った。
おやじは宮崎にいるはずなのにと思い
事務所に行くと
確かに親父だった。
そして工場長の酒井さんがこう言った。
「なぁ上元くんや。」
「おまん少し疲れとるわ。」
「しばらく休めや。」
そう言った。
そして俺は会社を事実上解雇されたのだった。
一応これでこの話は終わる。
この一週間にわたる奇妙な旅は
48年生きてきて
48年という年月からみれば
ほんの些細な点のようなものかもしれない。
でもこの旅こそが俺の人生の「地獄の季節の始まり」であったことは否めない。
なぜならこのあと10年で
おれは殆どすべてのものなくしてしまったのだから。
そしてこの回顧録は
ほんとは書くつもりなどまったくなかった。
23年間ずっと俺の中にあったもので
今日までひとりで抱えて生きてきた。
死んだおふくろにさえ話していないし
もちろん親父も知らない。
ずっとかかえたまま
あの世まで
1人で墓場まで持っていくつもりだった。
でも今こういう形で外に出せてよかったとも思う。
なぜなら
数こそ少ないかもしれないが
また俺と同じような目にあう者がいるかもしれないからだ。
そうなった時になにかの参考にでもなれば幸いである。
2011年 9月14日