入学
皇国の中央に位置する皇都の、そのまた中心地区。宮殿を中心に四方に伸びる道沿いに、その学院はあった。時は秋の終わり。収穫祭を終えたころ、学院は開校の鐘を鳴らした。学院の車寄せには紋章を付けた馬車がずらりと並び、真新しいアカデミック・ドレスをまとった少年少女たちが誇らしげに足を進めていた。
その中に、ひときわ目を引く少女がいた。蜂蜜色の髪は、まるで陽光を漆黒のガウンに縫いとめたかのように煌いている。抜けるような白い肌は上気して薔薇色に染まり、時折その白魚のような指が触れるのはさくらんぼのような唇。そしてその瞳は、何もかも見透かすような透明な青さだった。詩人がこの場にいたら、彼女をきっと春の女神か、光の化身か、はたまた花の精霊か、そんなものに喩えて、それでも足らぬと自らの語彙を嘆くであろう、そんな少女であった。
少女は、物珍しげに、けれども決してはしたないなどと思わせぬ優雅さで、辺りを見渡した。そして、ある存在を見つけて唇の端を少しだけ、釣り上げた。そのとき彼女の顔を走った計算高い表情に、気づいた者はいなかっただろう。それくらい、ほんの一瞬のことだった。
突然、ざあっと強い風が吹いた。あちこちで悲鳴が上がり、誰かが鞄を取り落とす音がする。少女も慌てて足を止め、片手でローブの裾を、もう片手でその美しい髪を抑え込んだ。その風はすぐに止み、学生たちは思い思いに乱れたローブの裾や髪を直し、何事もなかったかのように再び学び舎へと足を進めた。少女も同様に髪を撫でつけながら、ふと、そちらに目を留めた。
そこには、うずくまって必死に何かを集めている少女がいた。どうやら、先ほどの突風で鞄の中身をぶちまけてしまったらしい。周りの学生たちはそちらにちらりと目をやるも、誰も手を貸そうとしない。中には心配気に視線を投げる者もいたが、うずくまる少女の漆黒の髪を見ると戸惑ったように、あるいはひどく醜いものを見たかのように視線をそらしてしまうのである。
そんな様子を一瞬にして把握した女神のような少女は、軽い足取りでそちらに駆け寄った。
「大丈夫?」
かけられた声に、黒髪の少女は驚いて顔を上げ、その拍子に手に持った本の束をばたばたと取り落とした。あらあら、と金髪の少女は女神のように笑うと、本を集めるのを手伝った。
「『精霊学入門』に『魔法学序論』、『初級魔物学』……ずいぶんと勉強熱心なのね」
「あ……」
本の題名を見られた黒髪の少女は日に焼けた頬を真っ赤に染め、こちらの勉強に着いて行けるか自信なくて、と口の中でもごもごと言った。
鞄の中身を回収し終えると、黒髪の少女はペコリと頭を下げて去ろうとした。金髪の少女は、学び舎に向かうその隣にさりげなく並び、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「ねえ、あなたも貴族ではないのよね」
それは断定だった。金髪碧眼が貴ばれるこの国の中央たる皇都の貴族に、黒髪がいようはずはない。茶色い髪ですら地味とされ、この国の第一皇子を、鳶色の髪を持つ、というだけで皇太子に相応しくないと考える者までいたという。もっとも、それは彼が皇位を継ぐ試練に失敗したがために議論の必要を失ったわけだが。ましての黒髪である。醜い、とまではいかないが、貴族やその周りに仕えるものとしてはふさわしくない、あるいは貴族がかかわるべきではない、と考えられていた。
だからむしろ、あなたも、という言葉に驚くべきだろう。金髪の少女は、高位貴族でもおかしくないような鮮やかな色を持っているのだから。案の定、驚きの表情を見せた黒髪の少女に、金髪の少女は不安げに笑って見せた。
「私、街の出だからお友達ができるか不安で……ねえ、お友達になりましょう?」
黒髪の少女は目を見開くと、戸惑いながらもこくりと頷いた。
「私はリリアナ。あなたの名前はなあに?」
「ええと……メリイと言います」
「すごいわ、高貴なお方ばかり。なんて華やかなのでしょう!」
学び舎に向かう中、リリアナは興奮した様子で口にする。はしたなくならぬよう声は抑えて、でも初々しく頬を染めて。彼女に目を奪われ、その隣のメリイに目をやって顔をしかめる、そんな周囲の視線など気にも留めず、リリアナは鈴を転がすような小声で続ける。
「見た?先ほどの車寄せ。立派な紋章のついた馬車ばかりで。一学徒として、あの錚錚たる顔ぶれの中に名を連ねるのだと思うと、私、嬉しくて」
この国では、強い魔力を持つ者は師についてその制御を学ぶ義務がある。有力貴族や豪商の子女は家庭教師を雇い、財力を持たない平民や下級貴族は、大きな市街に一校はある小学校に通う。その後、卒業時の魔力審査によりとくに魔力が強いと分かったものは、魔力が大きく成長するおよそ十四歳から十六歳の間の三年間、皇都あるいは西北南の大公領都いずれかの学院で管理を受ける。魔力が暴走する可能性を少しでも防ぐため、特別な結界を張った学院の中に未熟な魔術師たちを集めるのだ。
だから平民にとってこの学院は、上級貴族と知り合えるまたとない機会なのだ。この学院に入学させられたという事実だけで、じゅうぶん強い魔力を持つという証明となる。将来の出世の可能性がここには転がっているのだ。なかでも中央の学院は皇族に近しい者までが入学する。二年前には第一皇子ユリウスが優秀な成績で卒業し、当時彼と親しかった数名の平民は軍部で地位を得ているという。さらに、今、学院には、皇位を継ぐ試練に成功した第二皇子カルロスが在学している。リリアナのように魔力の才能と美しさを併せもつ少女にとって、どれだけの可能性がここに転がっているのか計り知れなかった。
それゆえ、自分の美しさを知る彼女が、期待に頬を紅潮させることは無理からぬことであった。しかし、ささやかな不満はすぐに訪れた。彼女は上位、下位とある二つのクラスのうち、下位のクラスに振り分けられたのである。
魔力というのはほとんどが遺伝するものだ。だから強い魔力を持つ者は上級貴族に現れやすい。よって市井の者が学院に入学することは少ないから、このクラスは、爵位を持たぬ上流階級や下級貴族の子女が多くを占める。だから街の出の者であれば光栄に思って然るべきだろう。しかし、このクラスに振り分けられたことは、リリアナにとって、些か不満であった。自分は特別な存在なのだから、上級貴族と同じクラスにいるべきだ、というのがリリアナの率直な意見だった。
クラス分けにおいて課題となるのは、実のところ魔法の実力ではない。価値観の問題だ。庶民と大貴族では考え方が大きく異なる。この学院を卒業した者は、街の出であっても中央省庁など貴族のそば近くで働くことが多い。郷士や騎士に叙せられることもある。その際、貴族流の、すなわち身分に縛られた、細かな礼儀を身に着けておいたほうが有益である。よってこちらのクラスでは礼節の授業が多くなる。言葉遣い、会話術、所作、テーブルマナー、等々一通り身に着けてやっと、大貴族と机を並べることを許されるのだ。だから特に初年次は、上位クラスに比べて学ぶことが多い。上級生となれば上位クラスとの合同授業も多くなる、そう聞いて彼女は、ひとまずはこのクラスで機を狙おうと決意した。その間、表面上はやや緊張した、それでいて楽しげな表情を崩さなかった。
「そうだな、まずは自己紹介だ。名前と属性を」
そう述べた担任は、しわの目立ち始めた顔に穏やかな瞳を乗せた五十がらみの男だ。彼の指示に従い、前列から自己紹介が始まる。自分の番がきて、リリアナは美しい髪をさらりと揺らして立ち上がった。そして視線が自分に集まるのを感じながら気恥ずかし気な笑みを浮かべて言う。
「リリアナです。四属性すべてと生長系の状態魔法を使います」
ざわめきが広がるのをリリアナは心地よく聞いた。
そもそも学院とは、二種類以上の魔法の適性を持つ少年少女に、その制御法を教えるために存在する。異種の魔法は身体内で衝突し、適切に制御しなければ暴走する。その暴走を抑えるため、二つ以上の適性を持つ者は魔力が急成長する十五歳前後に学院に通うことが課せられる。
しかし、二種類より多くの魔法を使える人は珍しい。上級貴族であっても、半分程度の者は二種類の魔法しか使えない。さらに、状態魔法はごくごく一部の、皇家に近い家にしか現れないと言われている。四属性すべてというだけで異常なのに、さらに状態魔法まで使うとは。
リリアナが自分は特別だと思い込むには十分な能力だった。
「メリイです。水と風の属性魔法を使います」
ざわめきの余韻が残る中、隣に座るメリイが早口に言って慌ただしく座るのを、リリアナは小気味よく眺め、優雅な笑みを浮かべた。