#8 とらわれ
「発信機ですか?」
白いリングの端末を渡されて、手に取る。印はついていない。
「電源が入っていたら、位置情報が分かる」
若櫻木さんの言葉を聞きながら頷く。
「そんなハイテクな時計だったんですね」
「電源を切れば位置情報がでないようにつくっているが、今回の事件で改良が必要だと分かったな」
確かに、電源が切っていると情報が分からなくなるのは不便なことでもある。今回、盗まれた端末は全て電源が切ってある。こちらから情報を探ることはできない。
「他の機能は使わないから、できるだけ目立たないところに付けてほしい」
「了解です」
時計として使うなら腕に付けるであろう端末を右足首に付けた。ショートブーツを履けば見た目には分からない。
事前準備も終わり、私は大学に行った。メッセージで連絡はこまめに入れることになった。返事は手が空いている人がくれる。
お昼の休憩時間には電話が入ってくるようになった。若櫻木さん、吾妻さん、檜内さん、熊田さんの誰かが電話をかけてくれる。気付いたことがあれば連絡し、電話でも状況を伝える。気付いたこととは、私への視線。周りの変化。そして、福田直樹が大学に来ているかどうか。
*
口が固まっている。
手も動かせない。
状況を確認するように、ゆっくりと重い瞼を開けた。体がぎしりと音を立てそうに痛い。でも、足は自由だ。口も動く。口内が乾いているだけだ。
手は後ろで縛られている。私は狭い室内で椅子に座らされていた。椅子と手を固定されているのか、手が動かない。
埃っぽい薄暗い室内に人の気配がする。電気はついていない。外から漏れる光だけを頼りに目を凝らす。
黒い顔の人が言った。
「おはようございます、先輩」
意識を失う前に聞いた声だった。
「自分から飛び込んでくるなんて無用心ですね」
黒い人物が部屋の隅から椅子を運んできて私の正面に置いた。
「ばれると面倒なので、暗いですけど我慢してくださいね」
表情が見える。福田くんは、にっこりと笑いながら座った。
口をきつく閉じて、無理やり唾を飲み込む。
「私を監視してたの?」
「人聞き悪いですね。利用しようとしただけですよ」
「結果的には先輩の方から、ふたつのグループに関わったので好都合でしたよ」
嬉しそうに、愉しそうに、私とは違う方向を見ている。
ふたつのグループとは、青のファミリーと、赤のファミリーのことを指しているのだろう。
「そのグループをどうしたいの?」
「潰したいんです。相打ちがよかったんですけど、思ったり仲が良かったので上手くいかなかったんですけどね。周りには仲が悪いと認識させてたのに。情報もあてにならない」
今回の事件は抗争になったかもしれない。青のファミリーと、赤のファミリーがお互いに情報を共有したからそれは避けられた。
「貴方が、この事件の主犯なの?」
「そんな訳ないじゃないですか。リーダーは別の人です。俺は下っ端ですよ」
彼の言葉を聞くたびに不安にさせられる。この視線は、この目は怖い。
「リーダーの指示で先輩を監視してたんですけど……。面白いですね、上園先輩」
笑っているのに、凶器を孕んでいる。彼の暇つぶしなのか分からないけれど、会話はまだ続いた。
「調べさせてもらいましたよ。過去のこととか」
視界がチカチカと赤く点滅した。
口の中が苦くなる。過去を思い出してしまう。人の顔を覚えること。気付きすぎると変な目で見られること。気味悪がられること。
頭の中を通り過ぎては消え、我に返った。
「どうしてアンダーグラウンドに関わりをもとうとするんですか」
どうして、私だって最初は関わらないようにした。
でも、気付いたときには望んでいた。いま、この場所にいるぐらいには――
「彼等が、この事件の犯人だったらどうするんですか」
「若櫻木さん達は違う」
冗談のように言われたけれど、間髪いれず否定した。真実を捻じ曲げてほしくはない。
「随分、肩入れしてるんですね」
応えずに、黙って彼の目を見る。
怒らそうとしている。私を動揺させようとしている。
「先輩、生きづらくないですか? 人の視線を気にして、隠して。つまんなくないですか」
残酷な言葉がチクチク突き刺さり、私は小さく呟く。
「貴方ほどじゃない」
彼は目を丸くしたあと、声を出して笑った。
「あはは。そうですね。僕も隠してますよ。優等生ですから」
表情が幾分幼く見える。それも一瞬のことで表情が引っ込む。
「うちの大学の生徒じゃないよね」
私が、大学で一回しか見ていないことがおかしかった。
彼は今更のことのように笑った。
「正解です」
「前原くんは……」
「気付いてないですよ。大学で会ったら生徒だって、あっさり信じましたよ」
普通はそうだ。部外者が大学内にいるなんて思わない。
私が通ってる大学だから彼は来たのだろう。顔を覚えられるのに。
後輩先輩ではないことは、はっきり分かったのに彼は呼ぶ。
「上園先輩、誘拐したらどうすると思いますか?」
誘拐するために大学に入り込み、隙を窺っていたのだろうか。
「青のファミリーをおびき寄せる」
「ぶっぶー。はずれです。当初の計画では、そうでしたけど感づかれてますから、なしです」
場違いに明るい声で否定する。
先程、彼の口から潰したいと出たのに別の方法があるのだろうか。
「先輩、俺に協力してくれませんか。協力してくれるのなら、こちらも力を貸します。お役に立てると思いますよ、きっと」
ざわりと鳥肌が立つ。
「貴方の力なんてほしくない」
不快な感情を押し殺すように、目の前の人物を睨みつける。
「おぉ。思ったより動揺しないんですね」
「過去のことも調べた、って自分で言っていたじゃない」
「心の準備はしてたということですか。……ヒントをあげすぎましたかね」
「貴方、なにがしたいの。私を誘拐しても青のファミリーも、赤のファミリーも巻き込まないなら、どうして私はここにいるの」
彼は瞼を僅かに下げた。静かな表情で私を見つめる。
「面倒なことに巻き込まれるの好きでしょ、先輩」
「私は日常を望むよ」
瞳の中の光がゆらゆら揺れる。
「先輩は、こっち側の人間じゃないですからね」
視線が下がり、声が寂しそうに聞こえた。
ゆっくりと瞬きをしてから彼は立ち上がった。
「このグループは、もう捕まるタイミングですね」
彼が室内を歩き足音が小さく響く。両手でなにかを持ち、私の前まで来ると両手を広げた。
「これも役に立たない」
手の上にあったものが、バラバラと音を立てて落ちる。
白いリングだった。赤い印が見える。私の足元に無機質に転がっている。
呟きも、行動も見送るしかできなかった。
彼は錘を落としたかのような、軽い足取りで歩く。窓際で立ち止まった。体を曲げれば出入りできそうな大きさの窓だ。
日常の動作のように穏やかに。自然に。カラカラと音を立てて窓を開けた。冷たい夜風が入ってくる。
窓の前に立っていることで外からの光が強く、表情がより鮮明に映しだされる。
「じゃあ、先輩。俺は逃げるので一人寂しく助けを待ってください」
そう言って微笑むと、彼は窓の外へと落ちていった。服や髪が風になびき、ゆるやかなカーブを描いて下へ。
流れるような出来事に、思考が遅れて追いつく。
ガタッと立ち上がろうとして自分が椅子に縛り付けられていたことを思い出した。
逃げると言った。文字通り逃げたのだ。多分。
唐突に訪れた無音が怖くなった。暗闇がじりじりと迫ってくる気さえする。
足元で小さな音がした。なにかを踏んでしまったのだろうか。視線を落とすとリングが転がっているだけだった。
気のせいなのかと思い始めたとき再び音がした。耳を凝らすと、ぶつかったような音が聞こえた。呻き声や怒鳴り声。打ちつけられるような音。音が段々近付いてくる。足音も増えていった。足音が大きくなり、大きな音を立てて部屋の扉が開かれた。
「上園さん」
心臓が止まりそうになった。
部屋の外から明かりが入ってきて眩しい。
扉の向こうに立っている人物が、私以外いないことを確認する。走ってきたのか、息は乱れている。髪だって乱れている。
「……若櫻木さん」
安堵の声が漏れる。
彼が私に駆け寄る。
「大丈夫か。怪我はないか」
椅子に縛り付けられていたロープが解かれた。
「はい」
両腕が自由になり、立ち上がろうと足に力を入れた。くらりと視界が回る。
急に立ち上がったためか眩暈がした体を若櫻木さんが支えてくれた。正面から抱きしめられるように腕がまわされる。
「大丈夫か?」
「少し立ち眩みしただけで、暫くしたら大丈夫だと思います」
同じ体勢で固定されていたため、腕も痺れている。じっと動かずに目の前にもたれ掛かる。
若櫻木さんの手が、私を落ち着かせるように優しく背中を撫でた。
「他には、なにかされなかったか?」
「若櫻木さんが直ぐ来てくれましたし、大丈夫ですよ。お話しただけで――」
安心させるように目線を上げて笑顔を意識したが、最後まで言い終ることなく強く抱きしめられた。言葉が腕の中へと消えていく。力強い腕が全てを包み込む。
大きな体に包まれて、あたたかさに私は黙って瞼を閉じた。