#6 護るもの
若櫻木さんが撃たれた。
車を出て地に足をつけて立った瞬間を狙ったかのように、銃声が空気を切り裂き彼の腹部に撃たれた。
「俺は、未来は視えない」
私の心を見透かすように若櫻木さんは言う。
「でも、聞いていたから知っていた。巻き込んでしまって、ごめんな」
大丈夫だと言えなかった。謝らないでくださいと、今回ばかりは出なかった。言葉が声にならない。それでも、どうにか口を動かす。
「手当ては……」
擦れた声だったけれど、彼の耳にも届いた。
返された言葉に私は、もう一度驚くことになった。
「大丈夫、これは血じゃない」
「え」
*
青のファミリーが所有しているビルの一室に、若櫻木さんと私は入った。初めて連れてこられた場所と同じところだった。
若櫻木さんがジャケットを無造作に脱ぐと、見慣れないものが視界に入る。
防弾ベスト。胸部と腹部を覆う黒い防護服。左腹部に銃弾の痕があり、赤い染みがついている。
若櫻木さんは、視線の先を見ると苦く笑った。
「血糊だ。例のグループが近くで見ているのなら、血を見せた方がいいと思ってな」
言葉通りに取れば、若櫻木さんは撃たれたふりをした、ということになる。
撃たれたあともファミリーの一員に連絡しているようだったし、最初から撃たれることを想定して動いていた。
「上園さん」
真剣な表情に、彼の緊張が伝わってくる。
「選んでくれないか。これから話すことを聞いてもいいし、聞かなくていい。いつでも引き返してくれていい」
線を引いてくれる。あちら側に行かないように、逃げれるように。
状況は進んでいるのに彼は振り返る。瞳の中に光を取り入れながらも、私の返事を待っている。
「私、嘘は付きません。協力します」
「ありがとう」
ほっと安堵するように、いままでで一番やわらかな笑みをした。
「今日、この時間に俺が撃たれることは分かっていた。だから、計画を立てた。計画を知っているのは五人。俺と、檜内、吾妻、彩賀、途中から熊田が加わっている。そして、上園さんが関係することも知っていた」
「私……?」
「そうだ。最初から決まっていた。名前は知らなかったから、ずっと暗号名で呼んでいたけど……」
「俺が相手を引き付けて、上園さんが目撃する。檜内と吾妻は周辺に身を潜めて動けるようにする。そして、熊田が車を運転して上園さんを連れる。そういう流れだった」
「待ってください。私がここにいるとは限らないじゃないですか」
「協力しない。関わらない未来もあっただろうな。でも、関わった。そして、加えるのなら予測しやすい立ち位置の方がいい。車内は安全だっただろ」
「でも、近かった……」
ドア一枚を隔てた出来事だった。
「近いから視線に気付けた。そうだろ?」
「ドアが開いたので気付きました。密室なら、遮られた空間なら気付かなかった。それに、普段は視線を気にしないように過ごしています。ストーカーの件があったので周囲を気にして……」
若櫻木さんの様子も気にかかった。
「視線はひとりだったか?」
「いいえ。複数……です。ひとりだと遠かったので気付かないと思います」
「凄いことだ。事前に聞いていなかったら誰も気付かなかっただろう。お陰で対応が早くなり、檜内と吾妻が狙撃した連中を捕まえた」
「聞いていたって……」
――俺は、未来は視えない
頭の中で言われた言葉が繰る返される。嘘は見える。俺は視えない。俺は。
そんなことは現実的ではないのに、恐る恐る自分の口が動く。
「未来を……知っていた人がいるとでも言うんですか?」
「そうだ。俺が撃たれることも、上園さんが目撃することも聞いていた」
どう言い表せばいいのか分からない。ぐるぐると感情が渦巻く。私は自分で考えて行動してきたのに、それが全て決められていたかのようだった。
「騙すようなことをして、悪かったな」
騙す。私は怒っているのか。
関わることを選んだのは私だ。裏に思惑があったとしても不思議じゃない。
事件を解決するために彼等が選んだのだから。初めて会ったときも私を連れてきたのだから。
引き返す間は与えてくれていた。何度も私の意見を確認するように。だから、選んだのは私。
問題なのは、感情に整理がつかないのは、彼のことだ。
撃たれることは分かっていた、と言った。分かっていて銃弾を受けた。防弾ベストを着てたって危ないことには変わらない。偽物の血が流れたって痛くないわけじゃない。
知っていたから私を車に残した。知っているかのような行動が、違和感として若櫻木さんの様子に表れていた。
一緒に降りさせなかったのも、ドアを閉めたのも私を護るためだ。
ドアを隔てた安全な空間。
怒りたくなった。どうして、こんな方法を選んだのか。こんな自分を傷つける方法を、
「どうして危ないことをするんですか?」
「迷惑をかけたくなかった。上園さんを巻き込んでしまったから、はやく解決したかったんだ」
「そうですね、迷惑です」
知っていて防ごうした。被害が増えないように解決を選んだ。行動も思考も彼等だからできたことであり、私が口を挟むことじゃない。こうして説明してくれるのだって彼なりに私の憂いを少しでも晴らそうとしてのことだと分かっている。だけれども、
彼等が選んだ道が最良の道だとしても、方法がなかったのか考えてしまう。散々考えての結論だったとしても気持ちが納得しない。
「嬉しくないです。若櫻木さんが怪我をしたお陰で私が助かっても嬉しくないです」
「怪我はしてない」
「していたかもしれない。 ……予測でしかない。絶対じゃないですよね」
もし、本当に撃たれていたらと思うとぞっとする。
私は協力するのに。力になれるのなら、なりたい。
「その通りです。未来は決まっていません」
凛とした声が響いた。聞き覚えのある声に視線を向けると、部屋の出入り口付近に彩賀ちゃんがいた。
「私が視た未来は、若櫻木さんが撃たれる未来でした。そして、上園さんが関わることで変化する未来も視ました。条件が分からなかったので、できるだけ近い状態を整えたたんです。っていっても、作戦を考えたのは私じゃないですけどね」
受け止めきれずに彩賀ちゃんを見ることしかできない。
未来と言われても漠然としている。それを視ることができる?
「信じなくていいです。いまは、どうやって問題を解決するかが先だと思いますから」
私が返事をできずにいても、微笑んでいる。
「若櫻木さん、私の仕事は終わったので帰りますね」
彼女はぺこりとお辞儀をした。
「あぁ。助かった、ありがとう」
若櫻木さんに笑顔を返し部屋を去っていった。
それを合図にしたように、ドアから三人入ってくる。檜内さん、吾妻さん、熊田さん。計画を知っている人達だ。
「ひと段落つきましたよ」
間延びした吾妻さんの声が届く。
「昨日の晩から、動かないでずっと待機は疲れましたよ」
「途中寝てただろ」
檜内さんが吾妻さんの頭を小突いた。
「あれ、ばれました? 一分ぐらいだから大目に見てくださいよ」
「三分だ」
「細かいですね」
「若櫻木、連中は第二ビルで捕まえている。聞き出してはいるが、リーダーの名前も場所も吐かない」
「お疲れ。さすがに、何人も捕まえられたら向こうも動き出すだろ」
「焦っているだろうな。仕掛けるか?」
若櫻木さんは、檜内さんの言葉に考え込むように黙った。
二人の間に横から吾妻さんが顔を出した。
「小乃果ちゃんも狙われてました?」
「いや、俺だけを撃ってきた」
「小乃果ちゃん、三日間のストーカーはどうだった?」
「引き続き視線は感じてますよ。車で移動中は、さずがにないとは思いますけど」
言葉を止め、口に出していいものか僅かに迷う。
「なに?」
「似てるんです。若櫻木さんを撃った視線と私をストーカーする視線」
「うわー。益々怪しくなったね。よし、小乃果ちゃん。誘拐されとく?」
さっくりと、軽く吾妻さんが言ったので私も軽く返した。
「されます」
空気が止まった。視線がちくちく刺さる。間が空いて、吾妻さんが慌てたように両手を振った。
「いや、あっさり頷かれると思ってなかったんだけど」
「同じグループだとしたら、……私にも関わろうとしてる、ってことですよね」
「狙撃は失敗しちゃったからね。気付くのも時間の問題だし、次の手は打ってくるだろうね。小乃果ちゃんをストーカーしてるのも、若櫻木のボスを動揺させるためだったりして」
冗談半分で、からからと吾妻さんが笑う。
「有り得るな」
檜内さんが同意をした。
さっき吾妻さんが言った作戦もいいのかもしれない。
「上園」
若櫻木さんが呼び止める。敬称が取れているから余裕がないことが読み取れた。怒っている。
「なんですか。若櫻木さんはよくて私が囮になるのは駄目だとか言わないですよね?」
「怖くないのか」
「怖いですよ。こんなこと、はやく終わってほしい。だから、終わらすんです。私が動いて解決するのなら、私は動く方を選びます」
「危険だ」
「自分から撃たれにいった人に言われたくないです」
優しい人だ。立場が逆だったら、迷わず進んでいくのに自分以外が巻き込まれることを嫌う。そんな人だからこそ、私も動きたい。彼の力になりたい。
「若櫻木さん、こんな方法では護ってくれませんか?」
正面から青い瞳を見返す。言葉に詰まったように顔が歪められた。視線がふらふらと室内にいる人物を見渡す。
息を吐き、私の瞳を見つめ返した。
「護る。必ず護る」
私はゆるく孤を描いて待っていた言葉を受け止めた。
「決まりですね」
6話~9話(最終話)まで毎日更新予定。