#4 事件の概要
「若櫻木のボス、例のストーカーはどうなったんですか?」
「あぁ。一人捕まえたが逃げられてな」
若櫻木さんと吾妻さんの会話を聞いた檜内さんが、舌打ちした。
「チッ。若櫻木、現状は?」
「調査中。どうも同業者っぽいんだよな。少し前もこの建物が狙われていた。いま、逃げたのを追わせている」
ピリリリ。携帯の着信音が響いて、待っていたかのように若櫻木さんが通話ボタンを押した。
通話の相手と話すと檜内さんに告げる。
「ストーカー、二人捕まえた。どこに持っていく?」
「第二ビルに持って来い。締めてやる」
「わかった」
若櫻木さんが電話の向こうに指示を出して通話を切り、こちらを向いた。
「上園さん。悪いな、巻き込んでしまって」
現状を把握しきれていないので、返事に戸惑う。
私が言葉を考えている間に室内に黒服が一人、テーブルを運んで入ってきた。よく見ると、私をここに連れてきた男だった。吾妻さんとはタイプが違ったのでよく覚えている。
若干驚いている私に、若櫻木さんが苦笑する。
「喉渇かないか?」
「……渇きました」
若櫻木さんが男を呼ぶ。男――熊田さんというらしい――がカップをテーブルに並べた。
檜内さんはコーヒー、吾妻さんと若櫻木さんはカフェオレだった。私は紅茶を選んだ。
ミルク入れたかった、とこっそり思っていたら熊田さんが私の近くにミルクを置いて部屋を出て行った。優しい。
一口飲んで落ち着くと、若櫻木さんが切り出した。
「上園さん、お願いがあるんだ」
「これを確認してほしい。君が会った男がここに載っているのか確認してほしい」
分厚いファイルが二冊、テーブルに置かれる。
「私をここに連れてきた理由はこれですか」
「駄目かな?」
弱々しく首を傾げる。
答えのようで答えになっていない。
「正直に本音を言っていいですか?」
「いいよ」
「ごめんなさい。私には分かりません」
ここで断った方がいいのか、断らない方がいいのか判断しかねる。
若櫻木さんは分かりやすく肩を落とした。動作や表情を見るだけだと物騒な組織を束ねているようにはみえない。
彼や彼等のことを結論付けるには情報が足りなかった。
「……まずは、事件についての説明をお願いします」
私がにっこりと笑うと、少し驚いたような顔が私を見ていた。
事件の概要はこうだ。
青のファミリーの一員が絡まれた。仲間を呼び対抗すると相手が逃げた。同じような事件がここ最近何件かあったので見逃すわけもなく追いかけた。
そして、追跡中に私と男が一緒にいるのを目撃するも、距離があり車で逃げられる。
事情を知ってそうな私を捕まえて移動。
更に引き続き車を追うメンバーと、周辺の防犯カメラを調べるメンバーに分かれた。
防犯カメラの映像を撮って私に突きつける。
しかし、本当に私はなにも知らなかった。
「なるほど、これだけ聞くと私すごく怪しいですね」
「目撃情報では端末に赤の印があった、って話だ。うちの部下も見ている」
「ついてましたね」
さっき、気付いたことだけど。
「知っていたのか」
檜内さんが僅かに驚いた声を出した。
「吾妻さんと会話をして思い出したんです」
正直に私が告げると、檜内さんの視線が吾妻さんへと流れ、吾妻さんは確認するように「ボス」と呼び仰ぎ見た。
「上園さんは本当のことしか言っていない」
私が本当のことを言っているかどうかは私にしか分からない。それなのに、若櫻木さんはっきりと断言した。
「若櫻木のボスはちょっと特殊な力をもっていて、嘘が見えるんだよ」
吾妻さんの言葉は誇らしげ聞こえた。
「……そうですか」
「えぇ!リアクション薄い。もっとビックリしようよ」
「驚こうと言われて驚くものでもないです。それに、前にも聞きましたし」
あの時は、こんな意味での「嘘が分かる」とは思わなかったけれど。
分かるではなく、見えると言った。物理的に見えるというのは現実的にありえない。中二病こじらせたファンタジーなことを信じろといわれても難しい話だ。
「……いまの話とあまり関係ないのでスルーします」
「姫ちゃんはドライだな」
「嘘つきの吾妻さんほどではないと思いますけど」
「えぇ!オレがいつ嘘言った?」
「吾妻」
話の脱線は若櫻木さんの一声で止めらた。
事件の続きは、車で逃げた男は見失ったということだった。そして、調べていくうちに分かったことがあった。
「赤のファミリーも青の印に攻撃されていた」
「赤のファミリーは事件に関わってないんですか?」
「関わってない」
檜内さんがはっきりと言う。それだけ断言できるのも凄い。
「じゃあ、赤でも青でもない別のグループになりますね」
吾妻さんがひらひらと手を上げた。
「はい。それが《例のストーカー》、ってコードネーム」
「あぁ。ストーカーって暗号名ですか。二人捕まえたんですよね?」
「そう。これから尋問。まだ情報が集まってないから姫ちゃんにも手伝いを……」
話し続ける吾妻さんから視線を移し、若櫻木さんを見る。
「それだけじゃないですよね。一度は私を解放したのに、もう一度私と会話する理由」
「三日間のストーカー」
檜内さんの口から出た。聞き覚えがありすぎる言葉。
思わず自らの手で顔を覆う。点が繋がってしまった。
「上園さんをつけてた人物は、俺達が追っているグループかもしれない」
若櫻木さんが告げると、吾妻さんから小さく驚いた声が出ていた。
はぁ、と大きな溜息を吐く。
「お礼を言うべきでしょうか」
「いや、巻き込んでしまったのはこちらだ。うちのファミリーに連れて来たことで例のグループが興味を示したのかもしれない」
若櫻木さんの瞳が心配するように揺れていた。
「嫌な興味ですね」
「すまない」
「謝らないでください。手伝います。いいえ、手伝わせてください。一刻も早く私の平穏を取り戻しましょう」
檜内さん、と呼びかけ言葉を続ける。
「怪我をした男の仲間を、このファイルから探したらいいんですよね?」
「あぁ、そうだ」
ガタンと音がしそうなほどに若櫻木さんが立ち上がった。
「見ていたのか」
「はい」
「お前は詰めが甘いんだ」
檜内さんの言葉に若櫻木さんは苦々しい表情をした。
「……すいません。聞かれてないのに話すのは、疑われると思ったので」
「いや、君が謝ることじゃない。……車の中に仲間がいたのか?」
「そういうことになりますね」
「なりますね、って姫ちゃん他人事だね」
「会話を聞いたりしていないので詳しくは知らないですよ。本当に見ただけ なので」
「周辺の防犯カメラにも映ってないし目撃情報も……。姫ちゃん、見てたんだね?」
「はい。ドアを開ける前に私は離れましたけど、振り返ったら丁度開いていて中が見えたので」
「え、それってすごいことだよ。ドアが閉まるまでの間で覚えたことでしょ」
室内の視線が私へと集まった。私にとっては普通のことなので返す言葉に困る。
無難に笑顔を貼り付けた。
「人の顔を覚えるのは得意なんです」
*
ファイルには顔写真だけがずらりと載っていた。二冊目のファイルをぱたん、と小さく音を立てて閉じる。
「いませんでした」
「あと二人見てもらってもいいか?」
檜内さんが言った。
「私が見ていいのなら」
頷くと、携帯の画面を差し出された。
「先程、捕まえた二人の写真だ。見覚えは?」
「ありません」
返事を返すと、張り詰めていた空気が緩まった。
「結局、収獲なしですね」
「まだ野放しになっていることは分かっただろ」
「そうだな、引き続き調べて――」
頭上で交わされる三人の会話に目を伏せる。
目を閉じると、若櫻木さんの声がどこか遠くで聞こえるような感覚になった。頭の中の情報を整理したい。
「大丈夫か?」
急に耳元で声がして我に返った。若櫻木さんが顔色を窺うように私を見ていた。
「大丈夫です。ちょっと目を休めていただけです」
意識して元気に見えるように笑顔をつける。
「そうか。協力してくれて、ありがとう」
「似顔絵描いてみたら?」
吾妻さんが言った。聞き返す前に言葉は続けられる。
「結局、顔は分かんなかったし小乃果ちゃん描いてよ」
……呼び名が変わってる。姫とか呼ばれるよりはいいか。
「描くのはいいですけど、参考にならないと思いますよ」
「だいじょうぶ、だいじょーぶ。忘れないうちに描いた方がいいよ」
記憶は風化される。一度見ただけのものだと、どんどん薄まってゆく。だから、描くのはいい。でも、本当に参考にならないんだけどな。
机の上に真っ白なコピー用紙一枚と、ボールペンが置かれた。
ボールペンだと書き直しもできない。あ、鞄持ってきてたんだった。
鞄からシャーペンと消しゴムを取り出した。うん、これでよし。
記憶をうつすようにシャーペンを動かす。
「私……明日もストーカーされるんですかね」
「小乃果ちゃん、学生だよね。出歩かないように、って言っても難しいよね」
「大学は休みますよ。ちょっとぐらいなら大丈夫です。テスト期間でもないし……あ、」
「どうしたの?」
「出してないレポートを思い出しまして」
「あー。大学まで護衛してもらったら?」
「そんな大袈裟な」
「構内には入れなくても、送り迎えぐらいは必要だと思うよ。三日間もストーカーされてるんだし」
「うっ……」
「ねぇ、若櫻木のボス」
「そうだな。護衛がないと困るだろう」
「えーっと、その、レポート提出したら家から一歩も出ないようにするので」
「……そうか」
若櫻木さんは頷いているけど、警備ぐらいつける目だ。
「あの、私の家に見張りつけよう……とか思ってます?」
「思っている」
断言された。
「えぇ? そこまでしてもらう訳にはいかないです。ね、檜内さん」
「そうだな。お前のとこのビルの方がセキュリティもしっかりしてるだろ」
「そうそう。窓ガラスが凄いんですよね。防弾の」
おかしい。この流れおかしい。
「上園さん、ストーカーと鉢合わせするのと俺のところに来るのどっちがいい?」
そんなの決まってる。危険が少ない方を選ぶに決まっている。
力なく頭を下げた。
「……宜しくお願いします」
「……それにしても、参考にならないね」
描き上がった似顔絵を見ながら吾妻さんが言った。
「だから言ったじゃないですか」
破滅的な画力なんです。参考になんて、ならないんですよ。
【登場人物】は四話までの内容です。用語集も少しあります。