#2 恋人口論、巻き込み、まきこみ
私は大学生だ。二年生だし、まだ忙しい時期。
今日も講義を受けようとしたら休講になった。空いた時間をどうしようか考えていると、不意に視線を感じた。
そっと周りを見渡す。友達が私を見て大きく手を振っていた。
*
私は人より少し不運で、巻き込まれることが多いらしい。
らしいと言うのは客観的。なぜなら、小さな不運に巻き込まれることは、私の不幸ではない。
幸と不幸。出来事は重なる。謎にも、謎解きにもならない。小さな刺激。それが私は気に入っている。
所構わず首を突っ込むのではない。大事になったり、怪我をするのは嫌いだから。他人が言うところの少しの不運がいい。
食べようと思っていた食堂のメニューが自分の一つ前の人で売り切れたり、壊れたホースの水をかぶったり、恋人同士の喧嘩に巻き込まれたり、そういう小さなアクシデント。よくあることだ。それらは可愛いもの。
結果として私の不運にはならない。
考えていたメニューは食べれなかったけれど、替わりに食べたものは思いのほか美味しかった。水はかぶったけれど、自宅近くだったので帰って直ぐに着替えた。恋人同士の喧嘩は、これから解決する――
「それで、どちらも相手が浮気してるって言いたいの?」
「そうなの、このちゃん!」
恋人達の片割れ、女性は私に泣きついた。
「僕は浮気してない。浮気してるのは、そっちじゃないですか」
女性の彼氏である男性も反論する。
「私だって浮気してないもん!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。一人ずつ話を聞いていくから、芽依はイヤホンつけて音楽聴きながら外の景色でも眺めといて」
女性――園原 芽依は不満そうに唇を尖らせ、鞄の中から音楽プレイヤーを取り出した。
大学の敷地内にあるカフェテラス。
午前の講義中ということもあり人がまばらに座っている。会話を人に聞かれない端の席に三人は座っていた。
芽依が意識を景色へと向けたことを確認すると男性へと向き直る。
「上園小乃果、二年生です。はじめまして」
座ったままだけど軽くお辞儀をして相手を見た。戸惑いながら彼も自分の名を口にした。
「前原 郁依、一年生です。はじめまして」
少し幼さの残る容姿で、眉が下がっているからか弱々しい印象を受けた。会うのは今日が初めてだけど彼のことは以前から芽依に聞いている。
「前原くんは高校生の頃から芽依に片思いをしてたんだよね?」
私がそう言うと、彼は驚いて席を立った。ガタンと椅子の音が響く。
そこで我に返り、自分を落ち着けるようにそっと座り直した。
「園原さんから聞いたんですか」
「うん。嬉しそうに色々話してくれるよ」
彼は照れて気まずそうに視線を逸らした。聞いている通りの人みたいだ。
「……中学なんです」
「え」
私が小さな呟きが聞き取れずにいると、頬が赤いまま彼は言った。
「中学生の頃から好きで高校生のときに一度告白して振られて、大学生になる前にもう一度告白して恋人にしてもらいました」
「学校は、ずっと同じ学校?」
「いいえ、中学は同じですが高校は違います。だから同じ大学に入れたことが嬉しくて」
「よかったね」
するりと私の口から出た。なんだか応援したくなるような子だ。
彼は返事をして嬉しそうに笑った。
「私はね、以前から聞いてるから前原くんのことはある程度知っているつもりだよ。芽依が誤解してるだけで前原くんは浮気してないと思う」
彼が、ぱちぱちと瞬きをして期待を込めた眼差しを私に向けた。話す気になっているようなので私も続ける。
「じゃあ、まずは前原くんから見て芽依が浮気してる、って思うことを教えてもらっていいかな」
「先週の日曜日のことです。街中で偶然見てしまったんです。園原さんと男の人が手を繋いでいるのを。……とても仲良さそうでした」
「……うん。それで?」
「びっくりして、暫くその場から動けなくて気付いたら見失ってました。その後、電話をかけたら繋がらなくて……電源切ってたんだと思います。僕とのデートのときは切らないのに」
「……切ってほしいの?」
「違います。切られたことがショックなんです。それに手も繋いで……僕もまだ数えるほどしか繋いでないのに……」
「えっと……すぐに浮気してるって聞いてみた?」
「聞けるわけないじゃないですか、本当に浮気してたらどうするんですか」
「うーん。さっき口論してときは言ってたよね」
「僕が浮気してるって言うので思わず」
「なるほどね。前原くん、」
「はい」
「浮気してる?」
「する訳ないです。自分で言うのもアレですけど、片思いを拗らせてようやく恋人にしてもらったんです。そんなにすぐに他の人を好きになったりしません」
一気に一息で言い切った前原くんに感嘆の拍手を送る。
彼は肩で息をして飲み物を飲んだ。
「君の言い分は、分かった。ということで、イヤホンつけて交代ね」
*
「二日も連絡が来なかったの。付き合ってから一日、一回はメールや電話をしてくれてたんだよ? それが、二日も。今日、大学で会ったときも逃げようとされたし。え、携帯の充電? してるよ。いつ連絡来てもいいように! あ、日曜日は充電切れたかな。でも、家に帰ってから……夕方には充電したよ」
それがどうしたの、と首を傾ける彼女に私は頷き返した。
うん。これ、ただのバカップルだ。
芽依がにこにこと笑顔を私に向ける。
「ありがとうね、このちゃん」
「まだ、何も言ってないよ」
「ううん。きっといい方向に導いてくれるって信じてるから」
「そんなに頼られても困るんだけど」
「大丈夫。勝手に信じてるだけだから」
「余計に困るわ」
私は最後の質問を投げかけた。
「先週の日曜日、誰かと会っていた?」
「日曜?」
スケジュール帳を取り出して、ページを開ける。さすがの彼女も気付いたようだった。
彼女の顔が上がり、きらきらした眼差しを私に向けた。それから、勢いよく前原くんに抱きつく。
「郁依くん、妬いてくれてたんだ」
驚いたのは前原くんだ。先程まで浮気だと、不機嫌そうにしていた彼女からの突然の抱擁。加えて満面の笑み。彼女は彼女で、説明を始めた。
「日曜に会っていたのは、お兄ちゃんだよ。しつこい人がいて困ってるって言うから、ちょっとデートしたの。私を恋人だと勘違いして諦めてくれるかもしれないでしょ。直ぐには諦めてくれなかったみたいだけど……」
女の人って怖いね、と言い笑ってる。
前原くんがやっとのことで「お兄ちゃん?」と聞き返す。「うん。今度会ってみる?」と彼女から返ってくる。「え、あ、うん」勢いに押されて曖昧な返事を彼がした。
そんな彼にもうひと助け。
「芽依と手を繋げてないことも気にしてるみたいよ」
彼女は「そうなんだ」と、益々笑みを深めた。対する前原くんの顔は赤くなる。
続いて彼女の説明。
「ちょっと距離をとってるというか、私の少し後ろを歩いてるでしょ。手、繋ぎにくかったから。……でも、これからはぴったり引っ付いてるね」
幸せそうに頬をすり寄せている。
これ、私がいなくても勝手に解決してくれるパターンだ。
前原くんは芽依に振り回される未来が見えるよ。
「よかったね」
*
大学から家に帰る途中、この前と同じ場所で声を掛けられた。
偶然ではない。視線を感じたのでもしかしたら、とわざと同じ場所を通ってのこと。
「上園小乃果さんですね」
黒服の男だ。大柄で熊のようにがっしりとしている。この強面は既視感があった。
男は大きな体を丸めて、頭を下げた。
「若櫻木とお話をしていただけませんか」