芸人と少女
いや、ほんと退屈だよ、入院生活ってのはさ。
なんでこんなに退屈なんだろうね。朝は六時半に起きて夜九時には寝なきゃいけないんだけどその間何もする事がないんだよ。昼過ぎにちょっと偉そうな院長先生が回診にきて、「気分はいかがですか?」なんて聞いてくるんだけど、こんな生活気分がいい訳ねーだろ?もちろんそんな事、声に出していえないけどさ。ちょっと胃が痛いってだけで病院にきたら急性胃腸炎だなんて言われてその日からいきなりの入院生活だよ。仕事のストレスが溜まっていたんだろうな。まぁ身体が休めって言っているんだからちょっとした休暇だと思って当分はここで入院生活をエンジョイするしかないんだけどね。それにしても仕事ってほんとストレス溜まるよなー。徹夜で考えたネタなのにつまんねーとか、さむっ!なんて言われたり…。猛獣とプロレスしてこいとか、危ねー仕事やらされてギャラが数百円とか…。ちなみに俺の仕事って芸人ね。
そんな入院生活なんだけど、最近ちょっと気になることがあるんだ。病院の敷地内にちょっとした公園のような広場があるんだけど、そこのベンチに少女がいつも一人で寂しそうに佇んでいるんだよ。年齢は十代半ばくらい、まだ学生って感じで、俺と同じ入院患者専用の着衣を着ているから、この病院に入院しているのは間違いないと思う。十代半ばくらいの女子、なんて聞くと活発でいつも笑っていて、生きているだけで楽しそう、なんてイメージを持ってしまうけど彼女を見たときはそのイメージとは全く逆で一人だけ違う世界にいるようなそんな印象を持ったんだ。でも、ふと気付いてね。ここは病院だって事、彼女は入院しているって事。もしかして彼女は現代の医学では治らない難病を患い、自分の将来を悲観し悲しんだ挙げ句、自分の心の中に閉じこもってしまったのではないかって。広場で彼女を見かける度、そんな思いが増してきて、思い切って話しかける事にしたんだ。彼女は広場中央にある花壇の方を見つめながら何をするでもなくベンチに腰をかけていた。
「ねぇ、いつもこの広場で見かけるけど、ここの患者さんだよね?」
ふいに話しかけられたせいか少し驚いたような表情をみせ、俺を一瞥したが、何も返答せず、また花壇の方へ向き直った。
「いきなり話かけて悪かったよ、俺も君と同じでここに入院しているんだ。君も毎日暇で退屈じゃない?」
今度はこちらを見る素振りすら見せず、正面を直視し微動だにしない。俺は今、世間一般でいうシカトされている状態なのか。それとも、たまたま聞こえなかったのか。確認する必要がある。
「別に怪しいものじゃないんだ、簡単に自己紹介するよ、名前は加嶋時雄、歳は二三、胃腸炎で二週間前から入院しているんだ。」
「…」
「今日は十二月にしては日差しが暖かいね、日向ぼっこ日和だろ思うよ。」
「……」
「病院食ってすげー、不味いよな。味は薄いわ、冷たいわで。あんなの食べていたら胃腸壊しちゃうよ。って、もう壊してるけどな。」
「………」
確認する必要もなかった。俺は確実にシカトされている。なんだかいらついてきた。いや、たかがシカトされたくらいでいらついてはいけない。なぜなら彼女は難病を抱え一人で悩み、苦しんでいるのだ。だから反発しあんな態度を取るのだろう。大人らしく彼女を包み込むような愛を持って接しようじゃないか。
「そうか、俺と絡みたくないっていうなら仕方ないな。なら、これは俺の独り言だと思って聞いてくれ。今、君自身が抱えてる問題はすごく深刻な問題だと思う。すごく怖くて、不安で毎日が辛いだろう。でもそれは神様が君に与えた試練だと思うなら少しは気持ちは軽くならないか?人間誰でも何かしら悩みは抱えているもんなんだよ。神は超えられない試練を与えないっていうじゃないか。この試練は君なら確実に乗り越えられる。だから自分自身とお医者さんを信じて、日々を過ごしてみたらどうだろう。」
我ながら名言だと実感した。これで少しは彼女も改心し俺に心を開くかもしれない。彼女の反応を待った。そして、数秒後やっと彼女は口を開いてくれた。
「私、風邪をちょっと拗らせて入院してるだけだから。近いうちに退院する予定なんで。」
返してほしい、俺の名言と自尊心に浸れた時間を。俺は気恥ずかしさから、少し怒りを込めた口調で彼女に言い寄った。
「たかが風邪くらいで入院なんかするなよ、君はまだ学生だろ?もしかして学校をサボりたくてわざと仮病を使っているんじゃないか?」
「風邪で入院しちゃいけない訳?入院してまで学校サボろうなんて思わないし。それによく見かけるってさっき言ったけど、もしかして私の事ずっと見てたって事?もしかしてストーカー?なんだかキモいんですけどー!」
彼女を心配し励まそうと思っていたのにまさかストーカー扱いされるとは…。
「俺がストーカーの訳ねーだろ?!大体、風邪引いたくらいで大げさなんだよ!私は病気なんです、いたわってくださいオーラ出してんじゃねーよ!ばーか、ばーか!」
広場を後ずさりながら俺は叫んでいた。最近のガキは礼儀ってものを知らないから困る。ちゃんと言葉を選んで会話をするべきだ。俺のように常識を弁えた大人になってほしいと心から切に願う。まぁ、こんなくそガキとは二度と会うことはないだろうけどな。俺と彼女の出会いはそれが初めて。二度と会うことはないってその時は思った。
相変わらず退屈な一日が始まった。こんな日はナースルームの若い看護師でもナンパして暇つぶしをするに限る。早速ナースルームに向かった。いつもは三,四人の看護師達が暇そうに(そう思っているは自分だけかもしれないが。)何か作業をしているのだが、今日に限っては誰も見当たらなかった。誰かいないかナースルームに入り辺りを見回したら棚の裏側で看護師数人が何やらひそひそ話をしていた。隠れてこそこそと話しなんてされたらどんなつまらない話をしてようと、聞きたくなるのが人間の性だ。看護師達にばれないよう棚の陰から近づき聞き耳を立てた。
「三〇五号室のさやかちゃんやっぱり腎臓移植するしかないみたいね。」
「そうなの?でも、腎臓移植なんてそう簡単に受けられるものではないよね?」
「そうね、ドナーなんてそう簡単にみつかるものじゃないわ。ドナーが現れるまでさやかちゃんの身体が持つかどうかね。」
「もしドナーが見つからず、さやかちゃんの病状が悪化したら…。」
「…そうね、早く見つかるのを祈るばかりだわ。」
どうやら入院患者の話をしているようだ。かわそうだけどまぁ、仕方ないよな…。彼女達のひそひそ話にも飽きてしまったので、その場を去ろうとしたら背後から急に声を掛けられた。
「こんなところで何やってるの?」
俺は思わずびくっとした。振り向くと中庭で会った、例の彼女が訝しい表情でこちらを見ていた。
「後ろから急に声を掛けるなよ、びっくりするじゃねーか。」
「驚かせてしまったのは悪かったわ。まさかそんな所に隠れて看護師さん達を覗いているなんて思いもしなかったから。」
「別に覗きなんてしてねーよ、たまたま通りかかってたまたま看護師さんの様子を見ていただけだろ。」
「たまたま、たまたまってセクハラ発言止めてもらえないかな。ほんとキモいんだけど。」
「それは、過剰反応すぎるだろう…。」
「て、ゆうかあなたとこんな所で無意味な会話をしている暇なんてないの。私は看護師さんに用があるんだから。そこどいてもらえる?」
彼女と俺が騒いでいたことに看護師達が気付いたらしく、こちらに振り向き声を掛けてきた。
「あら、さやかちゃん、今日の体調はどう?」
え?さやか?さやかってさっき看護師達が話してた人?
「朝からすごく体調が良かったんだけど、ほんの数分前から一気に気分が悪くなりました。」
彼女は俺を生温かい目で一瞥し、そう言い放った後、看護師に書類のようなものを渡し、足早にこの場を去っていった。
「一体、何なんだよ、あの生意気な小娘は。」
「あら、そう?二人ともすごく仲良くおしゃべりしてたじゃない。素敵なカップルだと思うわ、一緒になっちゃえばいいじゃない。」
看護師は笑いながら、俺に話しかけてきた。
「なに言ってんだよ、あんなくそガキになんか全然興味ねーよ、頼まれたって一緒になんかならねーから。」
「そんな事言って本心では彼女のハートに近づきたいんじゃないの?」
看護師にいじられまくる事に居心地が悪くなってきたので病室へ戻ろうとした時、例の彼女が看護師に渡した、書類の一部が見えた。
三〇五号室 橋野さやか
何だか知りたくも無いことを知ってしまったようだ。
このまま病室に戻るのも退屈なので、日向ぼっこでもしようと思い中庭へ向かった。そしたら例の彼女、橋野さやかがベンチに座り読書をしていた。俺は反射的にUターンして中庭を出た。彼女の本当の病状を知ってしまったため、今はなんだか複雑な気持ちだ。あまり彼女と絡みたくない。病室で大人しくしていようと思ったが、ベンチに座っていた彼女が、ふと立ち上がりどこかへ行ってしまった。すぐに彼女が戻ってこないか少し待っていたが来る気配もないので、俺は気兼ねなく中庭で過ごそうと思った。ベンチに座ろうとしたら、足下に一枚の写真が落ちていたことに気付いた。拾い上げ見てみると彼女と見知らぬ男性が二人並んで写っていた。彼女は男性の腕に寄り添い、今まで見たことのないとびっきりの笑顔でこちらを見ている。男性の方はスーツを着ているせいか少し彼女より年上に見える。背景には観覧車の一部が見えるので多分遊園地だろう。誰がどう見ても恋人同士のオーラが溢れている。多分あいつの彼氏だろうな…。
「ちょっと、何見てんのよ!」
いきなり後ろから大声を出され、驚きながら後ろを振り返った。写真の女の子、橋野さやかだった。当然写真のような笑顔ではない…。
「何だよ、またお前かよ?!」
「何だよ、じゃないわよ!勝手に人の写真見ないでよ!」
さやかは相当な剣幕でまくし立て、俺の手から写真を取り上げた。
「ここに落ちてたから拾っただけだろ、そんなに人に見せたくないものなら、自分でしっかり持っておけよ。」
「拾ったのは別に構わないわ。でも、そんなに食い入るように、じっくり見る必要はないんじゃない?」
「ああ、じっくりみて悪かったよ。ただ、お前も笑ったりするんだな。すごくいい笑顔だったからついつい見入っちゃったよ。」
彼女は怒りと照れなのか、どちらかわからない表情で俺をみた。
「その写真、一緒に写っている人は彼氏?」
「そんな事答える必要ないでしょ!」
彼女はそう言い捨て、横を向いた。
「まぁ、答える必要はないよな。その写真を見れば関係性なんて一目瞭然だ。」
「だったらいちいち聞かないでもらえる?そんなに私の事知りたいわけ?」
彼女はこちらに振り返り少し上からの目線で言ってきた。
「別に知りたくもねーよ。ちょっとからかってみただけだよ。」
「そんなに知りたいなら、教えてあげるわよ。この人はあなたの言うとおり私のダーリンよ。お互いちょーラブラブで、お見舞いもしょっちゅう来てくれるの。どんなに仕事が忙しくてもね。」
彼女がダーリンとか、ラブラブなんて言葉を使う事に違和感を感じたが、よくよく考えて見れば、どこにでもいる普通の少女なんだと再認識した。彼女はさらに話し続けた。
「お見舞いの度にプレゼントを買ってきてくるれの。この前なんか海外旅行のパンフレットを持ってきてね、退院祝いは南の島にでも行って星空の下でシャンパンを開けようとか言われたの!ほんとステキじゃない?!」
星空の下でシャンパンはイタいと思ったが、彼女の口から退院と言う言葉が出たとき胸がチクリとした。彼女はまだ自分の病気の事を知らされていないのだろう。もし彼女が本当の事を知ったら、どれほど落胆するだろうか。
「何で黙ってるの?私に彼氏が居たのがそんなにショックだった?」
「そんな事ねーよ、彼氏くらいいても当然だと思ったよ。ただお前が羨ましいと思ってさ。」
「何が羨ましいの?」
「毎日楽しそうでさ。普通入院患者なんて身も心も病んでるもんだぜ。もっと患者らしくしろよ。」
「はぁ?なに言ってんのよ!こんな所に居て楽しいわけないじゃない。こんな状況だからこそテンション上げてがんばってるんじゃない!」
「そうか、お前の言うとおりだな。その調子なら南の島ももうすぐだな。」
「うん…。でも退院予定日がまた延びたんだけどね…。」
「そっか…。まぁどんな病気だって完治するまでに時間がかかるもんだろ。」
「完治しない病気だったら一生退院なんてできないけどね…。」
彼女の意味深な発言に少し戸惑いながらも何とか訳を聞いた。
「なに言ってんだよ、お前はちょっと体調崩したってだけだろ?退院が少し延びたくらいで弱気になるなよ。」
「ちょっと体調崩したくらいでここまで退院が延びる訳ないし。自分の身体は自分が一番よく分かってるわ。それに自分のカルテを盗み見したの。腎臓の重い病気らしいわ。」
「何かの見間違いの可能性もあるだろ?そう簡単に決めつけるなよ。」
「それにね、自分で調べてみたの、その腎臓の病気を。そしたらね、進行具合にもよるけど長くても一年くらいなんだって。腎臓移植でしか治療法はないんだけど、ドナーなんてそう簡単に現れるものじゃないわ。」
どうやら彼女は自分の本当の病気の事を知っていたようだ。
「そうなのか…、そんな重い病気だったなんてな…。」
「同情なんかしてもらわなくてもいいわ。もう自分の中では解決してるから。残された時間を有意義に過ごす、ただそれだけ。じゃあね。」
彼女はそう言い残し中庭を後にした。俺はどんな言葉を掛けていいかわからず、ただ彼女の後ろ姿を見守る事しかできなかった。自分の死と真正面から向き合いそれを乗り越えようと必死に闘っている彼女を想像すると胸が痛くなった。少しでも彼女の力になってあげたい。せめて残された時間を笑顔で過ごしてほしい。そうだ!簡単な話じゃねーか、毎日彼女を笑わせてやる。俺は芸人なんだから!
次の日俺は彼女を探しに中庭へ向かった。なにをすればいいかはもうわかっている。簡単なことだ。いつも通り彼女は中庭で何をするでもなくベンチに腰掛け佇んでいた。
「よう、今日も日課の日向ぼっこかい?」
「見ればわかるでしょ?あなたってホント毎日暇そうでいいわね。」
「相変わらずツンデレだな…。まぁいいや、今日はお前とケンカしに来たわけじゃないんだ。俺は芸人なんだ。面白い話でもしてお前を笑わせてやるよ。」
「は?何言ってんの?私の一人の時間を邪魔しないでもらえる?」
「まぁ、いいから聞けよ。かたつむりって知ってるだろ?でんでん虫のかたつむり。あいつらすげー寒さに強いんだぜ。マイナス百度くらいになっても殻の中に閉じこもってれば耐えられるんだって。ただマイナス百度だと周りの植物が全滅して食料がなくなるから結局飢え死にしちまうんだって。マイナス百度を耐えたのに意味ねーじゃん。」
彼女は「だから?」と言わんばかりにこちらを見ている。
「よくわかんないし、つまんないんだけど…。かたつむりでもこの寒さは耐えられるのかしら?」
彼女のうまい返しにちょっとイラッとしてしまった…。まぁこの程度は軽いジャブみたいなもんだ。
「よし、次はおもしろクイズ。さるはモンキー、豚はピッグ、かっぱは?」
彼女は答えるのもばからしいと言うような表情でこちらを生温かい眼差しでみているだけだ。
「さすがにこのクイズは難しかったかな?正解はレインコート。河童だと思っただろうw」
俺はドヤ顔で正解を発表した。が、彼女は全くの無反応且つ無表情だった。
「それってただのクイズじゃない?どうゆう感性を持っていればそんなクイズで笑えるわけ?そっちの答えのほうが知りたいわ。」
俺のおもしろクイズ漫談もいまいち反応が薄かった。自分的にはそこそこ自信があっただけに少しダメージを受けた。だがめげずに続ける。
「次はもっとおもしろいぞ、車がカーブを曲がるときにあるものを落としました。何を…」
「スピード」
俺が問題を言い切る前に彼女は答えた。
「ねぇ、さっきから何をしたいの?私を笑わせてくれるんでしょ?ただのクイズごっこしてるだけじゃない?ほんとに芸人なの?」
彼女は痛いところを突いてくる。もしかしたら俺の笑いを理解するにはまだ若すぎるのかもしれない。もうちょっと子供向けにレベルを下げないといけない。
「よっしゃ、じゃあ次のネタは……ん?」
目の前に居たはずの彼女が姿を消していた。辺りを見回すと中庭の出入り口に後ろ姿だけが見えた。「あなに付合っている暇はないの。」と後ろ姿が語っているようだった。まぁ今日はこのくらいにしてやるか。
十二月にしてはいい天気で太陽の日差しが心地よい。笑顔と日光は相性がいいと勝手に思っている。ある意味笑わせ日和かもしれない。さっそく彼女を探しに中庭に向かった。だがどこにも彼女の姿は見えなかった。時間をずらし、中庭へ行ってみたがどこにも姿は見当たらない。仕方なく今日は退散した。そして次の日も彼女の姿はどこにも見当たらない。一日中中庭で待っていたが一度も姿を見せなかった。あのやろう、俺のこと避けてるんじゃねーか?いくら天気がいいからって一日中こんな所にいたら風邪ひくじゃねーか。ハクション、大きなくしゃみが出た。こうなったらこんな所で待ってる訳にはいかない。そっちが出てこないならこっちから行ってやる。確かあいつの病室は三〇二号室だったよな。俺は以前見た書類を思いだしさっそく三〇二号室へ向かった。数分後には病室の前に着いた。どうやら彼女の病室は個室らしい。若いのに贅沢しやがって。説教でもしてやろうか……ん?俺は病室のドアの前にあるプレートに気付いた。『面会謝絶。関係者以外立ち入り禁止』どうゆうことだ?濃い霧に包まれるように悪い予感が襲って来た。今すぐドアを開けて中に入りたいが、さすがに躊躇してしまう。だが、このまま戻る訳にもいかない。彼女の病室の前をうろうろしていたら、ドアが開いた。
「さやか?!」
俺は思わず彼女の名前を呼んだ。だが中から出てきたのは以前会った看護師だった。
「あら、加嶋さんこんな所で何してるの?」
看護師は俺を訝しい目で見てそう言った。
「いや、さやかがここ数日見えないから、ちょと心配になってついつい病室まで来ちまったんだ。そしたら面会謝絶なんて書いてあるから、驚いてさ。彼女具合悪いの?」
「少し前からさやかちゃんから体調が悪いって申し出があってね、主治医に診てもらったんだけどあまり病状がよくないみたい。」
ここ数日彼女の姿が見えなかったのはやはり体調が良くなかったからのようだ。もし、このまま病状が悪化してもう二度と彼女に会えなくなるようなことがあったら…。俺はまだ彼女の笑顔をみていない。彼女を笑顔にさせるのが今の俺の使命みたいなものだ。俺はは病室のドアに手を掛け中へ入ろうとした。
「ちょっと!加嶋さん、何やってるの?!」
看護師に制止されドアから手を離した。
「どうしてもさやかに会いたいんだ、頼むから入れてくれよ!」
「何言ってるの!面会謝絶の文字が目に入らないの?!関係者以外は立ち入り禁止よ!」
俺の願いもむなしく病室へ入る事を頑なに拒否された。こんな事をしていても埒があかない。何かいい方法はないか…。
病院の屋上からみる町の景色は小雨が降っているせいか少しくすんで見えた。
本降りになる前に早くしないとな。俺は独り言をつぶやきながらロープを屋上の手すりにしっかりと結びそのロープを下の階へ垂らした。ロープと言ってもビニールひもを数本束ねたものだけど…。俺が思いついた手段は屋上から三階へロープをつたって降りるという至ってシンプルな方法だ。さっそくロープをつたい降りたが、途中でロープの長さが足りない事に気付いた。戻ってロープを継ぎ足そうにもロープが手に食い込み(ビニールひもだから…。)上るどころかこの状態でいるのも辛かった。三〇二号室のベランダの手すりの所までどう見ても二メートル以上はある。いちかばちかベランダに飛び降りてみようか。手の痛みももう限界だった。ぶら下がったまま、少しでもベランダの内側に着地できるよう勢いを付け飛び降りようとした。よし、なんとかなるだろう、一、二の…、
「ちょっと何やってるの?!」
突然の大声に驚き、手を離すタイミングがずれてしまった。身体が地面に吸い込まれるように落下して行く。落ちていく瞬間、俺以上に驚いているさやかの顔が見えた。俺は反射的に手を伸ばしなんとか、ベランダの手すりに捉まる事ができた。どうやら飛び降り自殺だけは免れたようだ。さやかは驚いた表情で俺をみていたが、すぐにいつもの冷めた表情に変わった。
「あんた、何やってるのよ?」
「見ればわかるだろ?お前にわざわざ会いに来てやったんだよ。」
面会謝絶にも関わらず身体を張ってまで会いに来てくれた俺に、感動するはずもなく、彼女は冷たい表情を変えなかった。
「この寒空の下何やってるの?頭おかしいんじゃない?ほんと理解に苦しむわ。」
「あぁ、それは俺もそう思うよ。ただこうする以外お前に会う方法が思いつかなくてね。」
「……ありがとう。」
「え?」
「もう!ありがとうって言ってるじゃん!」
彼女は顔をうっすらと赤らめながら俺に礼を言った。こんな素直な彼女は初めてだった。
「別に、礼を言われる程の事じゃねーよ。」
彼女からありがとうなんて言葉が聞けるとは夢にも思っていなかったので何だかこっちまで、照れてしまう。
「私なんかの為にわざわざ、こんな危ない事をしてまで会いに来てくれるなんてほんと嬉しいよ。」
「そんな素直なさやかに会えるならいつだって来てやるよ。それよりも、一つだけお願いがあるんだけど…、」
「何?私にできることなら何でもするよ?」
「とりあえず、ベランダに引き上げてくれないかな?もう手が痺れて落ちそうなんだけど。」
「あ、ごめん、気付かなかった!私ってホントばか。」
彼女は俺の手を引きベランダへ引き上げてくれた。手すりから転げ落ちるように着地し、その際身体を少し打ってしまい仰向けのまま動けなかった。
「大丈夫?」
彼女はしゃがみこみ心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。彼女の顔が目の前にある。お互いの目が合いほんの数秒の沈黙があった。彼女の艶やかな唇が近づいてきた。
「はくしょん!」
「きゃっ、ちょっと何よ!つばがかかったじゃない!」
まさかのタイミングでくしゃみが出てしまった。この寒空の下こんな無茶をしていたんだ。風邪の一つもひいてしまうだろう。
「ごめん、なんか風邪ひいたみたい。もう大丈夫だから続きを…、」
「何言ってんのよ、バカ!」
半身だけ起きていた俺の身体を突き飛ばし彼女は、ベランダのガラス戸を開け中に入ろうとした。
「ちょっと待って、俺も入れてくれよ、部屋からはすぐに出て行くから。」
「あなたはそこで当分頭を冷やしてなさい。じゃーねー。」
彼女はそう言い出入口のドアを閉め鍵を掛けた。口ではそう言ったものの彼女の表情は笑顔だった。以前見たあの写真にはほど遠いかもしれないが、彼女の笑顔を見る事が出来た。なんだか安心した。ほんとによかった。ただ一つだけ残念な事は、彼女の笑顔を見たのはこれが最後だって事。
「おはよー、良太。わざわざ迎えに来てくれなくても良かったのに。」
「せっかくの休みだし、天気もいいから病院帰りにデートでもしようと思ってさ。」
「ほんとに?すごく嬉しい!きっと神様も祝福してくれてるんだろうね。」
「そうだな、ドナーが奇跡的に見つかってすぐに移植手術だもんな。しかもそのドナーと同じ入院患者で、ちょっと仲もよかったんだって?」
「仲良しってほどでもないわ、ただ何度か会って世間話をした程度よ。看護師さん達がちょっとからかって言ってるだけ。」
「ごめんなさい、ちょっといいかしら?」
「看護師さん、今までお世話になりました。」
「さやかちゃんが元気になって退院してくれるなんて私もすごく嬉しいわ。ただ加嶋さんの事はほんとに残念ね。二人ともすごく仲良しだったから。」
「ちょっと、また言ってるー!彼氏の前でそんな事言うのやめてよ。良太が勘違いしちゃうでしょ!」
「あらあら、それはごめんさいね。でも少なくとも加嶋さんはさやかちゃんのこと多少は想っていたわよ。だからさやかちゃんの身体の一部になれて本望だと思うわ。彼氏よりもさやかちゃんのハートに近いんだもん。」
「もう、そんな気持ち悪い事言わないでよー。せっかく退院できて彼氏も迎えに来てくれて幸せいっぱいな気持ちでいるのにー。」
「さやか、そろそろ行かないか?デートの時間が短くなっちゃうよ?」
「えー、だめだよー、今日は私が満足するまでデートに付合ってもらうんだからー。」
さやかはそう言い心からの笑顔を彼氏に見せた。