92話 雷神の咆哮(2)
背後ではセレスたちが奮闘している。
波のように押し寄せる信仰者たちを相手に、一歩も退かずに剣を振るう。
自分たちの三桁倍はいるであろう大軍を相手にしても、気迫で押し返していた。
だが、それでも長くは持たないだろう。
彼我の差はあまりに大きい。
時間の経過に連れて、消耗した者から脱落してしまう。
そうなれば、背後を支えることは難しくなる。
そもそも、信仰者たちに罪は無い。
皆、皇女に騙されているのだ。
彼らを殺すことに抵抗が無いわけではないが、かといってミリアを見捨てられない。
故に、レーガンは選んだ。
何を犠牲に使用とも、自分は妹を助け出す。
彼は今、戦鬼の名に恥じぬ男だった。
そして今、レーガンの目の前には一人の男。
聖騎士団序列一位。
フランツを打ち倒さねば、妹は助けられない。
レーガンは大きく息を吸い込み――大地を力強く蹴った。
紫電を迸らせて、巨体に似合わぬ速度で肉迫する。
「おらぁあああああッ!」
神話級の魔物をも葬った男の全力。
何人たりとも、その一撃を阻むことは出来ない。
振り下ろされた戦斧は、しかし、フランツを捉える事は無かった。
舌打ちをしつつ、視線を横に向ける。
相変わらず余裕の表情で、フランツは剣を構えていた。
「愚かだな、序列二位。少しは期待していたが、その程度か」
「余裕でいられんのも今のうちだぜ。テメェなんて、叩き潰してやる」
レーガンは再び肉迫する。
横に凪いだ戦斧。
そこに、下から衝撃を加えられた。
軌道を逸らされたレーガンは、戦斧に引っ張られて無防備な状態になってしまう。
直感を頼りに身を翻すと、剣先が脇腹を掠めていった。
続く追撃には拳を突き出して迎え撃つ。
無理な体勢から放たれた拳では剣を弾くことは叶わない。
そもそも、レーガンの目的はそこには無い。
拳を地面に突き入れると、大地を這うように紫電が迸った。
のた打ち回る様は大蛇の如し。
さすがに身の危険を感じたのか、フランツは後方へ飛んで距離を取った。
レーガンの額を冷や汗が伝う。
技量では明らかにフランツの方が上だった。
でなければ、重く鋭い一撃を弾いて軌道を逸らすことなど出来ないだろう。
フランツには、その芸当をするだけの余裕が窺えた。
対して、レーガンが勝る点は攻撃の威力のみである。
魔物を相手に戦ってきたレーガンは、広範囲に渡る攻撃が得意だった。
先ほどの一幕も、力技で退けたに過ぎない。
そして、何度も通用することは無いと理解していた。
そう、格上である。
レーガンが対峙した限りでは、自分よりも格上の人間はほとんどいない。
その中で最も強いのはラクサーシャだ。
稽古ではあったが、その実力の一端は見ることが出来ていた。
フランツは、レーガンが知る限りではラクサーシャに次ぐ実力者だった。
あるいはアスランも同格に成り得るだろうが、彼と対峙した経験は無い。
故に、その二人がレーガンの知る格上だった。
そして、レーガンは知っている。
格上と対峙するとき、自分がどのように立ち回ればいいのか。
旅の過程で、幾度と無く地に伏した。
そして、その度にレーガンは笑みを浮かべてこう言うのだ。
「絶対に負けねぇ」
その気迫はフランツでさえ気圧されるほど。
戦斧を構えたレーガンは、かつてないほどに昂ぶっていた。
ラクサーシャにはまだ届かない。
その領域は本来、人の身で至る事は不可能な場所だ。
正しく天涯。
大陸最強の男だろう。
しかし、フランツは違う。
ラクサーシャと比べれば、まだ常識の範疇だ。
届かない場所ではなかった。
レーガンは荒く息を吐き出す。
ラクサーシャとの稽古を思い出しつつ、自分がどうやって戦うかを定めた。
戦斧を横へ大きく突き出した構え。
それは、あまりに攻撃的な守りの構え。
レーガンはその構えに全ての魔力を注ぎ込んでいた。
次の一合いでケリを付ける。
その覚悟で、己の全てを賭けて迎え撃つ。
魂をも注ぎ込むかのような気迫。
この瞬間、レーガンは神域に足を踏み入れていた。
「何故だ」
フランツが呟く。
その表情から余裕は消えていた。
代わりに、焦燥が現れていた。
「何故、アドゥーティスの神々に刃を向ける。神託の儀式を潰すことに、一人の少女の魂に何の価値がある」
「テメェは知らねぇだろうがよ、時には信仰よりも大切なモンがあるんだぜ」
「だが、お前は散る。皇女アズハラ様は、既に未来を見ていらっしゃる」
それはフランツが自身に言い聞かせているようにも見えた。
未来視は絶対の力である。
その常識は、これまでの歴史で一度も覆されたことはない。
故に、レーガンを討ち取れる。
だが、レーガンは知っている。
未来視は絶対ではない。
脳裏に浮かぶのは、魔国での王位継承の戦い。
シグネは確かに未来視を再現していた。
皇女のそれとは多少の差異はあるだろうが、それでも未来を見ることには変わりはない。
その強さは、レーガン自身がよく知っている。
シグネの未来視を超えたのは僅か一瞬。
しかし、レーガンは確かにシグネを捉えていた。
真正面から対峙すれば、未来視であろうと超えられる。
ならば、今回も同じことをすればいい。
「来いよ。オレがぶっ潰してやる」
皇女を信じ、フランツはレーガンに肉迫する。
フランツが剣を振るうよりも早く、戦斧が振り下ろされる。
目を見開くも、時既に遅し。
「喰らいやがれ――降雷烈波」
レーガンの戦斧がフランツを捉える。
断末魔の叫びを上げる暇も与えず、紫電が迸った。
レーガンは勝利を噛み締める間も無く、ミリアの元へ向かう。
魔力の枯渇で今にも意識を失いそうだった。
よろめくレーガンの体に、急に衝撃が加えられた。
その正体にレーガンは目を見開く。
神父ルタが己を突き飛ばしていたのだ。
その神父ルタは、一瞬遅れて熱線に貫かれた。
熱線を放った主。
皇女、もとい聖女リアーネは不気味に嗤っていた。
「あら、惜しい。屑が私の邪魔をするなんて、なんて腹立たしい」
「テメェ、よくも……」
続く言葉は発することが出来なかった。
熱線が、レーガンの頬を掠める。
「ごめんなさいねぇ、手が滑っちゃったわ。でも、仕方ないわよね? この私に許可を得ずに、勝手に口を開いたんだもの」
くすくすと嗤う聖女は、誰よりも悪魔だった。




