91話 雷神の咆哮(1)
幾万もの信仰者たちが見守る中、神託の儀式が始まった。
誰一人として無駄口を叩く者はいなかった。
それだけ神聖な儀式であることが窺えた。
だが、それは表層に過ぎなかった。
ただ一人真実を知る皇女は嗤っていた。
穏やかな皇女の微笑み。
その裏におぞましい悪女の嘲笑が隠されていると、誰が想像出来るだろうか。
戦鬼レーガン。
神託の儀式を阻むであろう存在。
皇女の立場にいる彼女もそれを把握していたが、それほど心配はしていなかった。
壇上に並ぶ白銀の騎士たち。
皇国に仕え、皇女と巫女を守るための聖騎士団の面々がそこにいた。
聖騎士は序列一位から十位まで存在する。
皇国の戦力は決して大軍ではない。
関所を守る門兵等はいるが、彼らを合わせても三桁に留まる。
それでも他国を抑えるには十分だった。
いざ戦争となれば、大陸各地から信仰者も加勢するのだ。
実質的な戦力としてみれば、皇国は王国にも匹敵するだろう。
故に、ただの一人など恐れない。
レーガンは彼女の目的を阻むに足る存在ではない。
対抗しえる戦力がこの聖地に集まっていた。
「アドゥーティスの神々よ。巫女ミリアに、どうか祝福を」
悪魔は聖女のように微笑む。
その視線の先、ミリアの表情には僅かに怯えが見えた。
その安心を和らげるように優しげに微笑むが、それでも震えは止まらない。
神託の儀式は如何なるものか。
ミリアは何年も前にレーガンから聞いたことがあった。
人が変わるのだ。
神託の儀式を終えた途端、全くの別人に。
それがアドゥーティス教のためになるのならば。
その一心でミリアは今日まで過ごしてきた。
巫女として、その重責を誉れと思うようにしていた。
だが、いざ本番を迎えてみればどうか。
体の震えは治まる気配はない。
助けを求めるようにルタへ視線を向けるも、彼は動かない。
動けないでいた。
二人とも、レーガンの言葉をずっと忘れられないでいた。
そして、同じ不安を抱えていた。
存在の消滅。
魂が移り込む。
世迷言と切り捨てたものの、それが嘘であるという根拠はない。
ミリアは恐ろしさのあまり逃げ出したくなる。
だが、それを皇女は許さない。
彼女が合図をすると、フランツがミリアの肩を支えた。
「ミリア様。これは神聖な儀式なのですから、しっかりして頂かないと」
「……はい、ごめんなさい」
肩を捕まれてしまえば、いよいよ逃げ出すことは困難になってしまう。
何か方法はないのか。
逃げ道を探すミリアに、あまりに残酷な追い討ち。
――未来が見えた。
自分が消える。
誰かに乗っ取られる。
そんな未来の光景が、彼女の未来視によって見せ付けられた。
ミリアは恐ろしくなって皇女に視線を向ける。
皇女はミリアに相変わらず優しげに微笑み、一瞬だけ表情を変えた。
悪魔の本性が、一瞬だけ露出した。
もはや逃げる手立てはない。
考えれば考えるほど辛くなってしまう。
ならば、いっそのこと諦めてしまえばいい。
ミリアが諦め掛けたその時――紫電が迸った。
「ミリアぁぁあああああああッ!」
雷鳴が轟いた。
腹の底が震えるような、気迫に満ちた咆哮。
それだけで、その場にいた半数が意識を失っていた。
滾る怒りを込めた叫びは、物理的な破壊力さえ帯びていた。
雷神の咆哮。
聖地を壊滅させる、魂の叫びだった。
レーガンは守護聖典『聖者の翼』を呼び出した。
そして、その身には聖騎士団の鎧を装着する。
彼の怒りに応えたかのように、白銀の武装は漆黒に染まる。
「こいつは――戦斧『雷神の咆哮』だ」
荒々しく息を吐き出し、レーガンは前方を見据える。
妹への道を阻むかのように信仰者の波が押し寄せた。
閉ざされた道は、再び抉じ開けられる。
「――消し飛びなさい」
無数の大魔法具が信仰者を消し飛ばす。
極光の過ぎ去った後には何も残らない。
ただ、進むべき道があるのみ。
歩き出したレーガンに、再度波が押し寄せる。
エルシアとて、幾万もの人数が相手では一撃で葬れない。
押し寄せた波は、黒い壁に阻まれる。
マヤ・アイセンベルを始め、クロウの配下たちが道を維持していた。
大陸各地を旅する信仰者たちは精鋭揃い。
だが、マヤたちは上を行く。
レーガンは立ち止まる事無く一直線に進んでいく。
その視線はミリアから一瞬たりとも逸らされる事は無い。
レーガンのもとに聖騎士たちが襲い掛かるも、烈火の剣が彼らを迎え撃つ。
「貴殿らは私が相手をしよう」
言葉少なめに、セレスは剣を構えた。
悠然と髪を靡かせ、聖騎士たちへ襲い掛かる。
遅れて、エルシアも乱戦に合流した。
背後は仲間たちが抑えている。
己がすべきことはミリアを助けるのみ。
だが、最後にそれを阻むものが一人。
「来たか、序列二位」
聖騎士団序列一位。
彼を倒さねば、ミリアを助けることは出来ない。
レーガンは険しい表情で戦斧を構える。
対するフランツは余裕の表情だった。
優雅に剣を構え、レーガンを迎え撃つ。
「お願いだから、逃げて……お兄ちゃん……」
ミリアは微かな声で呟く。
殺意を露わに対峙するレーガンを悲痛な表情で見つめていた。
彼女の未来視には、レーガンがフランツに討たれる光景が見えていた。




