90話 二人の目的
アドゥーティス教の聖地ラナス。
霊峰の麓に広がる円形の遺跡。
神代の遺跡とされている聖地では、十余年に一度の頻度で神託の儀式が行われていた。
眼下に広がる光景は圧巻だった。
神託の儀式を目前に控え、多くの信仰者たちが集まっている。
その数は五桁にも上るほど。
正しく人が波のように移動している様を、壇上で眺めるものが二人。
一人は人の良さそうな老人だ。
孤児だった巫女ミリアを立派に育て上げた功績を認められ、皇女によって大司祭に任命された人物。
神父、もとい大司祭ルタは何時になく昂揚していた。
それもそのはずだろう。
自分の愛娘が、アドゥーティス教の最高位にあたる皇女の位を受け継ぐのだ。
敬虔な信仰者として、これほど誇らしいことはないだろう。
そして、もう一人。
二十代半ばほどの、まだ若者に分類されるであろう女性。
だというのに、その瞳には何千年も生きてきたかのような知性が宿っていた。
事実、彼女はそれだけの時間を生きている。
皇女アズハラではない。
その体に宿った魂である。
妖しげな光を放つ瞳は、次なる器に向けられていた。
聖女リアーネ。
ガーデン教の聖典に現れる人物の一人。
彼女の魂は、神託の儀式を繰り返すことで今の世にまで伝わってきていた。
その目的は彼女のみが知ることだ。
神でさえ、その心中を覗く事は叶わない。
だが、事実として彼女は存在している。
聖女リアーネは未だ現世に存在しているのだ。
神託の儀式まで半刻を切っていた。
大陸各地から集まった信仰者たちの期待が限界まで高まったとき――霊峰の山頂が爆ぜた。
突然の出来事に聖地は混沌と化す。
祝福すべき神託の儀式。
それを目前にして、霊峰が怒り狂っているのだ。
動揺せざるを得ないだろう。
その場を何とか沈めようと司祭たちが奔走する中、大司祭ルタは至って冷静だった。
冷静に、自分の愛娘を見つめていた。
霊峰の怒りは、もしかすれば自分に向けられているのではないか。
レーガンの言葉を信じるべきではなかったのか。
だが、もはや手遅れである。
神託の儀式の準備は整っている。
ミリアの覚悟も決まっている。
ここに来て、彼のみが揺らいでいた。
氷の神殿が打ち砕かれた。
未だ魔力光に残滓が宙を漂い、視界がちかちかとして周囲の状況が分からなかった。
ラクサーシャは己の無事を確かめる。
余波で吹き飛ばされたようだったが、神殿があった場所からそう離れてはいないようだった。
そして、近くに二つの気配を感じた。
視界が晴れる。
ロアも、シェラザードも健在だった。
それどころか、まだ戦闘を継続出来るだけの余裕が残っていた。
ラクサーシャに残っているのは気力のみである。
だが、戦闘は始まらない。
三人は同じように周囲を見回していた。
先ほどまであったはずのモノが無いのだ。
楔の眷石が跡形も無く消え去っていた。
だが、場所はすぐに分かった。
魔石特有の魔力の気配。
中でも楔の眷石は格が違う。
魔力光の残滓も消え去った今、気配を辿るのは三人にとって容易いことだ。
その方向に視線を向ける。
ロアは驚いたように目を見開く。
シェラザードは気だるげに見つめる。
そして、ラクサーシャは笑みを浮かべた。
三人の視線の先。
そこにあったのは、黒炎を纏う男の姿。
情報屋クロウ・ザイオンと名乗った男がそこにいた。
その姿を認めた途端、シェラザードが駆け出した。
男の存在は明らかに異質。
魔力もほとんど感じないというのに、何故だか同格の気配を感じていた。
両腕を交差させるように振り下ろす。
ラクサーシャやロアでも受け止められなかった一撃。
そこには一切の容赦も無い。
だというのに、盾のように展開された黒炎に阻まれて傷を付けることすら叶わなかった。
シェラザードはその場から飛び退き、クロウを見つめる。
やはり、目の前の男は異質だった。
強者であることには間違いないが、その挙動は凡人のそれである。
クロウは手に握った楔の眷石を眺める。
片手では収まらないほどの魔石。
それを争う強者三人。
ロアとシェラザードの姿を見て、クロウは興味深そうに笑みを浮かべた。
「なあ、あんたら。楔の眷石に何の用があって来たんだ?」
「……閉門の楔を起動させるにはそれが必要だ。故に、我は楔の眷石を取りに来た」
問いかけに対し、ロアが答える。
「閉門の楔を探していたら、偶然見つけたの。でも、それも必要」
シェラザードが答える。
その答えに、クロウはやはりといった様子で頷いた。
殺気の宿る二人の目を見ても、まるで気にしていない。
むしろ安堵さえしていた。
「ああ、よかった。俺たちは争う必要は無いみたいだ」
その言葉に、ロアとシェラザードは怪訝な表情を浮かべる。
二人の視線を受けてクロウは説明を始めた。




