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9話 魔核術師

 夜の闇を赤く揺らめく光が行進する。

 静寂を壊すように音を鳴らしながら突き進む。

 帝国の遠征隊はあまりにも無防備だった。


 彼らは周囲を警戒してすらいない。

 する必要がないのだ。

 この場において、彼らは圧倒的な強者。

 何故、身を隠す必要があるだろうか。


 隊列の半ばほどの位置に老婆が一人。

 ローブを着ている以上は魔術師なのだろうが、そこに杖はなかった。

 金の杯に注がれたワインを呷りながら、エドナはつまらなさそうに顔をしかめた。


「今季の竜は未熟。ちっぽけな魔核しか取れぬわ」


 金の杯とは反対の手に握られているのは紫色の結晶――魔核である。

 エドナはそれを横にいた若い魔術師に押し付けると、炙った竜の肉を頬張る。


「未熟故に肉は旨い。それが救いさね」


 咀嚼しながら呟く。

 この老婆は独り言が多かった。


 空を見上げると、月が煌々と輝いていた。

 再びワインを呷ると、ほうと溜め息を吐く。


「月が綺麗なのは良い。酒も肉も旨い。だがね……」


 ゆらりと雲が忍び寄り、月が隠れる。

 刹那、エドナは手を高々と掲げた。


「――魔法障壁ッ!」


 その掛け声は轟音によってかき消される。

 即座に反応できたのはただ一人。

 エドナだけが魔法障壁を張っていた。


「ちぃッ!」


 魔法障壁はそれを受け止めたものの、数秒後には崩れ去る。

 エドナは魔法障壁を幾重にも発動させるていく。

 手に握り締めた魔核が次々に砕けていく。

 襲い来る魔力の嵐は未だ衰えない。


 少し遅れて魔術師たちが加勢する。

 構築された魔法障壁は堅牢だが、ラクサーシャの全力の一撃を辛うじて受け止められる程度だ。

 三十人もの魔術師が束になっても、ラクサーシャは脅威だった。


 魔法障壁を襲うのは荒れ狂う赤き光。

 おぞましいほどの殺気を孕むそれは、一体どれほどの命を喰らおうというのか。

 その一撃は死神の鎌の如く、掠めるだけで少なくない命が失われることだろう。


 やがて光が消え去る。

 どうにか奇襲は凌いだ。

 霧散する魔力光を眺めながら、エドナは胸をなで下ろした。


「ほう、これを耐えるか」


 奇襲を仕掛けてきた男が嗤う。

 この帝国において彼の名を知らぬ者はいないだろう。

 ラクサーシャは遠征隊の被害状況を確認すると、感心したように呟いた。


 刹那、炎の矢が飛来する。

 ラクサーシャは即座に軍刀『信念』を抜刀し、居合いの要領で撃ち落とした。

 それを見て、エドナは眉間に皺を寄せる。


「お前の魔法など、不意打ちでなければ当たらんぞ?」


 ラクサーシャはエドナを挑発する。

 エドナの魔術は代償を捧げることで魔法を生み出す代償魔術である。

 その代償は膨大な魔力を秘めた魔核。

 普通の魔術と違い体内の魔力を使用しないため、発動を感知されることはない。


 しかし、不意打ちさえ気を付ければ、ラクサーシャならば対処可能だった。

 まして、真正面から向き合っている状態ならば当たるはずがなかった。


「ちっ、面倒な奴が来よったわ」


 エドナは悪態を吐くと、ラクサーシャを睨み付ける。

 泰然と構えるラクサーシャに対し、遠征隊はエドナを除き皆が動揺していた。


 犠牲を覚悟で戦えば勝てるだろうが、そもそもラクサーシャの意図が見えない。

 帝国を出るにせよ潜伏するにせよ、リオノス山脈にいるのは不自然だとエドナは思った。

 この戦力を前にして姿を現すのも理解できない。

 すぐに戦うよりも、探りを入れるべきだとエドナは判断する。


「裏切り者がなぜここにいる?」

「竜の肉が恋しくなったのでな」

「……つまらん冗談さね」


 エドナは吐き捨てると、法衣の中に手を仕舞い込む。

 再び現れた手には大量の魔核が握られていた。


「私と撃ち合うつもりか?」


 ラクサーシャは好戦的な笑みを浮かべ、軍刀『信念』を下ろした。

 視認できるほどの魔力濃度に怯みつつ、エドナは詠唱する。


「――フランメ!」


 詠唱は僅か一節。

 しかし、撃ち出された炎は獣を呑み込むほどの猛火。

 エドナの手中から魔核だいしょうが砕け散った。


「――フランメ!」


 ラクサーシャは愉しそうに詠唱する。

 紡ぐのはエドナと同じ魔術。

 だというのに、ラクサーシャのそれはエドナの魔術を相殺して見せた。


「ちぃッ――爆炎アオス・ブルフ!」

「――爆炎アオス・ブルフ!」


 魔法が衝突するも、結果は先ほどと変わらない。

 エドナと同じ魔法を使用し、相殺するのみ。

 エドナは冷や汗をかいた。

 ラクサーシャが敵に回るとこれほどまでに恐ろしいものなのかと。


 生半可な魔法では勝てない。

 エドナは大量の魔核を懐から取り出すと大魔法を詠唱する。


フランメフランメ――」


 夜空を覆い尽くさんとばかりに数多の魔法陣が浮かび上がる。

 槍の如く鋭いそれは、その矛先全てがラクサーシャに向いている。

 太陽は寝静まっているというのに、辺りは昼のように明るかった。


「――降り注げ、怒りの雨よレーゲン・フォン・ブレン・ランツェ!」


 紅い雨が降り注ぐ。

 竜をも焼き尽くす灼熱の槍の雨だ。

 その光景は天の怒りが顕現したかと錯覚するほど。


 ラクサーシャはそれを刀で迎え撃つ。

 迫り来る無数の槍を全て切り落としていく様は、過ぎて滑稽とさえ感じさせるほどだ。

 無論、当事者にしてみれば堪ったものではないだろうが。


 しかし、エドナとて帝国の指揮官を務めている逸材だ。

 ラクサーシャのような英傑には一歩劣るが、それでも呆然と眺めているだけの凡愚ではない。

 灼熱の槍雨を維持しつつ、次の詠唱が始まる。


「――フランメフランメ彼の者を喰らえエア・イスト・オプファ!」


 魔核が砕け散り、エドナの左右に爆発が巻き起こる。

 二つの炎は獣の双牙の如く、生け贄に食らいつかんと襲いかかる。


 ラクサーシャは雨を刀で払っており、迎え撃つにしても片手しか使えない。

 そんな状況だというのにラクサーシャは犬歯を剥き出しにして笑っていた。


 使用するのはエドナとは異なる魔術。

 魔核を代償とする代償魔術と違い、ラクサーシャの魔術は己の魔力のみを使用する。


 虚空に指を踊らせると、その軌跡を光が走る。

 夜の闇を照らすのは、常人には理解できぬ複雑な術式。

 求めたのは、憎き帝国を焼き尽くす灼熱の業火。


「――全て灰燼と化せアレス・フェアブレンネン!」


 視界が爆ぜる。

 理不尽なまでの魔力が注ぎ込まれた爆炎。

 辺り一帯が呑み込まれ、あまりの眩しさにエドナは目を覆った。


 手を退かしてみれば、そこには静寂があるのみ。

 エドナの獣はもはや跡形もない。

 雨もとうに止んでいた。


「くく、貴様は猫でも飼っているのか、エドナ!」


 ラクサーシャの哄笑が響く。

 対するエドナは苦しい表情だ。


「……仕方ないさね。リィンスレイ将軍が相手じゃ、出し惜しみは出来そうもない」


 エドナが右手を挙げると、遠征隊が隊列を立て直した。

 余興はここまで。

 始まるのは命の奪い合い。


 エドナの手に握られたのは、調達したばかりの竜の魔核。

 魔核術師エドナ・セラートの真価はここにある。

 膨大な魔力を秘めた竜の魔核ならば、人の魔核など比でもない威力が出ることだろう。

 代償魔術の完成形と言っても過言ではない。


「……」


 ラクサーシャは静かに軍刀『信念』を正眼に構えた。

 先ほどまでとは違い、その表情は真剣そのものだ。

 既に余興は終わっている。

 これから始まるのは殺し合いだ。


 一対一なら兎も角、この数を相手にしては命の危険があった。

 軽騎士五十、重騎士二十、魔術師三十。

 そして、指揮官である魔核術師エドナ・セラート。

 とても一人の人間が太刀打ち出来る相手ではないだろう。

 流石のラクサーシャでも、この数をまともに相手取れば命はない。


 しかし、ラクサーシャは知っている。

 己が一人でないことを。

 その証明に、背後から声が聞こえてきた。


「うおおおおおおおおっ! 旦那ぁああああああ!」


 必死で走るクロウとヴァルマンの私兵たち。

 彼らの手には飛竜の卵が抱えられている。

 山頂にある巣から奪ったものだった。

 後ろに続くのは怒り狂う飛竜の群。

 卵を奪われて激昂し、クロウたちを追いかけてきたのだ。

 その数は遠征隊を遥かに上回る。


「らあああああっ!」


 クロウたちがその卵を遠征隊の方に投げた。

 べちゃべちゃと不快な音を立てて卵が割れ、竜が咆哮する。


「な、なんということを……」


 向かってくる飛竜の群を呆然と眺めるエドナ。

 この数の竜を相手にすれば、遠征隊にも相応の被害は出るだろう。

 怒りのあまり、竜の目は血走っていた。


 それに、相手は飛竜だけではない。


「エドナァァァアアアアアアッ!」


 ラクサーシャが吠える。

 膨大な魔力の奔流を集束させ、渾身の一撃を振るう。


「ぐっ……!」


 反応できたのは奇跡だろう。

 咄嗟に展開した魔法障壁は斬撃の軌道を僅かに逸らす。

 周囲にいた兵士たちが消し飛ぶも、己の命は守りきった。


 安堵するエドナに飛竜の群が迫る。

 出し惜しみは出来ない。

 なれば、全力で撃つのみ。

 有るだけの魔核を代償とし、詠唱する。


「我が憎悪は獰猛なり。獣が肉を喰らうが如く、その全てを焼き尽くせ――彼の者が(ビス・オプファ)絶望に染まるまで(ロット・ゲフェルプト)!」


 虚空に浮かぶのは無数の魔法陣。

 現れるは炎獣の軍勢。

 駆ける姿のなんと獰猛なことか。


 個では成し得ない領域とて、竜の魔核があればたどり着ける。

 流石にラクサーシャも、一人ではこれほどの魔術を扱えない。


「うぉぉおおおおおッ!」


 魔力を込めて刀を振り下ろす。

 狙うのはエドナではない。

 飛竜でもない。

 大地である。


 暴風が吹き荒れる。

 砂埃が舞い上がり、辺り一帯の視界が奪われた。

 炎獣たちは構わず突き進むが、遠征隊はそうもいかない。


 聞こえるのは獣の雄叫びと竜の断末魔。

 ラクサーシャの姿は見えない。


「まさか……暴風シュトゥルム!」


 風が視界を晴らす。

 視界に広がるのは焼け焦げた竜の亡骸。

 ただ、それだけ。


「ちぃッ! 逃げられたか」


 エドナは苛立ちを露わにした。

 遠征隊の被害は二割が死亡、五割が重軽傷を負った。

 おまけに竜の魔核を大量に消費してしまった。

 視界に映る竜の亡骸は損傷が酷く、魔核の調達はあまり期待できない。


 エドナは近くの竜を引き裂いて焦げた肉を喰らう。

 ワインを呷り、荒々しく息を吐いた。

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