83話 戦鬼の過去
レーガンの故郷は都から東へ二日ほどの距離にある。
あくまで馬車での移動時間であり、歩いていくならば更に時間がかかることだろう。
五日ほどの時間を掛け、レーガンは己の故郷へ辿り着いた。
そこは寂れた村だった。
皇国の中でも田舎の方であるこの村は、人口も百人に満たない小さな村だった。
他の町のような美しい建物はなく、唯一あるとしても薄汚れた教会だけだ。
レーガンは教会の前に立ち止まる。
中に入る訳でもないのに、ぼんやりと扉を眺めていた。
皇国の民は信心深く、毎日のように教会に通っている。
ずっと佇んだままでいるレーガンに奇異の視線を向けながら、村人たちは教会へ入っていった。
近々行われる神託の儀式。
村人たちは農業で忙しく、聖地へ赴いて参列することは難しい。
せめて、祈りだけでも捧げよう。
そんな様子が伝わってきて、レーガンは余計に苛立っていた。
話は三十年ほど前まで遡る。
隣国で領土を巡る争い起きた。
最初は小競り合いだったはずのそれは、何時しか苛烈を極めた。
大規模な戦争へと発展したことで、両国ともに多大な被害を受けることになる。
それにより、孤児となった者は多い。
レーガンもまた、その内の一人だった。
孤児となったレーガンは、何日も何日も彷徨い歩いた。
まだ幼かった彼には碌に事情もわからない。
ただ、空腹だけが苦痛に感じられた。
その過程で魔物に食い殺されなかったのは奇跡といえるほどの幸運だった。
何日も彷徨い続けたレーガンは、運良く親切な男に拾われた。
それが、彼の育ての親でありアドゥーティス教会の神父ルタ・カルロスチノだった。
神父ルタはレーガンを我が子のように愛した。
その愛情に触れながら生きてきた彼は、ルタ同様に信心深い信仰者だった。
将来は父親のような神父になりたいと願うほどだった。
しかし、ある出来事がレーガンの人生において大きな転機となる。
レーガンが二十歳を迎えた年のこと。
当時から体格に恵まれていたレーガンは村の畑仕事を手伝っていた。
その日もいつもと同じように畑仕事を手伝い、帰宅する道中。
そこで、彼は捨て子を見つけた。
捨て子はまだ一歳にも満たなかった。
一人で生きていけるはずもなく、レーガンはその境遇を可哀想に思った。
あるいは同情だったかもしれない。
彼も孤児として彷徨っていたときに神父ルタに助けられたのだ。
ならば、ここで見捨ててしまえばアドゥーティスの神々への裏切りになってしまう。
そんな不義理などするわけにはいかない。
レーガンが捨て子を連れて帰ると、神父ルタはレーガンの頭を優しく撫でた。
優しい子に育ってくれたことが何よりも嬉しいと、神父ルタは心の底から笑っていた。
捨て子には名前が無かった。
その日は二人で一晩中名前を考え、ようやく決めたのがミリアという名前だった。
ミリアとは、アドゥーティス神話に登場する神の一柱である。
幸福を司る女神ミリア。
出会う人々を皆笑顔にして欲しい。
そんな思いから付けられた名前だった。
ミリアは二人の願い通りの明るい娘に育った。
歳の離れていたレーガンは接し方に困っていたが、それも一年目のみ。
歳の差も血の繋がりも関係なく、真に二人は兄妹であった。
だが、幸せな時間は長くは続かない。
ミリアが十歳を迎えた月に歯車が狂い始めた。
都で皇女アズハラが未来視を行った際、ミリアの姿が見えたという。
時代の皇女として素質を見出されたミリアは都へ連れて行かれることに決まる。
その当時は皆が喜んでいたが、しかし、レーガンはその時点で違和感を抱いていた。
レーガンが神託の儀式を見たのは、ミリアを拾ってから二年目の秋のことだった。
皇女セイリアが巫女アズハラへ世代交代をする。
その年は豊作で、少しばかり人手が無くても問題ない。
そう言って、村人たちはレーガンが神託の儀式へ行けるように取り計らってくれたのだ。
旅商人の馬車に乗せてもらい、二日の道程を経て聖地ラナスへ辿り着く。
当時の彼は目を輝かせたものだった。
これまで住んでいた村とは全く異なる世界。
聖地の美しい町並みは、彼の期待を遥かに超えてきた。
神父ルタは伝を頼ってレーガンが良い場所で見られるようにした。
息苦しいほど人が密集した場所から少し離れた位置にて、レーガンは神託の儀式を今か今かと待ちわびていた。
そして、神託の儀式が開始した。
壇上に立つ皇女セイリアは妖しげな色香を纏っていた。
対して、彼女のもとへ向かうアズハラは年相応のあどけなさを残している。
信仰者たちが一斉に教典を読み上げる中、皇女セイリアが巫女アズハラを優しく抱きしめる。
皇女セイリアが巫女アズハラの額に口付けをすると――レーガンの勘がおぞましい気配を感じ取った。
背筋を伝う悪寒の正体に首を傾げるレーガンだったが、その疑問はすぐに解消された。
空っぽになったかのように瞳の光を失うセイリア。
対して、アズハラの顔からあどけなさは消え失せ、その瞳には蠱惑的な光が宿る。
まるで魂が移りこんだかのような現象。
だというのに、そのおぞましさを感じ取っているのはレーガン一人だった。
周囲の人間が歓喜する意味が分からない。
なぜ、こんなにもおぞましい儀式を見て笑顔を浮かべられるのか。
途端に周囲の人間が恐ろしく感じられた。
そんな経験から、レーガンはミリアを巫女にすることを頑なに拒んだ。
大切な妹が得体の知れぬ何かに乗っ取られる事など耐えられない。
だというのに、周りの人間はレーガンのことを狂人と見做し、その言葉を聞き入れなかった。
神父ルタでさえも。
そして、守るべきミリアでさえも。
レーガンはそれでも諦めなかった。
ミリアを守るために都まで押しかけ、己の腕を聖騎士団に売り込んだ。
村での生活、特に木を切ることが得意だったレーガンは斧の扱いに長けていた。
当然、それまで人を切ったことは無かったのだが、魔物の命を奪ったことは何度もあった。
聖騎士として正式に任命されたレーガンは、ミリアの傍で説得を続けた。
神託の儀式は危険だ。
一緒に逃げ出そう。
ずっと囁いた言葉は、結局届くことは無かった。
レーガンがミリアを説得することと同じように、アドゥーティス教の素晴らしさを説く物が一人。
それがレーガンの好敵手であり、現在では序列一位のフランツだった。
フランツを筆頭に聖騎士たちから敵意を向けられ続け、それでもレーガンは折れることなくミリアの説得を続けた。
そんなある日、ミリアから残酷な言葉を投げ掛けられた。
「いい加減諦めなさい、序列二位」
もはや兄とさえ呼んでくれないのか。
レーガンは失意のあまり皇国から逃げ出してしまう。
自分にはミリアを説得する力も脳も無い。
このまま聖騎士団に居続けることは苦痛でしかなかった。
レーガンはそこで強くなることを誓う。
我武者羅に斧を振り回すだけではいけない。
与えられた力に頼ってはいけない。
そんな考えから守護聖典『聖者の翼』を封印し、ただ丈夫なだけの戦斧を使うようになった。
月日が流れ、レーガンは力を付けた。
戦鬼レーガンと畏怖されるほどの実力を得て、大陸最高峰の証であるミスリルプレートをも手にしていた。
それだけの力を得て、しかし、レーガンは臆病だった。
皇国に戻ることを躊躇い続け、気付けば神託の儀式が間近に迫っていた。
焦燥に駆られたレーガンは単身でミリアを助け出すことを誓う。
その前に、僅かな猶予を以って故郷を訪れていた。
そして、人前に姿を現したレーガンを見つめるものが一人。
疾風のマヤ・アイセンベル。
クロウの配下の一人にして、諜報を専門とする人物。
彼女はレーガンの姿を見つけるなり、すぐに通信水晶を取り出した。
「マヤ・アイセンベルより報告。戦鬼レーガンの姿を見つけました」
『了解だ。見失わないように、見張っていてくれ』
「畏まりました」
未だに教会を眺めるレーガン。
その心中には様々な感情が渦巻いていた。




