78話 戦鬼の背
魔国を北に抜け、ラクサーシャたちは皇国の領土へと入った。
王国のような粗暴な冒険者はおらず、また、魔国のような変わった研究者もいない。
美しい街並みは住むことに快適そうだったが、どこか息苦しさも感じだ。
御者台にはラクサーシャが座り、その景色を興味深そうに眺めていた。
荷車から仲間たちの話し声が聞こえてきた。
「かぁーっ、結局ここに戻るのかよ」
馬車に揺られながら、レーガンが天を仰ぐ。
皇国の雰囲気は堅苦しく、セレスもレーガンが皇国を出たことに納得した。
「規律が守られるのは良いことだが、それも過ぎると過ごしにくそうだ」
「だろ? だってのに、国民の大多数がそれに賛成なんだ。住みにくくてしょうがねぇ」
皇国出身であるレーガンだが、その様子を見れば分かる通り、とても皇国に馴染めるようには見えないだろう。
幼い頃から、彼はずっと疑問を抱いてきた。
そしてある切っ掛けによって皇国を飛び出したのだった。
しかし、レーガンは多くは語らない。
今彼が明かしているのは、自分が聖騎士であることくらいだ。
皇国を飛び出した経緯まではまだ話していない。
やがて馬車が関所に到着すると、門兵が検閲をしていた。
関所前には長い行列が出来ており、その全てに厳しい検閲が成されている。
その様子にレーガンが首を傾げた。
「おかしいな。オレの記憶じゃ、もう少し緩かったはずなんだけどなあ」
「何か、大規模な儀式でもあるのかもしれぬのう」
シュトルセランが長いひげを弄りながら言う。
言われてみれば、列を作っているのはアドゥーティス教の信仰者たち。
しかも、旅用の服ではなく儀式用の礼装だった。
それを見て、クロウが思い出したように口を開く。
「そういや、皇国でそろそろ神託の儀式があるらしいな」
「……マジかよ」
クロウの言葉にレーガンは愕然とする。
なぜか深刻そうな表情を浮かべるレーガンに一同は首を傾げた。
神託の儀式とは、皇国で十余年に一度行われる大規模な祭事である。
十余年と開催にばらつきがあるのは理由があった。
皇国には巫女と呼ばれる存在がいる。
アドゥーティスの神々と最も近い位置にある人間とされ、神の声をさえ聞けるという。
また、巫女には神々の寵愛として未来を見通す力が与えられるため、その能力を駆使して皇国を導く立場にあった。
巫女の能力は年齢を重ねるにつれて強化されていき、その能力が一定以上になった時に皇女の座に着くことになるのだ。
現在、皇国を治めているのはアズハラ・リフィ・エルネーアである。
皇女の齢は二十六。
その若さでも国を治められるのは未来を見通す力のおかげだろう。
その彼女も、十年ほど前は巫女として修行していた。
神託の儀式とは、巫女が皇女として生まれ変わる儀式だ。
聖地ラナスで行われ、その際には何万人とアドゥーティス教の信仰者が訪れるほど。
儀式の際にはアドゥーティスの神々が現れると言われ、その姿を人目見ようと大勢が集まるのだ。
しかし、レーガンはその儀式を好ましく思っていないようだった。
これまでに見せたことの無いような険しい表情を見れば、誰もが何かしら事情があるのだと察するだろう。
「そろそろ、話してくれても良いんじゃないか?」
クロウに言われ、レーガンは悩んだように腕を組む。
仲間たちの顔を見回して、言うべきか否かを迷っていた。
そして、躊躇している間に検閲の番が回ってきた。
荷車を門兵が覗き込む。
そして、胡座をかいて座るレーガンと視線が合った。
門兵はその顔を真っ青に染めると、震える声で叫んだ。
「――や、奴が来たッ!」
門兵が叫んだ直後、その首が地に落ちた。
遅れて倒れた体からは噴水のように地が噴出し、石畳を赤く染め上げる。
その傍らには戦斧を振るった姿勢のレーガンがいた。
突然の出来事にクロウたちは理解が追い付かない。
なぜ、この場で血を見ることになったのか。
なぜ、レーガンの戦斧に血が付いているのか。
レーガンはそのまま馬車から離れていってしまう。
御者台に座るラクサーシャが声を掛けようとするも、有無を言わさぬ威圧感を感じた。
同時に、強靭な覚悟も。
ラクサーシャはそれを察し、黙ってその背を見送る。
先ほどの叫び声を聞き付けて兵士たちが集まってきた。
数は五十。
個々の力量も高く、連携もよく取れている。
しかし、その程度である。
迸る紫電が視界を埋め尽くし、強烈な一撃が振るわれる。
五十人もの兵士。
その全てがレーガンの一閃によって蒸発した。
濃厚な死の臭いに信仰者たちは混乱する。
馬車を捨てて関所に殺到し、瞬く間に皇国に消えていった。
「レーガンッ!」
荷車から飛び出したセレスが声を上げる。
このまま何も言わずに去るのか。
それはあまりにも寂しい。
そんな思いから、レーガンを引き留めてしまう。
血溜まりの中心でレーガンは振り返る。
悲しげに眉を顰め、深々と頭を下げた。
レーガンは今度こそ一同に背を向ける。
その後ろ姿を、一同は呆然と見送ることしか出来なかった。




