間話 修道女の夜
夜道をフードを目深に被った女が歩いていた。
時刻は既に深夜三時。
研究者の多い魔国といえど、この時間帯まで起きている者は極少数。
研究に夢中になっているのだから、女の気配に気付くこともないだろう。
過剰と思えるほどに周囲を警戒しつつ、女は人目に付かぬ路地裏に身を隠した。
辺りをきょろきょろと見回し、安堵したようにほっと息を吐いた。
「ここなら、大丈夫そうですね……」
女はフードを外す。
煌々と輝く月に負けじと、美しい金髪が照り返した。
その美貌を見れば月の精にでも見えるかもしれないが、女の浮かべる表情はあまりにも冷たい。
冬の夜の、身を刺すような寒気。
それほどに冷たさを感じさせる瞳は、手に持った十字架に向けられていた。
女の名はベル・グラニア。
今はラクサーシャたちとともに行動するように命令されている、ガーデン教のシスターだ。
彼女がラクサーシャと出会ったのは偶然ではない。
情報が漏れているかのように帝国と鉢合わせたのも偶然ではない。
全てが仕組まれた必然。
内通者はベル・グラニアである。
「……ベル・グラニアです。聞こえますか?」
『ああ、聞こえているとも。全く、アウロイ殿の技術には感服するばかりだ』
しわがれた老人の声。
彼に対し、ベルは淡々と報告を開始する。
「アウロイ様の予定通り、第二王子が王座に着きました」
『そんなことは聞くまでもない。あれだけの戦力差で負けるとすれば、それは愚かとしか言いようがないな』
「ラクサーシャ様は、そう簡単には負けないでしょうから」
ベルはそっと呟く。
だが、相手の方はその僅かな失言を聞き逃さない。
『ベル。あれは魔刀の反逆者だ。以後、決して違えるな』
「……ごめんなさい」
その声に感情は篭らない。
上辺だけの謝罪ではあるが、そこを咎める気はないようだった。
『それで、次の目的地はどこだ?』
「ラファル皇国です。戦鬼レーガンが聖騎士だったことが判明しました」
『聖騎士……アドゥーティスの巫女絡みか』
「恐らくは。場合によっては、皇国も敵対してくる可能性があります」
『ふん。アレはもとより敵対関係にある。むしろ神を崇める屑共を一網打尽にできるならば、それに越したことはないわ』
老人は鼻を鳴らして嘲笑する。
アドゥーティス教とガーデン教。
神を崇める宗教と、神からの解放を望む宗教。
この思想の対立だけで、敵対するには十分すぎる理由だろう。
『それで、報告は以上か?』
「はい」
『なら切るぞ。長く通信していれば、誰に気付かれるか分からんからな』
「ま、待ってください!」
通信を切ろうとした老人に対し、ベルが慌てて制止する。
「……妹の声を、聞かせてください」
『君の努力次第だ、シスターベル。その要求には相応の成果が求められる』
「でも、その……」
『……はあ』
不機嫌そうなため息が聞こえてきた。
それでもベルは諦めない。
「もう、しばらく声を聞けていないんです。せめて一言だけでも、聞かせてください」
『これ以上続けるならば、妹が司祭共の慰み者になるが、どうする?』
「っ……」
ベルは口を噤んだ。
向こう側の状況が分からぬ状態で、これ以上言葉を続けるわけにはいかない。
妹が生きているのかさえ分からぬまま、ベルは内通者を続ける必要があった。
僅かな沈黙の後、老人が口を開いた。
『最近、竜人族の少女が大陸各地の遺跡を回っているそうだ』
「竜人族、ですか?」
『そうだ。恐らく、アウロイ様の目的を阻止するつもりだろうな』
「阻止……閉門の楔ですか」
『十中八九そうだろう。まあ、今は帝国の騎士共に後を追わせている。殺すのも時間の問題だろう』
そう言って老人はからからと笑った。
耳に残るような不快な笑い声だったが、しかし、ベルは表情を変えない。
「……これが終わったら、本当に妹を解放してくれるんですね?」
『ああ、勿論だとも。貴様ら姉妹はもとより魔刀の反逆者を動かすための駒に過ぎん。特に貴様の妹は奴の娘によく似ている。今は利用価値があるから手放せないが、役目さえ果たせば、貴様らがどうなろうと知ったことではないわ』
本当に無事で解放してもらえるのか。
ベルは不安を抱くも、かといって抗うことはできない。
妹の命がかかっているのだから。
『敬虔な信徒である君が、失望させてくれるなよ?』
「……はい、教皇様」
切断された通信。
十字架を仕舞い込み、ベルは夜空を見上げる。
月は雲に隠れ、帰り道は闇に包まれていた。




