76話 揺らぐ信念
魔都の城にて、王位継承の儀式が行われていた。
今宵、ウィルハルトは王となるのだ。
彼の面持ちは硬い。
ロードウェルを打ち倒した彼には、勝利と同時に重い責任が課せられる。
王として民を導き、また、帝国に打ち勝たねばならない。
そう、戦争である。
王位継承から間もなく戦乱の時代が訪れるのだ。
民衆は未だそれを知らない。
それを心苦しく思いつつも、ウィルハルトは己を貫かなければならない。
王位継承を祝い、城下では宴が開かれていた。
儀式を終えたウィルハルトの言葉を今か今かと待っている。
日が沈み、月が昇る頃。
王として初めての演説を行うこととなる。
そう考えれば、王位継承の儀式は緊張しなかった。
無論これも重要な儀式ではあるものの、こちらはただ手順を踏めば良いだけ。
しかし、民衆への演説では彼ら彼女らを納得させるだけの力が必要だ。
長きに渡る戦乱は民衆の精神を蝕むだろう。
数多の命が失われることだろう。
それでも、帝国を打ち倒さなければならない。
演説を考えている内に、気付けば儀式は終わっていた。
頭上の冠は立派で、どうにも実感が沸かない。
こんな状態で、果たして民衆を納得させられるだろうか。
演説を前にして、ウィルハルトはバルコニーで城下を眺めていた。
広場を駆ける幼子。
談笑する老夫婦。
仲睦まじい男女。
これらの平穏が消え去ると思うと、彼の善心が苛まれた。
「やはり悩むか」
いつの間にか現れたのか、ラクサーシャがウィルハルトの横に並んだ。
戦いから一月が経過し、その傷も癒えている。
柵に手を掛ける所作をとっても気品があり、そして力強い。
ラクサーシャの風格にウィルハルトは劣等感を抱く。
「俺は未熟だ。どうにも、民衆から石を投げられることを恐れているらしい」
「私とて、同じ立場なら恐れるだろう。守るはずの民にさえ剣先を突きつけられる。それほど寂しいことはないだろう」
ラクサーシャは城下を眺める。
その町並みは平和そのもの。
他国の出身とはいえ、その光景が崩れることに込み上げる物があった。
「リィンスレイ将軍。貴方は汚名を被ってまで……魔刀の悪魔と呼ばれてまで祖国に忠義を尽くした。どうすれば、俺は強くなれるだろうか」
「……私は言うほど強くない。長い間、ずっと風を受けてきた。もはや、崩れるのも時間の問題かもしれん」
侵食された岩のように、ラクサーシャの内面は風化していた。
今にも崩れそうな精神を支えているものは何か。
ラクサーシャは腰に帯びた軍刀『信念』を見やる。
「私を支えているものは――」
信念だ。
そう口にしようとして、しかし、声は出なかった。
まるで体が否定しているかのように。
信じていたはずの己にまで裏切られたような気がして、ラクサーシャは愕然と刀を見つめる。
己を支えているものの存在。
大切に抱えた信念は、なぜか重さを感じられない。
まるで空箱を抱えているような感覚。
己は何を抱えているというのか。
「――信念だ」
無理やりに口にすると頭がズキリと痛んだ。
己に咎められているような気がしたが、今の彼に答えはない。
無理にでも信念と言うに他無かった。
しかし、ウィルハルトの心には届いたようだった。
ラクサーシャの言葉を反芻し、表情を引き締める。
「俺は、信念を以って国を治めよう。今は石を投げられようと、咎められようと構わない。後の世に平穏が訪れるよう、己を犠牲にしてでも信念を貫く」
力強く言い切ったウィルハルトを好ましく思いつつ、答えを見つけられない己を情けなく思った。
このままではいけない。
焦燥に駆られるも、ウィルハルトの手前、表面だけは取り繕って見せた。
その後に行われた演説は見事なものだった。
民衆は反発していたが、彼は揺らぐことなく言い切った。
王国と同盟を結び、帝国に立ち向かうと。
まだ若いが、その姿は王に相応しい風格を備えていた。
同時に、ラクサーシャの悩みが大きく膨れ上がる。
それまでは気にしていなかった。
考えないようにして、目を逸らしていた。
それでは、帝国で血を浴びてきた時と変わらないではないか。
今の己は何者か。
エルシアの問いに改めて向き直る。
信念という言葉は、セレスやウィルハルトには相応しく、己には合わない。
その差は何なのか。
ラクサーシャは気付く。
今の己は騎士ではない。
忠誠を尽くすべき相手もいない。
客観的に見れば、彼は復讐者であり反逆者だ。
とても立派なものには思えなかった。
高潔とはエルシアの評価だが、しかし彼女は否定した。
それは復讐には必要ないと。
目的を成し遂げるには形振り構わず力を求めなければならない。
それがたとえ、不死者に身を堕とすことになっても。
分かってはいても、空箱がラクサーシャを縛る。
それまでの己を支えてきたものが枷となっていた。
己が抱えているこれは何か。
腑に落ちる解を見出せぬ内に、いつの間にか夜が明けていた。
次の目的地はラファル皇国。
レーガンの過去とガーデン教の真実を知ることになる。
謀略の魔国編終了。
登場人物紹介と間話を挟んで次の章に移ります。




