73話 隷属と伏兵
「見事なものですな。あれが魔刀の悪魔と呼ばれる所以ですか」
レッソフォンド卿が感心したように頷く。
前方で行われている戦い。
それを目で追うことが出来る者はそういないだろう。
ウィルハルトは苦笑する。
「俺には何が起こっているのかまるで分からない。ただ、あれが異常だということくらいは分かる」
いつの間にか、ラクサーシャとアスランの周囲には誰もいなくなっていた。
逃げ出したわけではない。
余波に煽られて大地の染みとなったのだ。
戦場はウィルハルト側が圧倒的に優勢だ。
死者よりはラクサーシャに恐れをなして逃げ出していく者が多い。
逃げ出した兵たちは議会の構える岩山のほうへ逃げていく。
「仕方ないとはいえ、兵が逃げ惑うのは如何なものか」
「無駄に兵を減らすよりは良いでしょうな。今後の魔国には戦力が必要ですからな」
そう言うも、レッソフォンド卿も顔を顰めていた。
貴族とはいえ騎士出身である彼は、兵たちの行動を好ましく思わなかった。
もはや戦場はウィルハルトの領域と言って良いだろう。
ロードウェル側の戦力は既に壊滅している。
少しして、ラクサーシャがアスランを打ち倒した。
「……頃合ですな」
レッソフォンド卿が呟く。
何が頃合なのか。
それを尋ねようとして、ウィルハルトは顔を驚愕の色に染める。
レッソフォンド卿の剣がウィルハルトに向けられていたからだ。
「何をするつもりだ、レッソフォンド卿」
「殿下には申し訳ない。しかし、こういった事情がありましてな」
レッソフォンド卿の腕が赤く輝いた。
そこに刻まれている術式はウィルハルトも知るものだった。
「隷属、か」
「残念ながら。しかもタチの悪いことに、私は自我を保ったまま」
言われてみれば不自然だった。
シュトルセランが隷属させられた際は意識もおぼろげだったが、レッソフォンド卿は意識がはっきりとしている。
彼を除けば、他に隷属させられても自我を保っている者はシグネくらいだろう。
レッソフォンド卿はどうしようもないと肩を竦めた。
「では、失礼」
振るわれた剣は、しかし、ウィルハルトの身を切り裂くことはなかった。
代わりに金属がぶつかる音が響いた。
レッソフォンド卿を守るように、メルセンフォード公爵が剣を抜刀していた。
「殿下! 今、あなたの命を救ったのはメルセンフォードです! この私、メルセンフォードです!」
意気揚々と躍り出たメルセンフォード公爵。
その手に握られた剣は細身で、豪華な装飾が施されていた。
軽快に剣を振るうも、そこに技術はない。
数合打ち合ったところでその剣が弾き飛ばされた。
宙を舞った剣が地に突き刺さると、メルセンフォード卿は慌ててその場から逃げ去った。
「とんだ道化でしたな。殿下、この場に私を止められる者はおりませんぞ」
周囲にいるのはいずれも実力のある兵士。
しかし、レッソフォンド卿は騎士としてかなりの腕前だ。
兵士たちが束になったところで意味を成さないだろう。
「残念ですが、殿下。チェックメイトです」
突き出された剣はウィルハルトの身を貫く――かに思われた。
見れば、剣の軌道が僅かにだがずれていた。
それを成した者。
考えられるのは一人のみだろう。
「残念だったな。俺がいるんだ、そう易々と殺させはしないさ」
間一髪のところでクロウが間に合った。
本当ならば最初の時点で動けたはずなのだが、メルセンフォード公爵のせいで機会を逃してしまっていた。
クロウは短剣を構える。
その背後ではベルが治癒の準備をしていた。
レッソフォンド卿はそれを見て、不思議そうに首を傾げた。
「果たして私を止められるかは疑問ですが、期待しましょう。不本意な隷属から一時も早く解き放っていただきたい」
その言葉にクロウは頷く。
己の意思に反して仲間を傷つけること。
それがどれだけ心苦しいかは理解しているつもりだった。
怪我に関してはベルがいるため、恐れることはない。
余程体が残らないほどの一撃を喰らえばどうなるかは分からないが、レッソフォンド卿は生粋の剣士である。
外見からは想像できず、搦め手などの類は一切使わない。
そういった意味ではアスランに近いタイプと言えるだろう。
クロウは短剣を構え、一気に距離をつめる。
一振り目が避けられる。
二振り目も避けられる。
三振り目も避けられる。
己の剣が全く当たらない現状にクロウは焦りを感じた。
対して、レッソフォンド卿の剣は速かった。
それよりも速い剣閃を毎日のように見ているとはいえ、それでもレッソフォンド卿はクロウよりも格上だ。
致命的な差はなくとも、じわじわと追い詰められていく。
体力面においては長年の経験があるレッソフォンド卿の方が有利だろう。
打ち合うほどに押されていく現状に、クロウは我慢が出来ずに切り札を使う。
虚空から呼び出されたそれは、彼の愛剣。
「――妖刀『喰命』」
その柄には蛇のような装飾が施され、その鍔には天使の羽が描かれていた。
禍々しさと神々しさの混在するその短剣は背徳的な美を称えていた。
見る者の情欲を掻き立てるような出来栄えはそう真似出来る芸当ではないだろう。
レッソフォンド卿はその短剣を見て顔をしかめた。
「その短剣は……あまりにも、危険……ですな」
悪魔に魅入られたかのように硬直してしまう。
僅かにでも動けばその命を散らしてしまう。
そんな気がして、レッソフォンド卿は動くに動けない。
その予感は正しかった。
視線を下げてみれば、彼の体を無数の槍が取り巻いていた。
地から突き出した漆黒の槍。
その先端では黒い炎が揺らめいていた。
クロウはニヤリと笑みを浮かべる。
「俺の仕事はこれで完了だ。旦那たちが帰ってくるまで、このまま止まっててもらうぜ」
何も殺す必要はないのだ。
隷属の術式ならばシュトルセランが術式破壊出来るだろうし、それが不可能だとしてもエルシアの剣で強引に断ち切ればいい。
クロウがやるべきことはレッソフォンド卿の動きを止めることだった。
それも完了したのだから、あとは仲間の勝利を待つのみである。
少しだけ視線を向けると、その先で紫電が迸った。
レーガンの全力の戦いが始まる。




