70話 銀閃の剣士
アスランの表情が真剣なものに変わる。
もはや会話は必要ない。
語る手段は剣にあるのだから。
その身から銀の光が発せられる。
アスランがミスリルプレートを持つ所以にして、根源たる存在。
それについては予めレーガンから話を聞いていた。
その名を聖銀光という。
纏う者には強大な力を与え、また外部からの衝撃を緩和する守りも可能とする。
アスランはこれがある故に剣のみで戦闘を行う。
一度見てしまえば、その緻密に描かれた術式に驚嘆することだろう。
芸術作品のような美しい術式。
だというのに一切の無駄がないのだ。
これだけで、アスランがどれほど努力したのかを感じ取れた。
ラクサーシャは軍刀『信念』を正眼に構える。
このような形になったとはいえ、アスランは正々堂々と剣を交えるに足る男だ。
体に魔力を循環させて身体能力を高めていく。
戦場においては、瞬魔のような強化を何度もするわけにはいかない。
その様子を余裕と受け取ったのか、アスランは眉を顰めた。
しかし、それも束の間。
聖銀光が激しく発光した。
繰り出される神速の銀閃。
この世で誰も受けることは不可能な一撃。
そう称えられた一撃は、しかし、ラクサーシャには届かない。
剣の軌道を刀が遮る。
刃と刃が交錯し魔力が吹き荒れる。
歯を軋らせて剣を押し込むも、ラクサーシャの顔は涼しげだ。
その魔力が爆発的に高まったかと思うと、次の瞬間にはアスランの身が宙を舞っていた。
アスランは宙で体勢を整えるとラクサーシャを睨みつける。
持ちうる限りの技術を注ぎ込んでいるというのに、ラクサーシャは剣術の一つさえ使っていない。
あるいはそれが彼の戦い方なのかもしれないが、いずれにせよ余裕があることには変わりなかった。
地を大きく踏み込んで再び肉迫する。
一撃では劣っても、手数ならばどうか。
そんな淡い期待を抱いて一心不乱に剣を振るう。
右へ、左へ。上へ、下へ。
縦横無尽に繰り出される剣撃には一切の隙もない。
だが、ラクサーシャはそれをいなしていた。
丁々発止と切り結ぶ。
彼の歩みを感じ取るが如く、その剣を全ていなしていく。
やがてアスランの底を感じ取ると、ラクサーシャは刀を振り下ろした。
アスランの腕が宙を舞った。
剣を持つ腕を切り飛ばされたというのに、アスランは僅かな合間に剣を持ち替えていた。
左腕から繰り出される一撃は、これまでと比べるとあまりにも緩慢。
しかし、それ以上に気迫があった。
ラクサーシャは身を僅かにずらして剣を避けると、アスランの胸に刀を突き立てた。
心臓を貫かれたアスランが崩れ落ちる。
「ぐぁ、ごふっ……」
血を口から溢れさせる。
苦しそうにしつつも、その戦意は失せていなかった。
ラクサーシャはアスランを見下ろす。
心臓を貫いたのだ。
アスランはもはや風前の灯だった。
「やっぱり、届かな、かった、ね……」
剣士として、己の全てをぶつけたつもりだった。
彼の剣は一流。
それは純然たる事実だ。
ならば、何が足りなかったというのか。
アスランは己の身を見やる。
「脆弱な。人は、何て弱い、生き物だろうか……」
人の身は脆弱だ。
心臓を貫かれたら死ぬ。
頭を吹き飛ばされたら死ぬ。
そうでなくとも、いずれは老いて死ぬのだ。
「嗚呼、脆い。脆すぎる。脆すぎるんだよ、人って生き物はさ」
「……何を言っている」
アスランから感じる悪寒にラクサーシャが問う。
その視線が交差する。
「人は脆い。なら、どうすれば良いと思う?」
問いで返され、ラクサーシャは返答に詰まってしまう。
脆さから最も遠い場所にいる男にこの質問をするのは無意味だろう。
体に微かに残った力を振り絞り、アスランはガラス瓶を取り出した。
何か特別な装飾が施されたわけでもない瓶だ。
しかし、中に入った赤黒い液体を見て、言いようのないおぞましさを感じ取る。
「――僕は堕ちる。力を得るために」
ラクサーシャが止めるよりも早く、アスランはそれを飲み干した。
爆発的に膨れ上がった聖銀光がラクサーシャを吹き飛ばす。
銀の光が煤けたように輝きを失い、奈落のように暗い瘴気が混ざる。
銀と黒。
吹き荒れる奔流の中心にいるのは、不気味に嗤うアスランだった。
その表情は恍惚としていた。
「嗚呼――これだ。これこそが、圧倒的な力」
その気配は、かつて二度感じたものだった。
一度目はラズリス魔石鉱の奥にある遺跡。
二度目はロズアルド高原にある遺跡。
アスランから感じるのは人外の気配。
「お前は……」
「そうさ。僕は今、不死者となった。枷から解放されたんだよ」
立ち上る気配は神域のソレだ。
不死者の生命力によって傷も癒え、今の彼は万全の状態だ。
「そうまでして、勝利を渇望するのか」
「あはは、高潔な君には分からないだろうね。目的を達するためならば、僕は何だってするよ」
ふと、エルシアの指摘を思い出した。
復讐を成し遂げるために、己はどこまで出来るのか。
人の身を捨てる覚悟はあるのか。
ラクサーシャにはそれが分からなかった。
信念を捨てて、己に何が残るのか。
そもそも己は何を抱えているのか。
考えるほどに深みに呑まれていくようだった。
ただ、分かることが一つ。
アスランはもう、人間ではないということだ。
「さあ、リィンスレイ将軍。この渇きを癒してくれ」
強烈な殺意を振り撒きながら、アスランは笑みを浮かべていた。




