69話 焦がれた男
両軍が進撃を開始する。
大規模な戦力のぶつかり合い。
その先陣を切るのはラクサーシャだ。
脚に魔力を漲らせ――地を蹴って跳躍した。
宙で無防備になっている彼の元に数多の魔法が飛来するが、その全てが一刀の下に掻き消された。
跳躍の頂点に達した彼は刀に魔力を注ぎ込む。
「――奥義・断空」
それは理不尽なまでの一撃。
振るわれた膨大な魔力の奔流が兵を吞み込んで行く。
赤く染まった大地にラクサーシャは着地する。
跳ね上がった血飛沫が彼の頬を伝った。
堪らずに兵士たちが斬りかかる。
何百もの武器がその身に向けられているというのに、ラクサーシャはその悉くを斬り捨てて突き進んでいく。
一直線にロードウェルの首を取りにいく彼を止められる者はいなかった。
戦場において、ラクサーシャは絶対的な強者だ。
それを崩すには、彼の魔力を枯渇させるだけの数を揃えなければならない。
ロードウェルの兵、その数は二万。
止めることは不可能ではないが、あくまでそれはラクサーシャ一人に対しての数だ。
ラクサーシャの後方で気迫に満ちた声が上がる。
「喰らいやがれ――降雷裂波」
天が咆哮する。
振り下ろされた戦斧から紫電が迸った。
その衝撃波が大地に亀裂を生み出していく。
余波に煽られて、どうして生きていられるだろうか。
戦鬼と称された男の一撃は何百もの命を一度に刈り取った。
その後ろに続くように、二人の騎士が剣を構えた。
エイルディーン王国の誇る騎士団。
その頂点とも言うべき、二人の騎士団長。
彼らの剣が今、抜刀された。
セレスの剣に炎が宿る。
どこまでも燃え上がるような灼熱。
それはまるで、彼女の心を体現するかのよう。
翳し上げた剣に魔力が収束していく。
その傍らで、ザルツが抜刀する。
長さの異なる二振りの剣。
彼の周囲にそよ風が吹き始める。
それはやがて暴風と化し、ザルツの周囲に吹き荒れる。
「――烈火の一閃」
「――風神の怒りを」
灼熱がどこまでも燃え盛り、兵を呑み込んで行く。
ただでさえ強烈な一撃が、ザルツの奥義によって増幅されて放たれたのだ。
二つの奥義が合わさった一撃はレーガンの奥義をも上回る。
剣を振りぬいた彼らの後ろから二人の人影が見えた。
片方は賢者と称された老魔術師シュトルセラン・ザナハ。
傍らにはエルフの少女、エルシア・フラウ・ヘンゼ。
飛び交う魔法を物ともせず、二人の魔術師が現れた。
飛来する魔術の全てが掻き消されていく。
目の良い者ならばそれに気付くことが出来るだろう。
ごく僅かな魔力を消費して生み出された魔弾が術式を撃ち抜いていくことを。
エルシアは虚空に術式を描き出す。
魔法陣から呼び出されるは、無数の大魔法具。
それを向けられた者の恐怖は言うまでもない。
圧倒的火力を前にして、ただの魔術師では太刀打ちできない。
視界を埋め尽くす極光。
兵たちは成す術無く呑みこまれて行く。
だが、途端に極光が掻き消される。
見れば、前方から極大の魔力が感じ取れた。
エルシアやシュトルセランでさえ身震いするほどの威圧感。
込められた魔力は常人のそれではない。
その威力は神域に達している。
それを可能としたのは、魔国の技術に神代の技術を合わせた兵器だった。
第一王子派の兵器、魔導砲。
原動力は非道な方法で掻き集められた魔核だ。
魔物の物から人間の物まで、様々な魔力の入り混じった一撃。
その標的はエルシアだった。
エルシアは剣を抜刀するも、術式破壊は間に合わない。
傍らのシュトルセランでさえ、術式の穴を見つけることが出来なかったのだ。
かといって大魔法具で迎え撃とうにも、眼前に迫るソレは格が違いすぎた。
その間に割り込むようにラクサーシャが現れる。
膨大な魔力を立ち上らせる姿は、不思議と安心感があった。
エルシアはそんな自分に嫌悪しつつ、仇敵の姿を見守る。
軍刀『信念』を正眼に置き、悠然と待ち構える。
そこには術式の一つさえない。
彼にはそれすら必要ないのだ。
僅かに口角が上がっている事も気付かず、ラクサーシャは刀を振るう。
刀と魔道砲が交わる刹那――視界が爆ぜた。
余波で周囲の大地が抉れ、兵たちが肉塊に変わっていく。
後に残ったのはラクサーシャと仲間たち。
いずれも無傷だった。
前方には未だ大勢の兵がいる。
まだ二割を削ったところだろう。
ラクサーシャは再び刀を構える。
水平に構えられた刀を見て、彼の正面に構える兵たちが恐怖する。
――嫌だ。死にたくない。
兵の誰かが呟いた。
本人にその気は無かったのだろう。
しかし、一度口にしてしまえば歯止めが利かなくなる。
――化け物だ。
――いや、あれは悪魔だ。
――魔刀の悪魔だ。
彼を切っ掛けに、恐怖が伝播していく。
彼らの前方。
悠然と刀を構え、理不尽なまでの魔力を立ち上らせる男。
戦場にいるというのに、彼の口角は上がっている。
その姿は、正に魔刀の悪魔と呼ぶに相応しかった。
そしてまた、誰かが切っ掛けとなった。
兵たちは目の前の存在に恐れ戦き、四散して逃げ惑う。
戦場で死ぬことに恐怖は無い。
だが、何も成せずに死んでいくのは怖かった。
塵芥も残さずに消え去ることが怖かった。
僅かばかり戦意を残していた兵たちも、味方がこの状態では戦争どころではない。
殆どが武器を投げ出して逃げていった。
残った三割ほどの兵が狂ったように突き進むも、ラクサーシャたちの背後から現れたウィルハルトの兵とぶつかり合う。
そこにはもはや隊列など無い。
混戦の中をラクサーシャたちは突き進む。
彼らを誰も止める事が出来ない。
そう思っていたが、一人の男がその道を塞いだ。
「やあ。遅いじゃないか」
血塗れの赤黒い戦場で、彼は不釣合いなほどに鮮やかだった。
身に纏っているのは鈍色の鎧ではなく、華美な装飾が施された芸術作品。
腰に帯びた剣も同様だ。
作り物めいた笑みを貼り付け、ラクサーシャに歩み寄る。
その表情は歪だった。
「アスランか」
「名前を覚えてもらえているなんて、嬉しいね。君という男にどれだけ焦がれたことか」
「私はそれほどの者ではない」
「謙遜もそこまで来れば侮辱と同義。力有る者は、力無き者の存在も省みなければならない」
剣聖と称された男。
その実力は、紛う事無き一級品のソレだ。
だというのに、彼は未だに渇きを感じていた。
「なぜ、お前はそこまで力を求める」
「違う。違うな。リィンスレイ将軍。君は勘違いしている」
アスランは呆れたように首を振った。
そして、怪しげな光が瞳に宿る。
「僕はね、後世にまで語り継がれるような存在になりたいんだ。例えば、君のように」
「ほう、私か。お前は名を残せるならば、悪名でも構わんと」
「そうさ。でも、同時代に生きた人物として、君がいたらダメなんだ。それじゃあ僕は目立たない。だからこそ、ヴァハ・ランエリスを望んだのさ」
「全てを打ち砕く圧倒的強者、か」
「その通り。だからこそ、君を殺すんだ。今回は、前回のようにはいかないよ」
アスランから発せられる気配は、前回剣を交えた時とは別物だった。
ラクサーシャは前回のほうが好ましく感じ、疑問を抱く。
「僕の目的はそれさ。力なんていうモノは、あくまで手段に過ぎないよ」
そう言い放つアスランだったが、その目は真剣だった。
手段とはいえ、彼なりに剣に誇りを持っているようだった。
視線を背後に移す。
レーガンたちはラクサーシャの視線を受けて頷いた。
ロードウェルの元に進んでいくも、アスランは咎めなかった。
「……止めんのか?」
「構わないさ。僕はこの戦いで、君を一騎打ちで倒したっていう事実が欲しいだけ。それに、この先にも味方はいるからね」
不動のゴードンと生体人形シグネ。
前者は些か役者不足ではあるが、後者は十分すぎる実力があるだろう。
ロードウェルの守りは堅牢だ。
アスランは天を仰ぐ。
「ねえ、最高だとは思わないかい? 目の前に、栄光が待っているんだ。僕の求める物は君の首さ」
恍惚とした表情でアスランは抜刀した。
目の前の男を倒せば、己の望みが叶うのだ。
彼は今、昂ぶっていた。
剣を構え、アスランは名乗りを上げる。
「僕は剣聖アスラン! この剣の下に、悪魔を打ち倒して見せよう!」
対して、ラクサーシャは悠然と構えるのみ。
軍刀『信念』を正眼に構え、アスランを迎え撃つ。




