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7話 叡智のヴァルマン

 翌日の昼。

 ラクサーシャたちはヴァルマン伯爵の邸宅をを訪れていた。

 ベルの連れを装って潜入するも、特に怪しまれることはなかった。

 武器はその際に預けている。


 ラクサーシャは紅茶を啜る。

 ふわりと甘く上品な香りが広がる。

 その方面に乏しいラクサーシャでも、その紅茶が一級品であると分かった。


 しかし、それで落ち着けるほど甘い場所ではない。

 ラクサーシャが辺りを探ると壁の中に十人ほどの気配があった。

 恐らく、壁の中に隠し通路でもあるのだろう。

 彼でさえ正確な人数が分からないのは、相手が隠密行動に慣れていることの証明だろう。


 ラクサーシャはドアに視線を向ける。

 新たに一つの気配。

 しかし、周囲のものとは違い、こちらは敵意を感じなかった。


 入ってきたのは小太りの男だった。

 その表情は穏やかではあるが、指導者としてみれば頼りなくも見える。

 ヴァルマンはソファーに腰掛ける。


「待たせたかな、シスターベル?」

「いえ。美味しい紅茶をいただいているので」

「それは良かった。実はその紅茶、妻が淹れたんだ」

「シャトレーゼ様が?」

「そうだよ。あまりに美味しく淹れるものだから、私もこんなに太ってしまった」


 ヴァルマンはお腹をさすりながら笑った。

 ヴァルマンと会話をするベルの様子は親しげだった。

 少し世間話をすると、ヴァルマンはラクサーシャとクロウに視線を向けた。


「それで、シスターベル。彼らは何者かな?」


 ヴァルマンの気配が一変する。

 表面上は穏やかに尋ねているようにも見えるが、その内面はナイフのような鋭さを孕んでいた。

 その問いに答えたのはクロウだった。


「初めまして、ヴァルマン伯爵。本日は伯爵にこれを献上しようと思いまして参りました」


 大袈裟に振る舞いながらクロウが取り出したのは記録用の魔石だった。

 魔石から音声が流れ出す。

 隣国エイルディーンの使者との会話を録音したものだった。


 ヴァルマンはそれを聞いて表情を一変させた。

 内に秘めた鋭さが表に現れた。


「殺れぃッ!」


 壁から現れたのは黒装束の暗殺者たちだった。

 ラクサーシャの予想より一人多く、数は十一人。

 背後から微かに殺気を感じ、ラクサーシャは振り向きざまに拳を振るった。

 黒装束の一人が吹き飛び、壁にぶつかって気を失う。


 それを見届けることもなく、ラクサーシャは横に手を突き出す。

 短刀を突き出してきた黒装束の腕を絡め取ると、一気に引き寄せて腹部に膝を入れる。

 苦痛に呻く黒装束の首根っこを掴み、ヴァルマンの足下に投げ飛ばした。


 彼ら黒装束は荒事を解決するために雇われた、諜報部隊と同様にヴァルマンの私兵である。

 腕の立つ者を選りすぐって結成された精鋭だ。

 彼らは自分の腕を過信はせずとも自信はあった。

 だというのに奇襲が通じなかったことに驚き、短刀を構えてラクサーシャを見据える。


 その様子を見てラクサーシャが再び拳を構える。

 黒装束の一人が飛び出そうとするが、制止するようにヴァルマンが右手を挙げた。


「止めだ。武器を仕舞え」

「良いのですか?」


 黒装束が尋ねるも、ヴァルマンは首を振った。

 ヴァルマンは足下に倒れている黒装束を一瞥する。


「あれほどの技量があれば、この場で殺すことも出来よう。だというのに、奴は気絶させるだけだった。そもそも戦意がないのだろう」

「しかし……」

「それに、彼は魔力を一切使っていない。お前たちでは遊びにすらならないということだ。下がれ」


 ヴァルマンが合図をすると、黒装束たちが去っていく。

 それを見送ると、ヴァルマンは頭を下げた。


「荒々しい真似をして悪かった。謝罪する」


 ヴァルマンは頭を下げた。

 その様子を見て、もう争うつもりはないのだと察する。

 クロウはというと、黒装束たちの奇襲に驚いて腰を抜かしてしまっていた。

 ヴァルマンは先程までの鋭さは消え失せ、穏やかな状態に戻っていた。


「シスターベル。君にも怖い思いをさせてしまったね」

「私は大丈夫です。ラクサーシャ様がいますから」

「ラクサーシャだって?」


 ヴァルマンはラクサーシャに視線を移す。

 ラクサーシャが頷いたのを見て、ヴァルマンは納得する。


「確かに、それならば私の部下が勝てなかったのも道理かあ」

「疑わんのか?」

「あの戦いを見せられては信じるほかにないよ。それに、リィンスレイ将軍の反逆は知っていたからね」

「ほう、耳が早いな」


 反乱を起こしてからまだ一週間も経っていない。

 ラクサーシャはヴァルマンの諜報能力の高さに感心したように溜め息を吐いた。

 だが、ヴァルマンは首を振る。


「私はあくまでも領地経営のみだよ。そっち方面は妻の方が、ね」


 苦笑するヴァルマンにクロウが尋ねる。


「そんなことを話しちまって良いのか?」

「大丈夫。君たちは私を審議会に引っ張りに来たわけではないのだろう?」

「まあ、そうだな」

「状況を見れば、敵対者とは考えられないからね。それに、リィンスレイ将軍を味方に付けられるならば心強いよ」


 そう言うと、ラクサーシャに視線を戻した。


「しかし、まさかリィンスレイ将軍が南下してくるとは……。腕っ節だけでなく頭も切れる。ただの武人ではないようだ」

「私はそれほどの者ではない」

「ご謙遜を。凡人なら、関所もなく隣国への距離も短い北へ向かうはずだよ」


 ヴァルマンは笑う。

 実際のところ、ラクサーシャは関所を強引に通ろうと考えていたため、謙遜ではない。

 ヴァルマンの協力を仰ぐというのはクロウのアイデアだった。


「さて、状況を考えるに、リィンスレイ将軍はエイルディーンに行きたいが関所を通れない。だから私を頼りに来た。そうだね?」

「うむ」

「けど、その先はどうするんだい? 平穏に暮らすのか、復讐に生きるのか」

「後者だ」


 ラクサーシャはヴァルマンの問いに即答した。

 ヴァルマンは満足げに頷く。


「なら、私が手を貸そう」

「感謝する」


 ヴァルマンがラクサーシャの味方になると宣言した。

 それを聞いて、三人は安堵の表情を浮かべた。


 少しして、ドアがノックされた。

 中に入ってきたのは品の良さそうな女性だった。


「どうでした?」

「予想以上だったよ。彼はリィンスレイ将軍だ」

「まあ……」


 女性は驚いて口元を抑える。

 女性はヴァルマンの隣に座ると、すぐに居住まいを正した。


「申し遅れました。私はヴァルマンの妻、シャトレーゼ・シエラと申します」

「うむ。私はラクサーシャ・オル・リィンスレイだ」

「俺はクロウ・ザイオン。情報屋だ」


 自己紹介を終えると、シャトレーゼが口を開く。


「リィンスレイ将軍の事情は聞いています。帝国があれほどまでに腐敗しているとは……」

「皇帝がヴォークスに変わるまでは、帝国も腐敗してはいなかった。奴が、全ての元凶なのだッ……」


 帝国のために戦ってきた自分を、こうまで陥れるとは。

 己の信念を踏みにじったヴォークスにラクサーシャは怒りを露わにする。


「それだけではありません」

「む……」

「帝国が狂ったのは、ヴォークスだけでなく教会も絡んでいます」

「ガーデン教か」


 ラクサーシャは呟いた。

 ガーデン教は帝国の国教とされる宗教である。

 ガーデン教は他の宗教と違い神を崇めない。

 開祖である聖女リアーネを崇め、神々からの魂の解放を求める宗教だ。


 ガーデン教では『この世界は神々の箱庭ガーデンであり、人間は管理されている』とされている。

 神々の支配から逃れ楽園へと至る。

 それが目的だった。


「しかし、何故教会が手を貸す?」

「残念ながら、そこまでは分かりません。何者かが裏で動いている、とまでは掴んでいるのですが……」

「そうか……。いずれにせよ、帝国ごと滅ぼすまでだ」


 ラクサーシャはそう結論づける。

 しかし、その方針に異議を唱える者が一人。


「ラクサーシャ様。ガーデン教は悪ではありません。人々を救うために戦っているんです」


 ベルだった。

 彼女はガーデン教のシスターだ。

 まだ未熟ではあるが、シスターとして日々の職務を全うしている。

 自分の信じてきたものを否定され、黙ってはいられなかった。


 ヴァルマンはベルを優しく諭す。


「シスターベル。君も良い機会だ、将軍と共に国外へ逃れるんだ」

「でも、私にはシスターとして皆さんのために……」

「ベル。私も賛成は出来ない。帝国に留まるのは危険だ」

「ですが……」


 ベルは悩んでいるようで、すぐに答えを出せなかった。

 帝国の現状をラクサーシャやヴァルマンから聞いてしまったのだから、帝国に残ることに恐怖もあった。

 しかし、シスターとして帝国を見捨てるような真似もしたくなかった。


「まあ、将軍も今すぐには旅立たないだろうし、ゆっくり考えるといいよ。どちらを選択しても、私たちは味方だ」

「はい、ありがとうございます」


 ベルはこの場で答えを出すことは諦めた。

 一先ずは保留で落ち着いた。


「さて、リィンスレイ将軍たちの話に戻そうか」

「一つ、策があります」

「何かな、シャトレーゼ?」

「今週にはミュジカの宴があります。その期間は関所でも人の行き来が多くなるので、身を隠すには最適でしょう」

「なるほどね。関所も忙しいだろうから検閲も甘くなる。なら、馬車はこっちの方で用意しておこう」

「助かる」

「気にしないでよ。いずれ、リィンスレイ将軍にはいろいろと手伝ってもらうんだしさ」


 ヴァルマンはいつか来たるであろう戦いの時を思い浮かべる。

 そこにラクサーシャが現れただけで、戦況は大きく変わる予感がした。


「ですが、一つ問題が……」


 シャトレーゼが額を抑える。


「問題とは、何だ?」

「ミュジカの宴では竜牙の笛という楽器を使うのですが、去年まで使っていた笛が、つい先日壊れてしまいまして」

「ほう。竜を狩ればいいのだな?」

「お願いできますか?」

「無論だ。手を貸して貰うのだ、これくらいは安い方だろう」

「竜を狩る方が、普通の人間には高いだろうよ……」


 クロウがラクサーシャの言葉に突っ込む。

 ラクサーシャの規格外な考え方に、クロウだけでなくその場にいる全員が呆れていた。


「この近隣で竜がいるのは何処だ?」

「ここから北東にあるリオノス山脈ですね。谷底が飛竜の巣になっているので、数は多いかもしれませんが」

「構わん」

「それともう一つ。今の時期、リオノス山脈では帝国騎士団の竜狩りが行われています。今年はエドナ指揮官が来るそうです」

「ほう、エドナが来るか」


 ラクサーシャは興味深そうに頷く。


「エドナ指揮官が来るならば、たとえリィンスレイ将軍でも危険があるでしょう。念のため、護衛としてこちらで兵を手配しましょうか?」

「頼む」


 話が纏まったところでクロウがラクサーシャに歩み寄る。


「さて旦那、善は急げだ。早く行こうぜ」

「お前もついてくるのか?」

「勿論だ。俺だけじっとしてるのも嫌だしな」

「良いだろう」


 ラクサーシャはクロウの姿勢を快く思い了承した。

 危険もあるだろうが、そこは自分が何とかすればいい。


「ラクサーシャ様、気を付けてくださいね」

「うむ。心得た」


 不安げな表情のベルに見送られ、ラクサーシャたちはリオノス山脈を目指す。

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