59話 見限り
魔国カルネヴァハの王城は厳重な警戒が成されていた。
特に王の間の近辺となると、第一王子ロードウェルの選抜した人間のみしか近付く事は許されない。
玉座に座るロードウェルは退屈そうに頬杖を突いていた。
彼の周囲を警護する男たちは皆が無言だった。
それも当然だろう。
彼らはロードウェルを守るという命令しかされていないのだから。
彼の近辺にいる人間の九割が洗脳された状態だった。
ごく少数の人間は彼に忠誠を誓ってはいるが、それ以外は隷属の術式に縛られている。
そうでもしなければ、非道な研究を推し進めることは不可能だった。
ロードウェルの眉がぴくりと動く。
武の心得がない彼でさえ、その異常な気配に気付く事は出来た。
柱の影に現れたローブの男に視線を向ける。
「アウロイか」
錬金術師アウロイ・アクロス。
ガーデン教に語り継がれる神話の登場人物にして、今は不死者に身を落とした男。
何らかの思惑の下に行動をする信頼の出来ない男だった。
ロードウェルに名を呼ばれ、アウロイは柱の影から歩いてきた。
その姿は人間にしか見えないというのに、目の前にしても異様さを感じざるを得ない。
不死者とは、人間の理解の外にある存在だ。
ロードウェルはアウロイの突然の訪問に首を傾げる。
何か報告するようなことも無く、会う約束をした覚えは無かった。
「急にどうした。研究ならば、特に進歩はないが」
「貴様に知らせなければならないことがある」
その言葉はどこか冷たかった。
アウロイの言葉はぞっとするほどのおぞましさを孕んでいた。
怜悧な瞳がロードウェルを射抜く。
「この戦争は第二王子派が勝つことになった」
「……どういうことだ。この俺を勝たせると、そう約束したのはお前だろう」
「気が変わったのだ、ロードウェル。貴様よりも物語に相応しい駒を見つけてしまった」
「殺れッ!」
おぞましさに耐え切れなくなったロードウェルが護衛の男たちをけしかける。
無警戒に立っていたアウロイの身を無数の剣が貫いた。
アウロイは血を体中から垂れ流しているというのに、気にも留めずにロードウェルを見やる。
「それだ。それがいけないのだロードウェル。貴様には品がない。誇りもない。信念もない。豪華な晩餐会に、豆のスープは必要ないのだ」
空気が変わる。
アウロイの目が殺気を帯びた。
その瞳で周囲を見回し、これでもかと口角を吊り上げた。
展開される無数の術式。
数瞬後には護衛の姿が掻き消えていた。
塵芥さえも残さずに焼き尽くしたのだが、その現象はロードウェルでは理解できなかった。
呆然とするロードウェルに、アウロイは殺気を霧散させた。
彼の話には続きがある。
「だが、俺とて悪魔ではない。豆のスープをテーブルから叩き落すなんてことはせんさ」
「アウロイ。お前は何を言っている」
「貴様は配膳の召使いにでも食わせればいいのだ。端役とはいえ残してやるのだ、感謝してもらいたいものだ」
「この俺を、ウィルハルトの糧にすると。貴様はそう言いたいわけか」
「ご名答」
気付けば、アウロイの体から傷が消えていた。
戦いの痕は何も残っていない。
いつの間にか気圧されて俯いていたらしく、その間にアウロイの傷は塞がっていたらしい。
ロードウェルは首を激しく振ると威勢良く吠える。
「そんなことは認めんぞ! 王になるのはこの俺だ。お前は黙って従っていればいい!」
「どうやら貴様は、救いようの無い愚か者のようだ。血統だけの凡愚が、身の程を弁えよ」
鋭い目がロードウェルを射抜く。
再び放たれる殺気は、彼に口を開くことさえ許さない。
存在としての格の違いを見せ付けられたようで、ロードウェルは歯噛みする。
眼前にいるのは絶対的な強者だ。
しかし、ロードウェルは蛇に睨まれた蛙のように萎縮することはない。
彼とて王子だ。
王としての在り方を父親の姿から学んできたつもりだった。
しかし、それさえもアウロイは嘲笑する。
弱者が強者を騙ろうとする事が滑稽に見えた。
哄笑が城中に響き渡るが、助けに来るものは一人としていない。
しばらく嗤い続けた後、アウロイはゆっくりと息を吐く。
真顔に戻るアウロイを見て身の危険を感じ、ロードウェルの額を汗が伝った。
「さあ、終わりだロードウェル。貴様はこれから、駒として働いてもらおう」
「何をするつもりだ」
アウロイは何も答えず、ただ行動で示すのみ。
描かれていく術式は、ロードウェルも見覚えのあるものだった。
「……隷属の術式だと? お前は、王子たるこの俺を縛ろうというのかッ!」
「獣風情が思い上がるなよ? そもそも、貴様は王に相応しくなかった。使えるならば猟犬として最大限利用するつもりだったが、貴様はそれに見合った能力を持ち合わせていない。ならば、鎖に繋いで調教するのは当然のことだろう?」
完成された隷属の術式から逃れる術は無い。
最後に残ったのは、虚ろな表情をしたロードウェルのみ。
否、もう一人この部屋にいた。
「あはは、恐ろしいことをするじゃないか」
英雄ヴァハ、もとい剣聖アスランが王城に帰還していた。
王国の実力を調査し終えた彼はその報告に来ていた。
「アスランか。貴様は俺を咎めるか?」
「まさか。僕が求めているのは後世に語り継がれるような肩書きであって、立派な君主ではないよ。肩書きさえ得られるなら、王など操り人形でもかまわないさ」
「だが、話は聞いていたはずだ。第一王子派は敗北する。それが定めだ」
アウロイの言葉にアスランは肩を竦める。
「アウロイ・アクロス。君は随分とリィンスレイ将軍を気に入ったみたいだけど、僕だって相応に実力はあるつもりだ。捨てるにはまだ早いと思うけどね」
「貴様とてあれには勝てないだろう。人間であの男に敵う者はいない」
「なら、人の身を捨てればいい」
「――そうか。貴様は、そうまでして名声を求めるというのか」
アウロイは愉快そうにアスランを見つめる。
そして、懐から一つのガラス瓶を取り出した。
「リィンスレイ将軍に勝てぬと思ったらこれを使うといい。貴様が本物ならば、絶対的な力を得られる筈だ」
アスランはガラス瓶を見つめる。
赤黒い液体の入ったガラス瓶だ。
何か豪華な装飾が施されているわけではない、液体が入っただけの瓶だ。
だというのに、言いようの無いおぞましさを感じた。
アスランはそれを懐に仕舞うと、アウロイを見つめる。
「必ず見返して見せよう。アウロイ・アクロス」
「精々、努力するといい。あれとは違い、貴様には期待している」
「感謝するよ」
アスランは王の間を後にする。
何が何でもラクサーシャに打ち勝たなくてはならない。
それが彼の望みだった。
ロードウェルのように見限られないよう、アスランは気合を入れ直した。




