57話 閉幕
武道大会は既に決勝を迎えていた。
西側の門から現れたのは、第四試合で戦っていた鉄球使いの男だった。
色褪せた鈍色の鎧を身に纏い、険しい表情で向かい側を見つめる。
東側から現れた人物については語るまでもないだろう。
一振りの刀を腰に帯びた、軽装の男。
幾人もの強者を打ち負かし、ラクサーシャは決勝にまで上り詰めていた。
「さあ、ついにやってまいりました! 武道大会もこれが最終試合。未だかつてない激戦が、今、この場で繰り広げられるッ!」
司会の言葉に客席から歓声が上がった。
背後から聞こえる声は、かつて飽きるほど聞いてきた罵倒ではない。
今この場において、ラクサーシャを悪魔と罵る者はいない。
あるのは期待に満ちた声援のみだった。
ラクサーシャは歓声を受けて嬉しそうに口元を緩め、しかし、寂しげに眉尻を下げた。
もう少し早く帝国を離れていれば、この歓声を笑顔で受け止められたかもしれない。
客席に座るシャルロッテに手を振って、笑っていたかもしれない。
それに気付くにはあまりに遅すぎた。
今はもう、この時を楽しむことさえ許されない。
ラクサーシャは鋭い視線で相手を見つめる。
「西側の出場者は、全ての相手を一撃で葬ってきた大男、ギリアム・バルハウンドだ! その鉄球は、何人たりとも防ぐことは叶わないッ!」
司会の紹介にギリアムは鉄球を振り回して応えた。
彼は決勝に至るまで一度も相手の間合いに入っていない。
広い範囲を己の間合いとする、特殊な戦法の使い手だった。
「対する東側は、魔刀の悪魔ラクサーシャ・オル・リィンスレイ将軍だ! 圧倒的な強さを誇る彼を、止められる者はいないのかッ!」
ラクサーシャは軍刀『信念』を抜刀する。
ここまで、ラクサーシャは数多くの強者を倒してきた。
相手の戦法を完全に見切ってから打ち負かす。
その余裕から、ラグリフ王もラクサーシャの実力を感じ取ったことだろう。
しかし、彼はまだ本気を出していない。
英雄ヴァハ・ランエリス、もとい剣聖アスランを相手にした時でさえ、ラクサーシャは本気を出していない。
ここまでの過程は、ラグリフ王が分かる範囲で強さを示しただけにすぎなかった。
決勝では、手を抜く必要はないのだ。
「決勝戦、開始いいいいいッ!」
戦いが始まるも、両者共に動かない。
ギリアムは元より防御に特化した戦い方である。
彼のほうから攻めていくことはなく、あらゆる状況において待ちを基本としていた。
それが彼の強さなのだろう。
常にその戦い方をしてきたおかげか、ギリアムの防御姿勢は極まっていた。
もはや人の領域では彼の防御を抜けることは叶わないだろう。
ギリアムは鎖を鳴らし、ラクサーシャの様子を観察する。
これまでの戦いを見てきた彼としては、ラクサーシャを間合いに入れずに完封する自身があった。
ラクサーシャの剣は速く、重く、そして精密だった。
しかし、ギリアムからすればどれも対応出来る範疇にあった。
「おい、どうした? 来ないのか?」
挑発するも、ラクサーシャは静かだった。
まるで己のことなど眼中に無いとでも言っているような振る舞いに、ギリアムは激昂する。
その自身を叩き潰してやろうと自身を鼓舞させようとしたとき、疑問が浮かび上がった。
果たして、目の前の男に己の攻撃が通じるだろうかと。
戦士としての直感がそう告げていた。
目の前の男は何をしているのか。
何故、剣士がそれだけの魔力を秘めているのか。
立ち上る魔力は瞬く間に舞台を覆い尽くしてしまった。
おそらく、観客はこの事態に気付いていないだろう。
分かる者がいるとすれば、この場にいる一握りの強者のみ。
その異常さは、壇上のラグリフ王も気付くことが出来た。
「何だ、何なんだあれは。何だというのだ」
気付けば魔力は闘技場を覆い尽くしていた。
その中にいるからこそ、直感的に理解出来た。
今、この空間全てがラクサーシャの間合いであることに。
「ザルツ。あれは、本当に人間なのか?」
「某には分かりませぬ。あれは神域に達しております。同じ領域にいる者でないと、あの者を理解することは叶いませぬ」
険しい表情でラクサーシャを見つめる。
分かることといえば、彼が天涯であるということのみ。
それ以上のことを理解するには、彼らは力不足だった。
ラクサーシャは軍刀『信念』を正眼に構え、ギリアムを見据える。
常人ならば放たれる殺気だけで死んでしまうだろう。
強者であるギリアムだからこそ、不幸にも意識を失うことは出来なかった。
ギリアムは焦ったように体中に魔力を流していく。
出し惜しみをしては防げないと感じ取っていた。
どれだけ身体強化をしても、脳内の警笛は止むことはない。
必死に迎え撃とうとするギリアムを嘲笑うかのように、ラクサーシャの魔力が爆発的に高まった。
放つのは神域の一撃。
もはやこれを受け止められる者は、この世界には存在しないだろう。
「我が刀よ。信念よ。其れは万象を切り伏せる気高き一閃――奥義・残響」
ギリアムが気付いたときには、ラクサーシャは既に背後にいた。
振り向く勢いを利用して鉄球を振るおうとして気付く。
手元で握られた鎖が断ち切られていることに。
刹那、無数の剣閃がギリアムの身を襲った。
残響する音のように、ラクサーシャの動きに一瞬遅れて切り裂いた。
結果が後れて現れることの異常性。
その一撃は世界の理さえも凌駕していた。
鎧が拉げ、鎖が断たれ、鉄球が砕け。
だというのに、ギリアムの身には傷一つ付いていなかった。
しばらく呆然と立っていたギリアムだったが、やがて両手を挙げて降参の意を示した。
その光景に驚いているのはギリアムや観衆だけではない。
壇上のラグリフ王たちもまた、呆然と舞台を見つめることしか出来ないでいた。
そんな中で一人、ラジューレ公爵は得意げに口角を吊り上げた。
「さて、諸君はいつまで座っているつもりだ? 未だ理解できぬとあらば、救いようの無い愚者だがなあ?」
その言葉に、我に返った三人の公爵たちは慌てて立ち上がる。
我先にとラグリフ王の下へ駆け寄る三人を見て、ラジューレ公爵は愉快そうに嗤っていた。
だが、その三人を阻むようにジスローが立ち塞がった。
「愚かな……。帝国に刃向かうことの意味が、まだ分からぬというのかぁッ!」
凄まじい速度で術式が構築されていく。
ジスローの魔力全てを費やしたそれは、紛う事無き大魔法だった。
その場の全員を皆殺しにしてでも、彼は戦争を避けようとするつもりだった。
しかし、その術式が急に掻き消えた。
驚いたように己の手を見つめるジスローだったが、何が起きたか理解する。
「術式破壊……。賢者シュトルセラン・ザナハか」
「ほっほ、如何にも」
杖を構えたシュトルセランが笑う。
その傍らにはエルシアとクロウが武器を構えていた。
ジスローは怒り心頭といった様子で地団太を踏む。
魔術が仕えないと分かっている彼は、今度は懐からナイフを取り出した。
「貴様らは、帝国の恐ろしさを知らぬ。確かに魔刀の悪魔は強い。王国と組めば、帝国に勝つことなど容易いじゃろう」
ぶつぶつと呟くジスローの胸から剣が生えた。
それを辿れば、険しい表情のザルツがいた。
「ジスロー。お主は陛下を殺そうとした。反逆罪で、この場で処刑させてもらう」
剣を引き抜くと、ジスローはその場に崩れ落ちる。
僅かに息があるらしく、顔を僅かに動かしてセレスの方を向いた。
「帝国に勝つには、ただ強いだけでは不可能。忠告を受け入れなかったことを、精々、後悔するが良いわ」
それを最後に、ジスローは息絶えた。
血溜まりに沈む彼を見て、皆が沈黙していた。
彼が最後に残した言葉。
その意味を知るのはまだ先のことだった。