56話 王の葛藤
眼下で行われた激戦に、ラグリフ王は既に戦いが終わっているというのに未だに呆然としていた。
あれから幾度か対戦があったが、彼の意識は先ほどの戦いに向いていた。
英雄ヴァハ・ランエリス。
彼の剣は正しく本物だ。
流麗な銀閃は芸術品のように美しく、英雄を名乗るに相応しい技量の持ち主だった。
だが、それは大した問題ではない。
確かに彼も大陸では強者と呼ばれる部類。
それもかなり上位に位置しているような男だった。
長年の経験があるザルツならば兎も角、セレスでは勝てる見込みはないほど。
ヴァハの技量だけでも帝国に立ち向かえそうな気もするが、ラグリフ王は彼を見てしまった。
ラクサーシャの理不尽なまでの強さを見てしまったのだ。
彼とて、王として最低限の剣術や魔術は嗜んでいる。
彼自身もかなりの腕前で、ザルツやセレスには及ばずともそこらの騎士と互角以上に打ち合えるほどだ。
そんな彼だからこそだろうか。
実力があるばかりに、ラクサーシャの異常性に気付けたのだ。
ヴァハの剣術は非常に優れていた。
大陸でも彼と打ち合える者は十人といないだろう。
魔導兵装で底上げされただけの帝国騎士など恐れるに値しない。
しかし、ラクサーシャはそれを容易くいなしていた。
それがどれだけの異常性を孕んでいることかは語るまでもない。
考えが定まらず、ラグリフ王はザルツに視線を向けた。
彼を呼ぼうとして、その視界の端にセレスが映る。
セレスは帝国と戦うべきだと主張していた。
近衛騎士団長の座を剥奪されてでも、彼女は己の意志を貫き通したのだ。
ラグリフ王にはそれが眩しかった。
「ザルツ、セレス」
二人の名を呼ぶと、即座にラグリフ王の前に跪いた。
「あの男をどう思う」
「あの男というと、先ほどの魔刀の悪魔でしょうか?」
「そうだ。あの男は、どうだろうか」
尋ねられて、ザルツは言葉に詰まってしまう。
セレスの言う協力者がまさかラクサーシャだったとは思っていなかったために、ここに来てどうするか悩んでいた。
「彼は、帝国と戦えるほどの実力を持っています」
セレスが王の目を見つめて言う。
そこには確固たる信念が見て取れた。
その横顔を見て、ザルツも腹を決める。
「陛下。あの者は我々が頭を悩ませていた根源にございます」
「どういうことだ」
「あの者は偽名でもなんでもなく、正しく帝国の将軍ラクサーシャ・オル・リィンスレイでした」
ラグリフ王は目を見開く。
帝国の将軍がなぜここにいるのか。
普通ならば、攻め込んできたと考えるのが自然だろう。
「なぜそうと言い切れる」
「某はかつての戦争にも参加しておりました故、魔刀の悪魔とも剣を交えたことがございます。あれほどの男を見紛う事はありませぬ」
「なぜここにいるかは分かるか」
「恐れながら、陛下。彼を招いたのは私です」
セレスが言うと、ラグリフ王が鋭い視線をセレスに向けた。
「それが真ならば、セレス。お前は王国を売り渡したということか」
「いえ、違います。彼は帝国と戦うため、王国と協力関係を結びたいとのことです」
「なぜ帝国の将軍が帝国と戦う必要がある」
「そこまでは、私には分かりません……」
セレスが情報を交換したのは、ラクサーシャが帝国への復讐を企てているということのみ。
詳しい話は協力を取り付けられたら話すと言われているため、ラクサーシャの事情を深くは知らない。
そもそも、その名を知ったことさえ今日なのだ。
今のセレスに話せる情報は少ない。
ラグリフ王は瞑目する。
帝国は情報規制が厳しく、特に帝都での動向を掴むことは極めて困難だ。
ラクサーシャが反旗を翻すような出来事があったのかさえ分からない。
そもそも、セレスが騙されている可能性だって考えられる。
ラグリフ王は腕を組んで悩むが、いずれにせよ今の戦力でラクサーシャを止められるとは思えなかった。
ならばやはり、一度話を聞く他にない。
ラグリフ王はセレスの目を見つめる。
「リィンスレイ将軍は信用できるのか?」
「彼は信じるに値する人物です。それは私が保証しましょう」
「その根拠はどこにある」
その問いには重みがあった。
目の前にいる男は間違いなく王の器である。
そう思わせるだけの威厳があった。
セレスはその根拠を述べる。
彼女がラクサーシャを信じるような出来事があるとすれば、一つしかない。
「ラズリス魔石鉱の任務の協力者について、私は以前、冒険者パーティ『雷神の咆哮』に協力を仰いだと報告しました」
「それは聞いたが」
「いえ。私は、一つだけ情報を伏せておりました」
「何?」
ジスローの掴んだ情報から、セレスが魔石鉱の奥にある遺跡の存在を隠していたことは分かっている。
その上、まだ隠し事をしているというのか。
ラグリフ王の目の鋭さが増す。
「あの時、協力者の中に彼がいました。彼がいなければ徘徊する怨嗟にも勝てなかった。おそらく、任務に当てられた者は私を含めて命を落としていたでしょう」
「……そうか。ならば、それは咎めないでおこう」
ラグリフ王は悩むも、そもそもラクサーシャを止める手立てが無いのだから仕方ない。
どうするかは実際に会ってみるしかないだろう。
しかし、ここでラグリフ王の心の中で僅かに変化があった。
些細なきっかけに過ぎない、されど大きな一歩でもある。
心の隅に埋もれていたある感情が芽吹いたのだ。
それは小さな期待だった。
もしも、あれだけの強さを誇るラクサーシャが味方に付いたならば。
本当に帝国に反旗を翻していて、王国と協力関係を結びに来たのであれば。
本来ならば、そんな可能性を信じることはないだろう。
敵国の将軍が攻め込んできたと捉えるのが道理だ。
王として、分の悪い賭けに挑むようなことはするべきではない。
しかし、セレスとザルツの二人はラクサーシャを敵と見做してはいないようだった。
忠臣二人の意見とあらば、その可能性を考えるべきかもしれない。
もし本当ならば、これほど心強い戦力はいないだろう。
そこで、先ほどのラジューレ公爵の言葉を思い出す。
彼は戦うつもりだと言っていた。
四大貴族の、それも最も発言力のある男が戦うと宣言したのだ。
後はラグリフ王が決心さえすれば、国中の貴族たちが挙って私兵を派遣することだろう。
微かにだが、王国の未来に光が差したように思えた。
その期待が外れぬことを祈りつつ、ラグリフ王は武道大会を見守る。




