47話 最後のエルフ
焚き木の音で少女は目を覚ました。
視界に映る火がかつての殺戮を思い出させるが、目の前のそれは優しく揺らめいていた。
どれだけ寝ていたのだろうか。
ぼんやりとした意識で少女は辺りを見回す。
少女は自分が毛布に包まれて寝ていたことに気が付き、身を起こした。
「ようやく起きたみたいだな」
背後から聞こえた声に飛び退くが、相手から敵意は感じられない。
少女は首を傾げる。
「……なんで、あたしを殺さなかったの?」
「そりゃあ、その理由が無いからだ」
「嘘よ。帝国は容赦無く人を殺す。あたしはこの目で、何度も見てきたんだから」
少女の表情が曇る。
どれだけの死を目の当たりにしてきたことか。
死者を見送ることはとうに慣れていた。
数えるのも馬鹿らしくなるほどだったが、少女は死者の名を魂に刻み付けていた。
だが、自分の死となると途端に恐ろしくなる。
それ以上に恐ろしいのは、エルフ族の里で見た帝国の残虐な行い。
人としての尊厳を蹂躙され、奪い尽くされ、最後には殺されるのだ。
少女はそんな光景を思い出し、身を震わせる。
「あ、あたしを……慰み者に、するの?」
「そんなことしないから大丈夫だ」
「なら、早く殺して。情けなんていらないわ」
気丈に振舞うも、それは言葉だけだ。
顔を青くして震える少女を見れば強がりであることは一目瞭然だ。
クロウは首を振る。
「別に、俺たちは何かしようって気はないぜ。ただ、そこの神殿を調べたいだけだ」
「それで、兵器を作って人を殺すんでしょ」
「うーん、色々と誤解されてるみたいだな……」
クロウは頭を掻く。
少女にこうまで怯えられては話しづらい。
過去にラクサーシャと何があったのかは知らないが、エルフ族というだけである程度の推測は出来た。
「旦那……ラクサーシャが怖いのか?」
「怖くなんかない。……って言いたいけど、無理よ。あれだけかき集めた大魔法具だって、一つも通用しなかった」
「旦那は規格外だからな。正直、旦那に勝てる人間はいない」
「けど、殺さなきゃいけないのよ。じゃないと、あたしが生きている意味がない」
少女の顔が憎悪に染まる。
その様子から、そう簡単にラクサーシャと和解出来るようには思えなかった。
少女は鋭い視線をクロウに向ける。
「それで、貴方たちはなんなの?」
「俺たちは、解放軍だ」
「解放軍?」
少女は首を傾げる。
クロウから視線を外せば、シュトルセランとベルが視界に入った。
「貴方たちは、何と戦っているの?」
「帝国だ」
「嘘よ。なら、なんで魔刀の悪魔と一緒に行動しているの!」
「それは、色々と事情があってだな。説明すると長くなる」
「構わないわ。聞かせて」
少女はクロウの話を聞く気はあるらしく、一応は敵意を押さえ込んだ。
しかし、警戒心は解かない。
そんな様子に、シュトルセランがシチューが入った器を差し出す。
「お嬢さんも色々とあったのじゃろう。話をするのも大切じゃが、先ずはこれでも飲んで落ち着くとよい」
「あ、ありがとう……」
少女はシチューをスプーンで一口掬い、恐る恐る口にする。
ゆっくりと咀嚼して、こくりと飲み込んだ。
「おいしい……」
「それは良かったです」
ベルが嬉しそうに微笑む。
エレノア大森林の夜は冷えるため、少女が意識を失っている間にシチューを作っていた。
少女はじっくりと味わうように食べ進め、ほっと息を吐いた。
「ごちそうさま」
「はい。お粗末さまでした」
シチューを食べたお陰か、皆の優しさに触れたお陰か。
少女は少しだけ警戒を緩める。
クロウはそれを感じ取り、もう少し歩み寄れないかと模索する。
「なあ、そろそろ名前教えてくれないか? あ、俺はクロウ・ザイオン。情報屋だ」
「私はベル・グラニアです」
「儂はシュトルセラン・ザナハ。魔術師じゃ」
クロウに続くように二人が名乗ると、少女はおずおずと自己紹介する。
「あたしはエルシア・フラウ・ヘンゼよ。帝国を滅ぼすために。そして、魔刀の悪魔を殺すために旅をしているわ」
「そ、そうか。よろしくな」
クロウはエルシアの自己紹介に苦笑いしつつ返事をする。
エルシアの言葉は本気だった。
「それで、なんで帝国と戦っているの? そもそも、なんで解放軍に魔刀の悪魔がいるの?」
「始まりは一月くらい前のことだ。旦那の娘が皇帝に殺された」
「へ、へえ」
唐突すぎる展開にエルシアは戸惑いながら頷く。
「旦那の娘は皇帝の慰み者にされた後、城下の見世物小屋に売られたんだ。散々陵辱をされた挙句、最後には命を失った」
「それで、反旗を翻したの?」
「ああ。単身で帝国に立ち向かったけど、力及ばずに捕縛されたんだ。捕縛されて地下牢獄に囚われたところで俺と出会った」
クロウは当時のことを思い出す。
地下牢獄でラクサーシャが隣の牢に来なければ、自分はあのまま処刑されていたかもしれない。
あるいは帝国に潜伏する部下が助けてくれたかもしれないが、その望みは限りなく薄い。
「俺と旦那の二人で地下牢獄を脱出して、それからは大陸各地を巡って戦力を揃えることにしたんだ。帝国に復讐するために戦力を集めている」
「そう。そんなことがあったの……なんて言うと思った?」
エルシアは眉を潜めて言う。
どこか棘のある様子に、クロウは何か説明を間違えたかと慌てる。
「考えてみなさいよ。あの男は沢山の命を奪ってきたのよ? あの男のせいで家族を失った人も多い。あたしもその一人だし」
「エルフ族は、帝国に滅ぼされたんだってな」
「ええ。あたしはこの目で見たわ。あたしの両親はあの男に殺された」
さすがにそこまでのことがあったとは予想しておらず、一同は目を見開いた。
エルシアは続ける。
「自分がどれだけの命を奪ってきたかも知らずに、よく復讐なんて言えるわね。それこそ因果応報ってやつよ」
エルシアの言うことは厳しいものだったが正論でもあった。
家族を奪われたエルシアだからこそ言える事なのだろう。
ラクサーシャに家族を奪われ、そのラクサーシャが自分と同じ状況になったからといって同情できるはずがなかった。
「あたしは孤独よ。あなたたちと違って、仲間はもういない。あたしが最後の一人。最後のエルフなんだから」
同じ生き物とはいえ、人種の違いはエルシアにとって壁となっていた。
自分だけがエルフ。
他に同じ存在などいない。
十年前からずっと孤独を味わって生きてきたのだ。
「あたしは何があろうとあの男を殺す。必ず殺す。絶対に殺すんだから」
「そうか」
唐突に聞こえた声にエルシアは振り向く。
木に寄りかかるようにラクサーシャが立っていた。
「なによ。今度こそ、あたしを殺しに来たっていうの?」
「いや、違う。私は決して、お前に危害は加えない」
「その口がよく言うわね」
エルシアの言葉に、ラクサーシャは悲しげに眉を下げた。
シャルロッテと同年代の少女にそうまで言われて平気なはずがなかった。
ラクサーシャはゆっくりと息を吐き出す。
「私を殺すというのならば、その刃を受けよう」
「旦那、なにを急に……」
「クロウ。私は己の咎を理解しているつもりだ。それが廻り廻って己に帰ってくるならば、それを受け入れる覚悟は出来ている」
ラクサーシャはエルシアに頭を下げる。
唐突な行動にエルシアは目を丸くする。
「だが、少しだけ待ってほしい。私は、帝国に復讐を遂げるまでは死ぬことを許されぬ身だ。それを成し遂げた後ならば、この首を差し出すことを厭わない」
ラクサーシャの覚悟の重さにエルシアは気圧される。
彼女だけではない。
クロウも、ベルも、シュトルセランも。
薄々とは感じ取っていたが、それでも言葉に出されるときついものがあった。
「ラクサーシャ様。そんなことを言わないでください」
「素より、帝国に復讐を終えたら死ぬつもりでいた。少女の恨みを晴らせるならば、それほど良い死に方はないだろう」
ベルの言葉にラクサーシャは首を振る。
ラクサーシャの予想外の態度に、エルシアは困惑するばかりだった。
これほど潔く刃を受け入れようとするとは思っていなかった。
ラクサーシャは再度頭を下げる。
「エルシア。私を殺すのを、少しだけ待ってほしい。そして、叶うのならば。帝国への復讐を手伝ってもらいたい」
「なんで、あたしが魔刀の悪魔に協力をしなくちゃいけないのよ。あたしは……」
エルシアはクロウたちを見やる。
ラクサーシャは憎かったが、自分だけでは力不足なことを実感していた。
少し考えた後、エルシアは答えを出す。
「あたしは、魔刀の悪魔には協力をしたくない。だから……」
エルシアは大きく息を吸い込む。
「……あたしの復讐に、あなたたちが協力しなさい。それなら構わないわ」
「感謝する」
ラクサーシャは頭を下げる。
エルシアはそれを不快そうに眺めていたが、ひとまずは休戦するようだった。
エルフの少女が仲間に加わり、神殿の調査が開始した。




