46話 己の咎
エルフの少女が咆哮する。
およそ見た目からは想像も付かない殺気に満ちた表情を浮かべる。
可愛らしい見た目とは裏腹に、その気迫は歴戦の戦士に匹敵していた。
困惑するクロウたちだったが、少女から放たれる殺気は本物だ。
その感覚は、帝国の名を口にするときのラクサーシャに似ていた。
「こ、殺すッ! 絶対に殺してやるんだから!」
懐から取り出したのは、魔石の取り付けられた筒状の武器。
魔国では魔導銃と呼ばれる代物だが、少女のそれはそれほど生温い武器ではない。
「死ねええええッ!」
轟音と共に極光が放たれる。
エルフ族の魔力は人間よりも遥かに高く、その中でも少女は頭一つ抜けていた。
膨大な魔力が込められた一撃は、個に放つような技ではないだろう。
しかし、少女は知っている。
相手が大陸最高峰の男であることを。
この程度の攻撃では通じないということを。
ラクサーシャは極光の奔流を前にして、怯むこと無く手を前に突き出した。
掌に魔力を収束させ、突き出すようにして受け止める。
衝撃に僅かばかり体が後ろに反れるがそれだけだった。
周囲に散る極光の残滓を振り払い、ラクサーシャは少女を見据える。
エルフは長く生きるというが、少女の年齢は人間ならば成人していないくらいだろう。
ちょうどシャルロッテと同い年くらいだった。
少女は初撃が通じないことは予想していたが、片手で受け止められるとまでは思っていなかった。
歯をぎりぎりと軋ませ、次の手札を切る。
虚空に無数の魔方陣が出現する。
それ自体が武器ではない。
魔方陣は召喚の術式が刻まれていた。
魔方陣から呼び出されたのは、無数の大魔法具だった。
生まれ持つ膨大な魔力を立ち上らせ、その全てが同時に発動する。
暴風が吹き荒れ、氷刃が飛来し、炎矢が降り注ぎ、大地が槍と化す。
アウロイの自律魔導書を想起させるような攻撃だったが、ラクサーシャは既にそれを経験していた。
周囲の魔力濃度が急激に上昇し、空間が爆ぜた。
ラクサーシャを中心に爆発が巻き起こり、少女の攻撃は全てが相殺された。
「な、なんで……」
少女は目を見開く。
これだけの戦力を揃えても、ラクサーシャには届かない。
大魔法具でさえ通じないのならばどうしろというのか。
理不尽を体現したかのような存在に少女は戦慄く。
震える手が腰に帯びた剣に触れるとはっとなる。
少女の帯びた剣は特別なものらしかった。
少女は気合を入れ直すと虚空から大魔法具を呼び出した。
現れたのは一本の短剣。
しかし、複雑な術式が刻まれており、それ自体も膨大な魔力を秘めていた。
少女はそれを投擲する。
「ほう」
ラクサーシャは飛来する短剣を見据える。
僅かな揺れも無く飛来する短剣から少女の努力が見て取れた。
複雑な術式は読み取ることが出来なかったが、一直線に投げられた短剣など当たるはずが無い。
ラクサーシャはそれを手で弾こうとし――目を見開いた。
短剣から魔力が噴出し、紐状に編み上げられていく。
気付いたときには既に遅く、ラクサーシャの上体を魔力の紐が拘束した。
それを好機と見た少女が剣を抜刀し、ラクサーシャに駆けて行く。
「死ね、悪魔ああああッ!」
少女は気迫に満ちた声で叫ぶ。
これで、少女の復讐劇は幕を閉じるのだ。
大魔法具による拘束は何人たりとも逃れることは出来ない。
一瞬さえ惜しい戦場において、それは致命的な隙になってしまう。
少女の剣は間違いなく相手の心臓を貫くことだろう。
しかし、少女には誤算があった。
少女の目の前にいるのは他でもない、ラクサーシャである。
ラクサーシャは体に魔力を巡らせると、強引に拘束を引き千切った。
少女は目を見開くが、駆け出した勢いに流されて身を引くことも出来ない。
苦し紛れに剣を振るうが、ラクサーシャはそれを手刀で弾き飛ばした。
得物を失った少女はあまりに無防備。
ラクサーシャは手刀を振り抜いた体勢から切り返し、少女の首筋を軽く叩く。
少女は意識を失う間際まで、ラクサーシャに憎悪の表情を見せていた。
意識を失った少女を抱き止めると、クロウに視線を向ける。
「地面に寝かせるわけにはいかん。何か、敷くものはあるか」
「えーと……お、毛布ならあるぜ」
「それで頼む」
ラクサーシャは少女を横たえると、その場から離れる。
少女の目が覚めたときに自分がいれば、話が拗れてしまうかもしれない。
遠ざかる背に声を掛けられる者はいなかった。
少し歩き、ラクサーシャは手頃な岩に腰掛けた。
しんと静まり返った森の中で一人、ラクサーシャは寂しげに眉を下げた。
「これが因果か。己の行いが、己を苛む」
エルフ族の殲滅。
その際に先頭で刀を振るったのは誰か。
少女をここまでさせたのは誰か。
紛うことなく己の咎であった。
少女との戦いで、ラクサーシャは軍刀『信念』を抜刀出来なかった。
己の咎がそれを許さなかった。
「……私は、咎人だ」
裁かれるのは構わない。
少女の手で殺されるのならばそれも仕方ない。
それが因果なのだから。
だが、今はまだ死ぬことは許されない。
贖罪は未だ終わっていない。
復讐は未だ終わっていない。
奪ってきた無辜なる魂への贖罪。
娘を奪った残虐な帝国への復讐。
それが終わるまでは、死ぬことは許されない。
空を見れば、日はもう見えない。
微かに差した朱色が夕暮れであることを告げていた。




