45話 エレノア大森林
木々が鬱蒼と生い茂る森。
普段ならば鳥の囀りでも聞こえてきそうなものだが、今に限っては静寂に包まれている。
辺りには虫の一匹さえいない。
エレノア大森林に着くと、シュトルセランは早速術式を見始めた。
「ほほう、これはまた面白い術式じゃのう」
「なにか分かるんですか?」
「そうじゃのう……。ちと、見ておれ」
シュトルセランが術式を虚空に刻む。
地面に魔方陣が現れると、周囲の地面が盛り上がっていく。
「簡易召喚・大地形成――泥人形」
簡易な召喚魔法を発動する。
生き物を呼び出すには魔力が相応に必要なため、今回は周囲の土で人形を象り、そこに意思を宿らせるだけだ。
「シュトルセランが名の下に命ずる。泥人形よ、霧の奥へ進め」
シュトルセランが命令を出すと、ゴーレムは命じられたままに移動を開始する。
緩慢な動きでゆっくりと足を進めるが、霧の結界の手前に来ると立ち止まってしまう。
「お嬢さんや。これは意思ある者全てを対象としておる。近付く者の精神に干渉し、立ち入ることを躊躇させる、あるいは別の事へ意識を逸らす結界じゃ」
「精神に干渉だなんて、怖いですね」
「この程度ならまだ可愛いほうじゃて。儂なんか、隷属されられたからのう」
「そ、そうですね……」
笑えない冗談にベルは苦笑いする。
シュトルセランは泥人形を解除すると、改めて術式を見る。
「むむ……術式に欠陥はあるが、如何せん込められた魔力が多すぎるのう。術式破壊には相応の魔力が持っていかれそうじゃ」
「ほう。出来そうか?」
「無論、不可能ではないのう。じゃが、儂はそこから先で戦えんかもしれぬ」
「構わん。この結界だ。魔物と出くわすことも無いだろう」
精神干渉は意思ある者全てを対象としている。
エレノア大森林は広大だが、それ故に魔物と出くわすことは無いだろう。
少なくとも、ラクサーシャが確認できる範囲には魔物の気配は無かった。
シュトルセランは杖を構えると、その先端に魔力を込めた。
指揮棒を振るかのように軽やかに振るい術式を刻んでいく。
「術式構築・術式強化・術式相殺――術式破壊」
魔力を最大限に込め、特殊な術式を刻み込まれた魔力弾を放つ。
撃ち出された魔力弾は霧に炸裂する。
途端に霧が晴れ始めた。
「すごいな。まさか、こんな結界まで破れるなんてな」
「ほっほっほ。年寄りの知恵じゃて」
真っ白なひげを弄りながら、シュトルセランは得意げに笑う。
賢者と呼ばれるに相応しい魔術師だった。
一同は歩みを進めていく。
結界があったために魔物はいないが、エレノア大森林は魔境に近い場所にある。
厄介な魔物と遭遇する前に、早い内に遺跡の調査を終えておきたかった。
「にしても、誰がこんな結界を張ったんだろうな」
「遺跡で第一王子派が調査をしている可能性がある。場合によっては、戦闘になるかもしれん」
この先にあるのはガーデン教の遺跡だ。
アウロイの目的は分からないが、ウィルハルトの情報から遺跡の場所を教えたことは分かっている。
第一王子派の研究者や兵士がいる可能性は高い。
ラクサーシャはクロウに視線を向ける。
「戦闘の際は、お前が皆を守れ」
「お、俺か?」
「殺せとは言わん。時間を稼ぐだけでもいい」
「分かったぜ。旦那に鍛えられてるんだ、逃げ回る程度ならやってやるさ」
クロウの返事にラクサーシャは満足げに頷く。
魔導兵装で強化された帝国の騎士ならば兎も角、並みの兵士程度ならばクロウでも相手取れるだろうとラクサーシャは考えていた。
日々の鍛錬は確実に成果へと繋がっている。
深い森の中を移動し続けて幾許かの時が経過した頃。
一同の前方に建物らしき影が見えた。
近付いてみれば、それが神殿のようなものであると分かった。
それまでの遺跡とは、どこか異なった様相を呈していた。
「神殿か。他の二つに比べ、どこか装飾が多いように思えるが」
「そうですね。もしかしたら、ガーデン教の重要な建造物なのかもしれません」
ベルは神殿を眺める。
神殿の外装は華やかで美しく、それでいて荘厳さを持ち合わせていた。
帝国の教会や王城でさえ、ここまで立派な造りのものはないだろう。
クロウは柱に寄りかかる。
「こんな森の中にあったら、誰かしら気付きそうなもんだけどな」
「ここは魔境に近いからのう。普段のエレノア大森林ならば、儂一人では辿り着けぬじゃろう」
「そんなにやばいのか、ここ」
クロウは辺りをきょろきょろと見回して魔物がいないか確かめる。
ラクサーシャがいるのだから問題はないはずだが、それでも心配になるのは仕方の無いことだろう。
しかし、ラクサーシャが刀に手を添える。
「……気配を感じる」
その言葉に、シュトルセランとベルがクロウのもとへ駆け寄った。
クロウは短剣を引き抜き、辺りを警戒する。
「気配は一人。だが、かなりの魔力だ」
気配を隠す気が無いのか、あるいはこちらに気付いていないのか。
近付いてくる気配は、無警戒にこちらへ近付いてくる。
ラクサーシャは森の奥を見据える。
鋭い眼光の先に人影が見えた。
それが姿を現したとき、一同は目を見開く。
「旦那、あれって……」
クロウは人影を指差す。
その正体は少女だった。
風に靡く煌びやかな髪。
瑞々しく透き通った白い肌。
そして、特徴的な長い耳。
これだけ揃えば、間違える者は一人としていないだろう。
「エルフ……ですね」
ベルが呟く。
その美しさは、見紛う事無き本物のエルフのものだった。
エルフはこちらに気付き、同じく驚いたように目を見開く。
シュトルセラン、ベル、クロウ。
順に視線を移していき――。
「ま、魔刀の悪魔……」
一瞬だけその表情を恐怖に染め、次の瞬間には憎悪に満ちた表情へと変わる。
「うぁぁあああああああッ!」
膨大な魔力を放出し、エルフの少女は咆哮する。




