41話 闇が深まる
四日ほどの移動を経て、ラクサーシャはロズアルド高原に辿り着く。
辺りは木の一本さえ生えていない草原だったが草丈は高く、身を潜めて移動することは出来そうだった。
姿勢を低くして進んでいくと、研究者たちがいるであろうキャンプを発見する。
しかし、ラクサーシャが予想していたよりも数は少なかった。
ちょうど古代の遺物を発掘して王都に運んでいった直後だったが、ラクサーシャにそれを知る由は無い。
人が少なかろうとやることは変わらない。
一人残らず切り伏せるのみ。
ラクサーシャは軍刀『信念』を抜刀し、草陰から飛び出す。
一人目は、襲撃に気付くことなく命を落とす。
二人目は、何が起きているのか理解する間もなかった。
三人目は、ようやく状況を理解したようだった。
四人目は、助けを呼ぼうとするも間に合わない。
視界に入った四人を早々に切り捨て、ラクサーシャは刀を振るう。
振り払われた血が草の色を赤く染めた。
辺りを警戒しつつ、ラクサーシャは足を進める。
鼓動の高鳴りは緊張か、高揚か。
ラクサーシャとは対照的に、キャンプはしんと静まり返っていた。
長い間、悪魔として刀を振るってきたせいだろう。
戦いの中に愉悦を感じてしまう。
己が騎士として在るためには不要な感覚。
しかし、それを消し去ることは出来ない。
憎悪が頭を埋め尽くす。
帝国が憎い。
皇帝が憎い。
そして、愚かな自分が憎い。
下らぬ信念に囚われて、その果てにあったのは娘の死だった。
いつまで刀を抱き続けるのか。
いつまで刀に縋っているのか。
あるいは、それしか残っていないのかもしれない。
今のラクサーシャを動かしているのは、空ろな信念だけだった。
斬った相手が十を超えると、ようやく遺跡の入り口に辿り着く。
荒ぶる心を静めようと、ラクサーシャは深呼吸をする。
どうにも嫌な感じがした。
遺跡の内部は薄暗かったが、ラズリスの魔石鉱の奥で見た遺跡に造りが似ていた。
前とは違い、今は己のみである。
ペンダントの写真を眺め、ラクサーシャは寂しさを紛らわせる。
遺跡の内部にはやはり、同じく三体の石像があった。
拳を振り翳した大柄な男。
本を片手に詠唱するローブの男。
そして、祈るように手を合わせた少女。
ガーデン教の聖典に登場する三人だった。
少しそれを眺めていたラクサーシャだったが、背後に気配を感じて振り向く。
そこにいたのは異様な雰囲気を身に纏う男だった。
その顔は、石像の一つと一致していた。
「お前は何者だ?」
「何者か? さてな。己の存在さえ、おぼろげにしか思い出せない」
男は石像に手を翳す。
それから、少女の頬を撫でるように動かした。
「しかし、幾つか分かることがある」
「ほう」
「一つ、我が名はアウロイ・アクロス。古代アクロ帝国の亡霊。未だ現世に未練を残し、世界を彷徨う放浪者」
アウロイは懐から本を取り出す。
古代から現代に至るまで、全ての魔法が記された自律魔道書。
彼はただ、魔力を供給すればいい。
「二つ、貴様は我が未練を晴らす糧となる」
部屋を覆い尽くすように魔法陣が展開される。
大魔法と呼ばれる神話級の魔法。
その全てがラクサーシャに狙いを定めていた。
「――精々足掻くといい」
アウロイの言葉と共に大魔法が飛来する。
暴風が吹き荒れ、大地が槍と化し、天から氷刃が降り注ぎ、空間が爆ぜる。
神域の魔法全てをその身に受け、しかし、ラクサーシャは健在だった。
ラクサーシャは全身から魔力を立ち上らせ、地を大きく踏み込んだ。
次の瞬間には既に刀を振り切っている
だが、手応えは無い。
「ほう、これを躱すか」
「その口がよく言う。よくもまあ、大魔法の全てを防いだものだ」
「お前の魔法は数だけだ。雑兵が何万と押し寄せようと、恐れるに値せん」
「大魔法を雑兵と言うか。なれば、これはどうか?」
アウロイの背から魔力が噴出する。
詠唱は無い。
固有名も無い。
ただ魔力を収束させて放つだけ。
それ故に、威力は自在に変えられる。
撃ち出された魔力弾をラクサーシャは迎え撃つ。
「――奥義・断空」
ラクサーシャの持つ最大の技が放たれる。
魔力弾と剣閃がぶつかり合い、相殺された。
アウロイは驚いたように目を見開く。
「流石は魔刀の悪魔と言うべきか。人の身で神域に足を踏み入れるとは」
「そういうお前は不死者か」
「如何にも。この世界に囚われた、哀れな不死者だ」
アウロイは魔道書を構える。
が、ラクサーシャの行動の方が一足早かった。
アウロイは舌打ちをしつつ、距離を取る。
だが、ラクサーシャの武器は刀だけではない。
「――全て灰燼と化せ!」
獄炎が視界を埋め尽くす。
詠唱が無くとも、膨大な魔力によってその威力は大魔法に匹敵する。
そのままアウロイを焼き尽くすかと思えたが、魔法は急に霧散した。
「術式破壊だと……?」
ラクサーシャはその感覚に覚えがあった。
それを成せるのは、彼が知りうる限りではただ一人。
シュトルセラン・ザナハがアウロイの傍らに控えていた。
「シュトルセラン」
名を呼ぶが、返事は無かった。
代わりに返されたのは炎矢だった。
ラクサーシャは身を少しずらして躱し、シュトルセランを見据える。
一目見て、異常の正体に気付いた。
「……隷属の魔法か」
「ご名答」
ラクサーシャの答えに、アウロイは拍手する。
「お前は第一王子派に付いているのか」
「否。第一王子派が俺に付いているのだ」
「お前は隷属の術式を使ったのか」
「否。奴らが俺の術式の一つを勝手に使っただけだ」
「お前は何者だ?」
問いは廻り、始まりへと戻る。
アウロイは嗤う。
「俺はアウロイ・アクロス。聖女リアーネの意志を継ぐ者。聖女リアーネとの契約に従い、世界の救済を行う者だ」
「その手段がそれか」
ラクサーシャはシュトルセランを見やる。
救済をする者とは思えない、非道な方法だった。
「お前の望む物を詳しく知るわけではない。しかし、それが私の友を害するならば容赦はせん」
「貴様は確かに強い。しかし、人の身で俺には勝てぬ。先ずは同じ領域へ来ることだ」
「身を禁忌に堕としては、私の騎士道に反する。誇り高く、信念のある騎士。それが私の在り方だ」
「くっく、なんとまあ高潔な。そして――あまりにも愚かだ」
アウロイから放たれる気配が一変する。
魔石鉱の時の不死者を上回る気配は正しく天涯。
人の身の頂点がラクサーシャならば、万物の頂点がアウロイだろう。
「下らぬ意地を捨てさえすれば、俺に敵うかもしれぬというに。まあいい。貴様はここで死ね。先の物語に貴様は必要ない」
「私にはやらねばならんことがある。復讐を終えるまでは、死ぬことは許されん」
ラクサーシャは刀を正眼に構える。
ここで死ねば、己の敗北だ。
ここで退けば、信念の敗北だ。
どちらも選べないならば、勝てばいい。
ラクサーシャは魔力を立ち上らせ、収束させる。
魔力を枯渇させる勢いで放出させ、放つのは神域の一閃。
剣技では有り得ない、詠唱を始める。
「我が刀よ。信念よ。其れは万象を切り伏せる気高き一閃――奥義・残響」
ラクサーシャの姿が掻き消える。
気付いたときには既に背後にいた。
後ろを振り向こうとした刹那、アウロイの身に無数の切り傷が生まれる。
残響する音のように、アウロイの絶叫が木霊する。
だが、それも一瞬のこと。
アウロイの体から瘴気が立ち上り、傷を一瞬にして消し去ってしまう。
ラクサーシャの全力の一撃さえ、不死者には届かない。
だが、アウロイは動かなかった。
ゆっくりと振り返り、ラクサーシャの目を見つめる。
魔力を使い果たし、既にラクサーシャは戦える状態ではない。
「そうか、これほどか。魔刀の悪魔。いや、魔刀の反逆者よ。貴様の物語は、まだ先があるようだ」
「何が言いたい」
「貴様は俺の目に適ったということだ。今はまだ、生かしてやろう」
アウロイは嗤う。
その意図が分からず、ラクサーシャは顔をしかめる。
一つ分かるのは、アウロイから殺気を感じなくなったということのみ。
「成果には報酬をやろう。第一王子派を倒すならば、こいつが必要だろう」
アウロイが手を翳すと、シュトルセランの身を魔力が包んだ。
それが術式破壊であることは一目瞭然だった。
シュトルセランは隷属の魔術から開放され、意識を失って倒れる。
「お前は第一王子派ではないのか?」
「構わん。アレが勝とうが負けようが計画に影響は無い。寧ろ貴様がいる分、第二王子派が勝った方が益は大きい」
アウロイはローブを翻し背を向ける。
その姿は虚空に溶けて消え去った。
「分からんな。何が起きている……?」
二度目の不死者との邂逅。
ガーデン教と帝国の繋がり。
三体の石像。
将軍の復讐劇は、より闇を深めていく。




