40話 諜報と暗躍
魔国の城下町に、古びたローブを身に纏った男が一人。
周囲を見渡しても同じような服装の者が多く、この国では別段目立つ格好ではなかった。
道行く研究者に紛れ、男を疑うものはいないだろう。
しばらく歩き、男は路地裏に入る。
日当たりが悪くじめじめとしており、人はめったに寄り付かない場所だ。
後ろめたい事情がある者か、あるいは何かしらの約束を取り付けている者か。
男の場合はどちらでもないが、後者に近かった。
目の前には女性が一人。
後ろ結びに結われた黒髪は、僅かに揺れることさえない。
女性は男に恭しく跪き、己の名を告げる。
「諜報部隊、魔国班。疾風のマヤ・アイセンベル」
「よく俺が来ると分かったな」
「当代様の気配に気付きましたので。こちらにて待機しておりました」
女性――マヤは頭を下げたまま、男に故を告げる。
男は満足げに頷く。
「魔国班の規模は?」
「百名ほどに御座います。魔国の各地に九十名。第一王子派と第二王子派に、それぞれ五名ずつ忍ばせております」
「なるほど。俺は第二王子、ウィルハルト側に付くことになった」
「左様ですか。では、第一王子側への諜報を強化いたしましょう」
マヤの提案に男は頷く。
情報網は十分に出来上がっているようだった。
「現状で、第一王子派の情報はどれくらい入っているんだ?」
「守りが非常に堅く、まだ不十分に御座います。しかし上層部に一人潜入できたため、これから増えていくかと」
「了解。なら、とりあえずは今あるだけの情報をくれ」
「畏まりました」
マヤは懐から手帳を取り出す。
「第一王子ロードウェル・セリアス・カルネヴァハ。第二王子ウィルハルトとは腹違いの兄弟で、知略に非常に長けております。兵は総勢二万五千。それに加え、大陸各地から強者を呼び込んでいるようです」
「強者は誰がいるんだ?」
「ミスリルプレートの冒険者が二名。剣聖アスランと不動のゴードン。両者共に剣士です」
「二人とも聞いたことがあるな。アスランは竜種さえ一閃で切り伏せ、ゴードンは竜種の一撃を受け止める。前衛としては一級だろうな」
男は顔をしかめる。
男が既に持っている情報と合わせて考えると非常に厄介だった。
「それと、帝国の賢者シュトルセラン・ザナハが第一王子に付いています」
「それは知ってるぜ。問題は、その動機だ」
「第一王子派は裏で怪しげな研究をしているようです。調べた限りでは――」
マヤはそこまで言って、男を抱えてその場から飛び退いた。
遅れて炎の矢が飛来する。
視線を向けると、屋根の上に黒いローブを身に纏った二人組みが立っていた。
立ち上る魔力から相応の実力者であることが窺えた。
マヤは二人組みに警戒しつつ、男に視線を向ける。
「当代様。戦闘の許可を」
「必要ない。俺がやる」
男は短剣を引き抜く。
腰に差している短剣ではなく、虚空から呼び出した一本の短剣である。
怪しげな気配を纏うそれは、この大陸では本来見ることは無いであろう代物だった。
「妖刀『喰命』よ――彼の者らを喰らい尽くせ」
男は命じるだけで良い。
その場から動く必要さえないのだ。
男から立ち上るのは、赤く揺らめく怪しげな光。
それは魔力ではなかった。
妖刀『喰命』と呼ばれた短剣は、まるで主の命に呼応するかのように脈動する。
次の瞬間には、ローブの男たちを覆うように黒炎が現れた。
断末魔を上げる暇さえも与えない。
塵芥さえも残さずに喰らい尽くし、役目を終えた黒炎は消え去った。
「流石は当代様。お見事です」
「やめてくれ。これは剣の力であって、俺の力じゃない」
「その剣に選ばれたのは当代様です。ならば、それも当代様の力も同然」
「俺なんて、与えられた力で生きているようなもんだ。俺はもっと強い人を知っている」
男の頭に浮かぶのは、誇り高き騎士の姿。
叶うなら、自分も彼のようになりたいと思っていた。
「先ほどの襲撃は第一王子の手の者でしょう」
「勘付かれているのか?」
「いいえ。おそらく、第一王子派の全員が監視対象になっているかと」
「そりゃあ面倒だ。そこまでされたら、情報収集もそう簡単には出来ないな」
男は肩を竦める。
「邪魔が入ったな。続きを聞かせてくれ」
「畏まりました。調べた限りでは、第一王子派の研究者が隷属の魔術を研究していることが判明しております」
「隷属、か。シュトルセランは意思に反して従わされていると」
「あるいは、第一王子派のほとんどが隷属させられている可能性が」
「酷い話だな」
マヤの言葉に男は顔をしかめる。
それが真実ならば、第二王子派側から引き抜かれる可能性もあるということだ。
国内の戦力はあまり信用しないほうがいいかもしれないと男は考える。
「隷属から開放する方法はあるのか?」
「現状では見つかっておりません。ですが、おそらくは術者を殺害する、もしくは対象に刻まれた術式を直接破壊すれば解放は可能かと」
「やっぱりそうなるよな。正面から打ち負かして、術式を破壊するしかないか」
男は腕を組む。
魔術を無効化するシュトルセランと優秀な前衛二人。
状況としては、一番悪い状況といえるだろう。
それに打ち勝つには、こちら側も相応に戦力を揃えなければならない。
「当代様。必要があれば、私たちも加勢致しますが」
「いや、いい。お前たちは隠しておきたい」
「畏まりました」
マヤは恭しく頭を下げる。
男は堅苦しい態度に慣れず、ため息を吐く。
「今ある情報はそれで全部か?」
「いえ、まだ有ります。魔国の西方、ロズアルド高原にある遺跡にて古代の遺物が発掘されました」
「古代の遺物……アクロの兵器か。出来れば、大したやつじゃないといいんだが」
「残念ながら、アクロの兵器の中でも一級品かと。外見上の見た目から、試作型の生体人形と思われます」
「生体人形か。けど、まだ生きているのか?」
「魔力の枯渇によって眠りについているようです。魔核さえ補充すれば、再び動き出すでしょう」
「そこに、隷属の術式を使うのか」
男は頭を抱える。
男が知る限りでは、その兵器は非常に厄介だった。
「なんとかして止められないか?」
「申し訳御座いません。現状では厳しいかと」
「そうか。まあ、旦那なら生体人形でもどうにかしてくれるだろうな」
男は特に気にした様子もないようだった。
そして、マヤに向き直る。
「俺はしばらく城下で行動する。マヤ。一度、魔国に潜伏する楔の民を集結させる」
「畏まりました」
マヤは頷くと、体から赤く揺らめく光を立ち上らせる。
虚空に術式を刻むと、周囲の影が形を成していく。
現れたのは十匹の鴉だった。
「当代様、お願いします」
「ああ」
男は鴉に向かう。
「楔の民よ。クロウ・ザイオンの名の下に、魔国の城下に集結せよ」
男――クロウの言葉を聞き終えると、鴉たちは一斉に飛び立っていった。
魔国の各地にいる仲間に伝言を届けてくれることだろう。
クロウはマヤに向き直る。
「拠点がいるな。マヤ、供を頼む」
「当代様のお供を出来るとは光栄の極み。このマヤ、微力ながら御側に仕えさせて頂きます」
「任せたぜ」
クロウはマヤを従え、身を隠せる場所へ移動を開始する。




