3話 全てが狂っている
戦いを終え、ラクサーシャは帝都へ帰還する。
しばらくは娘と過ごせるのだと考えると、普段よりも戦いに力が入った。
そのおかげか、ラクサーシャは予定よりも早く帰還することが出来た。
時刻は夜十時。
ほとんどの人間は寝静まっている頃だろう。
寝顔くらいは見てもいいだろうか。
シャルロッテは年頃の娘だから、機嫌を損ねてしまうかもしれない。
そんなことを考えながら、ラクサーシャは家へ到着する。
暫く振りの帰宅だった。
そんな彼を出迎えたのは、燃え盛る炎に包まれた屋敷だった。
「シャルロッテ!」
ラクサーシャは慌てて駆けだした。
何故、こんなことになっているのか。
理解も追いつかぬままに、炎の中に飛び込んだ。
そこで、異変に気付いた。
彼の視線の先には護衛の兵士が倒れている。
不可思議なのは、火傷以外の傷があることだった。
「誰か、誰かいないかッ!」
焦燥感に駆られ、ラクサーシャは叫ぶ。
シャルロッテが見つからない。
どうにかなってしまいそうだった。
屋敷を駆けていると、視界に動くものが見えた。
近付いてみると、そこには屋敷のメイドが倒れていた。
致命傷はなかったが、かといって放っておけば死んでしまうかもしれない状態だ。
体には幾つもの切り傷があり、血がドクドクと溢れていた。
虚ろな目で、今にも意識を失ってしまいそうだった。
「何があった」
治癒魔法を唱え、尋ねる。
しかし、返答はない。
微かに口元が動いてはいるが、それだけだった。
メイドは大量の出血で意識が朦朧としているようだった。
ラクサーシャは即効性の増血剤を飲ませる。
意識がはっきりとしてきたメイドは、途端に体を震わせ始めた。
体調が悪いのではないことはラクサーシャにも分かっていた。
しかし、メイドを休ませるほど時間はない。
再度尋ねると、メイドは酷く怯えた様子だったが、震える声でラクサーシャに伝える。
「騎士様たちが急に攻め込んできて、私にも、何が起こったのか分かりません……」
よほど怖かったのだろう。
メイドは体を震わせながらも必死に伝える。
「騎士だと? 帝都にまで入ってこられるはずがない」
「いえ……鎧に、帝国の騎士団の紋章が、ありました……」
ラクサーシャは目を見開いた。
帝国が何故、この様なことをするのか。
その疑問はすぐに解消された。
「シャルロッテ様が、連れ去られてしまいました」
「何だと!」
ラクサーシャは声を荒げた。
思い浮かんだのは皇帝の言葉。
シャルロッテを無理矢理に連れ去るとは。
ラクサーシャは激昂する。
腰に差した軍刀が、彼の怒りに呼応するように震えた。
「それは、何時頃の話だ?」
「申し訳御座いません。先程まで意識を失っていたので……」
「そうか」
ラクサーシャは財布に手を突っ込むと、一握りの硬貨を取り出した。
そこには、平民ならば一年は暮らせるであろう額があった。
ラクサーシャはそれをメイドの手に握らせる。
「お前はこれを持って、実家に帰れ」
「しかし、こんな大金は受け取れません……」
「……お前は私に重要な情報をくれた。これはその対価だ。いいな?」
「は、はいっ」
「さあ、行け。ここに留まっては危険だ」
ラクサーシャに促され、メイドは走り去っていった。
それを見届けると、ラクサーシャは城へ向かった。
勢い良く扉が開かれる。
荒々しく部屋に入ってきたのはラクサーシャだ。
「どういうことだッ!」
ラクサーシャが吠える。
烈火の如き視線の先。
謁見の間の奥では、皇帝が厭らしい笑みを浮かべていた。
怒りを露わにしたラクサーシャを前にしても、皇帝は余裕の表情を浮かべていた。
「随分と早い帰還だが……何をそんなに怒っている?」
「娘を……シャルロッテをどうした?」
ラクサーシャは鋭い眼光で皇帝を睨みつける。
返答次第ではこの場で切ろうとさえ考えていた。
「貴様の娘は諦めたと言っただろう。我とて、嫌がる少女を無理に手込めにしようとは思わん」
「帝国の兵が攻めてきたことは分かっている。私を欺こうなどと思うな」
どれほどの屈辱を堪えてきたことか。
ラクサーシャの拳に力が入る。
剣を捧げた自分ならまだしも、娘に手を出されては黙ってはいられない。
「ふん、だから言っただろう。貴様の娘を妻にすることは諦めたと。……だがまあ、手を出さぬとまでは言っていない」
「何を言っている……?」
ラクサーシャには皇帝の意図が分からない。
その問いに、皇帝はこれでもかと言わんばかりに口元を歪めた。
「我が遊んでやったのだ。貴様の娘は、中々に良かったぞ?」
「貴様ぁああああッ!」
怒声を上げ、ラクサーシャは皇帝に向かっていく。
娘を汚された。
皇帝の命を奪うには、その事実だけで十分だった。
「良いのか? 貴様の娘がどこにいるかも分からずに、我を殺めても」
その言葉にラクサーシャは動きを止める。
鋭い殺気はそのままに、ラクサーシャは皇帝に問う。
「娘はどこにいる?」
「一晩遊んだら壊れてしまってな。城下の見世物小屋にでも飾られている頃だろう」
「何だとッ!」
「ああ、早く行った方が良いぞ? あの場所は、非道く残虐なことで有名だ」
それを聞くや否や、ラクサーシャは城を飛び出した。
一刻も早くシャルロッテを助け出さねば。
苦しみ悶える娘の姿が脳裏に浮かび、ラクサーシャは胸が痛くなった。
城下町には活気がない。
人も多く、物流もある。
学業も盛んで、娯楽もある。
だというのに、城下町には活気がない。
生気を感じさせない人々が行き交うだけだった。
その原因は広く流通した魔核薬だ。
ラクサーシャが目を逸らしている間に、この国は狂っていた。
城下町を駆け抜け、見世物小屋にたどり着く。
死んだ城下町の中で、ここだけは活気に溢れていた。
時折聞こえる歓声は、今も見世物が行われていることを告げる。
「シャルロッテ!」
人混みをかき分け、奥へと進む。
やがて最前列にたどり着いたとき、ラクサーシャは目を見開いた。
「シャル、ロッテ……?」
彼の視界に飛び込んできた娘は酷い姿をしていた。
母親譲りの美しい金髪は赤く染まっていた。
子を成すべき穴には剣がねじ込まれていた。
シルクのように滑らかな肌は体液で汚されていた。
なんという狂気だろうか。
ラクサーシャの目の前で、現在進行形で娘が汚されていた。
観衆たちは、そんな光景を見て手を叩いて喜んでいる。
――全てが狂っている。
「ウォオオオオオオオッ!」
ラクサーシャは抜刀する。
それは刀と呼ばれる部類のもので、帝国に忠誠を誓う際に先代の皇帝より託された愛剣だ。
刀の名を『信念』という。
怒りに任せ、横に立っていた男の首を刎ねる。
血飛沫を上げながら倒れた男を見て、観衆たちは歓声を上げた。
ラクサーシャの怒りさえ、彼らにとっては娯楽でしかないのだろう。
それがまた、彼の怒りを煽る。
――私が剣を捧げた国は、こんなにもおぞましいものになっていたのか。
シャルロッテを好奇の視線に晒してはならない。
ラクサーシャは視界に入る全ての人間を斬り殺した。
足下に転がる生首の中には、見知った顔も混ざっていた。
刀に付いた血を払うと、ラクサーシャはシャルロッテに向き直る。
当然のことながら、息絶えていた。
ラクサーシャは無言で刺さっていた剣を引き抜く。
汚された娘の姿を直視できなかった。
まともに見てしまえば、頭がどうにかなってしまうから。
「――浄化せよ」
水魔法を詠唱して体を綺麗にするが、やはり、その顔を直視できない。
ラクサーシャは胸のペンダントを握りしめた。
かつて、娘が誕生日の際にくれたものだ。
中には時計とシャルロッテの写真が入っている。
「――安らかに眠れ」
ラクサーシャは火魔法を詠唱する。
せめて、自分の手で弔ってやりたい。
そんな思いから、ラクサーシャはシャルロッテの体に火をつけた。
肉の焼ける匂いがして、ラクサーシャは嘔吐した。
堪えようにも堪えられなかった。
娘を守れなかったことに罪悪感を感じ、ラクサーシャは泣きそうになる。
しかし、ラクサーシャは泣かなかった。
今はまだ、泣くべき時ではない。
悲しむのは、全てを終えた後だ。
やがてラクサーシャは顔を上げた。
鋭い視線の先にあるのは皇帝の住まう城だ。
軍刀『信念』を手に、ラクサーシャは単身で反乱を起こす。