17話 狂宴(3)
ラクサーシャはシャトレーゼを庇うように前へ出ると、軍刀『信念』を構えた。
後ろを振り返ると、シャトレーゼに問い掛ける。
「戦えるか?」
「万全ではありませんが、まだ動けます」
「うむ、分かった」
前方にはガルムとレイナ。
そして、どこかにシュヴァイが潜伏している。
対して、こちらはラクサーシャとシャトレーゼの二人だ。
これほどの相手となれば、クロウやベルには荷が重いだろう。
あのまま馬車で脱出していれば、ガルムたちと戦うことはなかっただろう。
しかし、ラクサーシャは見知った相手が手の届く範囲で死ぬことは避けたかった。
復讐とはいえ、全てを犠牲にしてまで戦えるほど、ラクサーシャは非情になりきることは出来ない。
それが彼の誇りであり、信念だった。
「わざわざ出てくるなんてよ、お人好しがすぎるじゃねぇか。そんな甘っちょろい覚悟で、テメェは帝国を倒せんのか?」
「私は貴様とは違うということだ、ガルム」
ラクサーシャの鋭い視線を受けて、ガルムは肩を竦める。
「おお、そうか。けどよ、それで死んだら、元も子もねぇぜッ!」
ガルムが大きく跳躍する。
迎え撃とうとすると、太陽が視界に入った。
太陽を直視してしまったラクサーシャの目が眩む。
「うぉらああああッ!」
振り下ろされた塊剣をラクサーシャとシャトレーゼは左右に飛んで避ける。
ガルムの全力の一振りは、帝国でも最高峰の威力を誇っていた。
塊剣の衝撃で地が爆ぜる。
ラクサーシャは刀を水平に構えると、姿勢を低くしてガルムの懐に入り込む。
切り上げるように刀を振るうと、ガルムが塊剣を振り下ろした。
鈍い音が響く。
まともに打ち合えば、魔導兵装によって身体能力を強化されたガルムの方が有利だろう。
ガルムに押され、ラクサーシャは距離を取る。
視線を横に向ければ、シャトレーゼがレイナと戦っていた。
シュヴァイとの戦いで短剣を二本とも失った彼女だが、そもそも無手での戦闘が本来のスタイルなのだろう。
縦横無尽に手足を振るい、流れるような動きでレイナを翻弄していたが、その表情は厳しい。
長期戦になれば、既に消耗の激しいシャトレーゼの方が不利だろう。
ラクサーシャは己の敵に視線を戻す。
シュヴァイがどこに潜んでいるか分からない今、ガルムに全ての思考を割かれるのは好ましくない。
だが、辺りを警戒しながら戦えるほどガルムは温い相手ではない。
ラクサーシャは刀を構えると、魔力を纏わせる。
力が足りないならば、強引に引き上げれば良い。
ラクサーシャは魔力の殆どを身体能力の強化に注ぎ込む。
膨大な魔力を持つ彼だからこそ出来る芸当だろう。
「――奥義・瞬魔」
刹那、ラクサーシャの魔力が爆発的に高まった。
ラクサーシャは地を大きく踏み込み――ガルムの視界から消え去る。
その動きは視認することは不可能。
シュヴァイでさえ、これほど早くは動けないだろう。
塊剣を構えるガルムの背後にラクサーシャが現れる。
僅かに遅れて、ガルムの脇腹から血飛沫が上がった。
ガルムは目を見開く。
「……テメェ、そんなのが出来るなんて聞いてねぇぞ」
魔導鎧のお蔭で致命傷ではないが、長時間戦えるほど浅い傷ではない。
ガルムは忌々しげにラクサーシャを睨み付ける。
ラクサーシャは刀を構える。
再び地を踏み込み――その場から飛び退いた。
遅れて針が地面に突き刺さる。
「――爆炎」
ラクサーシャは即座に針が飛んできた方向に魔法を放つ。
爆炎は周囲の建物を飲み込み、その中からシュヴァイが飛び出してきた。
「おい、シュヴァイ。テメェ出てくんのが遅ぇぞ?」
「リィンスレイ将軍を相手にそう易々と出ては来られぬ。お前こそ、もう少し耐えられぬのか」
「さっきの見ただろうよ。ありゃ俺にはどうしようもねぇ」
脇腹の傷を押さえながら、ガルムはラクサーシャを睨み付ける。
単純な身体能力の強化。
しかし、ラクサーシャは膨大な魔力を注ぎ込むことによって、帝国の誇る魔導兵装をも上回っていた。
継続して発動出来るものではないが、瞬間的な強化ならば可能だった。
ガルムは即効性の増血剤を口に放り込む。
噛み砕きながら塊剣を構え、忌々しげにラクサーシャを睨み付ける。
帝国軍の戦力が出揃った。
本番はここからだろう。
ラクサーシャは眼前に刀を構える。
先に動いたのはガルムだった。
その豪腕を唸らせ、塊剣を横薙ぎに振るう。
再びラクサーシャの魔力が爆発的に高まり――ガルムの塊剣が弾かれた。
その一撃の重さにガルムは踏鞴を踏む。
「ちぃッ!」
ガルムは弾かれた塊剣を力任せに引き戻し、振り下ろす。
紫炎を纏った塊剣の一撃に、ラクサーシャは背後に飛び退いた。
その隙を狙うようにシュヴァイがナイフを投擲する。
ラクサーシャはナイフの軌道を見切ると撃ち落とし、刀を上段に構えた。
膨大な魔力の奔流が集束し、放たれる。
「――奥義・断空」
竜をも一撃で葬り去る斬撃。
とても人間に使うような技ではないだろう。
ガルムは塊剣を地に突き刺し、魔法障壁を発動させた。
「ぐっ……うぉおおおおおおッ!」
ガルムは咆哮する。
ラクサーシャを相手に真正面から殺し合いをしたのはこれで二度目だ。
前回は不意打ちが通じたから良かったものの、まともにやり合えばこれほどまでに強いのか。
ガルムは奥歯をギリギリと軋ませ、耐え凌ぐ。
余波で周囲の建物が崩れていく。
足場も安定しなくなり、魔法障壁にも罅が入っていた。
断空はエドナでさえ一人では防ぎきれない一撃だ。
魔導兵装で強化されているとはいえ、ガルム一人では受け止めることもままならない。
やがて魔法障壁が崩れると、塊剣ごとガルムを吹き飛ばした。
数十メートル先まで転がり、やがて建物にぶつかって静止する。
魔導鎧はボロボロに砕け散り、塊剣は断空を受け止めた場所から折れていた。
とても戦える様子ではない。
残されたシュヴァイは冷や汗をかく。
ガルムが倒れた今、すべきことは一つである。
「――幻影」
辺りが霧に包まれる。
視界が悪くなり、シュヴァイの位置が把握できない。
やがて霧が晴れる頃には、帝国軍の姿は消えていた。
レイナと戦っていたシャトレーゼは膝を突く。
だいぶ追いつめられていたらしく、怪我だらけで痛々しい様子だった。
「リィンスレイ将軍。助かりました……」
「気にすることはない。私は己の成すべきことをしたまでだ」
ラクサーシャは軍刀『信念』を納刀する。
「ベル、シャトレーゼの治療を頼む」
「わ、分かりましたっ」
声を聞くと、ベルが馬車から姿を出した。
遅れてクロウもやってくる。
「はあ、死ぬかと思ったぜ」
ぐったりとした様子でクロウが呟いた。
戦闘能力のない彼は、戦いの音が聞こえてくるだけで精神を消耗していた。
ベルはシャトレーゼに歩み寄る。
ラクサーシャに買って貰ったメイスを掲げると、詠唱する。
「彼の者を癒せ――治癒」
シャトレーゼの体を優しい光が包み込み、傷を修復した。
シャトレーゼは体の調子を確かめるとベルに礼を言う。
「では、私はヴァルマンの元へ向かいます」
「うむ。私たちも、早く帝国を出るとしよう」
シャトレーゼと別れ、ラクサーシャたちは馬車に乗り込む。
商隊から少し遅れてしまったため、急ぐ必要があった。
御者台に座る密使の男がラクサーシャたちに振り返る。
「飛ばしますので、しっかり掴まってて下さい」
「おう、分かったぜ……うおっ」
急に馬車が大きく揺れ、クロウが転倒する。
その様子が可笑しくて、ベルはくすりと笑った。
やがて商隊に追い付いたラクサーシャたちは、関所を抜けて隣国へ出た。
狂乱の帝国編終了。
登場人物紹介と間話を挟んで次の章に移ります。