16話 狂宴(2)
シエラ領の北部からガルム率いる帝国軍が襲来する。
衛兵も領民も関係なく、その刃の下に伏していく。
背を向け走り出す人々は魔術師と弓兵によって射抜かれ、逃げることさえ叶わない。
断末魔が響き続ける。
帝国軍は血溜まりを意に介せず進撃する。
この程度の惨劇など何度も経験している。
相手が自国民へと変わっただけだ。
断続的にヴァルマンの私兵が現れるも、魔導兵装を装備した帝国軍に叶うはずもない。
足止めにすらなっていなかった。
ヴァルマンは通信水晶でその様子を眺めながら、次の策を投じる。
横にいた兵士たちに視線を向けると、彼らは鎧を脱いで広場へ向かった。
そして、大きめの声で会話をする。
「なあ、町の北側で大規模な出し物があるらしいぞ」
「それは本当か! 行ってみよう!」
大袈裟に演技をしながら、彼らは帝国軍のいる北側へ歩いていく。
それに釣られるように、領民たちは移動を開始した。
今日はミュジカの宴。
高揚した人々を煽動するのは容易かった。
ヴァルマンは程良いところで兵士たちを引き上げさせる。
だが、領民たちはそれに気付かない。
帝国軍に対し、シエラ領民全てをぶつけて時間を稼ごうとしていた。
非道だが、手段を選んではいられない。
「これで少しは時間が稼げるだろう。そろそろ町の西側に行って、いつでも脱出できるようにしよう」
ヴァルマンは人のいなくなった町並みを寂しく思いながら、私兵たちと共に西側へ向かう。
後はシャトレーゼが来れば脱出は可能だ。
帝国各地に潜伏し、ラクサーシャのために諜報活動に専念する。
軍隊としては数が少ないが、戦力全てを諜報活動に回せば最高峰の諜報機関となれるだろう。
戦力に関してはラクサーシャに頼むことになる。
西側の門にはヴァルマンの手配した馬車があった。
シャトレーゼが到着次第出発する、諜報機関の本部となる人員が乗る馬車だ。
東側には物資を運ぶ馬車があり、準備が出来た馬車から順に出発している。
そして南側には、ラクサーシャたちの馬車があった。
商人たちの馬車に紛れ、出発の時を窺う。
その横にはクロウとベル。
そして、御者台にはエイルディーンへの密使の男が乗っていた。
「ヴァルマン様から話は聞いています。こちらをお受け取りください」
手渡されたのは通信水晶だった。
ラクサーシャはそれを受け取ると、懐にしまった。
「リィンスレイ将軍の脱出後、ヴァルマン様たちは諜報活動で解放軍の援護をします。この通信水晶は長距離でも使用が可能なので、帝国内部の情報を定期的にお伝えします」
「うむ。それで、出発はいつになる?」
「あと半刻ほどです。商人たちの混乱に乗じて脱出します」
「分かった」
ラクサーシャは軍刀『信念』を手に持ち、敵襲に備える。
先ほどから近くに敵の気配を感じていた。
「む……」
「どうしたんだよ、旦那?」
「近くで戦闘が始まった。恐らく、シャトレーゼとシュヴァイだろう」
「相手は指揮官だろ? 大丈夫なのか?」
「分からん。だが、技術的な差はあまりない。五分といったところだろう」
ラクサーシャは神経を集中させる。
見ることは出来なくとも、魔力の動きを感じ取れば多少は状況が分かる。
「ラクサーシャ様。シャトレーゼ様は勝てそうですか?」
「分からんが、信じて待つしかないだろう。今は馬車の外には出られん」
「シャトレーゼ様……」
ベルは心配そうに呟く。
馬車の中にいては、外の様子すら分からない。
だが、遠くから聞こえる断末魔は、徐々にこちらに近付いてきている。
ベルが不安に思うのも仕方のないことだろう。
やがて、金属の足音が聞こえてきた。
隊列など無く、思うがままに殺しを楽しんでいた。
ラクサーシャは荷台の隙間からその様子を窺う。
「惨いな。かつての私は、あのようなことをしていたのか」
ラクサーシャはこれまでの戦争を振り返る。
否、あれは戦争などとは呼べなかった。
侵略である。
無辜の民を切り捨て、略奪の限りを尽くし。
返り血に染まり、それを誇りと錯覚し。
気付けば魔刀の悪魔とさえ言われるようになり。
シャルロッテを失うまで、その愚かさに気付けなかったというのか。
ラクサーシャは己に苛立つ。
もう少し早く気が付けば、違う未来があったのだろうか。
帝国を去った友たちは、ラクサーシャに帝国を捨てるように勧めた
だが、ラクサーシャはその度に忠誠を理由に断ってきた。
その手を取っていれば、シャルロッテは生きていたかもしれない。
己の横で、太陽のように眩しい笑顔を見せていたかもしれない。
考えるほどに、自己嫌悪に囚われてしまう。
「リィンスレイ将軍。そろそろ出発しましょう」
「……うむ」
馬車が動き始めるその時。
シャトレーゼが広場に落下した。
ガルム率いる帝国軍が進撃する。
シエラ領の中心であるこの町は造りが単純で、一直線に南側まで向かっていた。
「ったくよ、どれだけ沸いてくるんだコイツら」
「恐らく、ヴァルマンが領内の民を煽動したのでしょう」
「コイツらをか? にしては戦意が薄いじゃねぇか」
ガルムを見るなり領民たちは逃げ出す。
もちろん逃がすことはなく、その全てが地に伏していく。
その光景を眺め、レイナは顎に手を当てる。
「そうですね……シエラ領は今日、ミュジカの宴だったかと」
「それがなんだってんだ?」
「こちらの方に出し物があるとでも言えば、民衆が押し寄せるのでは?」
「マジかよ、惨いもんだな」
「そう言いながら、嬉々として斬り伏せているのは誰でしょうね?」
「まあ、俺だな」
ガルムの周囲には血溜まりが出来ていた。
もう既に百人は斬っただろうに、彼の持つ大剣は切れ味が少しも落ちていなかった。
帝国の開発した魔導兵装の中でも一際大きな剣。
塊剣と呼ばれるそれは、二メートルはあろうかという長さを誇る。
ガルムは塊剣を一振りすると、次の獲物に狙いを定める。
視線を横に向けると幼い子どもが目に付いた。
八歳くらいだろうか、惨劇に腰を抜かして動けなくなった少女を少年が引っ張っていた。
ガルムは少年の方に歩み寄る。
「よお、ガキ。手伝ってやろうか?」
「ひぃっ」
少年はガルムに気付くと、小さく悲鳴を上げる。
この惨劇の主が誰であるのか、目の当たりにしていた。
ガルムは少女の方に視線を移す。
よほど怖かったのだろう、少女は顔を真っ青にして身を震わせている。
ガルムが少女に近付こうとすると、少年が立ち塞がる。
「み、ミーナに手を出すな!」
威勢良く言うも、彼の膝は笑っていた。
ガルムは舌打ちすると、塊剣を振り上げる。
すると、少年は手を前に出して構えた。
その小さな体で、ガルムの一撃を受け止めようというのだろうか。
ガルムは犬歯を剥き出しにして嗤う。
「おい、ガキ。テメェは勇敢だがよ、これは受け止められねぇぜ?」
「うるさい、悪魔め!」
「おお、悪魔だ。俺は帝国の誇る悪魔、塊剣のガルム様だぜ」
ガルムはけらけらと笑う。
「だがよ、テメェも勇敢な戦士だ。生き延びるチャンスをやってもいい」
「ほ、本当?」
少年はちらりと後ろを振り返る。
泣きじゃくる少女が、少年に助けてと訴えていた。
「ああ、本当だ。テメェが俺の一撃を耐えられたら、二人とも見逃してやる」
まともに考えれば、それが不可能なことくらいは分かるだろう。
しかし、少年にはそれしか選択肢が残っていなかった。
体を震わせながらも、ガルムの目を精一杯に睨みつけていた。
「いい目をしてるじゃねえか。それじゃ、いくぜ……。おらよッ!」
魔力を込められた一撃が炸裂する。
砂埃が舞い上がり、血肉が飛び散る。
後に残ったのは、陥没した地面と僅かな肉片だけ。
「ぁ……?」
少女は状況を理解できず疑問符を浮かべた。
砂埃が立ちこめ視界が悪い。
少年がいたはずの場所に、這うように近付く。
「ぅぁ、ああぁ……」
少女は茫然と陥没した地面を見つめる。
血の後が生々しい。
少年はいない。
どこにも、いなかった。
「あぁああああッ!?」
残された少女が発狂する。
勇敢な少年はいなくなり、一人取り残された。
周囲には悪魔しかいない。
少女の様子を見て、ガルムが哄笑を上げる。
「残念だったなぁ、テメェの負けだ」
酷い光景だった。
だというのに、ガルムの周囲にいた部下たちは手を叩いて笑っている。
レイナはそれを見て眉を潜めた。
「流石はガルム指揮官、悪趣味ですね」
「これが帝国では常識なんだっての。テメェもさっさと慣れた方がいいぜ? ……じゃねぇと、あらぬ疑いをかけられるぞ」
「……善処します」
急に真剣な声色になったガルムに、レイナも頷く。
ガルムはレイナの返答を聞くと、満足げに頷いた。
そして、少女の髪を掴んで持ち上げる。
痛みに喘ぐ気力もないのか、少女はぐったりとしていた。
ガルムはそれをつまらなさそうに眺めると、部下に放り投げた。
「テメェらにくれてやる。好きにしろ」
ガルムはそう告げると、レイナを連れて南側へ向かう。
背後で上がる歓声には興味を示さず、ラクサーシャを探す。
やがて南側にある広場に着いた。
南門に近いこのあたりは、商人たちの馬車が多く止まっている。
ガルムが馬車に近付こうとしたとき、どさりと何かが広場に落下してきた。
視線を向ければ、それは女性だった。
突然のことにガルムは目を丸くする。
「んだよ、シエラ領の天気は晴れのち女ってか?」
「血の雨もお忘れなく」
「だな。……なんだアレ?」
ガルムはシャトレーゼを見て首を傾げる。
腕と脚に術式が刻まれていることなど、聞いたことがなかった。
一方、レイナは目を鋭くさせていた。
「生体人形……なぜここに」
「知ってんのか?」
「帝国の地下で開発された、新たな技術の一つです」
「俺はしらねぇけどな。また教会がどうのってか?」
「ええ」
ガルムは面倒くさそうにシャトレーゼを見つめる。
まだ息があるらしく、よろめきながら立ち上がった。
「……アレは消すべきだよな?」
「当然です」
レイナが腰からレイピアを引き抜く。
清流のような美しい装飾を施されたそれは、一級品の魔導具であることが分かる。
レイナはシャトレーゼに歩み寄るとレイピアを突きつけた。
「脱走した生体人形……まさかこんな所にいるとは」
「くっ……」
シャトレーゼはレイナを睨みつける。
シュヴァイの麻痺毒は一時的なもののようで、だいぶ感覚は戻ってきている。
しかし、シュヴァイとの戦いでかなり消耗していた。
相手は指揮官ガルム・ガレリアと補佐官レイナ・アーティス。
今の状態では、とても適わないだろう。
だが、背後にはラクサーシャが身を潜める馬車がある。
戦うしかなかった。
「あの場にいた者が、どれだけ苦しんだことか。一人逃げ出したことを、死して償いなさい!」
レイピアが魔力を帯び、シャトレーゼに突き立てられようとした刹那。
レイナの体はガルムによって突き飛ばされた。
「何を……ッ!」
視線を向ければ、塊剣を盾に膨大な魔力の奔流を受け止めているガルムの姿があった。
塊剣を振るい魔力を霧散させると、ガルムは吠える。
「来たか、ラクサーシャぁぁああああッ!」
帝国最強の男、魔刀の悪魔。
強烈な殺気を隠すこともなく、ラクサーシャは現れた。




