144話 旅立ち
ラクサーシャ・オル・リィンスレイ将軍。
彼の存在について、学者の間では様々な議論が交わされている。
大陸暦五四八年、大陸を支配せんと周辺諸国を圧迫していたシルヴェスタ帝国。
その先頭で猛威を振るっていた彼こそ、全ての元凶ではないかと考える学者が多い。
現在に至るまで、それが主な論となっていた。
当時の大陸の歴史書を見れば、彼が悪人であることを裏付ける記述が多々見られた。
曰く、無辜の民を殺戮した。
曰く、エルフ族を殲滅した。
様々な悪行が、当時の文献に記されていたのだ。
だが、彼については疑問点が多い。
帝国が滅ぶ前の数ヶ月間、彼の経歴が空白となっているのだ。
どれだけ調べようとも資料は出て来ず、学者の間では病で早死にしたのではという考えが主だった。
しかし、最近になってそれを覆す論が出現した。
連合国の先頭に立ち、リィンスレイ将軍が帝国と戦ったという記述。
それが記されていたのは、かの高名な魔術師エルシア・フラウ・ヘンゼの手記だった。
大戦時に最前線を駆けていた彼女の記述は非常に鮮明であり、当時の歴史書と比べても遜色のないものだ。
それ以上に、これまでの歴史書の空白が埋められていたことが大きい。
彼女の評価によれば、リィンスレイ将軍は高潔で、立派な信念を持った男だったという。
そして、彼が世間では悪人として扱われていることが堪らなく悲しいとも記されていた。
この手記が発見されると、当時帝国と戦争を行った三国が一斉に資料を公開し始めた。
エイルディーン王国軍師ヴァルマン・シエラの手記。
同国、王国騎士団長ザルツ・フォッカの手記。
魔国カルネヴァハ、第三十七代国王ウィルハルト・リザリック・カルネヴァハの手記。
ラファル皇国、第八十五代国王ミリア・カルロスチノの手記。
これらを筆頭に、様々な文献が公開されている。
中にはミスリルプレートの冒険者である戦鬼レーガン・カルロスチノと王国の元近衛騎士団長セレス・アルトレーアの手記も、二人の子孫から公開された。
人類で初めて魔境を踏破した二人の情報は、各国の公開した資料や文献と同等に信憑性がある。
果ては東国の部族からも手記が公開されるほどで、今も学者たちはこの事態に付いて行けていないようだ。
公開された手記の全てがリィンスレイ将軍の功績を讃えるものだった。
そして、彼が人格者であり悪人ではないと弁護する記述も多く見られた。
このことから、リィンスレイ将軍の人物像について大きく見直されることになった。
これまでとは真逆で、大陸を救った英雄として扱われることになると考えられる。
――歴史家ノア・レンセント『悪魔と英雄』より引用。
戦勝の宴の翌日には、皆が旅立つ準備を終えていた。
王都の外、爽やかな風の吹く草原に四人が集まっている。
「さて、それじゃあここでお別れか」
クロウが名残惜しそうに言う。
大陸での使命を果たした彼は、東国に戻らなければならない。
少し寂しげに、しかし笑みは絶やさない。
「レーガンはこれからどうするんだ?」
「オレは冒険者を続けるぜ。大陸各地を旅しながら、旨いモンをたくさん食うんだ」
「そ、そうか……」
目を輝かせるレーガンにクロウが苦笑する。
いつも通りに振舞うレーガンだったが、その傍らにセレスが並んでいた。
「セレスはどうするんだ?」
「私も、レーガンと旅をすることにした」
近衛騎士団長の座を手放し、セレスはレーガンに寄り添う道を選んだ。
父の無念は先の大戦で果たした。
これからは、彼女が生きたいように生きるのだ。
セレスはレーガンに微笑む。
気恥ずかしそうに頭を掻くレーガンを見れば、二人で上手くやって行けるだろうと確信できた。
「そういうわけで、オレたちは二人で冒険者をやるんだけどよ。エルシアも一緒に来ねぇか?」
レーガンがエルシアに問いかける。
エルフのいなくなった世界で、一人で生きていくのは寂しいだろうと思ってのことだ。
しかし、エルシアは首を振った。
「ごめんなさい。あたし、しばらく一人旅をしようと思っているの。色々と整理したいこともあるし、ね……」
ラクサーシャのこと、エルフ族のこと。
他にも、様々なことが彼女の心に渦巻いていた。
今は明るく振舞っているものの、たった一晩で吹っ切れるほど軽いものは抱えていない。
「けど、まあ……旅の途中で、きっと会えるわよ。そしたら、その時はとびきり美味しいものをご馳走してもらうわ」
「おっしゃ、任せとけ!」
エルシアの言葉に、レーガンが胸を叩いて頷く。
話したいことは話し終えた。
その場を去ろうにも、やはり名残惜しさが邪魔をしていた。
それでは駄目だ。
エルシアはそう思って意識を切り替える。
ラクサーシャのように強く在らねば、抱えたものを支えられない。
「それじゃあ、二人とも。次に会う頃には、三人かしら?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるエルシア。
エルシアの言葉の意味に気付いたレーガンとセレスが、互いの顔を見つめて赤面する。
二人の様子にくすりと笑い、エルシアは歩き出す。
その表情は晴れやかとまではいかなかったが、しかし、何事にも屈しないという強い覚悟があった。