141話 それは慈悲だろうか
魔界の門を潜り抜け、一同は現世へと帰還する。
その姿を見て、連合軍の兵たちが割れんばかりの歓声を上げた。
大陸史に残る戦争に居合わせたことの誇らしさよ。
彼らもまた、ラクサーシャと共にある仲間たちだ。
旅の仲間たちも、連合軍の兵たちも。
皆が満身創痍、しかし表情は晴れやかだ。
長きに渡る戦いに決着が付いたのだから、それも当然のことだろう。
だが、その中で一人、ラクサーシャの表情は晴れなかった。
復讐を終えたというのに、心は未だ曇天。
厚い雲に覆われた先は、最後まで見ることは叶わなかった。
ラクサーシャは仲間たちに視線を向ける。
晴れやかな表情で歓声に応える姿を見れば、己が見ることの出来なかったものを仲間たちが見ていることを察する。
晴天を、日輪を拝むには彼は道を誤りすぎた。
積み重ねてきた咎が先を阻むのだ。
ここから先へ、進む資格が無いのだと。
仕える国さえ間違えなければ、彼もその先へと歩めただろう。
しかし、許されるのはここまで。
それが彼に架された運命であり、彼もまた覚悟を決めている。
連合軍の兵の中から、ヴァルマンたちがやってきた。
ザルツとシャトレーゼも生きてはいるものの、体中に傷が出来ていた。
「お疲れ様、リィンスレイ将軍」
「うむ」
ヴァルマンの労いにラクサーシャが頷く。
連合軍の兵たちはかなり疲労しており、数も当初の二十万から五万にまで減っている。
尋常ではない被害が出ていたが、これだけの戦いがあったことを考えるとむしろ少ないくらいだった。
「ヴァルマン。お前の戦場指揮は、やはり一流だ」
「そんなことはないよ。リィンスレイ将軍がいたから、この戦いに勝利できた。讃えられるべきは僕じゃない。貴方だ」
ヴァルマンの言葉は事実だ。
この戦いは、ラクサーシャ無しでは成立しなかっただろう。
戦力差を考えれば、連合軍が一方的に被害を受けるだけだった。
そもそも、この連合軍を結びつけたのもラクサーシャだ。
彼がいなければ、この連合さえ成り立たなかっただろう。
優柔不断なエイルディーンの王に、圧倒的な戦力があるのだと見せ付けて決断させた。
魔国の王位継承に手を貸して、排他的だった今までの体制から一歩踏み出させた。
長きに渡って乗っ取られていた皇国を、元凶を打ち破って在るべき姿に戻した。
歴史書に大きく載せられるであろう功績。
これだけの贖罪をしてもなお、ラクサーシャは足りないと考えていた。
救った命も多いが、奪った命も多い。
無辜なる民を殺戮した事実は、彼の中では決して忘れてはいけないことだった。
故に、ラクサーシャはヴァルマンの賞賛を首を振って拒む。
自分は讃えられるべき人間ではない。
ただ強烈な執念の下に動いただけの、一人の男。
それが、ラクサーシャの自身に対する評価だった。
讃えるべき要素はどこにも無いのだと。
殺戮者として悪名のみが残ればいいのだと。
ラクサーシャは決して譲らない。
だが、今はそれを考えるときではない。
まだ彼らにはやるべきことが残っていた。
それを行うべく、ラクサーシャはクロウに視線を向ける。
クロウは頷いて妖刀『喰命』を翳し上げた。
「――来い、閉門の楔ッ!」
呼び声に、天が応えた。
青白く輝く巨竜が雄大な翼を広げ、大地へと降り立つ。
神代の遺物にして、ヴァハ・ランエリスが残した兵器。
魔界の門を閉じるための大魔法具。
これが、戦いを真に終結させるもの。
魔界の門が開いたままでは、内側に住まう神話級の魔物たちが溢れ出して来てしまう。
その背に巨大な魔方陣が浮かび上がる。
黄金の輝きを放つそれは、術式破壊を空間に作用させるもの。
現世と魔界とを繋ぐ世界の亀裂を、閉門の楔が消し去るのだ。
クロウが指し示す方向に閉門の楔が進んでいく。
やがて魔界へと入っていくと、魔方陣の輝きが一層強くなる。
そして、一帯から魔術が消滅していく。
門の破壊は一瞬だった。
硝子が砕け散るように、空間の裂け目が粉々に砕け散る。
後には、何事も無かったかのように地面があるのみだった。
それを見届けると、改めてヴァルマンがラクサーシャに声をかける。
「それじゃあ、戦勝の宴とでもいこうかな。リィンスレイ将軍も、当然参加するよね?」
「いや、私は……」
参加しない。
そう言おうとしたところで、仲間たちの言葉が遮った。
「よっしゃ、宴だ! 肉を食って酒を飲んで、騒ぎまくるぜ!」
「レーガン。浮かれるのも良いが、あまり飲み過ぎては体に毒だ」
「お、おう、そうだな。オレもやらなきゃいけねぇこともあるし、ほどほどにしておくか」
レーガンとセレスのやり取りに気を取られたせいか、ラクサーシャは断る機を逃してしまう。
あるいは、世界から僅かばかりの慈悲があったのかもしれない。
たった一晩、戦勝の宴の間のみ。
ラクサーシャに少しだけ猶予が与えられた。