135話 しぶとい男
レーガンが目を覚ます。
先ほどの極大魔法でかなりの距離を吹き飛ばされていたらしく、体の節々が悲鳴を上げていた。
体を起こすと、視界に広がる光景に絶句する。
見渡す限り全てが荒野と化していた。
先ほどまで苛烈な戦場だったはずだというのに、今では何も無かった。
後ろを振り返ってみると、連合軍の兵たちが同様に倒れていた。
全員が力を合わせて魔法障壁を構築したらしく、その場所のみが帝都の名残を残している。
恐ろしいほどの魔術だった。
一撃で帝国が消滅するほどの大規模魔術。
それを成したのはたったの一人だというのだ。
百万を超える人間の力が集積された生体人形。
ラクサーシャの娘を素体とした兵器。
それを操るのは史上最悪の女、リアーネ・ベーゼ・オルクス。
レーガンがはっと我に返る。
仲間たちはどこにいるのか。
そもそも、あれほどの魔術を受けて生きているのか。
だが、それも杞憂に終わる。
彼から少し離れたあたりに仲間たちが倒れていた。
全員が無事なことを確認すると、レーガンはほっと胸を撫で下ろす。
そんな彼の元に、連合軍の方からヴァルマンがやってきた。
彼の傍らにはシャトレーゼとザルツがいた。
少し離れて、ウィルハルトとミリアもいる。
「お兄ちゃん!」
ミリアが今にも泣き出しそうな顔でレーガンに抱きつく。
あれほどの魔術を見て、兄が死んでしまったのではないかと心配していた。
レーガンはミリアを優しく抱きとめると、ヴァルマンに向き直る。
「なあ、どれだけの兵士が動けるんだ?」
「そうだね……多く見積もっても五万くらいかな」
「かぁーっ、マジかよ」
レーガンは額に手を当てて天を仰ぐ。
彼の直感が、迫り来る脅威を察知していた。
先ほどまで城があったはずの場所。
そこに、冥界の門が開いていた。
明らかに、その大きさは増している。
その奥から無尽蔵とも思われるほどの魔人兵が現れていた。
知性を感じさせない異形の者。
リアーネの力に付き従う軍隊。
そこで、一人の男が戦っていた。
怒りは未だ収まらず、魔人兵を相手に暴れ続けていた。
「ラクサーシャ……」
強烈な殺気が、遠く離れたレーガンでも感じ取れた。
それは不死者としての性か。
執念のみが彼を動かし、それ以外の全てが失われていた。
いつの間にか、仲間たちも目を覚ましていた。
荒れ狂うラクサーシャの戦いを目にして、動けずにいた。
「情けないわね」
そう呟いたのはエルシアだった。
ラクサーシャを見つめる彼女の表情は悲しげだった。
「あたしは行くわ。たとえ、一人でも」
エルシアは破魔剣オルヴェルを鞘から抜き放つ。
彼女は既に、覚悟を決めている。
「こうなったらヤケだ! オレもやってやる!」
レーガンが戦斧『雷神の咆哮』を呼び出す。
その身に紫電を迸らせ、覚悟を決めた。
二人に続くように、皆が武器を構えていく。
セレスが、クロウが、ザルツが、シャトレーゼが。
ロアとシェラザードが。
そして、連合軍の兵たちが。
冥界の軍勢を前にして、連合軍の士気は最大限まで高まっていた。
出撃の前に、クロウが前へ出る。
「冥界の門は閉門の楔で閉じることが出来る。けど、その前にケリを付けなきゃいけない」
閉じるだけでは駄目だ。
全てを終えるには、リアーネを殺す必要がある。
あれほどの化け物を相手にしなければならないのだ。
だが、一同に恐怖は無い。
既に覚悟は決まっている。
そして――全員が一斉に駆け出した。
戦場に響く無数の足音。
まるで地響きが起きているかのように、その歩みは勇猛で荒々しい。
先頭で一人戦う男のもとへ、連合軍が合流する。
「旦那ッ!」
その声に、ラクサーシャは驚いたように振り替える。
孤軍奮闘していたはずが、いつの間にか仲間たちに囲まれていた。
かつて、帝国で将軍を務めていた時。
味方でさえ、彼の攻撃の余波を恐れて近寄らなかった。
だが、今は違う。
今のラクサーシャには信頼できる仲間がいるのだ。
戦場で共に肩を並べられる仲間が。
一人では、押し寄せる魔人兵を突破することは出来ない。
しかし、仲間たちと共に戦うならば。
この程度の障害など、小石ほどにしか感じなかった。
「――行くぞッ!」
連合軍の将軍としてラクサーシャは指示を出す。
自らが先頭に立ち、押し寄せる魔人兵を押し返していく。
だが、押し寄せる魔人兵の数は計り知れない。
連合軍の倍以上はあろうかという数。
否、それ以上かもしれない。
冥界の門に近付くにつれて、魔人兵の勢いが強くなっていく。
どれだけ武器を振るおうと、先へ進むことが出来なくなっていく。
だが、敵は魔人兵だけではない。
冥界から溢れ出した神話級の魔物たちが、連合軍の兵士に襲い掛かる。
戦うには、明らかに数が足りていない。
圧倒的な物量に押され、一同は波を突破することが出来ずにいた。
このままでは不味い。
誰もがそう思った時――彼方から、地を揺るがす無数の足音が聞こえてきた。
勇猛な足音を聞き、ロアが顔を上げた。
「待ちわびたぞ、我が友の遺志よ」
現れたのは、黒い瘴気を纏う竜だった。
それも、一頭ではない。
数百もの不死竜が、戦場に駆けつけてきたのだ。
それを見つめるシェラザードは誇らしげだ。
英雄ヴァハ・ランエリスの遺志が、魔人兵を蹴散らしていく。
その光景は圧巻だった。
それを機に、連合軍の勢いが増した。
後方で指揮を取るヴァルマンが、不死竜の強さを生かせるように隊列を変えさせる。
押し寄せる魔人兵を押し返し、連合軍が歩みを進めていく。
そして、冥界の門が目前になった時。
やはりこの男が立ち塞がる。
「よお、ラクサーシャ」
塊剣を肩に担ぎ、犬歯を剥き出しにガルムが嗤う。
魔方陣に喰らわれたはずの彼が、何故か生きていた。
ラクサーシャは仲間たちに視線を送る。
今度こそ、この男を殺さなければならない。
そしてそれは、己の役割である。
仲間たちが冥界の門へと入っていくのを見送ると、ラクサーシャはガルムと対峙する。