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130話 城壁を越えよ(4)

 レイナの詠唱によって、一帯が氷魔の領域ペルマ・フロストに呑み込まれた。

 魔術耐性の低い者はそれだけで命を失ってしまう極寒の領域。

 たとえ耐え抜いたとしても、この中でまともに動ける者はほとんどいなかった。


 身を刺すような寒さにセレスは身震いする。

 体内を巡る炎の魔力が、彼女の身を通常時と同等程度には保っていた。


 だが、それだけである。

 味方をも巻き込むとは予想しておらず、その油断がレイナに魔術の発動を許してしまった。

 この状態で戦えば、今のセレスには勝ち目が無かった。


「言ったはずですよ? やるだけ無駄だと」


 レイナの表情に悦が混じる。

 彼女の上司であるガルムに似てか、優位に立つと傲慢に振舞う。


「あの女に助けられたのは癪ですが、まあいいでしょう。これで貴女を殺せるのだから」

「味方をも巻き込んで、それが騎士のすることなのかッ!」


 セレスが声を荒げる。

 レイナとて、帝国の騎士であるはず。

 だというのに味方を巻き添えに生き長らえるとは、赦し難い蛮行だった。


 だが、レイナは責めるようなセレスの視線を受けても涼しげだった。


「騎士? 誇り? 気高さ? なんと愚かしい。私が求めるものは……そんな下らぬ代物ではないッ!」


 レイナが感情を顕にする。

 騎士としての誇りなど、元より彼女は持ち合わせていない。

 あるのは、そう――。


「我らが主の掲げた崇高な使命を果たすこと。それこそが私の、絶対にして唯一の喜び」


 そう言い放った彼女の表情は歪だった。

 それが建前であると悟られぬように、必死に表情を取り繕う。


「ですので――死んでもらいます」


 レイナがセレスに肉迫する。

 この場は完全にレイナの領域だ。

 炎を操るセレスではあまりに部が悪すぎる。


 レイナが明確な殺意を以って剣を突き出す。

 凍てつく氷を纏った剣がセレスの首筋に吸い込まれるように迫っていき――同じく凍てつく氷を纏った剣によって阻まれた。


「――ッ!?」


 動揺する間も無く、セレスが反撃を開始する。

 底冷えするような冷気を纏い、セレスが剣を振るう。


 交差した剣は――拮抗する。

 魔力量も同じ。

 剣の技量も同じ。

 であれば、勝敗を決するものは何物か。


 レイナは歯を軋らせる。

 先ほど恐れたものが、再び眼前に迫っていた。


 だが、先ほどよりもセレスの剣は力が無かった。

 それ故の拮抗。

 氷魔の領域ペルマ・フロストが無ければ、レイナは押し負けていたことだろう。


「どうやら、まだ氷の魔術に慣れていないようですね」


 レイナの表情に余裕が生まれる。

 セレスの持つ魔術の才は炎に特化されている。

 その場凌ぎで発動した魔術など、普段から扱っているレイナには脅威足り得ないだろう。


 だが、レイナは一つ勘違いをしていた。

 セレスが氷の魔術を扱うのは、これが初めてというわけではない。


 周囲の気温が凄まじい勢いで下がっていく。

 それを齎したのはレイナではない。

 セレスだ。


「くッ……」


 レイナの表情から余裕が消え去る。

 炎を封じたはずだというのに、なぜ勝てないのか。


 レイナの瞳が揺れる。

 動揺によって余計に実力を発揮出来ずにいた。

 セレスの剣はレイナの脅威足り得ない。

 同時に、レイナの剣もセレスの脅威足り得なかった。


「なぜ、それほどまでに氷の魔術が扱えるッ!」


 問わずにはいられなかった。

 港町で剣を交えたときには炎の魔術しか扱えなかったはずだった。

 だというのに、今のセレスは不完全ながら氷の魔術が扱えている。


 その問いに、セレスは笑みを浮かべた。

 命のやり取りをしているこの時。

 彼女の脳内には愛しき男の姿があった。


「この戦いを終えたとき、私は何をしようか悩んでいた。これまで通り、近衛騎士団長を務めることも、悪くはないと思っている」

「唐突に、何を語りだしているのですか」

「だが、一つ気がかりなことがあった。彼は一人になっても、旅を続けることだろう」


 元より、冒険者として大陸を歩き回ってきた男だ。

 一箇所に留まって結婚生活を送るなど、年老いて引退するまで有り得ないだろう。


「皇国は少し寒い。私ならば、彼を暖められる」


 だが、とセレスは続ける。


「砂漠では、私に何ができるというのか。かつての私では、少しばかり気温を下げる程度しか出来ることがない」


 魔国の遺跡に向かっていた道中。

 セレスは簡素な氷の魔術でレーガンを癒した。

 だが維持をすることが困難で、結局四半刻さへ維持できなかったのだ。


 もし、この戦いを終えたならば。

 セレスは愛する男と共に、旅をしたいと思っていた。

 冒険者として大陸各地を巡るのが、今の彼女の夢だった。


「そう思えば、自然と氷の魔術も扱える。次は風、その次は地。彼のためならば、私は努力を惜しまない」


 堂々と言い切るセレスの姿は美しかった。

 どれだけ愛を募らせれば、これほど美しくなれるのか。


 セレスに有ってレイナに無いもの。

 それは愛だった。


「……戦いに情を持ち出すことがどれだけ愚かな事か。この剣を以って教えて差し上げましょうッ!」


 レイナが駆け出そうとした時――天が咆哮した。

 一度目の咆哮は主への応答。

 青白く輝く巨竜が、遥か彼方から姿を現した。


 そして、その背に巨大な魔方陣が浮かび上がる。

 二度目の咆哮は戦場をかき乱す術式破壊レジスト

 余波は、二人が戦う地まで及んだ。


 極寒の世界に亀裂が走る。


「はぁぁあああああッ!」


 枷が遂に――外れた。

 セレスの体から立ち上る炎が、壊れかけた氷魔の領域ペルマ・フロストを打ち破る。


「あ、有り得ない……」


 レイナは狼狽する。

 絶対の自信が有った氷魔の領域ペルマ・フロストが打ち破られたのだ。


「さあ、覚悟ッ!」


 灼熱の炎を纏った剣が迫る。

 その命が尽きる刹那、レイナは自身の原点を思い出した。


 辛く苦しい、奴隷よりも苛酷な環境。

 生体人形の実験体として連れ去られた過去。

 何時しか刃向かうことさえ忘れ、強大な力に屈服していた。


 ただ、死にたくないだけだった。

 狂気じみた生への執着。

 最後に残されたそれさえも、今、この場に潰えた。

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