127話 城壁を越えよ(1)
帝都は二つの城壁によって囲まれている。
壁の外側は平民たちの住む町が広がっており、内側に向かうにつれて高貴な身分の者へと上がっていく。
第一城壁ヘルセント。
市民区と富裕区を隔てる堅牢な壁。
厚みがあり、城壁の上には人が並んで立てるほど。
第二城壁レヴィアローゼ。
富裕区と貴族区を隔てる華美な壁。
それは城壁としての役割よりも、皇帝の住まう城の美しさを引き立てるものだった。
だが、その城壁は今や第一城壁、第二城壁としか呼ばれていない。
施された意匠は削り取られ、物々しい石壁へと変貌している。
その理由は、帝国が改宗したことにあった。
ヘルセントは戦の神。
かつて、王国との大戦の際には、兵士たちはこの神に祈りをささげた。
大陸では戦へ向かう者に戦神の指輪を送る風習がある。
レヴィアローゼは豊穣の女神。
農民たちは毎年、この女神に豊作の祈願をする。
シエラ領で行われていたミュジカの宴もこの内の一つである。
この二柱はどちらもアドゥーティス教の神である。
今やガーデン教が国教となった帝国において、この城壁をそのまま残すことは許されなかった。
結果、本来持っていた美しさは失えわれ、物々しい雰囲気を醸し出す城壁へと変貌してしまったのだ。
連合軍は既に帝都へと足を踏み入れていた。
人気の無い街並みはあまりにも不気味だった。
彼らの足音のみが響く。
市民区を突き進んでいくと、前方に巨大な壁が現れる。
先頭を進むラクサーシャは歩みを止めると、連合軍の兵たちに振り返る。
「見よ、あれこそ帝国の中枢。数多の帝国軍が待ち構えていることだろう」
第一城壁の上には人影が見えた。
そこで迎え撃とうと考えているのだろう。
だが、ラクサーシャの士気は高まるばかりだ。
「見えるか、この先に待つ勝利が、栄光が。この戦いを以ってして、大陸は帝国の暴虐から解放されるのだ!」
ラクサーシャの言葉に割れんばかりの歓声が上がる。
士気は最高潮。
軍刀『執念』を抜刀すると、ラクサーシャは城壁の方へ切っ先を向ける。
一呼吸の後――咆哮する。
「――蹂躙せよッ!」
連合軍が一斉に進軍を開始する。
道中での戦いで数を幾らか減らしたが、それでも十五万を上回るほどの数が生き残っていた。
全軍が凄まじい勢いで殺到する。
堅牢な第一城壁の上に視線を向ければ、狡猾そうな老婆が一人。
ラヴァンガルド砦で連合軍を苦しめた魔核術師エドナ・セラートがそこにいた。
両手を広げ、今まさに連合軍を迎え撃たんと魔術を構築している。
「エドナぁああああああッ!」
先頭を駆けるラクサーシャが声を上げる。
脚に魔力を巡らせ――空高く跳躍する。
高さ五十メートルはあろうかという第一城壁に飛び上ろうとしていた。
「チィッ! 炎。炎――」
エドナは魔術の構築を断念し、即座にラクサーシャの迎撃へと切り替える。
彼女が魔術を放たずとも、帝国軍の魔術師たちが殺到する連合軍を迎撃していた。
「――彼の者を喰らえ!」
エドナの左右に生まれた火球がラクサーシャに飛来する。
だが、刀の一振りで火球が消し飛んだ。
火球を斬ったせいか、ラクサーシャの跳躍の勢いが弱まる。
だが、その背から瘴気と銀の光が噴出して翼を象った。
ラクサーシャは手を突き出すように構える。
膨大な量の魔力が収束していく気配。
エドナは慌てて魔法障壁を展開する。
刹那、強烈な殺意の奔流が吹き荒れた。
広域へ威力を拡散された魔力放射。
エドナの魔法障壁は耐えようと、第一城壁はそうもいかない。
「な、馬鹿な」
エドナが呻く。
堅牢な第一城壁が跡形も無く消し飛んだのだ。
落下しそうになるも、即座に風の魔術を発動してエドナは宙に浮かぶ。
だが、開いた道から連合軍の兵士たちが雪崩れ込んでいく。
第一城壁で迎え撃つ戦法は失敗に終わったのだ。
その場から退こうにも、ラクサーシャがそれを許さない。
「炎! 炎!」
エドナは一心不乱に魔術を放つ。
ラヴァンガルド砦の時とは違い、今の彼女は大して魔核を持っていない。
魔核の保有量によって戦闘能力が大きく上下するのが魔核術。
であれば、今の彼女は才は有れど、ラクサーシャの脅威足り得なかった。
飛来する全ての魔法を叩き切り、ラクサーシャがエドナに肉迫する。
刀が閃いたかと思うと、エドナの首が地へと落ちていった。
遅れて、風の魔術で浮遊していた体が落ちていく。
魔核術師エドナ・セラートここに死す。