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117話 夜明けの杯

 まだ朝霧が視界を霞ませる時間帯。

 ラクサーシャは一人、ラノーファ砦の見張り台に上って景色を眺めていた。


 彼にしては珍しく、その手には杯が握られている。

 干し肉を炙ったものを酒の肴に、これまでの人生を振り返っていた。


 彼が騎士を志したのはいつのことだったか。

 ラクサーシャ自身、なぜ騎士を志したのかはおぼろげで思い出せない。

 遥か昔のことのように感じてしまうのは、不死者と化してしまったからだろうか。


 不死者に身を堕としてしまった今、ラクサーシャに猶予は少ない。

 記憶が徐々に風化していき、やがて自分が何者かさえも思い出せなくなってしまうのだ。

 ロアはまだ、それほど記憶が欠落しているようには見えない。

 だが、魔国の遺跡で出会ったアウロイの姿は既に沢山の物を失っているように見えた。


 だが、それが不死者の運命でもあった。

 生死という人間の限界を超え、魂を磨り減らして現世に留まる。

 ロア曰く、これが不死者が存在する理由らしかった。


 魂が磨り減ってしまう。

 その過程で、どれだけ大切なものを失ってしまうのだろうか。

 やがては復讐心のみで動き続ける執念の化け物へと変貌してしまうだろう。


 そうなってしまえば、これまでの人生で得てきたもの全てを失うことになってしまう。

 出会ってきた仲間の記憶も、最愛の娘シャルロッテのことさえも。

 それだけは、あってはならない。


 故に、ラクサーシャは死ぬのだ。

 この戦いを終えれば、咎を背負って地獄へと歩いていく。

 艱難辛苦が待ち受けていようと、彼は臆する事無く進むだろう。


「……もはや、後顧の憂いは無い」


 ラクサーシャは自分に言い聞かせるように呟く。

 復讐を成し遂げる以上のことを望んではならない。

 自分が現世に留まれば、失われた無辜なる命が救われないだろう。

 これ以上を望もうとは思わなかった。


 ラクサーシャはペンダントを取り出す。

 愛らしくにっと笑ったシャルロッテの顔写真。

 それが、ラクサーシャの歩みを支え続けてきたのだ。


 弔いは立ち上る戦火だ。

 無念の内に死んでいったシャルロッテ。

 ラクサーシャの血を引いた彼女は才能に溢れている。


 そんなシャルロッテの輝かしい未来が奪われたのだ。

 それを思うと、ラクサーシャの心に黒い感情が渦巻く。

 高潔さなど必要ない。

 復讐者として、これがあるべき姿なのだ。


 それを悟ったが故にラクサーシャは不死者へと至った。

 僅かでも迷いがあれば、アスランのように出来損ないへと堕ちてしまう。


 アスランはヴァハ・ランエリスへの強烈な憧れから不死の秘薬を飲んだ。

 そこに、一切の迷いは無かったはずだ。

 だというのに至れなかったのは、彼自身の格が足りなかったせいか。


 ラクサーシャには、そこに至るだけの資格があった。

 人として、騎士として、父親として。

 そして復讐者として、不死者の力を得るだけの格があったのだ。


 ラクサーシャはペンダントを眺めながら葡萄酒を呷る。

 干し肉も酒も上等なものではなく、その量も酔えるほどではない。

 ただ、今という時を過ごすための穴埋めでしかなかった。


 その穴を埋められるのは復讐のみだ。

 表向きは穏やかに振る舞うラクサーシャだが、その内面では戦争を今か今かと待ち侘びている。


 求めるのは仇敵の断末魔だ。

 かつて己が所属していたとはいえ、そこに一切の容赦は無い。

 ただでは死なせない。

 憎悪の炎で炙り殺しにするのだ。


 そんな悪魔的思考に走ってしまうのは、不死者へと変貌したせいか、あるいは本来の彼の姿か。

 これでは、悪魔と畏れられても仕方が無いではないか。

 ラクサーシャは自嘲する。


 だが、今はそれでも構わなかった。

 帝国を滅ぼせるなら、悪魔と呼ばれようと構わない。

 かつて自分が忌み嫌った姿。

 それを今では受け入れてしまっていることが、ラクサーシャには心地よく感じた。


 地平線を見つめれば、そこに小さく砦が見えた。

 帝国側、国境沿いの砦。

 王国側のラノーファ砦と同じく、かつての大戦で守りの要となった砦だ。


 ラヴァンガルド砦と名付けられたそれは、大陸屈指の堅牢な砦だ。

 これを打ち破るには、降り注ぐ魔法の雨を掻い潜らなければならない。

 迎撃に重きを置いたラヴァンガルド砦は、大戦時では王国側の侵入を一度として許さなかった。


 そしてそこに、ラクサーシャは見知った気配を感じていた。

 狡猾な思考、術式への深い理解。

 そして、あまりにも残虐非道な性格。

 指揮官エドナ・セラートが、ラヴァンガルド砦の守護を任されていた。


 ラクサーシャは帝国が取るであろう戦術を推測する。

 おそらくは、ラヴァンガルド砦で可能な限り多くの兵を削りに来るだろう。

 そして、機を窺って撤退する。

 被害を最小限に抑えて、かつ連合軍の戦力を大幅に削げる合理的な戦法だ。


 ラクサーシャは己には刀を振るうことしかないと言うが、それは違った。

 戦場において、彼は非常によく頭が回る。

 冷静さを欠かなければ、判断を誤ることは無いのだ。

 もう二度と、不意打ちを受けるようなことはないだろう。


 ふと、帝国とは反対方向から迫る気配に気づいた。

 そこに敵意は感じない。

 振り返れば、南方から二人組みが歩いてきていた。


 竜の里から帰ってきたロアとシェラザード。

 二人は天高く跳躍すると、そのまま見張り台に降り立つ。


 ロアはラクサーシャの姿を眺め、満足げに頷いた。


「迷いを打ち払ったか。その覇気は、我が友ヴァハ・ランエリスをも上回る。そしてその強さは、森羅万象全てを凌駕している」


 これだけ言葉を並べようと、ラクサーシャを称え尽くすことは出来なかった。

 かつて、神々の加護を受けて天涯となったヴァハ・ランエリス。

 それほどの男を、ラクサーシャは己の力のみで上回ったのだ。


 正しく最強。

 連合軍の頂点に相応しい、最強の男がここにいる。


 ふと景色を眺めれば、いつの間にか朝霧も薄れてきていた。

 ラクサーシャは二人を引き連れ、砦の中へと戻っていく。

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